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状況打開




 襲撃者を撃退したシスカは、乱れた息をすぐに整えた。不意を突かれて驚いたが、十分対応できる相手だった。そのことにひとまず胸を撫で下ろす。

 さて、と振り返ったシスカは真っ青な顔をして立ちすくんでいるアシィに気付いた。シェラクは眉を顰めているものの平気そうな顔をしている。彼の様子から、いくらか戦闘の経験があるのだろうということが察せられた。対してアシィには衝撃が強すぎたようだ。

 無理もないことだとは思う。つい一月前までは宮殿の中で蝶よ、花よと育てられ、こんな荒々しい場面に居合わせたことなどなかったに違いない。命が狙われているといっても水面下のことで、アシィの目に触れることはほとんどなかったと聞いた。それが突然このような戦闘を見せられてショックを受けるなというほうが無理な話だ。むしろ気絶せず吐くこともしない少女に感嘆すらする。

 そうは言っても、今はのんびりとはしていられない。いくら今は人通りがないとはいえ、いつ誰が通るか分からないし、何より先ほど矢を射ってきた存在が残っている。いつまでもここにいることは得策ではない。

 可哀想だが、一刻も早くこの場を離れる必要があった。


「行くわよ!」


 厳しいシスカの声に、アシィがびくり、と体を震わせた。

その様子から、彼女には知らせるのは無理だと考えたのだろう。アサファが片手で動アシィを抱き上げた。次いで、シェラクに小さく走れと告げて背中を押した。シェラクが走り始めるとその後ろを守るようにアサファがついていく。

三人が来るとシスカが先導して走り出した。表通りに出れば、一先ず敵を撒けるはずだ。来た道を戻ろうとしたシスカの足元に、その行く手を阻むかのように矢が突き刺さった。思わず足を止めたシスカを狙って、更に数本の矢が放たれた。

シスカはそれらを全て槍で叩き落とした。頭上には敵の姿は見られない。物陰に身を潜めているようだ。


「前、来るぞ」


 アサファの言うとおり、進もうとした先の道から、五、六人の黒ずくめが迫ってきた。


「こっちは塞がれたわね」

「裏を行くぞ」

「しょうがないわね」


 護衛対象が二人いる上に、狭い路地だ。あの人数を相手にするには少々骨だった。

 アサファの言葉に頷くと、シスカは細い脇道に飛び込んだ。風のように走る彼女を狙って、更に十数本の矢が降ってきた。

 思ったよりも弓兵が多い。いつまでも矢をはじいてもいられないのは分かり切っている。早々に彼らから姿を隠す必要があった。


「駆け抜けるわ」


シェラクが、くそ、と悪態をついたのが聞こえた。全力疾走が続いている。体力的にきついのだろう。

分かってはいるが、ここで足を止めるわけにはいかない。シスカは、速度を緩めることなく路地を走った。

頭上からは絶え間なく矢が降ってくる。暗がりであるため、狙いが定まらないのが救いだった。

時折シスカやアサファが矢をはじく音が響く

 幾つ目かの角を曲がったところで物陰から突然人影が踊り出し、シスカへと襲い掛かってきた。待ち伏せをされていたらしい。想像以上に敵の数が多いことにシスカは舌打ちをした。突進してきた敵が振り下ろした剣を避け、槍を突き出す。穂先が、男の棟に深々と埋まった。


「ぐあ?!」


 短く悲鳴を上げて男が崩れ落ちた。襲撃者の最後を看取る暇などなく、シスカは足を止めていたシェラクたちを促して先を急いだ。男の脇を走り抜ける際、勢いで、男の体から槍を引き抜いた。

 そうして、繰り返し弓矢や待ち伏せなどをかわしながら走り続けた。くねくねと裏路地を走っている間に、敵の襲撃が止んでいた。そのことに気付いたシスカが角を曲がったところでようやく足を止めた。後ろの二人もシスカにならう。

シェラクはぜえぜえとひどく乱れた呼吸を繰り返し、アサファは抱えていたアシィを地面に下ろした。これ以上は走ることができない、とその場に倒れそうなシェラクにシスカとアサファはどうしたものかと考え込む。

 いつの間にか周囲はすっかり闇に包まれ、静まり返っている。襲撃を受けてから、二時間はたっているだろう。


「このままじゃ埒が明かないわね」

「囲い込まれるのも時間の問題だ」

「このまま家に向かっても、たどり着ける望みは薄そうね」


 実力的にはこちらが上だが、敵は数で勝っている。アシィとシェラク。二人を守りながら戦い続けるには、正直厳しい。


「……この際周囲の被害を無視するか?」

 アサファの提案に、シスカは首を横に振った。二人が本気で大暴れすれば、この地区一帯を壊滅されることは可能だ。しかし、それによってもたらされる利は少ない。

「いっそそうした方が楽かもしれないけど。アシィのことを考えると、人目につくのはちょっとまずいわよ」

「そうだな。シェス、シェラクの存在がばれるのもよくないか」

「ええ」


 悩んでいた二人だが、ふとシスカはある道具のことを思い出した。


「アシィ、ウェストポーチはまだ持ってる?」


 まだ少しぼんやりしていたアシィに優しく声をけると、少女ははっとしたように顔を上げ、ぱちぱちと目を瞬かせた


「え、はい、持っています」


 アシィがわたわたとあせりながら答え、ウェストポーチをはずそうとする。慌てたせいで、持っていたお菓子の袋が地面に落ち中身が散らばった。ああ、と切なげな声がアシィの口から洩れた。

 混乱している少女の頭をシスカが優しくなでた。


「落ち着いて。ウェストポーチをはずす必要はないわ。その中に札が入っていたでしょう?それが欲しいの」

「札、ですか?もしかして、リエナにもらった?」

「そうよ。持ってる?」

「はい、あります。ちょっと待ってください」


 普段よりゆっくりと話すシスカに少しだけ落ち着きを取り戻したアシィは、今度は焦らずにポーチの紐をほどき中から一枚の札を出した。


「これでいいですか?」

「ええ、悪いけど使わせてもらうわね」

「どうぞ。シスカの思うように使ってください」

「ありがとう」


 惜しげなく札を渡したアシィに礼を言って、座り込んでいるシェラクの前に膝をついた。


「シェラク、よく聞いてちょうだい。今、あたしたちの状況は非常に悪いわ。悔しいけれどあたしたちでは二人を守りきれない。だから、あなたに頼みたいことがあるの」

「……なんだ?」


 切れ切れに息をしながらも何とか顔を上げたシェラクの目は落ち着いていた。状況に圧倒されず、冷静さを保っているシ彼の強さにシスカは安心する。


「あなたに応援を呼んできて欲しいの。敵の狙いは十中八九アシィだわ。だからあなたが単独で動いた場合敵の追撃がかかる可能性は低いと思うの」

「つまりお前たちが敵の目をひきつけている間に俺が助けを呼びに行けばいいんだな?」

「そういうこと。あなたには彼もあたしもつくことができない。かなり危険だけど、やってくれる?」


 本来ならばこのように危険な賭けをしたくはないが、この状況ではそんなことを言っていられない。

 この少年の諦めていない目の強さには賭ける価値があるとシスカは自分の勘を信じた。


「その、応援、というのは、腕は確かなのか?」

「とびっきりよ。一騎当千の実力の持ち主たちだから」


 ディグラムたちに連絡さえ取れれば、状況は必ず好転する。そう確信しているシスカの自信に満ちた声に、シェラクが頷いた。


「わかった。助けを呼びにいこう」

「じゃあ、これを使ってちょうだい」


 シスカは先ほどアシィから受け取った札を差し出した。


「これは?」

「姿を隠すことができる術がこめられている札よ。持続時間はそれほど長くないけれど、敵の目を誤魔化すことくらいはできるわ」

「魔術符か!!お前は魔術師なのか?」


 魔術符とは特殊な作り方をした紙に魔術師が術を封じ込めることにとって、素人にも術が使うことができるようになる札だ。例えば、火の魔法を宿せば、札からは火が噴きあげる。飛翔の魔術がこめられた札を使えば、札の魔力が続く限り空を飛んで移動することが可能になる。魔術符を作ることができるのは高位の魔術師だ。必要性がない限り作ることはないので、魔術符も高価なものとなり簡単に手に入るものではない。


「作ったのはあたしじゃなくて仲間の魔術師よ。まあ、細かいことは気にしないで。使い方は分かるわね?」

「ああ、符に意識を集中させてイメージを開放すればいいんだろう?」

「それでいいわ。いい、このあと一本目の十字道であたしたちは左へ曲がる。そのときあなたは右へ曲がってそのときに札を使いなさい。そのまままっすぐ行くと大きな通りに出る。それを更に越えていくとあたしたちが会った大通りに出るわ。そうしたらそれを右に曲がってまっすぐ道なりに進みなさい。ここまではいい?」


 シェラクが頷く。


「そのまま進むと<風花>っていう喫茶店があるわ。その角を曲がってまっすぐ進むと三階建ての茶色い建物が見えてくるはずよ。下が書店になっていて<踊る猫の髭>と入り口に書かれているわ。目立つ看板とかはないから見落とさないように気をつけて。中に入れば従業員が誰かしらいるはずだから、彼らに助けを求めて」

「従業員なら誰でもいいんだな?」

「誰でもいいわ。できるわね?」

「ああ、大丈夫だ」


 力強くシェラクが頷くと、シスカはすっと立ち上がり、アサファたちのほうを向く。


「そういうことでいいわね」

「…それしかないな。シェラク無理だけはするな」

「兄様……」

「大丈夫だ」


 シェラクは不安げに見つめてくる妹の頭を安心するようになで、アサファに頷いてみせる。


「それじゃあ、行きましょうか」


 シスカが不敵に笑い、それに答えるように全員が頷いた。唯一の希望をシェラクに託して彼らは再び走り出した。





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