ぎりぎりの戦い
主人公思いっきり出血します。大丈夫な方だけどうぞ。
「諦めろ、逃げ切ることなどできん」
淡々とした低い声だった。襲撃者は殺気が込められた目でラスアたちを見ていた。
手だれだ、とラスアは男の姿勢を見て感じた。ラスアたちを捕えている構えには隙がなく、下手に動けば切り殺される。そう思わせるだけの実力を男は思っていた。
緊張で喉が渇く。それでもここで男の言葉に頷くことはできなかった。
「それは、無理ね」
佩いていた小剣を二本とも抜き放ち、ラスアは男の要求を跳ね除けた。
簡単に諦めるくらいなら、初めから逃げようなどと考えない。やれることをやろうと決めた。だから退かない。
強い決意を秘めた目でラスアは男とまっすぐ対峙した。
「用があるのは王子だけだ。小娘は下がっていろ」
「同じことを言わせないで。無理、と言ってるでしょ」
乱れた息を整え、呼吸を戻すと静かに剣を構える。長さの変わらない小剣の切っ先を角度を変えて相手に向け、右足を踏み込むようにして相手へ体を向ける。
後ろでシェラクも剣を構える気配がした。できればラスアが男を引きつけている間に逃げてほしい。シェラクの性格上きっと了承はしないだろうが。
「愚かだな。幼稚な正義感で死に急ぐか」
ラスアが引かないことを感じた男も長剣を彼女へと向け構えを取る。
シェラクは生きて連れて帰りたいがラスアは殺しても構わない、と言ったところだろう。上等だ、とラスアは小さく笑った。小娘と侮ったことを後悔させてやる。
「ラスア。俺がやる」
「駄目。シェラクは下がって」
前に出ようとしたシェラクをラスアは強い言葉で押しとどめた。ラスアの鋭い言葉に、シェラクが足を止めた。
すでにラスアの頭の中にシェラクのことはなかった。今彼女の意識は、目の前の男にだけ集中していた。
他の追っ手の存在一瞬頭の隅をよぎる。しかし、それはすぐに外に追い出した。
対峙しているだけでもわかる。男は強い。他に意識を割く余裕などラスアにはなかった。
緊張が高まる。
先に仕掛けたのは男だった。ざっと地面を蹴るとラスアの間合いへと踏み込み、剣を突き出す。ラスアは突き出された剣に左の小剣を平行させて弾くと、体を反転させて右の剣で相手を突く。男が体をひねって攻撃を避け、体制を整えてしたから剣を繰り出した。
ラスアは相手の斬撃を自分の剣受け流した。カウンターで相手の肩を突く。男がギリギリのところで、避けた。一瞬バランスを崩したところをすかさず追撃をする。その攻撃は弾き返された。
二合、三合と打ち合うがなかなか決定的な一撃を与えることができない。余裕がなくなるラスアとは逆に、男にはまだまだ余力があるようだった。徐々にラスアは押され始めた。
キィン、キィンと甲高い金属の音が夜の街に響き渡る。
更に数合打ち合いが続いた。相手の剣を受け流しきれずラスアがバランスを崩した。男が隙を見逃さず突いてきた。後ろに引いてかわすが、なにぶん狭い路地での戦闘だ。いつの間にかラスアは壁際へと追い込まれていた。
更に男の一撃がラスアに襲い掛かる。
ラスアはわざと体を沈み込ませると、相手の一撃を受けることを覚悟し渾身の一撃を相手へと突き出した。
「くう……!!」
凶剣がラスアの左肩を貫いた。灼熱が全身を襲った気がした。たまらずラスアの左手から、剣が落ちた。
「やあああああああ!!」
痛みを振り払い、ラスアは渾身の力を込めて右の剣を突き出した。ラスアの肩に剣をとられ、男の動きが一瞬止まった。
「ぐぅ?!」
ラスアの一撃が男の腹へと沈んだ。刺客が耐え切れず膝をついた。
「子、娘、が」
「人間、やるときゃ、やるのよ」
憎しみを込めた目で、男がラスアを睨みつけた。ラスアも負けじと睨み返す。
男が剣を手放した。肩に突き刺さった剣をラスアは、迷うことなく引き抜いた。再び少女の左肩を灼熱が襲い、どろりと血があふれ出す。
「その怪我では、逃げられまい」
「うっさい。逃げ切って、やるわよ」
負け惜しみを言って笑う男の頭にラスアは残りの力を振り絞って、かかと落しをお見舞いした。流石に耐え切れず、男が地面へとつぶれた。
放っておくと死んでしまうだろうが、じきに彼の仲間が駆けつけるだろう。急所は外れているので、命は助かるはずだ。
「ラスア!!」
出血でふら付くラスアのところへシェラクが駆け寄ってきた。
「へ、いき」
「平気、じゃないだろう!!剣で突かれたんだぞ!!!」
強がるラスアをシェラクが怒鳴りつける。
「すぐに手当てしないと」
「あとで、いいわ。それ、より、ここを…はなれ、る、わよ」
「馬鹿を言うな!お前どれだけ血を流しているのか…」
「わか、ってる。けど、ここで、のんびりしてたら、他の追っ手に、捕まるわ」
シェラクの言葉を遮ったラスアの言葉はかすれていていた。苦しそうに顔を顰めている。それでもここでのんびりとしているわけにはいかなかった。追っ手に捕まっては、男を倒した意味がなくなる。
「逃げ切ったら、ちゃんと治療、する、から」
「……分かった。けど、これだけはやらせろ」
言うと、シェラクは有無を言わせずラスアの傷口を、何かの布できつく縛った。かすかにラスアの口から、苦痛の声が漏れる。
「ちゃんとした止血は後で、な」
「うん。ありがとう。行きましょ」
ラスアは剣を納めると、走り出した。その後をシェラクが追った。
ラスアの息はひどく乱れ、走るスピードも先ほどよりかなり遅くなっていた。戦闘とけがの影響が確実に出ていた。
それでも止まることなく、痛み耐えてラスアは先を急いだ。今は少しでも距離を稼いでおきたかった。
一キロほど走るとラスアは人一人がやっと通れるほどの家と家の間に身を滑り込ませた。
「ラスア?!」
ずるずると崩れ落ちるように座り込んだ彼女の傍にシェラクが急いで駆け寄る。
「ごめ、ん。ちょっと…」
「無理をするな。少し休もう」
「だい、じょうぶだから」
「無理をしても、対して進めない。それに、見つかる可能性も高くなるぞ」
シェラクの言葉に、ラスアは渋々頷いた。
体を塀に預け、深呼吸することを意識した。左肩の痛みがひどくなっている。
どこかできちんと手当をする必要があった。
「それで、これからどうする?」
このまま逃げ回っていても捕まるのは時間の問題であることは明白だった。いずれラスアが動けなることは目に見えていた。
「あては、あるの。そこに行けば、数日、は匿ってもらえると思う」
「信用できるのか?」
「ええ。ディーグの古い、友人で、私も顔見知りなの」
ただ、彼らの家までまだまだ距離がある。このまま追っ手から見つからずたどり着ける自信は、正直なかった。
何より肩の怪我が問題だ。これが大きく体力を奪っている。今の説明をするだけで、ラスアの息は切れていた。
どうしたものか、とため息をついたラスアに、ポツリ、とシェラクが零した。
「……姿隠しの札があればよかったんだけどな」
「え?」
「さっきアシィが持っていたんだ。あれがあれば、少しの間追っ手の目を欺けるだろう」
「そんなものも、あったわね。すっかり、忘れて、たわ」
呆然とした風にラスアは言った。
普段使うことなどないから、全く考えつかなかった。ラスアはポーチの中を探り、リエナシーナにもらった魔術符を取り出した。
「はい。これシェラクの分」
闇の中、声だけで距離感を図りラスアはシェラクに札を渡した。
「持ってたのか?」
「あはははは。最初っから、使って、ればもうちょっと、……楽できたわね」
「余計な怪我も追わずに済んだかもな!」
誤魔化し笑いをしたラスアの頭を、シェラクが軽く叩いた。
「ちょ!けが人に、何す、るのよ!!!」
「うるさい!馬鹿」
「く。何でか反論、できない」
悔しそうに顔を歪めて、ラスアはまた塀にもたれかかった。馬鹿な言い合いをして無駄な体力を使った、と後悔している。
「走れるのか?」
「なん、とか、ね」
心配そうなシェラクに、こくりと頷くとラスアは少しふらつきながら立ち上がった。
よろけるラスアの体をシェラクが支えた。
「無理するな。限界来たら言え。背負っていく」
「最後まで、走り切るに決まって、るでしょ。シェラク、こそ途中でへばらないでよ」
「その台詞そのまま返す。とにかく、倒れる前に言え」
「わかった、わよ」
真剣なシェラクの言葉にそれ以上逆らう気に慣れず、ラスアは、渋々頷いた。
「ああ。それと手は繋いでいくからな」
「は?!なん、で」
「見えないだろうが。俺に気配や足音だけ辿ってお前についていけってか?」
姿隠しの魔法は、敵だけでなく味方にも姿が見えなくなってしまうのが欠点だ。
術を作動させたらラスアにもシェラクの姿を見ることはできなくなる。
「うう。わかった」
「よし。じゃあ、行くか」
「なんでこうなったのかしら」
シェラクと手を繋いで、ラスアはおかしいわ、と首をかしげた。




