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第二話:魔王登場(下)

「だから言ったじゃないですか。お止めになった方がよいと」


 魔王の間にて、ゼラースは魔王の治療を行なっていた。

 両手を魔王の背中に添えて、魔力を注入する。

 高等悪魔ゼラースは、自らの魔力を自在に変容させて他者に供給することができるのであった。

「むー」

 魔王は頬をふくらませながらもその治療を受けていた。

 先ほどの戦いで自らの魔力を完全出し尽くしてしまったのである。今はまともに身体を動かすこともできない。スパロボに例えると、エネルギーを完全に消費した機体が移動できなくなるようなものである。

「基本的に燃費悪いですね。魔王様」

「父上が使っていた技を真似たものだからな。使うとやけに力を吸い取られるのだ……」

 だから、あんなにすぐに魔力が切れるのかとゼラースは得心した。

(――まずは魔王様の実力にあった技を身につけさせることからだな)

 治療に並行して、ゼラースは魔王へ与えるべき教育の大枠を考え始めていた。

「あんまり動かないでくださいよ。調整の難しい技なんですから」

「動きたくても好きに動けんわ」

 魔王はベッドに寝かされていた。うつ伏せの状態になっているところへ、優しくマッサージするように両手を当てて魔力を供給していく。

「あ~楽だ楽だ。気持ちいい~」

 魔王は幸せそうな顔で目を閉じている。口元を緩めてえへへ~と笑っているのがゼラースの視線からでも見ることができる。

「気持ちいいですか、魔王様」

「いい~感じだ。あれだ。朝目覚めたときに温かい布団にくるまっている時みたいな、しかもそれがずっと続いているかのような、そういった心地よさがある」

「そうですか」

 枯渇した生命エネルギーが短時間で一気に回復しているのだ。普通では考えられない悦楽が混じっているのだろう。

「愉悦、愉悦~」

 こまで褒められるとこちらとしても悪くない。

 ゼラースは満足気に頷き、治療に専念することにした。


「――うむ、完・全・回・復!」

「おめでとうございます」

 魔王は高らかに笑った。それに合わせて空中の魔力光がスポットライトのように魔王を照らす。

 頭の王冠が輝き、不敵に笑う。ほんの数分前までボロボロに崩れかけていたのが嘘のようである。

「しかして、ゼラースよ。聞きたいことがある」

 青色の目がじっとゼラースを見つめる。

 身体を前に乗り出してきて、非常に距離が近い。

「何ですか?」

「先刻の戦い。どう思った?」

 それは先ほどこの場で繰り広げられた負け戦のことを示していた。

「悪くないと思います」

 ゼラースは即答した。それも肯定的にであった。しかしそれはお世辞ではなく正直な感想であった。

 魔王に嘘を見分ける技術があるか判らない。

 それでもゼラースは自ら仕える主には誠実でありたいと心に決めていた。

「そうか……悪くない、か」

「最初の不意討ちを食らったのはマイナスでした。しかしその後の立ち回り方やタイミングもそこそこ決まっていました。故に悪くないです。単に地力に差があったというだけの話です。それほど問題ありません」

 ゼラースに流れるような口調で戦評を行った。

「実際、魔王様の対応の仕方は悪くありませんでした。あのような形で不意討ちを食らった場合、普通であったならば、そのまま追い打ちをかけられて倒されていたでしょう。しかし、魔王は持ち前の気力で立ち向かった。結果的にはパサランにダメージは通りませんでしたが、幾度も攻撃を当てられただけあって充分に評価に値するでしょう」

「ふむ」

「力の有無は鍛えればよいだけの話です。問題は力を使いこなすだけの意志があるかどうかということです。魔王様はその意志を見せてくださった。それだけで充分でしょう」

 ゼラースはそこまで喋ると大きく息を吐いた。

 魔王の実力はまだまだ低い。しかし、弱いということと戦うということは別問題だ。いくら強靱な肉体を持っていたとしても、敵に立ち向かう気持ちがなければ、勝つどころか戦うことすらできない。魔王は戦う気持ちを持っている。その確認ができただけでもゼラースは満足していた。

 少なくとも、以前に魔王の戦いを見たときには、一度も攻撃をあてることができず気絶してしまったことをゼラースは覚えている。その時に比べれば大きな進歩である。

「そうか、そうか……よし、よし」

 魔王の身体が震え、目が爛々と輝いていた。

(――喜んでいらっしゃるな。今は弱きお方だが、時間さえかければあるいは)

 ゼラースは魔王のこうした資質は嫌いではなかった。高い意欲を持ち自分から成長しようと努力してくれる。意欲の多寡によって、技術の向上というものは何倍にも変わってくる。未だ発展途上の魔王が、こうした鋭い感性を持ち合わせていることは、喜ばしい事実であった。

(これで早く強くなってくださればいいのだが……)

 しかし、そうはいかないのが現実であった。ゼラースはちらりと横目で魔王を見た。

「ふっふっふ、ふっふっふ、そうか、そうか……」

 このままだと調子に乗るな。ゼラースは即座に勘づいた。まだ一ヶ月にも満たない主従関係であるが、魔王のこうした傾向は既に手に取るようにわかっていた。

「しかし、魔王様忘れてはいけませんよ。勝負に負けたのは事実なんですから。あくまで今回の評価は悪くなかったというだけです。及第点という意味です。雑魚モンスターにダメージを与えられない程度の力しかないんですから。わかりますか。ですから今後はこのような危険なことはなさらずに私たちにお任せするように――」

「……成長……発展……勝利……喝采……栄光……輝かしき日々……父上のような……」

 聞いちゃいねえ。

 魔王は妄想の世界にとりつかれていた。

(仕方がない)

 ゼラースはゴホンと咳をして、わざとらしい口調で魔王に注意を促した。

「――加えて、今後は部屋に魔物を持ち込むのは禁止にしてくださいね」



「えっ!」

 ビクッ、と魔王の身体は震えた。

「ど、どうしてそれが……」

 バレたのか、といった顔をしている。

 ――危険な生物を部屋に持ち込んではいけない。そのうえで決闘を挑んではいけない。

 これは二週間ほど前に、ゼラースが彼女と決めた約束ごとであった。

 彼女としては侵入者に見せかけて誤魔化したつもりなのだろう。しかし、隠し事どころか、考えていることさえもそのまま表情に出してしまうような魔王にとって、それは不可能とも呼べる任務であった。

「……前も言ったと思うのですが、この部屋の扉は特殊な構造になっていまして、格の低い魔物は基本的に開けられない仕様になっているのですよ」

 ゼラースはそう言って、魔王の間の入り口にある扉を指さした。トロールでも悠々と入れるような巨大な扉がそこには立っていた。

「あの扉が閉まっている限り、私のような限られた者しか出入りすることはできないはずなのです。低級モンスターが好き勝手に侵入してくるはずがありません。冷静に考えればおかしいでしょう。魔王の部屋に低級モンスターが漂っているとか、どんだけザルなんですか、この城は。だとしたら、この大量のクッションやぬいぐるみの中に紛れ込んでいたか、魔王様自身が誰かにお願いして捕獲してきてもらったか、そのどちらかしか考えられないでしょう」

 魔王の顔がみるみる青くなっていくのがゼラースからでもはっきりと認識できた。

 さっきまで天使のように明るかった魔王の表情を絶望で染め上げるのはいささか躊躇ったが、普段からこちらも酷い目に合わされているのだから仕方のないことだろうと、ゼラースは己の行為を是認した。

 魔王は苦々しい顔で呻いていたが、どうにか言い返せないかと苦し紛れに言葉を発した。

「じゃ、じゃあ、ぬいぐるみを買った時に混じってたんだろう。きっとそうだ!」

「じゃあ、ってなんですか」

 ゼラースは苦笑する。ふと、ぬいぐるみと視線が合った気がするがスルーする。

「呪いの品だったんだ。不良品だ! 訴えてやるっ!」

「魔王様に献上された品々は、一旦中身を改めさせていただいて、ゴーレムが魔力探知機能を用いて問題がないか全部チェックしてますよ」

「マジで!?」

「マジです」

「――ちなみに、魔王様が『魔力用パーツ』というよくわからない商品名で偽装して、市井のいかがわしい書籍や成人向けの映像作品を買っていることも知ってます」

「あわわわわわわわ!」

 魔王がガタガタと震えはじめた。

 目がグルグルと回って焦点があっていないのがわかる。

「なお最近では魔術文字といって、活字や映像を媒介として攻撃するトラップが存在しているようなので、中身もすべて問題ないかこちらで拝見させていただきました」

「す、すべて……?」

ALLすべてです。黄色い髪の男の子が影の薄そうな子を攻めてる本から、執事の方々が次々と上裸にされていくゲームまで」

「ぷ、ぷぷぷぷぷぷプレスコードだっ! 検閲だ! 自由と権利の侵害だっ!」

 魔王は目を血走らせながら、ゼラースを指さして叫んでいた。

 一方のゼラースは、まるで悪の総帥のような平静さで言葉を返した。

「どうかお許し下さい魔王様。これも魔王様、ひいては魔王様を中心とした国家の恒久的安寧を見据えた上での致し方のない処置にてございます。国家繁栄のためにも是認していただくことをご容赦願います」

「大人の言い訳だー! 容赦ねー!」

「このゼラース。仕える主には誠実であるべきだと心に決めていますので」

「迷惑な忠誠心だなぁ! まったくもう!」

 魔王の叫びが頂点に達した。口調も厳然たるものから歳相応の可愛らしいものへと変化していた。

 この後数十分の間、魔王がタオルケットを頭までかぶったまま顔を外に出さなくなったため、ゼラースは必死になだめすかすハメになってしまった。



「さすがにやりすぎました」

 最終的にゼラースは土下座していた。日本武士も喝采を送りたくなるような土下座であった。

「魔王様を動揺させてしまうとは部下失格です。自省します」

「う、うむ……うむ。……もう、しないか?」

 魔王はようやく顔をタオルケットから出すようになっていた。

「しません」

「本当か?」

「本当です」

「もう、勝手に見ないか?」

「……善処します」

「政治家発言禁止」

 魔王はプイッと顔を横に向けてしまった。ゼラースはさらに頭を深くして言葉をつなげる。

「検閲についてはゴーレムに一任します。私は関与しません」

 魔王はその様子に目パチクリとさせていたが段々と落ち着きを取り戻し始めた。

「う、うむ、そこまで言うのならば仕方ない。我にも至らない点があった。許す、頭をあげろ」

「寛大な御心感謝いたします」

 そう言ってゼラースは頭を上げた。疲れ果てている様子だった。魔王を困らせてみようという彼なりの試みであったはずが、結局のところ逆転されてしまった。部下と上司という関係はどうしても拭えないものである。

「それで、魔王様。結局のところ、パサランはどのようにして魔王の間に現れたのでしょう」

「む、結局そこに行き着くわけなのか」

 しかし、せめて僅かだけでも反撃に移りたいという気持ちから、ゼラースは魔王に質問を戻した。

「正直、魔王様がこのようなことをなさった理由は殆どわかります」

 同時に、今後を見据えて話しておかねばならないとゼラースは感じていた。

 大切な話であった。魔王はゼラースの言葉に青い目を真っ直ぐ向ける。その瞳に安堵を貰い言葉を続ける。

「単純なことです。魔王様――強くなりたかったのでしょう?」

「…………うむ」

 魔王は殊勝にも頷いた。これ以上、否定しても無駄であると悟っていた。ゼラースは既に自分の気持ちを大方を理解している。ならば、ここで話を濁すよりも進めた方が早いと考えたのである。

 ゼラースはわざとらしく肩をすくめて見せると、優しげな笑顔を見せた。

「……仕方ない魔王様ですね。それで強くなるという話ですが、やはり動機はそれで間違いありませんか」

「うむ、その通りだ。肯定する。我は強くなりたかった」

 魔王は現状に不満を持っていた。己を過保護に育てようとする幹部達にである。これまでの経緯だけでは推し量りにくい事実ではあるが、魔王はこの一ヶ月間大切に育てられすぎた。頑強な扉で守られ、侵入者は即排除。魔王の間は虫一匹通さない温室も同然であった。

 これは先代魔王から現魔王に変わった上での当然の措置で合った。今の魔王に向けて刺客が放たれた場合、魔王自身は対処することができない。できるわけがない。ここは魔王城であり魔王にとって最も安全な場所には違いなかったが、念には念を入れていおく必要があった。少なくとも現魔王を任された幹部は焦りのあまり、そう考えてしまったのである。

 無論、魔王はそうした過保護を遠慮することもなく十分に受け取ってきた(くれるものは貰う主義の彼女であった)。部屋をリニューアルし自由の限りを尽くした。しかし一ヶ月も経過するうちに、さすがにこのままであるのは問題だと感じてきたのである。

 自分も何か成し遂げたい。

 自分も何か役に立ちたい。

 彼女は己の未熟さを十二分に自覚していた。その上で自分がすべき最も大切なことは何か考え、魔王として必要な強さを求めたということであった。

 これが今回の簡単な背景であった。

「まあ、雑魚キャラ一匹潜り込ませたにしては話が大袈裟になってしまいましたが、魔王様、いくらか大切な話をしてもよろしいでしょうか」

「構わん、我もそのつもりであった。我は強くなることを望んでおるが、お主らがどう考えているのか我は知らん。故にお主の考えを聞きたい」

 魔王はじーっとゼラースを見つめてきた。

 普段なら顔を赤くするところであるが、今回は落ち着いて話しだすことにする。



「――はい、それではお話させていただきます。そのために魔王様。魔王様はどうして強さが必要になるか考えたことはありますか」

「どうして強さが……? それは強くなる理由ってことか」

「そうです。魔王様はなぜ強くなければいけないのか。その辺りから考えて行きましょう」

 魔王は目線を落とし考えこむようなポーズをとる。そして、途切れ途切れにだが、言葉を返す。

「強さの理由……それは、今のままでは敵を撃退することができんからだ。今我々は王国と戦っておる。いわば戦争だ。王国を撃退するために我は強くならねばならん。そうだろ?」

「そうですね。確かに私たちは王国と戦っています。」

「だろっ!」

「しかし、それは私たち魔物の仕事です。私たちは長年の経験の元、王国の軍隊と戦うための特別な魔物の軍勢も揃えています。魔王様の手を煩わせるまでもありません」

「うっ……」

 魔王は呻くような声をあげた。しかし諦めずに言葉を続ける。

「な、なら、そうした兵士たちの士気を高めるためだ! 我が強くならなければ皆はついてこないはずだ。他の魔王に忠誠を誓っている魔物もそうであろう。力の及ばない魔王など仕えたいとは思わないはずだ! 皆不安になるはずだ!」

「確かにそういう側面もあります。しかし現在の魔王様のお持ちである国は、比較的安定した秩序が保たれています。魔物たちは為政者の優劣の関係なしに、それなりに豊かな生活を送っています。正直なところ内政に関しては私はあまり心配はしていません」

「つ、つまり何がいいたい?」

「正直な話、魔王様が強かろうが弱かろうが一般の魔物たちはそれほど気にしません」

「ななんだってー!」

 魔王は軽く引いていた。そして頭を抱えてうずくまった。

「もともと魔物とは自由な気質を持っています。従属性が低いといいましょうか。あまり上の立場の存在がなんであれ好き勝手に生きているところがあるので……あ、あの魔王様大丈夫ですか?」

 魔王はうずくまったまま、頭を地面にすりすりとこすりつけていた。ある意味アイデンティティが崩壊していた。泣きたい気分であった。

「じゃ、じゃあゼラースよ。軍隊の力になるでもなく、魔物に力を見せつけるわけでもなく、我はいったい何のために強くなればいいのだ……。お主の考えを聞かせてくれ」

「そうですね。かしこまりました。しかし、魔王様勘違いしないでください。強くなる理由として今魔王様があげた二点はとても大切なものです。おそらく将来的に要求されることではあると思います。しかし、私が考える一番の理由ではありません」

「そうか……それではお主の考える理由は何なのだ。我が思いつくのは――我自身のために強くなるくらいか。それでも構わんがなんだが気負いに欠けるものがあるな」

「そうですね。その気持も大切です。しかし、私が考える魔王様が強くなければいけない理由はただ一つです」

「それは?」

 魔王はゼラースの言葉を聞こうと顔をあげる。その目を見つめながら悪魔は決然と言い放つ。

「それは――勇者を倒すためです」



「魔王様は勇者のことは御存知ですか?」

 ゼラースは魔王に尋ねる。魔王は思い出すように答えた。

「……ああ、父上にはよく聞かされていた。王国が放つ最強の刺客であると」

「その表現は間違ってはいません。勇者とは――この世の摂理をねじ曲げた最強の人間であると言われています。たった一人で戦争を終わらせる力を持つ伝説の人間であるとも呼ばれています。それは例えるならば、盤上でルールに基づいて進行している戦いを、テーブルそのものをひっくり返して逆転してしまうような規格外な力を個人が持っているということです。まともに相手をするべきではありません。が、しかし、我々は彼ら勇者と戦い続けて行きました。もしも彼がこの城に来たとしたら我々は戦わなければなりません」

「うむ」

「そして、魔王様にはその戦いに勝ってもらわなくてはいけません」

「我に……」

「そうです。これがもう一つ大切なことなのですが――勇者に勝利できるのは魔王だけである。そう言われているのです。実際に先代も何度か勇者と呼ばれる存在と戦い勝利を収めてきました。我々が手も足も出せなかった勇者を何人もねじ伏せてきました。私には魔王様にもそうなっていただきたい」

「それが我の目指す強さ……」

「あくまで私個人の考えです。しかし心から願っていることでもあります」

 ゼラースは深々と頭を下げていた。魔王は心の奥底から高鳴る“何か”を感じていた。心の中をさらけ出した部下を目の前にして熱い闘志のようなものが体内を巡ってきた。

 ――強くなりたい。

 それは純粋な力への欲求であった。虚心の一つもなかった。ひたむきな欲望は気高さすら感じさせた。

 欠けるものを埋めるように、レベル零の魔王は己の成長を望んでいた。

「そこで、遅くはなりましたが。魔王様には修行をしていただこうと考えています」

「…………修行」

「本日ご予定していました定例会議はこの件に関するものでした。正直、私たちはこのことを申し上げるべきか悩んでいました。私たち幹部が魔王様にこのようなことを進言するのは、愚かしいことではないか、不敬にあたるのではないかと考えていました。――しかし、先刻の件にて、魔王様が自身が強くなることを望んでいることを私は知りました。私たちは魔王様の幹部です。魔王様の手となり足となり、この身の果てるまで魔王様に仕える忠実なる魔物です。私たちは魔王様が力を望むのならば、その御心に殉じ、どこまでのお力になります」

 これはゼラースの嘘偽りない正直な気持ちであった。

 先代から今の魔王へと代わり、ため息を吐き、胃を痛め、それでも忠臣を続けている理由であった。

 ゼラースは魔王がじっと自分の顔を見ているのに気がついた。青く澄んだ瞳だ。美しい瞳だ。

「……なあゼラース。本来こういう場合、我は、できうる限り格好良いセリフを返すべきなのだろうな」

 魔王がゼラースを見つめる。まさか……とゼラースは体内で闇が芽生えるのを感じるが、魔王の瞳が依然として揺らいでいないことから、その闇はと容易く払拭される。

「しかし、残念ながら、我は未だに力不足だ。こういった時に、我は我の中に生じた気持ちについて上手に表現できる言葉を持ちあわせておらん」

 ゆえに、と呟いて魔王は高らかに跳躍する。

 ジャンプして、空中に浮き、そのままゼラースに飛びつく。

「――ゆえに、単純に喜ぶ! 素晴らしいアイデアだ! ありがとう、ゼラース! 大好きだっ!」

 ゼラースは虚を突かれたせいか、魔王もろともバランスを崩して転倒する。あはははは、といった魔王の笑い声が聞こえる。そのまま、ゴロゴロ転がっていく。

 柔らかい絨毯が床に敷かれているおかげで痛みはなかった。ベットに壊れるくらい思いっきりダイブした時のような、罪悪感と快感の混じった奇妙な高揚感が魔王の身体にあふれていた。

「い、ったたた……」

 一方のゼラースは魔王に押しつぶされた形になっていた。魔王の柔らかい体躯のため、痛みはないが衝撃は大きかった。頭を抑えて立ち上がると、魔王が椅子を何段にも重ねて、その上に立ち上がろうとしているのが見えた。威厳たっぷりの様相で、先ほどの飛びつきで落下したはずの王冠もちゃっかり回収している。

 ――バランスを取りながら、魔王は積み重なったイスの上に立つ。

 ――右手を高らかに上に向け、指を軽く弾く。

 ――パチィン!

 ――魔力光がスポットライトの如く、美しく魔王を照らす。

 ――自信満々に、この世の者ではないような笑みでゼラースを見つめる。

「さて、修行だ。ゼラース! 修行の予定はいつからになっている?」

 仁王立ちで、楽しげに、これから面白いことがはじまるんだと言わんばかりの口調でゼラースに問いかける。

「は、はい。具体的にはこの後の会議で決める手はずですが、来週の今日ぐらいには……」

「遅い! 明日には始めるぞ」

「――はっ、かしこまりました!」

 ゼラースは恭しく頭を下げる。

 体内の魔力回路が総て沸騰してしまいそうな熱く滾った高揚感がゼラースを包み込んでいた。

 これぞ魔王――魔力を媒介とする総て生物の王、その直系なのだとゼラースは強く実感した。

「目標は勇者打倒だな! よし強くなるぞ!」

「頑張ってください魔王様、全力でお力添えします」

 魔王はそのままイスから軽々と飛び降りる。ゼラースは当然と言わんばかりにこれを受け止めた。

 その後、魔王は他の幹部がいる会議室へ、ゼラースと共に向かい始めるのであった。

 おそらく、魔王の修行は成功を納めるだろう。その素質は十二分にある。時間をかけて、落ち着いて取り組めば一端の戦士として成長するであろう。


 ――だが。


 だが、現実はそうも簡単にはいかない。

 現実は待ってくれない。

 時間は待ってくれない。自分以外の総てがNPCではなく、意志を持った人間であるが故に。

 魔王が奮闘している間にも世界は動く。ゼラースが胃を痛める間にも世界は動く。


 魔王が勇者打倒の修行を決めたこの日、

 勇者一行が魔王城のすぐ近くまで迫っているとの情報が、魔王直属の偵察部隊から入った。

 明日には魔王城に到着するとのことであった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。次話掲載は7月28日(土曜日)までを予定しています。感想ございましたらお待ちしております。

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