自分勝手
「ディーグ?」
「おはようございます、ラスア。昨夜は大変でしたね」
にっこりと笑いかけられてラスアはその場に凍りついた。
(怒ってる……!!!)
残念ながら怒られる理由に見当がつくだけに、ラスアに言い訳する余地はない。敵に囲まれた中逃げ出すという無茶をしたのだ。それが、ラスア一人であるならばともかく、王族であるシェラクがいた。
殺される可能性が低かったことを考えると、おとなしく捕まっておいた方がよかったのかもしれない。
泣きそうな顔になってディグラムを見ているラスアを庇ったのは、ティアランゼだった。
ラスアを隠すように少女の前に立ち、ぎろり、と不機嫌さを隠そうともしない友人を睨みつけた。
「ディグラム、ラスアに八つ当たりをするのは間違っている。今回のことは完全にお前の読み違いだろうが」
大人気ない、とため息をついた魔導師にディグラムが心外そうに眉を吊り上げた。
「……八つ当たりしていますか?」
「自覚がないあたりたちが悪いな。顔を洗ってから出直してこい」
笑顔を浮かべているのに、底知れない恐怖を与えるディグラムの機嫌などものともせず、ティアランゼはディグラムに犬を追い払うように手を振った。
たとえ当事者でないとしても、機嫌最悪のディグラムにぞんざいな扱いできるティアランゼの頭を、ラスアは尊敬のまなざしで見上げた。絶対に自分にはできない真似だ。
ティアランゼの態度でどうにか冷気を納めたディグラムが、降参です、と両手を挙げた。
「八つ当たりしないと約束しますから追い出すのは勘弁してください。それよりラスア怪我はどうですか?」
「一日様子を見るが大丈夫だろう。無茶をしなければ、明日には問題なく動かせるようになる」
ティアランゼの下した診断に、ディグラムの肩から力が抜けた。
心配をかけてしまっていたらしい。当然と言えば当然だ。彼は責任感が強い。戸籍上、娘として引き取ったラスアが大怪我をしたのだ。それも、普段彼女を関わらせない裏の仕事で。
たぶん、相当自分を責めたのだろう、と察することは簡単だった。
「心配かけてごめんなさい。でももう痛くもないから大丈夫」
「左肩の腱を見事にぶった切られていた奴の台詞ではないな」
「ティア先生!!」
余計なことを言ったティアランゼに、ラスアが悲鳴を上げた。
もうほとんど治癒しているし、この話はこれで終わりにしたかったのに、怪我の少女をばらされたら無理に決まっている。
恐る恐るディグラムを見上げたラスアは、自分の行動を後悔した。
「左肩の腱?ぶった切られた?」
すっとディグラムの目が細くなり顔から表情が消えた。
(まずいまずいまずいー!!)
ディグラムは普段から笑みを絶やすことのない人物だ。ロイグラン曰く、笑顔のポーカーフェイス。いつもにこやかな顔をして相手の油断を誘うらしい。
その彼が表情を消した時。感情の沸点を超し、怒り心頭であるということだ。
(いーやーーー!!)
今すぐこの場から逃げたい。というか逃げよう、と決めたラスアの行動を、ディグラムはあっさりと封じた。
「ラスア?」
絶対零度の声音に呼ばれて、動きを止めない者などいようか。いやいない。
目に涙を浮かべて、最後の抵抗とティアランゼの後ろに隠れたラスアを、ディグラムがもう一度呼んだ。
「はい」
出て来いといっている声に逆らえず、ラスアは怯えながらティアランゼの影から顔を出した。
「おおよその説明はシェラクから聞きました」
「はい」
いつシェラクから話を聞いたというのだろうか。まだ彼は寝ている、とティアランゼは言っていた気がするのだが。
そんな疑問が頭をよぎったが、今のラスアはディグラムに質問をするという蛮勇を持ち合わせていなかった。
蛇に睨まれた蛙のごとく小さくなるしかない。
何を言われるのか、びくびくしているラスアの横に、ディグラムが立った。間近で見下ろされて余計に威圧感が増した。
「ですが、あの状況で外へ飛び出すことの危険性は考えていなかったのですか?」
「…一応考えてました」
「一応、ですか。それで?逃げ切れると踏んでいましたか?」
「多分、無理かと思ってました…」
逃げれたら運がよかったかな、くらいに考えていた、とは流石に口にできなかった。
沈黙は金。余計なことを言って火に油を注ぐ真似は絶対にしない、とラスアは、心の中で自分に言い聞かせた。
「それが分かっていながら外に出たと?それも貴方はあの時一人ではなかった。一緒にいた王子の身を危険にさらしたんです。自分の身すら守ることが危うい人間が、あのような危険な賭けに出たと?」
ディグラムの言うことは正論で、ラスアは小さくなって彼の言葉を聞くしかない。
「絶対とはいえませんが、あの時の敵の狙いはあなた方の命を奪うことではなく、私たちの待ち伏せもしくは王子を人質に取ろうということだったはずです。あの時貴方がとった行動は低かった危険性をわざわざ高めたようなものです。結果が良かった、ではすみません」
もはや何もいえないラスアはただただ項垂れていた。
彼の考えていることは、ラスアにも分かっていたことだった。
それでも、危険を冒そうと決めた、その理由。
ディグラムたちの足手まといになりたくなかった。逃亡を決めたのは、その気持ちが大きかったから。
だから、危険を顧みず逃げることを選んだ。ラスアにとって大切なのは<踊る猫の髭>の〝家族〟で友人であるシェラクの立ち位置は低かった。
ディグラムに怒られて、冷や水を浴びせられたラスアの思考が昨夜の無茶な自分の判断理由を導き出した。
間違いなく友情に罅が入るな、と自分の身勝手さに涙が出そうになった。でも、それがラスアの考えで、きっと同じ状況になったら同じような判断を下すのだろう、と想像することはできる。
情けない、とラスアは自分で自分を嗤った。
「ラスア?」
怒られているときに、泣きそうな顔で嗤ったラスアをディグラムが驚いたように呼んだ。
なんでもない、と首を振るが、ディグラムは納得しないようだった。膝をついて俯いたラスアの顔を覗き込む。
「傷が痛みますか?」
「平気」
「……無茶をしないでください。そんな大怪我をするような危険に身をさらす必要なんてないんです」
優しいけれど残酷な言葉だ。
ディグラムはラスアを子ども扱いして、危険から遠ざけようとする。それではラスアは納得できない。あんな危険な目にいつもディグラムたちが遭っていると知って、一人呑気にしてなどいられない。
少なくとも今回の件にラスアはどっぷりつかっている。だから、やれることがあればやる。最低、ディグラムたちの足を引っ張るような真似だけはしたくない。
それがどれだけ危ないことだとしても。
「怪我したことは、痛かったけど後悔してない。だから、平気なの。ディーグたちの仕事を手伝えないけど、邪魔だけはしたくないから」
「それで、王子を巻き込んだんですか?それは独りよがりになります」
「分かってるわ。でも、逃げて捕まったとしてもシェラクだけは大丈夫だと思ったから。人質にできるでしょう?」
抵抗してラスアが殺されるようなことになっても、シェラクは大丈夫だという確信はあった。だから、賭けに出ることができた。
そう言うと、ディグラムがまた怖い顔をした。
「八つ当たりはするな。そういったはずだが聞こえていなかったのか?それともとうとう耄碌して三十分も経たないうちに聞いた言葉を忘れたか?」
ディグラムが話をする前に、彼に負けない不機嫌さをにじませたアルトが二人の間に割って入った。
「ティアランゼ…」
それまで事の成り行きを見守っていたティアランゼが苦虫をつぶすような顔をしたディグラムの襟首を掴んだ。直後、彼女の拳がディグラムの頬を容赦なく殴った。全く構えを取っていなかったディグラムはまともに彼女の攻撃を喰らい、床に沈んだ。
ティアランゼは殴った右手をぷらぷらと振ると、ふんっと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「今回のことは完全にお前の不手際が原因だろうが。むしろあの状況でその子は十分すぎるほどよくやった。敵に囲まれた中お前たちに危険を知らせ、自分と少年の身も守りきったんだ。確かに無謀とも思える行動ではあったが、お前に非難されなければならないほど愚かな行動でもない。馬鹿か、お前は。過保護にしすぎて脳みそが腐ったか」
全く容赦のないティアランゼの言葉に、ディグラムの時とは違った意味でラスアは凍りついた。
当のディグラムは殴られた頬をさすりながら、よっこいしょと年寄りくさく身を起こした。その表情はいつもの食えない笑顔に戻っており、彼の機嫌が少しだけ戻ったことを示していた。
「全く乱暴ですねぇ。相変わらず。もう少し優しくできないんですか?そんなんじゃあそのうちウォレフに逃げられますよ?」
「余計なお世話だ。第一この程度のことであいつが逃げるか。ウォレフはお前ほど馬鹿でもないしな」
「…夫婦仲は円満なようで何よりです。おかげで頭も冷えましたし、よしとしましょう」
ディグラムはにっこりと笑うと固まったままのラスアを呼んだ。
「はい!!」
「先ほどは言い過ぎましたが、あまり無茶なことはしないでくださいね。……怪我のことを聞いたときには、肝が冷えました」
「……ごめんなさい」
普段心情を吐露することのないディグラムが本気で心配そうな顔をしていて、ラスアは申し訳なさで一杯になる。素直に頭を下げると、ディグラムが優しく頭をなでてくれた。




