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目を覚ますと、そこは森の中だった。だから美也子は、ここを夢の中なのだと信じた。
抱えきれないほどに太い木は重なり茂り、葉透かしの陽光が風に揺らめく。どこか高くから雲雀の声が聞こえ、実に童話的な風景だ。
「でも、ずいぶんとリアルな夢ね」
物語の挿絵を思わせるその景色の真ん中に体を投げ出して、美也子は横たわっている。伏せた掌を突く草先の感触は微かに痛い。そこから上る青臭い香りも、鮮やかすぎる。額にかかった髪をさわ、と揺らして薫風が過ぎる感触もある。
夢にしてはあまりにリアルな体感に、美也子は激しく戸惑っていた。
「ここは……本当に夢?」
こんな現実味のある異世界を見るなんて、ゆうべ寝る前に恋愛ファンタジー小説をたらふく読んだせいかもしれない。
「だとしたら、敦也が悪いのね」
敦也……別れたばかりの彼氏、今までで一番最悪だった男……その別れの言葉が耳の奥にまだ残っている。
『お前はしっかり者だから俺がいなくても平気だろ? ってかさ、可愛いと思えねえんだよ、やたら気が強くって……』
無駄に透き通った声を鼓膜に再生しながら身を起こす。
「もう関係ないのにね」
美也子が恋愛小説を読むのは決まって失恋した後だ。現実の男達が美也子に吐きかけたひどい言葉を忘れるために、甘く優しい男達が美しい乙女に囁く睦言で記憶を上塗りするのだ。
もっとも美也子は、容姿だけならその小説に出てくる乙女と比べて何ら見劣りすることはない。小柄な体つき、愛くるしい童顔、ふわふわとクセのかかった髪……美人ではなく、可愛らしいのだ。
だから男達は美也子に勝手な幻想を抱く。この容姿でピンクを好み、趣味はファンタジー恋愛小説を読むことなのだから、中身もさぞかし愛くるしい乙女であろうと思うのだ。
結果、集まってくるのは勘違いした男ばかりなのだから、美也子の内面を知って勝手に幻滅して離れていく。
「二十四にもなって、そんなふわふわ、夢ばっかり見ていられるわけがないでしょ」
そう、美也子はその外見からは想像もつかないほど現実的で、しっかりとした娘なのだ。
もっとも今、こんなにはっきりとファンタジックな世界にいるせいで、その自信も多少ぐらついてはいるが……
「やっぱり、心のどこかでは王子様とか憧れてるのかしら」
美也子だって女なのだから男が欲しくないわけではない。相手が望むとおりの、夢見がちで従順な女を演じて見せれば恋の結末が変わるかもしれないことも知っている。
だが、そこまで自分を繕って取りすがる関係が欲しいわけじゃないのだ。
「欠点をすべて愛してもらおうなんて、虫がよすぎる話よね」
だが恋愛小説の王子様たちは一途だ。多少の欠点さえも「可愛い」の一言で済ませて、愛する女の全てを受け入れているではないか。
「だ~か~ら、あれは作り事の中だからなんだって!」
自分の独り言の大きさに苦笑して、美也子は大きく伸びをした。
「さて、もう一眠りしようかな、そうしたらこの夢からも覚めるんだろうし」
そのまま勢いをつけて草の上に身を投げ出す。羽虫が何匹か、驚いて飛び上がった。
草は押しつぶされ、ますます強い香りが鼻腔をつく。
「もう、現実の男なんてこりごり。このまま夢の中にいるのもいいかもね」
それがまさか本当になるとは……知るよしもなく、美也子は眠りに落ちた。