50
“訊ねてみたことがある。
「あんた、自分を売った母親を恨んでないの?」
「う~ん、でも、オカネがないと、困るんだよ。母ちゃんのお腹には俺の弟が入っててさあ、働かせてもらえないって、言ってたから、俺が働かなくちゃ、な」
なんということだ! この子はこんな幼くして、自ら覚悟した上で売られたというのか。
「父ちゃんが最期に残してくれた、大事な赤ん坊なんだ。だから、母ちゃんにとっても、俺にとっても、大事な赤ん坊なんだ」とも言っていた。
強い子だと思った。涙の一つも見せはしない。だが、吸盤が僅かに震えているのを、私は見逃さなかった。“
その自己犠牲の心構えこそが彼を名道化たらしめたのだろうと、今日では解っている。だが、世間知らずの子供だった座長は彼を道化の弟子に推した。その目論見どおり、彼は若くして一座の稼ぎ頭となった。
“その女がヒエロを訪ねてきたのは、ちょうどその時期であったと記憶している。
何年も離れて暮らしていたのだ。親子の対面はぎこちない。人払いをした馬車の中で、蛙目だけがぎょとぎょと動きながらお互いを確かめ合っている。
立会人として間に座っている私は、その無言にいたたまれなくなる。
それでもヒエロはこの日を楽しみにしていて、母と弟たちのために高級菓子などを買い込んでいたのだ。ただ一言それを告げて、甘えればいいのに……彼の目は、少し膨らんだ母の腹をしきりに気にしている。
「その、腹、は?」
やっとに搾り出した一言目は、それだった。
母親は気恥ずかしげに目を細めて項垂れる。
「再婚、したのよ」
「そ、か……おめでとうございます」
歯がゆいほどぎこちない。
「お、元気そうで、何より、です」”
母親の来訪の理由は、呆れたことに金の無心であった。
上の弟は学校に上がる年だ。名門校への入学を希望するその子の学費をまかなって欲しいというのだ。
人気少年道化師は、溜め込んでいた全財産を母親に渡した。
“素早く木箱をひったくった母親は、いかにも申し訳なさそうにした瞼を引き上げて通り一遍の別れの言葉を述べた。
「あんた、体に気をつけて元気でやるんだよ。座長さんの言うことをよく聞いて、いい子にしておくれね」
「うん。母さんも体に気をつけて、元気な子を産んでね」
無邪気に答える少年の言葉が、痛々しい。
「じゃあ、私はこれで、ね」
「あ、母さん」
「なんだい?」
母親を呼び止めはしたものの、ヒエロは裾をひねって立ち尽くす。
「あの、ね」
「ううん?」
私は彼の欲しがっている物に気づいてしまった。ただ甘えたいのだと。
なりは大きくなったが、彼にとって母親との時間はあの日、売られた瞬間から止まったままなのだ。幼子のようにただ頭を撫でるでもいい、抱きしめてもらうでもいい、そういった形の愛情を、彼は求めている。
しかし、彼がその願いを口にすることはなかった。
「お菓子があるんだ。持って帰ってよ」”
それきり、母親が彼を訪ねてくることは無かった。




