【Poison1-2】サクオ、友達を得る。
ちょっと長いかもしれません。誤字脱字も目立つかも……
木々を薙ぎ倒し、俺の眼前に現れた大きく、毒々しく……そして禍々しい巨大な蜘蛛の怪物。その怪物は今、鋭い8肢を器用に動かしながらこちらへと近付き、その大きな顎を動けない俺に見せつけてくる。
――グパァァ……――
……そして鋭い鋏角が左右に開き、その奥に隠されていた牙だらけの口腔が俺に迫って……
***
「……ッッッ!!」
俺は迫り来る怪物の顎から逃れる為、その場で飛び起きて後退り……そこでとある異変に気が付いた。
……今まさに俺を喰わんと大口を開けた筈の怪物が見当たらないんだ。影も形も無い。
「……んん!?」
慌てて周囲を確認してみるが……やはり見当たらない。巨大な蜘蛛はあの恐ろしい威容が嘘だったかの様に確かに消え去ってる。念の為もう一度周囲に目を凝らし、耳を傾けてみるが……やはり怪物の姿は見えないし、それらしい足音も聞こえない。
……察するに先程の巨大な口が迫ってくる光景……あれはどうやら夢、だった様だ。蜘蛛に何があったのかは分からないが、結果として俺が気を失っている間に居なくなったらしい。
「……はぁ」
俺はそこで警戒を解いて、我ながら情けないとは思うが安堵のため息を漏らしつつその場に座り込んだ。俺はつくづく運が無いと思っていたが、そうそう捨てた物でも無かったらしい。
俺は己が助かった事を確信して、そこで初めて自分が今どこに居るかを落ち着いて確認する出来た。
見回してみると、俺の居る空間は周り全てが岩や石に囲まれている。そしてこの空間への入り口から差し込む光がこの場を照らしていた。天井は高く、かなり広くて奥行きもまだかなりあるのが照らす光のおかげで確認出来る。
以上の事から察するに、ここはどうやら洞窟の中の様だ。そしてその事が判明した瞬間、俺の頭はめまぐるしく思考を開始する。
……さて。落ち着いて考えてみよう。まず俺は怪物と出会った後に意識を失った筈だ。と言う事は、あの場には気絶した俺と蜘蛛の1人と1匹しか居なかった筈だ。そして俺が倒れたのは森が目の前にある川岸だった。でも今俺が居るのは洞窟……
「……あ、あれ?ちょっとおかしくないか?」
……思わず声に出してしまったが、疑問点が。蜘蛛が俺を見逃したのならば、俺は川岸に倒れていなければいけないんじゃなかろうか?
「……どう、なってる?」
……しばらく考えてみるが、埒があかない。なのでとりあえず誰かが倒れている俺を助けてくれて、この洞窟まで運んで来てくれたと仮定してみる事にした。
したんだが……それもおかしくはないだろうか?もし誰かが俺を助けてくれたのならば、それはそれで良い。危ない所を救ってもらったんだ。感謝してもしきれない。だが何故俺をこんな洞窟に運んだんだ?普通は村や町じゃないのか?
「……」
……おかしいとは思うが、駄目だ。どれだけ考えても何が正解か見えないし、ぶっちゃけ仮定したら仮定したでキリがない……だがまぁココは地球じゃない。異世界だ。初めは何の確証も無かったが、あの狼モドキと蜘蛛の怪物の存在を思い返してみるとココはもう異世界としか思えない。故に地球仕込みの常識なんかが通じるかどうかは不明。なのでこちらの価値観を押し付けるのはいけないだろう。もしかしたら異世界では助けた人間を洞窟に連れて行く習慣があるのかもしれないしな……
そんな風に考えつつとりあえず納得した矢先にそれは起こった。
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
……一度聞いたら耳から離れない響く様な足音が再び俺の耳に入ってきたんだ。
「……そうだよな。そうそう上手く行く訳も無いよな……はぁ」
……思いっきり現実に引き戻された。足音は俺の溜め息をいとも容易く掻き消し、この洞窟内に反響している。
「……はぁ」
その足音を聞きながら、俺は懲りずにまた溜め息をついた。もう自分でも本日何回溜め息をついたか分からない……はぁ。人生って辛いな……
***
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
この聞き覚えのある足音が俺の耳に届いた瞬間、俺の頭は1つの答えを弾き出した……と言うよりも、ぶっちゃけ何となく察してはいた。ただその事を考えたく無かっただけで……
……あぁ、その答えは何かって?
……それは蜘蛛が俺を見逃して居なかった……だ。構図はこうだ。↓を見てくれ。
【まず俺が気絶→蜘蛛は気絶した俺を運んだ→何処に?→洞窟に→何故に?→餌だから】
……この構図が俺が最初に閃いていた答えだ。つまり先程の仮定の話うんぬんは誤魔化していただけなんだよ……と言うか誤魔化してもいいだろう?だってこれじゃあんまりだろう?現実逃避したくもなるだろう?別の可能性を模索したくなるだろう?だってこんな結末は切な過ぎるじゃないか……
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
……だがまぁ、予想通りと言うべきか、現実は俺の仮定の様に甘くは無かった訳で。事実絶え間なく聞こえるこの足音はあの怪物の物と見て間違いないだろう。何となくだが分かる……いや、そうとしか考えられない。この状況的に……
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
それにこの洞窟……よくよく眺めてみれば、丁度いいかもしれない。
……え?何にかって?
あの蜘蛛がねぐらにするのに……だよ。
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
……聞きたくは無いんだが、耳に入ってくるこの足音。先程に比べてかなり大きくなってきてる。恐怖の足音はすぐそこだ。もう間もなく奴が現れるだろう。あの恐ろしい蜘蛛の怪物が俺を補食する為に……
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
やがて洞窟の入り口の光が翳った。俺は僅かな希望にすがるつもりで入り口を見やった。
そしてそこには俺を救出してくれた命の恩人が……居る筈も無く、俺の予想した通り巨大な蜘蛛が再び現れた。
その姿が目に入った瞬間、頭の中で逃げろと警鐘が鳴る……だが駄目だ。警鐘に反して俺の身体は金縛りにあった様に動かない。正に蛇に睨まれたカエル状態。なので蜘蛛の姿を阿呆みたいにボケーッと眺める事しか出来ないんだが……改めてこの怪物を見ると、やはり巨大だ。それに迫力が半端じゃない……
川岸で遭遇した時は意識が朦朧としていたせいでどこか遠い出来事の様にこの蜘蛛の威容を眺めていたんだが……この洞窟内で結構な時間気絶していたのだろう。そのおかげかある程度疲労が回復出来たらしい。なので今は意識がはっきりとしている。
普段ならば色々と回復した事に感謝するだろうが、今は別だ。何故なら意識がはっきりしている故にこの巨大な怪物の姿を鮮明に見る事が出来てしまうのだから……
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
……逃げたい。だが身体が動かない。
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
……凄い怖い。ちょっと待って欲しい。
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
だが、蜘蛛は俺の心情などはお構い無し。
――ズシン……ズシン……ズシン……ズシン――
やがて鋭い8肢で俺の方へと歩んでくる巨大な蜘蛛は……
――ズシン……ズシン……ズズンッッッ!!――
……俺の眼前でその歩みを止めた。鋭い鋏角がキチキチと音を立て、赤く輝く瞳が俺を捉えて離さない。
「……」
俺も蜘蛛から目が離せない。まるで吸い寄せられる様な感覚だ。加えて言葉も出て来ない……いや、こんな怪物を目の前にしたら言葉なんて出てくる筈も無し。
……これは詰んだ。完璧に詰んだ。逆に詰まなかったら奇跡だろうな。人の夢と書いて儚いってか。あぁ……短い夢だったなぁ……
人知れず生きる事を諦めていると、やがて夢で見た様に蜘蛛の鋏角が左右に開かれ、牙だらけの口腔が俺へ向かって突き出されて……
……そこで俺は覚悟を決めた。
「……ッッッ!!」
……だが思わず条件反射で顔を腕で覆ってしまった。覚悟した手前で申し訳無いが……
そんなこんなで最後の最後まで締まらないなと思いつつ辞世の句でも詠もうかと考えた次の瞬間、あり得ない事が起きた。
『人間。意識が戻ったのかえ?ふむ……もう少し時間が掛かるかと思うたがの……まぁ良い。ホレ、食料を取って来たぞ?食えるのならば食った方がよかろ。まぁ無理にとは言わぬがの?』
……蜘蛛が普通に喋りました。
***
……今、俺は人生最大の驚愕に包まれている。何故なら目の前の怪物が話掛けてきたからだ。しかも凄い親切な感じで……
「……」
……いや、待て俺。先程現実は辛いと思ったばかりだ。なのでそんな事が起こる筈が無い。目の前の怪物が気遣わしげに……いや、そもそも蜘蛛が話す訳が無いんだ。恐らくは俺の勘違い……はぁ。とうとうおかしくなったのか?俺は……
『……む。呆けてどうしたのじゃ?まだどこか痛むのかえ?ならばまだ横になっておって構わぬぞ?』
……俺が自分の正気を疑っていると、蜘蛛が再び喋った。しかもやはり気遣わしげに。
……どうやら勘違いじゃなく、覚悟も必要無かった様だが、突っ込み所があり過ぎる。こんなデカい蜘蛛の怪物が存在している事もさる事ながら話掛けて来たという事実。非現実的過ぎるだろ……
「……ヤバイ。異世界半端じゃ無いな……」
『……ぬし、何を言っておる?異世界?』
ついつい異世界のキテレツぶりに我慢出来ずに声を出してしまったんだが、そのせいで蜘蛛が怪訝な声を上げた。
……俺としてはこのまま蜘蛛に機嫌を損ねられては困る……うっかり食われかねない。なによりこの蜘蛛は俺の事を心配してくれている様なのだ。なので断定は出来ないが、悪い奴では無いと信じたい。と言うか良い奴じゃないとかなり不味い訳で……まぁいくら考えても結果が出る訳も無い……よし。やってみるか。
思考の結果、俺はこの巨大な蜘蛛と会話を試みる事にした。まぁ会話以前にとりあえず礼くらいは言わないと、な。
「……いえ。こちらの話ですので気になさらず……それよりもここまで運んでくれたみたいで……助かりました」
『そうか。ならば良い……それに礼などいらぬよ。そのかわり、と言っては何だが頼みがあるんじゃが……』
食わせてくれ……とか言われたらどうしよう。だが、そんな心配は杞憂に終わった。
『……妾の話し相手になってはくれんかえ?』
蜘蛛はそう言って俺から目を外さない。俺も蜘蛛の瞳を見つめる。澄んだ瞳だ。この怪物の真意は分からないが……それでもこの瞳に嘘は無いと思える。
「話し相手……ですか?」
……そうは思っても警戒はしてしまう訳で。我知らず硬い声が出てしまった。
『……うむ。話せば長くなるんじゃがの。聞いてはくれぬだろうか?』
そう言った蜘蛛の声音は俺の警戒心を感じ取ったのか柔らかい。そして不安そうな、それでいてどこか期待している様な雰囲気を纏いながら俺の様子を窺っている。恐ろしい怪物が俺の顔色を疑うと言う絵はどうにもギャップがある……気がする。
俺は少しだけ警戒心を緩めつつ蜘蛛の言葉を咀嚼し、吟味してみた。
……まぁ俺としては話し相手になる事は別に構わない。むしろそれが命を救われた礼になるならば安いくらいだろうと思う。それによくよく考えてみれば俺には何かをすると言う予定が全く無い。と言うか、そもそも目的自体が何も無い。なので時間は有余っている。
「別に長くなっても構いません。話して下さい。付き合いますよ。俺で良ければ……ですが」
考えた結果断る理由は全くと言って良い程に無いので、俺は蜘蛛の話に付き合う事にした。この蜘蛛の真意が分からない以上、軽率な行動は慎むべきなのだが……それでも助けられた事実は大きい。
『そうかッ!!そうかそうかッ!!』
俺の返答に蜘蛛は嬉しそうに声を上げながら8肢をドシンドシンと鳴らす。この状況を知らずに見れば少々怖い光景だが、俺は知っているので微笑ましく思う。
『あぁ!!それと飯を食ってくれぬかえ!?まぁ無理強いはせぬが……それでも少しは食った方が良かろ!』
そう言って蜘蛛は嬉々として先程と同様に食料を勧めてきた。そして言った瞬間にゴトゴトと音を立てながら何かが地面に落ちた。
……俺は少し青ざめた。蜘蛛は雑食らしい。なので何か変な物が出てきたらどうしようかと思いながら恐る恐る落ちた何かを見ると……心配は無用だった。そこには色とりどりの果物と思しき物が沢山あった。匂いをかいでみると甘い香りがする。
「……何から何までありがとうございます」
ここで遠慮するのは逆に申し訳ないなと思い、俺は果物を1つ手に取りかぶりついた。汁が溢れ、匂いと同様に凄く甘い。俺は驚いた。
……美味い。甘さが身体に染み渡ってくる。俺は果物にがっついた。行儀が悪いとは思ったが……我慢出来なかった。
そしてそんな俺の様子を見つめていた蜘蛛は満足気に一度頷いた。表情は分からないが……どこか微笑んでいる様な気がする。
『口に合った様で何よりじゃ。さて何から話すかの……いや、その前にぬしの事を何と呼べばよいかの?』
正直に名を名乗っても良いのかと思うが……まぁ今更偽名を使う必要も無いかな。
「ほおうへふへ……へは」
『ちゃんと口の中の物を飲み込んでからにせよ!!』
……はっ!?いかんいかん。我ながら不作法過ぎた……でも果物が美味すぎたんだ……
俺は心の中で言い訳しつつも急いで口の中の果物を飲み込み、名前を名乗る。
「……失礼しました。俺の名は桜木咲生と言います。サクオ、とお呼び下さい」
『妾を前に泰然としているかと思ったらそそっかしい……誠に不思議な奴じゃの、ぬしは。まぁ良かろ。ではサクオよ。聞いてくれ。何故妾が話し相手を望むかを……』
……いや。泰然としていたと言うか、ただ諦めてただけなんだが。
しかしそんな俺の気持ちなど分かる筈も無く、蜘蛛は困惑した風に言ったが、やがて語り出した。
俺は新たな果物を手に取りながら無言で話しを促し、そして蜘蛛の話に耳を傾けた。
『……まぁ簡単に言うとの、退屈なんじゃ』
「退屈……ですか?」
『……妾は飽きたんじゃ。ここはな、つまらん』
「……」
『妾は長い事生きた。同族達の中では一番……それこそ魔獣から霊獣に昇華する程にの。だがの、妾を残して我が同族達は皆死んだ。一族で生き残っておるのはもう妾しかおらん。妾はの、気が遠くなる程の長い時間孤独と戦った。じゃがの、もう孤独は飽きた……もう嫌なんじゃ』
気が遠くなる程の長い時間たった1人なんて……具体的にはどれ程の長さか分からないしそれは確かに耐え難い事だと思うが……駄目だ。俺には想像も出来ない。俺の居た世界……地球にはそれこそ腐る程に人が溢れていた。人間が俺1人になる事なんてあり得ないだろうから……
『それにの。ぬしも知っておるじゃろうが、この森……【深界】には魔獣と霊獣しかおらん。まぁたまに他の霊獣も見掛けるがの……だが奴等は皆、己のみが至高よ最強よと宣う傲慢な馬鹿者ばかりじゃ。故に妾とは話が合わん……そもそも妾は奴等が嫌いじゃ。会話と同様にソリが合わんのでの』
……いや【深界】とか言われても知らないが。それに霊獣とやらの事も一体何の事かさっぱりだが……傲慢な奴は俺も苦手だから蜘蛛の気持ちは分からないでも無い。
……いや、それよりも魔獣しか居ないって……と言う事はここには人間が居ないのだろうか?一体どういう事だ?
「……いえ。申し訳ありませんが、【深界】の事も霊獣の事も知りません……それにこの森には人間が居ないんですか?」
『……ぬし、何を言っておる?知らぬ筈が無いじゃろう。ぬしとてこの世界に産まれた人の子じゃろ?なれば知らぬ事は……』
蜘蛛は探る様な目で俺を見据える。俺も別に嘘を言っている訳じゃ無いので目を逸らさない。やがて蜘蛛は俺が嘘をついていない事を察した様に困惑し始めた。
「……」
俺は成る程と思った。蜘蛛の口振りから察するに、どうやらこの蜘蛛は俺がこの世界出身の人間だと思っている様なのだ。まぁこの世界に転生した以上はその通りなんだが、厳密に言えば違う。これは俺の事情を話さなければ話が先に進まない気がする。
『……どうしたのじゃ?黙り込んで。何か話しづらい事情でもあるのかえ?ならば無理に話す必要も無いぞ?』
俺が何から話そうかと無言で思考していると蜘蛛が更に困惑の色を強めつつも気遣わしげに言って来た。
俺はこれ以上蜘蛛に気を遣わせるのは駄目だと思い、とりあえず経緯を話す事にした。しかしまだ話の整理が出来ていないので少々支離滅裂になってしまうかも知れないが……まぁそれは仕方が無いだろうな。
「……大丈夫です。何から話せば良いか考えていました。信じられないかもしれませんが……実は俺、この世界の出身ではないんです」
『……は?』
蜘蛛は素っ頓狂な声を上げたが、俺は構わず続ける。
「実は……ですね」
俺が一度死んだ事、その後転生した事、しかし手違いでこの世界に転生してしまった事、そして森の中に放り出された事などなど……
***
「と言う訳でして……ん?」
そして話し終わり、一息ついた所で気付いたんだが……静過ぎる。
話し始めた当初は俺の話を冗談だとでも思ったのだろう『はいはいそうじゃの』とか『よかったの』と言って俺の事を小馬鹿にしていたんだが、それが話しをするうちに蜘蛛は段々と真剣な様子になって『ふむ』とか『そうか』やらと相槌を打っていた。だが今は何故か黙り込んでいる。神妙な様子だ。
「……あの。大丈夫ですか?」
『……うぬ?あぁすまん。少し考えておった。長い間生きてきたがの、転生したなどと言う話は聞いた事が無かった故な……まぁ概念自体は知っているがの』
……成る程、思考していた様だ。そして蜘蛛のこの考えはもっともだと思うし信じられない気持ちも十分に理解出来る。俺自身、最初は信じられなかったからな。
「色々と信じられませんよね……でもこの世界は俺が居た世界とは確実に違うんです。俺の世界には魔獣なんて存在しませんでしたし、ましてや貴方の様な存在と会話するなんて事はあり得無い事でしたから」
……まぁ言ってしまえば転生と言う事自体がまず夢物語なんだが。
『ふむ……まぁ信じる信じ無いはともかく、サクオの話が事実だと仮定すれば……うむ。これで一応は話が繋がる、かの』
やがて蜘蛛が納得しだした。どうやら思考が完結した様だが……話が繋がる?
「えーと……話が繋がるとは?」
『いや何。妾も少し疑問に思っていた事があったのじゃよ。ぬしに対しての』
「……疑問ですか?それは一体……」
『うむ。それはの、この【深界】にサクオが存在している事じゃ。ぬしをこの地で最初に目にした時は我が目を疑ったぞえ?』
「……何かおかしいですか?」
『……あぁ。そう言えば知らんのじゃったな。では教えてやろうかの……【深界】とは何かを、な』
そう言って蜘蛛は親切に教えてくれた。
【深界】とは遥か昔、太古の時代からこの世界に存在している広大な森の海だそうだ。そして【深界】には非常に獰猛で強力な魔獣達が存在するらしい。
……まぁ端的に言えばこの世界では屈指の危険地帯であり、高い実力を持つ者でさえも迂闊には近寄らない程の魔境だそうだ。
しかしながら稀に人間やら耳長やら蓄髭が【深界】に足を踏み入れる事があるらしい。ちなみに話を聞く限りでは耳長はエルフ、蓄髭はドワーフだ。察するに、この世界には異種族がいるらしい。蜘蛛の口振りから判断すると、どうやら他にも色んな種族がいる様だが……おっと話が逸れたな。話を戻すが、【深界】に入る者達は居る。だがそれは重装備をした有力な者達だけだそうだ。
そしてそんな者達でさえも森の入り口付近を散策する程度で、決して【深界】の奥地には行かないらしい……理由としては、森の最奥には霊獣達の住み処があるからとの事。
……そしてそんな場所なので、人間が居る筈も無く、それどころかそもそも人間やらの種族が生存出来る環境じゃないそうだ。まぁ好んで危険な場所に住む奴はいないだろうな。
そしてだめ押しとばかりに蜘蛛が教えてくれたが、俺が今居るのは霊獣達が住まう【深界】の最奥であり、この蜘蛛の縄張りの中との事だ。
……正直知りたくも無かった。ちなみに霊獣とは魔獣がその存在をより高い次元へと昇華……つまり魔獣が進化した存在であって、例外無く強力な力を有しており、この世界ではかなり恐れられている存在で、畏怖と畏敬の対象なのだと蜘蛛は教えてくれた。
だがその反面、絶大なる力を秘めた霊獣の絶対数はかなり少ないらしい。詳しい理由は蜘蛛にも分からないとの事だが、もしかしたら内在する魔力の量や質などが関係するのかも知れないと言っていた。
そしてこの世界に存在する霊獣の殆どは【深界】をはじめ各地に存在する秘境や伝説とされる土地に生きていると言う。事情はかく霊獣によって違うらしいが、大抵の霊獣はなまじ力を有している故に己こそが至高と考える節があり、己よりも格下である存在の目に触れるのを嫌う為だと言うが、稀に畏怖される己の力を自重するが故に隠れ住む霊獣も居るんだとか。
かく言う蜘蛛も己の力を自重し、他の存在に害が無いよう隠れ住む1体なのだと教えてくれた。だからこそ己を誇示する他の霊獣達とのソリが合わないらしいが……まぁそれは置いておいて、結論から言うとこの森は誰も寄り付かない人外魔境であり、そして今俺が居るのはその危険地帯のど真ん中、畏怖の象徴たる霊獣達が住まう最奥だと言う事だ。
『簡単に言うとこんな所じゃな。理解出来たかえ?』
蜘蛛は話きって満足気だが、俺は話しを聞いて背筋が冷たくなった。よくよく考えてみれば、俺は丸腰で超危険地帯を歩き回っていた訳だ。我ながら本当によく生きてたと思う。そして蜘蛛が俺に抱いた疑問……不可解さも理解出来た。
……うん。たしかに疑問に思うよな。ただの人間が何の準備も無しにフラフラとこんな超危険地帯を歩いていたら普通はおかしい。
「……はい。【深界】が危険地帯と言う事は嫌と言う程理解出来ましたよ……それと俺に抱いた疑問も大体は想像出来ました……普通はあり得ないですよね。何の準備も無くこんな場所に人間が居たら……」
……不安になってきた。これからの事もそうだが、俺はこんな危険な場所で生きて行かなければならないのだろうか……
『うむ。話が早いの。まぁ妾はそんなぬしを不思議に思ったんじゃがの……そこでサクオの話を聞いて納得したと言う訳じゃが……まぁそんなに悲観する事は無いぞえ?確かに【深界】は人間にとっては危険だし、いきなりこの地へ飛ばされたぬしの境遇は不憫ではあるがの……それでも結果としてぬしと妾は出会えたのじゃ。妾がいる限りはぬしの身の安全は保証するぞえ。魔獣はおろか、他の霊獣にも手を出させぬからの』
……俺が不安を抱いたのを察してくれたのか、蜘蛛が心配するなと言ってくれた。そして蜘蛛のそんな言葉が不安で押し潰れそうになっている俺の心に染み渡ってくる……
……やばい。こいつは良い奴だ。間違い無い。もう駄目だ。泣きそう……我慢しないと……あぁ駄目だ。
俺は蜘蛛の優しい言葉に抵抗出来ず、涙を流した。24歳にもなって外聞も気にせず泣くなんて恥ずかしい事だとは思う……でも我慢出来なかった。そもそもここには蜘蛛と俺しかいないしな……
『これ!何を泣いておるのじゃ!?』
蜘蛛はオロオロと慌てた様子になるが、それでも止まらない。涙が溢れてくる。
だが俺は己を叱咤し、涙を乱暴に拭った。このまま泣き続けても蜘蛛を困らせるだけし、やはり情けない姿を見せるのは気がひける訳で。
「……すみません。お恥ずかしい所を見せました……」
『……いや、驚きはしたがの。別に構わんよ。まぁ安心するが良かろ。サクオがここに居るかぎり、妾が助けてやるからの?』
まるで幼子をあやす様な母の如き優しい口振り。この蜘蛛は本当に良い奴だと思う。地球でもこんなお人好しな奴はそうそう居ないだろう。見た目で判断していた己が恥ずかしい。
……だが同時に疑問も湧いてくる。何故そこまで俺の事を?
「……どうしてそこまで良くしてくれるんですか?気遣いは嬉しいですが……俺達は今日会ったばかりですよ?」
蜘蛛は確かに恐ろしい容貌をしているが、そんな事は度外視して俺の中ではもう完全に良い奴に分類された。なので『食う為』と言う答えは想像出来ないが……それでも気にはなる。
俺が蜘蛛の真意を見定めようとしていると、やがて蜘蛛は鋭い八肢を器用に折り曲げて俺に目線を合わせた。
『言ったじゃろ?つまらんと。飽きたと。ここには馬鹿ばかりでまともに話が出来る相手が居ないとの。それにの、元より妾は人間が好きなんじゃ。妾がまだ魔獣だった頃に一度会ったきりだし会話もしてはいないがの。それでも人間は妾達の様な存在には無い良いモノを沢山持っておることが分かったよ』
……そうだろうか。蜘蛛が言う通り、確かに良い所は沢山あると思う。だがそれと同じだけ悪い所もある。それに人間は生まれながらにして罪を背負っていると言う話しを聞いた事がある……まぁこれは極端な解釈だと思うが。それでもそう言う概念が生まれる程の生き物が人間だ。
「……人間は良い所だけじゃ無いですよ?けっして。それは人間である俺が理解してます」
俺も人間である以上、説得力がある筈だ。そして言ってからしまったと思った。これは暗に俺にも悪い所があると暗示している様に取られるかもしれない……
『……うむ。でもの、生ある者である以上それは仕方がない事であろ?そんな事気にはせんよ』
「……」
『妾自身上手く言えぬが……ただただもう一度会ってみたいと思っておった。話してみたいと思っておった……じゃがの、妾がこの【深界】の最奥に居る以上は人間に会う事は叶わぬ……しかし霊獣たる妾が人里に降りる訳にもいくまいて。じゃからの、辟易としておった。長い間、叶わぬ夢を見ながらの……』
この蜘蛛は飽きたと言っていたが、もしかしたらただ寂しかったのかもしれない……
「……そこに俺が現れた、と」
『そう言う事じゃ。長い間待ちわびて、恋い焦がれて……そしてやっと話す事が叶った相手なんじゃ、サクオは。故に魔獣はおろか他の霊獣にどうこうさせる訳にはいかぬのよ。妾の命に掛けても、の』
それ程までに……たかだか人間の話し相手の為に命を張る程に……
「……」
『それに妾の勘が囁くのじゃよ。この人間は特別じゃ、とな。それにアレには笑ったぞえ?』
蜘蛛はその赤い瞳を俺に近付けた。もう怖いとは思わない。思わないが……アレって何だ?
「アレ……ですか?」
『うむ。アレとはの、ガルヴォルフとの追いかけっこじゃよ』
「……?」
俺は疑問符を浮かべるが……蜘蛛はそんな俺を気にする素振りも見せずに楽しそうに言う。
『危なくなったら助け様とは思っておったが……まぁそれは杞憂に終わったの。妾もまさか人間があの意地汚い狼から逃げ切るとは思わなんだ』
「……」
『面妖な動きでぬしは狼の体当たりを避ける事避ける事!!加えてガルヴォルフのあの悔しそうな顔!!腹が捩れて千切れるかと思ったぞえ!!』
蜘蛛は昔話を聞かされた子供の如く瞳を輝かせた。
……と言うか待て待て。ガルヴォルフは恐らくあの狼の事だろう。つまりこの蜘蛛は……
「……見てたんですか?」
『うむ!!……と、言うよりサクオが森の中をフラフラと歩いている時から見ておったぞえ?』
それが何か?と言わんばかりの蜘蛛。
……蜘蛛の話から察するに、どうやらこの蜘蛛は俺がこの世界に飛ばされてからまだそんなに経ってない時から俺の事を見ていた様だ。
その事実を受けて俺は怒りで自分の顔が無表情になっていくのを自覚した。
「そうですか。ところで……見てたんならもっと早めに助けて下さいよ。本当に死ぬかと思っていたんですから」
虫の良い話だとは思う。加えてあの時にこの蜘蛛と遭遇してたら恐怖でどうなっていたか分からないが……それでも言わずには居られない俺の気持ちを理解してほしい……
『……い、いやの。サクオ?』
蜘蛛は俺の異変に気付いたのか僅かに後ずさる。が、俺はすかさず距離を詰めた。
「……それに貴方は俺が狼モドキと追いかけっこしてる時に笑ってたんですよね?」
蜘蛛は命の恩人だが……それでも人の生き死にが掛かっている状況を笑うとは何事か。ましてやその状況の中心に居た本人に言うなんて……どっかの誰か並にデリカシーが無い……それに俺は争いの無い現代の地球生まれの日本育ちだ。そんな俺が命を張って必死に逃げ回ってたんだ……
「右も左も分からない異世界で俺がどれだけ死に物狂いで……俺は無力な人間なんですよ?そんな俺が必死に逃げ回っていたのがそんなに、腹が捩れる程に楽しかったのか?」
『……』
蜘蛛は黙り込んでいるが、俺は目をそらさずにじっとその赤い瞳を見詰める。これで蜘蛛に嫌われるかもしれないが……それでも俺は必死にやった。それを主張して何が悪い……
それからしばらくの間沈黙が続いたが、やがて蜘蛛が口を開いた。
『……すまなかったサクオ。妾は少し舞い上がっておったよ。ぬしに会えた事にの。じゃがの、ぬしは本当に無力なのかえ?』
「……は?」
素直に謝られた。どうやら嫌われる事は無かったが……こいつは何を言っている?俺は無力な筈……だよな?先程も特別とか言っていた気がするが……
俺が困惑していると蜘蛛が衝撃の一言を……
『……ふむ。おかしいの。ぬしから感じる魔力は何か得体の知れない、不気味な感じがするのじゃが……』
「……」
……ちょっと待て。魔力だと?それってもしかして……
『……実はぬしの異様な魔力の感じが少し恐ろしくての。じゃから声を掛けずに様子を見ておったのじゃよ。そして霊獣たる妾が尻込みする程の何かを感じたが故にサクオの事を特別じゃと閃いたんじゃが……ぬし、気付いて無いのかえ?己の魔力の異様さに』
……蜘蛛が魔力の話しをするまで完全に忘れてた。そういえば俺の魔力は毒魔力だった。しかも霊獣である蜘蛛が尻込みする程か。俺の毒魔力って……
「……すみません。俺自身忘れてましたが、俺の魔力には変わった属性があるらしくて……多分それが原因かと。でもどっちにしろ魔力とやらの使い方を知らないんで意味が無いんです……俺の居た世界では魔力や魔法なんて物は眉唾扱いで存在しないと定義されてましたから」
『属性……ふむ、成る程【色付き】か。それにしても魔力が存在しない世界とな?……むぅ……いよいよ話が真実味を帯びてきたの。少なくともこの世界で魔力の使い方を知らぬ存在は無い筈だからの……』
「そうなんですか?」
『うむ。生まれた時点で魔力は宿る。者にも物にもの。故に使えぬモノなどは居らぬ筈じゃ。少なくとも妾は使えぬ者を見た事が無いの……』
蜘蛛はそう言った後にしばらく沈黙し、頭を上に向けたり下に向けたりしながら何かを考えている様だ。しばらくそんな風にしていた蜘蛛だが……やがて答えが出たのか、俺に目線を合わせた。
『……良し。ぬしさえ良ければ、じゃが……妾が魔力の使い方を教えてやろうかえ?』
「……ッ!!良いんですか?」
『良い良い。ただし人間が使う魔法とやらを教えてやる事は出来ぬぞ?妾は人外じゃからの。故に妾達の様な魔力の使い方になるが……』
これは願ったり叶ったりだ。魔力の使い方を学ぶ事はこの世界で生きて為には重要な事の筈だ。事実、蜘蛛も使い方を知らない者は居ないとか言っていたし。それに俺は限定的にしか魔法が使えないらしい。なので蜘蛛の魔力の使い方がどういったものか分からないが、試してみる価値は十分にある。もしその使い方が駄目だったら……それはその時に考えればいい。
「構いません!是非お願いします」
『良かろう!では明日から教授してやろうかの』
「ありがとうございます。それと……」
『うん?何じゃ?』
非常にバツが悪い……悪いが、でも言わないと。
「先程はすみませんでした……蜘蛛さんの気持ちを考えず、つい感情的になってしまって……」
蜘蛛は俺の毒魔力に慎重になっていただけだし、よくよく考えてみれば孤独が無くなるかもと舞い上がっていただけだ。逆の立場なら俺も舞い上がっている筈だ。それに蜘蛛はきちんと俺に謝罪をした。ちゃんと筋を通したんだ。ならば俺も謝罪するのが筋だし、これからは魔力の使い方を教授してくれる先生に対して無礼な振る舞いは俺の意に反する。
『気にするな。妾も確かに悪かったしの。お互いこれで五分じゃな?』
蜘蛛は鋏角をキチキチと鳴らしながら許してくれた。恐らく笑ったのだろう。やはり良い奴だな。この蜘蛛は……
『あ、それとの……』
だが蜘蛛は一転して不機嫌な声音を……一体どうした?
「……何でしょうか?」
俺は身を硬くする。
『うむ。それじゃ。その慇懃無礼な物言いがどうにも……普通に話せ。先程激昂したときと同じく、の』
……そう言う事か。丁寧なのは日本人の特徴だが……まぁ俺としては肩肘を張らなくてすむならば願ったり叶ったりだ。
俺は蜘蛛の提案を飲み、これからは敬語を辞める事にした。
「……分かった」
『うむ!それで良い。ではこれから宜しくの?サクオよ』
「あぁ。宜しくな……あと俺からも1つ」
『……む?』
「話し相手じゃなくて友達って事にしないか?いや、むしろ友達になってくれよ」
『……ッ!!良かろ!』
蜘蛛は嬉しそうな、それでいて気恥ずかしげな様子で俺の提案を承諾してくれた。蜘蛛はやはり寂しかったのだけなのかもしれない……もしそうだとしたなら、もう平気だ。今この瞬間から俺達は友達になったんだから。
『では友よ。妾は先に休むぞえ?』
「了解。俺はまだ起きてるから」
『分かった。それとの、この洞窟の周囲ならば安全じゃが、あまり遠くへは行くなよ?危険じゃからの』
「……あぁ。分かったよ。死にたく無いしな」
『良し。ではサクオ。何かあったらすぐに呼ぶが良いぞ?遠慮は無用じゃ』
「おう。ありがとな」
『ではまた明日』
「また明日な」
蜘蛛は俺の言葉にうむ!と一度嬉しそうに頷き、やがて満足洞窟の奥へと引っ込んだ。
俺は「おやすみ」との意味を込め、後ろ手でヒラヒラと返事を返した。
こうして俺は異世界で友達を得たのだった。
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