30
彼の唇を待って目を閉じた美也子は、実にばかばかしい思いに囚われていた。
(キスしたら、王子様になったりして……)
昔読んだ童話のように。
(無理ね。王子様って年じゃないもの)
だが、ギャロなら素敵なオジサマになるだろう。
容姿の話ではない。憂いと年輪を乗せた、柔らかな表情の醜怪種の男に……
(なってしまえばいい)
そうすれば同じ醜怪種である自分を選んでくれるだろうか。
近づいてくる呼吸を待つ也子の心中は、のろいを解く姫ではなく魔女のそれであった。
(私を愛してしまえばいい……)
呪いこめて差し出された唇を、彼の呼吸だけが静かになぞる。彼の唇が触れたのも、小さなキスの音を感じたのも、頬。
呪いを掛け損なった気分で目を開ければ、そこにあるのはやはり、大きな土緑色の蛙の顔があった。低い声はぶっきらぼうに言い放つ。
「これで文句無いだろう」
当然のごとく、ブーイングが沸き起こった。
「うるせえ! ともかく、ミャーコは俺の女房だ。手を出すやつがいたら許さん!」
すぐ手前で二人を見守っていたネルは、大きく肩をすくめる。それは呆れたというよりは、予想通りの展開に対する抗議であった。
「まあ、いいか。祝砲をあげてやろうぜ」
祝砲とは花火のことだ。祭り稼業の彼らは花火好きで、仕事前の景気づけに必ず何発かの花火を揚げるのだから、ストックは切らさない。そして、ちょっとした祝いがあれば、やはり景気良く花火をあげるのだ。
ギャロは花火の詰まった樽が三つばかり、ゴロゴロと転がされてくるのを見守っている。その横顔を盗み見ながら、美也子は自分の心にどす黒い思考が降り積もるのを感じていた。
(もし元の世界に帰れないのなら……)
いつか彼と本当の夫婦になれるだろうか。愛情じゃなくてもいい。愛着を感じて、手放しがたいと思ってくれればそれで十分だ。
正直なところ、美也子は元の世界に帰ることなどすっかり諦めているのだ。ギャロが心を砕いてくれているのを知っているから、迂闊に口にしたりはしないが。