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「あの子は、いつだってそうさ。自分の本当に欲しいものを、決して手に入れようとはしない。あの我慢強さはむしろ、むかつくんだよ」
強くはき捨てるような座長の言葉に混じっているのは憎しみではない。むしろ、愛情深い苛立ちだ。
その愛情は美也子の嫉妬心を掻きたてるようなものではなく、むしろ静かな共感となって彼女の奥底までしみこんでゆく。
「あたしはどんな形でもいい、あの子をもう一度舞台に引っ張り上げたかったのさ。それでも、あんたにストリップなんかさせたのは、やりすぎだったかねえ」
「はい。ひどいです」
「はっきり言うねえ、あんたは」
「それでも、なんとなく解ります。あのぐらいしないと、ギャロは私を助けに来ないから」
「ああ、いや……そういうことにしておこうかね」
策を焦ったのは、この娘の愛想尽かしを恐れてだった。まだ若い娘なのだから、気持ちを受け入れてもくれない『おじさん』など捨てても、次の男は見つかるだろう。だからドラマチックな恋舞台を演出することによって、ギャロへの想いを強く刷り込んでしまおうと思ってのことだったのだが……侮りすぎたかと、少々反省している。
ファンタジーロマンスが好きだと聞いたときは、もっとふわふわとした夢見がちな乙女かと思った。だが美也子は、ひどく現実的な考えを持つ、しっかりとした娘だ。文字を覚え、この世界での生活を覚え、ここに根を下ろそうと覚悟もしている。
この娘ならきっと、ギャロの頑固な性根にも付き合ってゆけるだろう。
「本当に申し訳なかったよ……あたしの人を見る目も、まだまだってことだねえ」
「はい?」
「いや、気にしないでおくれ。それより、知りたい事はわかったかい?」
この物語だけを読めば、いかにもひどい母親だ。自分の母親なら、恨み、顔も見たくないほどに嫌うかもしれない。だが、ギャロは?
「ギャロが、お母さんや弟たちに会いたいと言った事はありますか?」
「さあ、あたしの覚えている限りじゃ、一度も無いね」
美也子は目を閉じて、母の死を聞いた瞬間の彼を思い出す。あんな複雑な表情は、今まで見たことも無い。
彼が蛙面だからと言うのではない。苦しみから解放された安堵と、思慕を寄せる相手を失った落胆。相反する感情がひとつの顔中でせめぎ合い、瞳は生気を失って宙を泳ぐ。大きな口は半開きになり、放心を表していた。
「弟さんのほうは、どう思っているんだろう?」
「幾度か手紙をもらったけどねえ。『兄さんは元気でいますか』みたいな、あたりさわり無い書面だったよ」
ならば、兄がいることを知らぬわけでは無いだろう。会いたいと思っているかどうかは別として……。
「せめて弟さんにだけでも会わせてあげたいと思うのは、私のわがままでしょうか」
「さあねえ。それはあの子に聞かなきゃ解らないが、あの頑固者が、素直に本音を言うとは思えないしねえ」
座長はあちこちから寄せ集めた糸を籠にまとめた。毛糸のかせだけではなく、麻糸の玉や、簡単に縛りまとめた皮ひもなどもある。
「こっちのほうは、これでいいかい?」
「え、あ、はい」
まだ思い悩んでいるのか、美也子は少し上の空で答えた。その頭を、ぽってりとした両生類の手が優しくなでる。
「あんたのやりたいようにすればいいさね。ギャロの女房はあんたなんだから」
だが、美也子にはまだ、その自信が無い。自信の裏づけとなる言葉も、行為も無いのだから。少しうつむいて言葉を失う。
そんな彼女の頭を、座長はさらに強く、ぐしゃぐしゃと撫で回した。
「もっと自信をもちなよ。あの子は本当に欲しい物を手に入れようとしない、って言っただろ? つまり、そういうことさ」
膝に座っていた幼子が、ちいさな瞳で美也子を見上げる。
「ミャコせんせー、ちゃんとお嫁さんしたんだから、ジシンもってね」
「ありがとう」
二人の言うとおりだ。もう少しだけ自信を持ってみよう、と美也子は自分の手のひらを見つめる。ここに彼の指が絡みついた。指の間を確かめるように強く、優しく、肩が触れ合うほど近く手をつないで歩いた。少なくとも心はゆっくりと近づいている。
それに、夫婦の誓い事までしておきながら手も出してこないのは、もしかして『本当に欲しいもの』だと思ってくれているから?
美也子は喜びに震える指先を胸の前に強く押し当てて、高鳴る自分の鼓動を聞いていた。