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その頃、美也子は座長の家庭馬車に上がりこんでいた。
座長が小間物の箱をあさってくれている間、その娘を膝に上げて、ギャロの半生記の翻訳を手伝ってもらっている。
彼女が知りたがったのは、母親や兄弟に対するギャロの想いであった。だが、物語の中の彼は道化の職である。それも、遠く王都にまで名の知れた有名道化……。
「ギャロが道化? 考えられないわね」
真面目ぶった蛙面を思い出して、美也子はくすりと笑う。
だが、大きな木箱に顔を突っ込んだまま、座長は実に大真面目な声を出した。
「それに書いてあるのは、全部本当のことだよ」
「だって、有名道化って……」
「間違い無いね。名優だったさ」
毛糸のかせをいくつか引っ張り出しながら、彼女は顔を上げた。のっぺりとした表情が幾分曇って見える。
「旅座にだけ伝わることわざがあってね、『悲しみ深いやつこそいい道化になる』って、言うんだよ」
滑稽なしぐさを見せるだけでは、人を笑わせることなど出来ない。おろかな言葉にしてもまた然り。舞台の上に本物の愚者を上げても、道化とはなりえないのである。
笑いの演者に要求されるのは観客の呼吸を読む能力だ。笑いを求められているポイントへ、的確なボケを落とし込む間合いの良さは、むしろ気遣いに通ずる。誰の都合も考えずに喚くような子供は道化には不適格だとされるのだ。
それに、客層にあわせてふさわしい話題を振る賢さも必要だろう。年寄りばかりの小屋でウケた話題を子供相手の舞台でそのまま演じても、ネタへの共感は得られない。だから、広くネタを仕入れるために、貪欲な学習意欲が必須となる。むしろ真面目で気遣いが出来る性質のほうが、道化向きなのである。
他にも、粘着質で大げさな演技力、受けの悪い話題を切り捨てる決断力、その上で咄嗟に舞台を構成しなおす柔軟性など、求められるところは多い。だが一番求められるのは、ウケをとることに全力を注ぐひたむきな姿勢であろう。
悲しみを知る子供は、周囲の望みどおりの姿を装おうとするものだ。それは親から与えられなかった愛の代償を求め、周囲に愛される存在として生きてゆくための哀しい処世術である。
だからこそ本来の賢さを押し隠し、愚者を演じることにひたむきな情熱を注ぐ。むしろ笑われることこそが存在意義であるかのように。
「あたしは、そういう深い所を知りもしないで、言葉の上っ面しか見て無かったのさ」
座長の後悔の言葉は、ざんげにも似た響きで美也子の心をかき乱した。
ギャロは確かに悲しい子供であった。彼が売られた金は幼い弟たちを養うのに充てられたらしい。その事は、半生記にも書かれていた。