【Poison1-6】サクオ、敵と出会う。
お待たせしました。
本当に意味が分からない。俺が何か気に障る事でも言ったのだろうか?いや、それは違うか……
「オイ何なんだよ。ちゃんと言ってくれないと分からないぞ?」
『問答をしている時間が惜しい。さっさとこの場より去れ!』
「……だから事情を」
『くどいっ!何度も言わせるな!』
この言い様。取りつくしまの無いとは正にこの事だろう。
「……あ゛ぁ?」
エドゥナのこの態度に段々苛々して来た。放たれている殺気のせいで身体がすくむが……そこは己に喝を入れて気にしない事にした。そして俺はエドゥナに詰め寄る。
「……お前いい加減にしろよ。本当に意味が……て、何だっ!?」
そして一言言ってやろうと思った瞬間、何かを感じた。俺は意識を集中……そしてこの『何か』の正体が分かった。これは魔力だ。俺は意識を集中してその魔力の発生元を探ってみた。
「……オイオイ」
結果、無数の魔力がこちらに向かってくる事が感じられた。まだそれなりの距離がある様だが……かなり速度だ。すぐにでもここに到着してしまいそうだ。そして迫ってくる魔力群の中に1つ……他とは比べられない程の莫大な魔力を感じる。恐らくエドゥナに匹敵するだろう。まぁエドゥナの底を見た事が無いので確証は無いが。それでもこの魔力が莫大な事には変わりない。この魔力の持ち主は恐らく……
「……霊獣、か?」
エドゥナは神妙にうむと頷いた。どうやら正解の様だ。
『鈍感なぬしでも流石に気付いたか……そうじゃ。今、無数の魔獣を率いた霊獣がここに迫っておる。そしてこの霊獣は中々に厄介じゃ』
「……何故ここに霊獣が来る?」
『まぁ大体の予想は出来るが、の』
そう言ってエドゥナは意味深に俺を見る。そこでピンと来た。まさか……
「これは俺のせい……なのか?」
『ぬしがここに居ると分かれば奴は容赦はせんじゃろう……故に去れ』
エドゥナは俺の問いに答えてはくれない。だが分かる。これは俺のせいだ。俺がここに居るから……
『何、気にするな。初めに言ったじゃろ?ぬしは妾が守る……誰にも手出しはさせぬとの』
「……これからどうなるんだ」
『そうさな……そもそもこの霊獣は妾の事を嫌っておるしの。妾達はお互いを牽制しあっていた故これまで争わずにいたが……奴からしてみたら今回の件は良い口実じゃろうの。妾と争う為の、な』
「……勝てるのか?」
『さてな。奴は手足も連れて来てるしの……まぁ五分五分か、あるいは』
負けるかもしれんと、死ぬかもしれんと……だから去れとエドゥナは重ねて言った。
「……」
『何を黙っておる!?もうあまり時間が無い!早く行くんじゃ!』
エドゥナは動こうとしない俺を催促してくるが……行ける筈が無い。この事態を招いた原因は俺にあるからだ。大方、人間如きが霊獣の住み処にいる事が気に入らない輩でも居るんだろう。故に人間を匿っているエドゥナの所に来るのではないだろうか?霊獣とは人間を見下す様な奴等で傲慢らしいし。まぁそれはともかく、『負ける』『死ぬ』と聞いたらますます逃げれる訳が無い。
「エドゥナ……お前」
それより何より腹が立った。エドゥナの目には俺が自分のケツも拭けない……恩人を見捨てる……そんなに薄情なクズに見えると言うのだろうか?
「俺が友達を……自分に惚れている奴を見捨てるとでも思っているのか?ふざけるなよ」
『……』
エドゥナが俺を助け様としてくれているのは明白。その事はありがたい。が、俺にも俺のプライドがあるんだ。
「見くびってんじゃねぇぞ!?俺は逃げない。テメーのケツはテメーで拭く」
『!』
エドゥナは一瞬だけ嬉しそうにしたが、すぐに表情を一変させて激昂した。
『いかん!!ぬしが居てもどうにもならぬ!ぬしは足手まといなんじゃ!』
足手まとい。これは結構辛い。だが……
「お前は俺の強さを認めてくれたじゃないか……あれは嘘だったのか!?」
『確かにぬしは強い。その事に偽りは無い。が……まだまだ発展途上じゃ。今のぬしでは妾達と戦うには役不足なんじゃっ!頼むから聞き分けよ!』
「……っ!」
エドゥナの言う通り、確かに俺はまだまだだと思う。エドゥナの様子から察するに毒も不発の様だし。しかしこうやって改めて役不足と言われるのは本当に辛い……と言うより情けない。
「……すまない。俺は」
『勘違いするでない。ぬしが居てはの、妾が全力を出せんのじゃ』
エドゥナは一転して柔らかい声音で言った。まるで駄々をこねる子供に言ってきかす母親の如く……
『別に今生の別れ、と言う訳ではあるまい。生きておればいずれ会える。妾とてここで死ぬつもりは毛頭無いしの?』
「……」
『じゃから行け。この魔力糸を辿れば【深界】より出られるじゃろう。今のぬしならば魔獣程度の輩などどうとでも出来る筈じゃ』
エドゥナはそう言って一本の魔力糸を俺に絡ませた。これが【深界】の外に案内してくれるらしい。
「……」
それは別に良い。ありがたい事だ。だがこれではまるで今生の別れみたいじゃないか。エドゥナは違うと言ったが……
『それとの、魔力は出来るだけ抑えよ。ぬしの魔力は目立つからの』
「……」
『では、またの……くふっ。何じゃその顔は?そんな顔をするな、我が主よ』
「……するだろ」
『妾は死なぬ。それとも何か?まさか妾の事が信じられないとでも?』
この言い方は卑怯だ。確かにエドゥナは強い。だがそれが心配しなくて良い理由にはならないと思う。
『妾は強い。本当に心配はいらんぞ?』
「……」
俺が口を開こうとしたらエドゥナに遮られた。しかも俺が何を言うか先読みされた。それよりもエドゥナのこのふてぶてしいまでの自信。これは信じても良いのかもしれない、と言う気持ちになってくる。
「……本当に大丈夫なんだよな?」
『くどいぞ?まぁぬしの気持ちは嬉しいがの。では行け。もう時間が無い。念のため妾の魔力をぬしに纏わせておく。これでぬしの匂いを隠せる。この森は鼻が良い輩が多いからの』
正に準備万端。俺がこの場から去るのはもう決定事項の様だ。それは別にもういい。とりあえずこの場はエドゥナに従っておこうと思う。だがしかし、エドゥナに俺の尻拭いをして貰うのは本当に辛い……
「本当にすまない。俺は役立たずだ。情けない」
『サクオよ。ぬしがそこまで気にする必要は……』
「あるだろうがっ!!」
思わず声を上げてしまった。いけないと思ったが我慢出来なかった。そして止まらない……
「俺はお前に世話を焼かせてばかりだ!それなのに何も返せていない!そして今もまたお前に迷惑を掛けてる!自分の情けなさに……無力さに腹が立つんだっ!」
駄々をこねてもエドゥナを困らせるだけなのは分かっている。分かっているが止められ無かった。そこでまた自己嫌悪した。
『くふっ。ぬしは若いの……ではこれを貸しと言う事にしようかの。必ず妾に返せ。それで良かろ?』
エドゥナは優しい声音で言った。
「……っ」
そこで気がついた。俺は最後の最後までエドゥナに気を使わせてしまったらしい。こんな事では駄目だと、心の底から思った。俺はエドゥナを見据える。
「この借りは必ず返す。俺は必ず戻ってくる。もっと強くなって、お前にこれ以上気を使わせない様な男になる。だから……」
必ず勝て……とは言わなかった。それは誇り高いエドゥナに対しての侮辱になると思ったから。
『うむ!期待しておるぞ?ではまたの?サクオ』
「……あぁ。またなエドゥナ」
俺は別れの言葉を口にした後、身体能力を上げる為に魔力を身体に循環させた。そしてそのまま魔力糸を辿りつつ、森の中に飛び込んだ。後ろは振り返らなかった。
***
『……行ったか』
エドゥナはサクオがこの場を後にしたのち、感慨深く呟いた。
(くふふっ。全く、世話の焼ける主だこと)
エドゥナの胸にサクオとの思い出が去来する。出会ってからまだ7日足らず。長い時を生きたエドゥナにしてみれば、ほんの7日などは瞬きに等しい。だがサクオと過ごしたこの7日はどうだろうか?
『……くふっ』
エドゥナはサクオとの様々なやり取りを思い出し、笑みをこぼした。かけがえの無い7日間だったのだ。長い時を孤独に過ごしたエドゥナにとっては……
『……っ!来おったの』
エドゥナはその後しばらくサクオとの思い出を回想していたが、思考を切り替えた。迫ってくる魔力群がもうそこまで来ていたからだ。エドゥナは魔力を高めて声高に言う。
『無礼者共めッッ!!ここを何処だと心得る!?妾の寝所ぞ!?』
エドゥナの叫びは大気を震えさせた。声と共に放たれた魔力は大地を震えさせた。しかし奴等は震え無かった……
――ガルァァァッッ――
やがて森から奴等が飛び出した。灰色の身体に3つ目を持ち、鋭い牙を光らせる【深界】の狩猟者達。その名はガルヴォルフ。エドゥナを嫌うあの霊獣の手足共。サクオを苦しめた魔獣である。
(……全く。妾の寝所を汚い足で汚すとは。そればかりか……)
エドゥナは唸り声を上げながら威嚇しているガルヴォルフを一瞥し、そして盛大に腹を立てた。自らの住み処を踏み荒らされた事もそうだが、サクオとの思い出まで汚されたと感じたから。
『貴様等……その卑しい牙、誰に向けておるのか分かっておるのかえ?』
エドゥナは再び言葉を紡ぐ。それと同時に放たれる魔力は絶大。殺気は超絶。弱い魔獣ならばそれだけで死ぬ程の圧倒的な威圧感。しかし……
――グルルルゥッ――
ガルヴォルフ達が怯える事は無い。そればかりか尚一層威嚇の色を強め、その牙を剥く。そんなガルヴォルフの様子を眺めたエドゥナは苦虫を噛み潰した。
(不遜極まり無いの。それもこれも――)
森の中から一際大きな体躯を持つ巨狼が現れた。濡れる様な漆黒の毛並みを持ち、鮮血の様に赤い3つの瞳を爛々と光らせるその威容……ズシンズシンと周囲を睥睨しながらこちらに歩いてくるその巨狼の圧倒的な存在感たるや、正に霊獣に……王に相応しい。
(――こやつの統率力の為す所かの)
エドゥナは己の眼前に現れた漆黒の巨狼を視認した事で盛大に辟易した。それと同時に尚一層殺気と魔力を強める。この巨狼が自らと同格であるが故に……
『クククッ……誰に牙を向けているか、だと?そんな事を聞くのは野暮と言う物だぞ?なぁエドゥナ』
エドゥナの問いに答えた漆黒の巨狼もまた、エドゥナと同じく殺気と魔力を多大に溢れさせる。
――ガルルルルッ――
ガルヴォルフ達も自らの王に呼応するかの如くより一層猛った。しかしエドゥナはこれ以上の不遜を許さない。
『ほう?そうかそうか……ふーむ。それは妾に命を捧げる、と言う事で良いのかえ?』
エドゥナが不意に魔力を高め、ガルヴォルフ達を魔力糸で絡め捕らえたのだ。ガルヴォルフ達は必死に糸から逃れようと喚き散らすが、逃れられない。たった1匹……漆黒の巨狼を除いて。
『……クカカッッ!』
巨狼が不気味な笑みを浮かべながら魔力を高めると、その身体に絡まっていた魔力糸が弾け飛んだ。本来、エドゥナの糸は同格の霊獣ですらそうそう逃れられる代物では無い。しかし巨狼はいとも簡単に魔力糸から逃れた。
(……チッ)
エドゥナはその事実を受けて内心で舌打ちすると共に、自らが本調子では無い(・・・・・・・)事を再認識させられた。
『貴様と事を構えた事は無いが……絡め捕らえるエドゥナと畏怖される貴様の糸がこうも脆いとはな。我を舐めているのか?……それとも本調子ではないのかな?クククッ……』
そしてその事実は巨狼にも悟られた様だ。エドゥナは苦々しく思うが、そんな内心は悟らせない。
『……何をしに来おった?まさか妾との会話を楽しむ為に来た訳でもあるまい?』
エドゥナには心当たりがある。しかし敢えて問い掛けた。巨狼はそんなエドゥナの事を鼻で笑い、口を開いた。
『……この下等な匂い。貴様、矮小で汚らわしい人間をこの場に匿っていたな?今は居ない様だが……』
『……』
『流石の我も人間がこの奥地にまで入り込んでいるのを見過ごす事は出来ぬ』
巨狼は傲慢揃いの霊獣の中でも、更に傲慢。これが目的とも考えられるが……
『それよりも……この場に満ちる汚らわしき魔力!これは一体何だ!?』
巨狼は傲慢故に人間如き矮小な存在は歯牙にもかけず、本来であれば手足であるガルヴォルフに処理をさせるのだ。事実、これまで【深界】の奥地に足を踏み入れそうになった輩にはその様にしていた。決して自らの手を矮小な存在の血では汚さないのだ。故に人間を殺す目的では、決して出張る事が無いのだ。
『……人間なんぞは些末な事だ。居れば殺すだけだし、逃げたとしてもいずれは死ぬだろう。故にそんな事はどうでも良いのだ。問題はこの魔力だ!貴様、一体何を企んでいる!?』
『……』
エドゥナは言葉を返さない。しかしやはりと思った。サクオから放たれる魔力は恐ろしい。霊獣であるエドゥナが死を連想する程に……
そう。巨狼の目的は人間を殺す事では無く、サクオの放った魔力の事を問いただす事なのだ。エドゥナの予想していた通りである。
サクオの魔力を感知したのは恐らく巨狼だけでは無い。だが、他の霊獣達は静観を保っている。
……それは何故か?
問題の魔力の発生元がエドゥナの寝所だからだ。下手に手を出せばエドゥナが出てくる。エドゥナは霊獣の中でも上位に位置する存在である。故に霊獣達はサクオの放った魔力を警戒しながらも手が出せないのだ。この巨狼を除いては……
(……全く。こやつの同族愛には呆れるを通り越して関心するの)
この巨狼は自らの同族を愛し過ぎている。故にこの魔力を許せないのだ、同族に危害が及ぶかもしれないこの恐ろしい魔力を。故に自らが出張って来たのだ。同族を統べる王故に……
『何を黙っておるのだ!答えよ!事と次第によっては……ぬっ!?』
何時まで経っても口を開かぬエドゥナに対し、巨狼は遂に激昂してみせた。動けぬガルヴォルフ達も自らの王の憤怒に同調し、動けぬなりに気迫をみなぎらせるが……
『黙れ……』
エドゥナの小さな呟きと共に放たれた殺気によって流石の巨狼もたじろぎ、ガルヴォルフ達は尻尾を巻いて黙る。
『事と次第によっては、何じゃ?許さぬ……とでも言うつもりかえ?』
『……』
『何故妾が貴様等如きの許しを得なければならぬのだ?』
『……』
『それにの、仮に許しを乞うた所で許す気なんぞ無いのであろ?……ふん!貴様は妾と言葉遊びをしにわざわざここへ来たのかえ?』
『……クククッ』
『人間好きの妾を嫌っておる貴様の事じゃ。大方この事をダシに使って妾と事を構えるつもりだったのだろ?』
『クククククッ!』
エドゥナの言葉に堪えられ無い……と言った様子で巨狼は笑みを浮かべた。
『成る程、お見通しと言う訳か。まぁ実際の所この魔力が何なのかは気になるがな。この禍々しさ……不吉だ。それはともかく……エドゥナ、貴様の言う通り我は貴様を許す気など毛頭無い。貴様は王たる我の気を害したのだ。故に……』
巨狼は魔力を練り上げ、その脚力をもって地面を蹴り、エドゥナに飛び掛かってきた。
『死ねぃ!』
エドゥナもまた魔力を練り上げ、巨狼の突進を避ける。だが……
『……ぬうっ!?』
完全に避ける事が出来ず、鋭い爪がエドゥナの身体を掠めた。巨狼は笑う。まるで嘲笑うかの様に。
『ククククッ!どうした?貴様はその程度なのか!?もっと我を楽しませよ!!それともこの魔力が何なのか吐くか?さすれば……』
巨狼は再びエドゥナに飛びかかる。エドゥナはそれを避けるが……また完全に避ける事が出来なかった。
これは明らかな異常事態である。エドゥナは決して巨狼に劣っている訳では無いのだ。しかし完全に避ける事が出来ない。そして避けきる事が出来ない以上、このままではいずれ削り殺されてしまう。
『楽に死なせてやるぞ!王たる我の慈悲でなぁっ!』
『……っ!』
エドゥナは己の身体に起きている異常に心当たりがあった。
(くふふっ。毒、か……これは、中々しんどいの)
エドゥナの身体を蝕んでいたのだ。サクオの放った毒が。毒はエドゥナの魔力循環を阻害し、毒はエドゥナの思考を阻害し、毒はエドゥナの身体の自由を阻害していたのだ。故に魔力糸の強度は上がらず、勘は鈍り、巨狼の突進を避けきれないのだ。
サクオはエドゥナに毒が効いていないと思っていた。それもその筈、エドゥナは黙って効いていないふりをしていたのだ。それは霊獣としての誇り故の強がりであり、サクオを……愛しき者を心配させまいとするエドゥナの優しさであった。
『どうしたエドゥナ!貴様はそんな物なのか!?それともこの汚らわしき魔力にでも侵されたかぁッ?!』
『……ッ』
鋭い巨爪でもって絶え間無く攻め立てる巨狼に対し、エドゥナはどうにか避けながらどう攻めるか思考……するが、上手く思考が働かない。加えてエドゥナは先程から魔力糸を放っているが、巨狼の身体から放たれている魔力に弾かれて絡ませる事が出来ない程に弱まってしまっている。とどめに巨狼の爪を避けきる事が出来ない。正に満身創痍。正に八方塞がり。しかしエドゥナは己の窮地を悟らせまいとする。だがしかし……
(流石にこれは分が悪いの。これでは五分五分どころか……)
死、と言う最悪の展開が頭をよぎった。その瞬間、エドゥナは恐怖で身震いする。
(嫌じゃ)
死ぬ事が恐い訳では無い。生あるモノが必ず迎える終焉故に。
(嫌じゃ!)
しかしエドゥナは死を拒絶する。
(死んでしまったら!……)
サクオに会えなくなるのだから。愛しき者に会えなくなるのだから。故にエドゥナは恐怖するのだ。故にエドゥナは死を忌避するのだ。
エドゥナの心に火が灯る。その種火はエドゥナの感情を糧に燃え上がり、エドゥナの身の内を焦がしていく。そして燃え上がった炎は更に感情を糧にして、やがて爆発する。糧にした感情の名は憤怒。憤怒を糧にエドゥナの身の内で爆発したそれは身の内だけでは飽き足らず、やがて溢れ出す。途方も無い殺気と、魔力として……
『殺す』
魔力が循環出来なければ、無理矢理循環させれば良い。
『殺す!』
思考が出来ないならば、本能に身を任せれば良い。
『殺す!!』
避けられないならば、避けなければ良い。
『貴様を殺す!!!』
エドゥナから放たれた力は猛り狂い、その場で渦を巻く。巨狼はニイィと口元を歪め、愉悦を浮かべた。
『良いぞ!それでこそ貴様だ!』
巨狼もエドゥナに合わせて魔力と殺気を高めていく。エドゥナと巨狼が放つ魔力と殺気がぶつかり合い、その余波で周囲の木々がへし折れて吹き飛ぶ。
『さぁ殺ろうか!絡め捕らえるエドゥナぁ!!!』
『殺してやるぞ!牙王なるカジャンっっ!!』
エドゥナと巨狼……カジャンと呼ばれた2匹の霊獣がぶつかり合う。
――ガルルルゥォォォォォッッッ!!――
――キシャアァァァァァァァッッ――
2匹霊獣の雄叫びは【深界】の森に深く深く響き渡った……
***
『……ッッ』
俺は魔力循環で強化した足で森の中を全速力で走っていたんだが、何かの雄叫びと……とんでもない魔力を2つ感じてその場で足を止めた。
まぁぶっちゃけエドゥナの縄張りである洞窟を出てからと言うもの、凄まじい魔力をビンビン感じていた。しかし足を止める事はしなかった。だが今は別だ。無視する事など出来ない。今、感じているこれが今までとは段違いだからだ。森の木々が魔力の余波でざわめいている気がするし、なによりエドゥナの縄張りからかなり離れている筈のここにまで伝わってくるこの2つの魔力は半端じゃないと思う。そしてそれらがぶつかり合う度に、これまた凄まじい魔力が飛んでくるんだ。
「……凄過ぎる」
月並みな言葉だが、それしか言えない。この2つの魔力に関してはスケールが違う。この2つの魔力は恐らくエドゥナと……あの場に迫っていた霊獣だろう。霊獣は畏怖される存在と言うエドゥナの言葉が本当の意味で理解出来た。
「休憩がてらちょっと観戦……いや、この場合は感戦か?まぁどっちでも良いが」
俺は周囲に生える木々の中で比較的に高い木を選択。そして木の下に移動し、その場で跳躍して木の枝に飛び乗る。地面でボケッと立っているよりかは高い木の上の方が安全だと判断したんだ。木の上に魔獣が居る可能性も無くは無いが……それは考え無い事にした。考え出したらキリが無いし。
「……」
俺は枝に座って目を瞑り、この凄まじい魔力のぶつかり合いに感覚を傾ける。
……さっさと行けと思われるだろうが、やはりエドゥナの事が気になってしまうのは仕方が無い事だと思うんだ。
「……ん?」
そこで2つの魔力のぶつかり合いに変化が起きた。今までは拮抗していたんだが、どうやら片方が僅かに押され始めた様だ。
「……」
……少し嫌な予感がする。今、俺はこうして2つの魔力のぶつかり合いを感戦している訳だが、ぶっちゃけどっちがどっちの魔力だか分からないんだ。エドゥナ曰く魔力には個体差があり、感知に馴れてくればどれが誰の魔力だか分かる様になるらしい。【色憑き】の魔力に関しては一目瞭然との事だ。
まぁそれはともかく俺が何を言いたいかと言うと……押されている方の魔力がエドゥナかも知れないと言う事だ。違うかも知れないし、そうかも知れない。こんな事なら魔力感知をもっと練習しておくんだった。今更言ってもしょうがない事だが……
「!!」
俺が後悔していると、再び変化が起きた。押されている方の魔力が更に押され始めた。俺の拙い魔力感知でも、目に見えて弱くなっていっている事が手に取る様に分かる。そしてもう一方の魔力が勝負を決めにかかった様だ。尚一層攻め立てていく。
「そろそろ決まりそうだが……勝っている方がエドゥナだよな?」
問い掛けても、誰も答えてはくれない。嫌な予感が増していく。そこで再び変化が起きた。
「!?」
押されている方の魔力がいきなり増大したんだ。そして状況は一転。増大した方が一気に攻め立てている。これで攻守が逆転した様に思えるんだが……
「まるで最後の力を振り絞った様な感じだな」
こうも思う。俺はこちらの考えの方が正しい気がするんだ。何故かは分からないが、2つの魔力の質が違う気がするからだ。上手く説明出来ないんだが、今押されている方はどっしりとして安定している感じで、いきなり増大した方は……先程に比べて軽い。確かに魔力は大量に放っている。が、中身が……つまり質量が無い気がする。練り上げられていないと言えば良いのか。
そんな事を考えていると、三度変化が起きた。やはりと言うべきか増大した方の魔力がみるみる内にしぼんでいくのを感じる。それはどんどん小さくなり……やがて感じられなくなった。今感じる魔力は1つだけ。これは決着と見て良いだろう。
「……終わったのか」
不安な気持ちを拭えない。もし消えた魔力がエドゥナだったら?と言う思いを抱いてしまう。エドゥナが負ける所は想像出来ない。だが……
「駄目だ!俺はエドゥナを信じると決めたんだ!」
俺は頭を振って不安を無理矢理霧散させた。エドゥナに心配は無用な筈だ。
そう思い、俺はここから離れるべく木から飛び降りて足に力を入れる。そして正に走り出そうとしたその時だった。
――サクオ――
誰かに呼ばれた気がしたんだ。そして嫌な予感が確信に変り、全身に電気が走った様に錯覚した。これが虫の知らせと言う奴なのかもしれない。考える前に身体が動く。
「クソっ!!!」
俺は意味も無く悪態をつき、身体を【深界】の外へ……では無く、洞窟の方へと向ける。そして出来る限りの魔力を動員して体内に循環させる。それは今まで循環させた事が無い程の量だ。その為循環させきれない魔力が……毒が体外に溢れ出してしまう。なので少し怖い。だが……
「んな事気にしてられるかぁ!!」
俺は恐怖を握り潰し、そのまま走り出す。強化され過ぎた脚力のせいで足を踏み出した瞬間、蹴り足で地面にヒビが入ってしまったが……どうでも良い!
俺は最速でエドゥナの住み処へと向かう。
***
俺は走り続けている。エドゥナの所を出てから大体1時間程走った所で引き返した。つまり洞窟に着くのにも1時間程かかる計算だ。だが先程よりも強化された脚力のおかげでそれよりも早く着く事が出来る筈だ。そして俺は引き返してから10分程走っている。後どれ位で着くのだろうか……先程よりも早い筈なのに、とても遅く感じる。
それからまた10分程走った所で見覚えのある景色に変わって来た。
「あと少しか!?」
経過時間から考えて、俺の身体能力はいつもの強化より更に2倍程上がっている様だ。大体あと5分程で目的地に到着する筈だ。。
「!?」
その時だった。遥か前方から見覚えのある魔獣が……ガルヴォルフ達が迫って来るのを確認した。その敵意から察するに、狙いが俺なのは明白だ。
「……邪魔だな」
この世界に来た初日は恐ろしく感じたが、今はそう思わない。分かるからだ。俺の方が強い、と。こちらに迫って来なければ無視する。が、迫ってくる以上は今の俺にとって障害だ。
俺は迷わず直進。やがて1頭のガルヴォルフが先行してきた。そしてそのガルヴォルフと俺との距離が0になり……
――グルァァァ!――
吠えながら飛び掛かってきたそいつに対して俺は無言で右ストレートを放つ。
――グチャリ――
俺の拳が着弾した瞬間、まるでトマトを潰した様な音が響き、吹っ飛んでいった。俺は足を止めずに返り血で赤く染まった己の身体を眺める。
「汚ぇな……」
感想はそれだけだ。始めて何かの命を奪ったにも関わらず罪悪感などは一切感じない。状況が逼迫しているからなのか、俺が少しおかしいのか……
「まぁ別に良いか」
まだガルヴォルフが何匹も居るし、とりあえずは目先の事に集中しようと思考を切り捨てた。倫理観などは今この瞬間必要無い。邪魔なモノは消す、ただそれだけ考えていれば良い。それに相手は魔獣。何の問題も無い筈だ。
――グルルゥ――
仲間が殺された事が気に入らなかったのか、ガルヴォルフは俺と並走しながらこちらに牙を向けている。魔力で強化した俺の足と同じ速度とは中々やる。と言うか、俺って初日に良く逃げれたな。
「思考が逸れたな」
……まぁ過ぎた事は良いとして、奴等は俺に向かって来ない。どうやら警戒しているらしい。重ねて言うが、俺としては進行の妨げにならないならば、別に殺しはしない。しないが……
「ついて来られるのも目障りだな……オイ犬ども。消してやるから掛かって来やがれ」
俺の挑発が気に入らなかったのか、ガルヴォルフは更に牙を剥いた。
***
ガルヴォルフはその後も馬鹿の1つ覚えの様に迫って来ては飛びかかるを繰り返してきた。俺はその都度ジャブやストレート、フックやアッパーなどを駆使して迎撃。撃ち漏らしは一切無い。全て一発KOだ。おまけにガルヴォルフは断末魔の悲鳴さえ上げる事無く死んで行った。恐らくは即死だ。必要以上に痛めつけてない分、逆に良心的ではなかろうか?そしてガルヴォルフ達は全滅した。多分10匹は居たと思うが……ぶっちゃけ弱かった。
「最初に比べたら大分強くなったか?俺」
……それはともかく、もうそろそろエドゥナの住み処だ。先程からずーっと魔力感知をしているんだが、大きな魔力は1つしか感じられない。そしてその魔力と……殺気が俺に向けられている事がはっきりと分かる。
「やはりか……っ」
エドゥナが俺に魔力と本気の殺意を向ける事などは無い。負けたのはエドゥナだ……
「エドゥナぁっ!」
そして遂に森が途切れる。俺は一足飛びに、エドゥナの住み処である広場に踊り出た。
「……!」
俺は目の前に広がる光景を目にして言葉が出せなかった。
そこには漆黒の巨狼が居て……その向こうで傷だらけのエドゥナが横たわっていた。
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