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村の共同墓地の前に佇むギャロの鼻先に、大きな雨粒がひとつ、あたった。空が閃き、ややあってごろごろと擦るような音が鳴る。雨は近い。
彼は先ほどからここに佇んでいる。
「……母さん」
墓所に向かって呼びかけてみるが、それは無為な行為。この世界では死者の魂と言う概念は無いのだから、死んだ者は永遠に失われる。弔いも、墓も、全ては生者の慰みのためにある。死者がこの世に残すもの、それは思い出だ。その思い出の指標として墓は建てられる。生きる者はそこに詣で、花を手向けるとき、自分の中にある思い出と向き合うのだ。
だが、幼くして母と別れたギャロには、向きあうべき思い出が無い。わずかにある思い出は、ろくでもない扱いを受けたことばかりだ。それでも……
「もう一度、会いたかった……」
雨脚が急に強くなった。空から落ちる大粒の雨は見る見るうちにギャロを濡らしてゆく。強い光が空を覆った、と同時に雷音が響く。
それは濡肌種にとって何よりも心動かされる情景だ。気分が高揚するのを感じる。
「だいたい、あんたは勝手だ! 俺は……俺は……ただ一度でいいからっ!」
行き場の無い慟哭が強すぎる雨音にかき消された。空がまたひとつ、光る。その強い閃光が消えた瞬間、小さな燭光が闇の中に見えた。
白っぽい、魔導光石の明かり。それは揺れながら彼を呼ぶ。
「ギャロ! そこに居るの?」
ああ、このみっともない姿を一番見せたくない女だ。だが今、どうしても傍にいて欲しいたった一人の女……。
「美也子!」
その名を呼んで、ギャロは駆け出した。篠突く雨に打たれて、ただ明かりを目指して走る。
「ギャロ?」
また光ったまた一つの稲妻に身をすくめる細い影を抱きしめて、ギャロは大きな木の下に駆け込んだ。
「なぜ来た。醜怪種に、雨は毒だろう」
「やだ、おおげさね」
魔導光石に照らされた美也子の笑顔がわざとらしいから、ギャロは少しばかりの期待をこめて聞く。
「俺を探しに来たのか?」
「当たり前でしょ」
ギャロは自分がひどく欲情していることを感じていた。抱きしめた体は細く、しずくが垂れるほど雨に打たれて冷え切っているから、切ない。
「こんな雨の日に濡肌種の男に近づくのが、どういうことか解っているのか?」
逃さぬように大木の幹にぐいと押し付ければ、濡れた女から雨の匂いが香るから、愛しい。
「俺は旅仲間には手を出さないことに決めている。だから……いつだって雨の日は一人で……過ごしていたのに……」
さらに力を込めた腕に応えて、彼女が首に腕を回してくるから、もう我慢できない。
「美也子。俺を一人にしないでくれ」
ギャロは大きな唇の先で、小さく華奢な美也子の唇を吸った。強く吸った。ただ無我夢中で吸った。
美也子は少しだけ唇を離してささやく。
「ギャロは一人じゃないよ。座長さんもいるし、旅座のみんなもいる。定食屋さんのおばさんだっているじゃない」
雷は遠ざかったが、雨はまだ強い。降り続ける水玉はそちこちで跳ね返り、ざあざあと世界中の音を掻き消そうとするから……ギャロは美也子の耳元を舐めるほどに口を寄せ、囁く。
「今は、お前がいればいい」
旅座の連中は大事な仲間だ。座長は姉のように自分を育ててくれたかけがえの無い存在であるし、定食屋のおばさんだって、この村に立ち寄るたびに顔を見に立ち寄るほど慕っている。それでも、こんな気持ちにはなった事が無い。
離れたくない、放したくない。絶対唯一無二の存在。
「お前がいればいいんだ」
ギャロは美也子の膝を割って片足を割り込ませ、その体を大木に押し付けた。そのまま不埒に腰を絡めれば、今度は美也子がギャロの唇を吸う。
「私は『ギャロの女房』だから……」
「ああ、そうだったな」
甘い欲望に脳芯まで溶かされて、間抜けな答えしか出てこない。大樹の葉の表面をすべる雨が、容赦なく二人の上に降り注いだ。ギャロの欲情が加速する。
「そうだ……お前は俺の……」
吸盤のついた指先が、美也子の細い指を捉える。それは実に不埒な動きで絡まり、指の腹を撫であげた。
ふと見下ろせば雨にぬれた女。髪はしとどに濡れ、ぺったりと額に張り付いている。張り付いた服は吸い込んだ水の重みで華奢なラインを描いて垂れ、その下に隠されているのが女の体である事を主張していた。
欲求不満の体に、ぴったりと張り付く彼女の体が温かいから……いいわけをやめて、ギャロは美也子の首筋に口付けを落とした。
『こちらでは』ね~・・・・・・アレのシーンは書けないっすよ・・・・・