偶然の再会がもたらした弊害
今きっと自分はたいそう間の抜けた顔をしているんだと、冷静に自分を観察している己をアシィは感じた。そうは言っても、会うはずのない兄の登場に、頭は混乱していた。これからどうすればいいのか分からず、アシィは隣にいるシスカを見上げた。
先ほどまで機嫌がよさそうだった彼女の顔は厳しいものを浮かべていた。同時に悩んでもいるようだった。当然だろう。アシィの兄、ということは、目の前にいる少年はこの国の王族の一人だ。扱いには慎重になる。
アサファも難しい顔をしている。逡巡した大人二人は目で会話をすると、シスカがアシィの手を掴み、先ほどよりも歩調を速めて歩き出す。その後ろをアサファがシェスを引きずるようにして着いて行く。それに講義をしようとしたシェスはアサファの鋭い眼光に開きかけた口をつぐみおとなしく歩き出した。
「シスカ!!」
「黙って歩いて」
有無を言わせない二人の強引さに少し恐怖を覚えながら、アシィは必死にシスカについて行った。
四人はそれまで歩いていた表参道から少し狭い路地へと入った。どこまで行くのか、とアシィが不安になったころ、道の角にひっそりと佇んでいる喫茶店が見えた。シスカは歩く速度を緩めることなく、店に入った。
暗く狭い店内にはカウンター席が五つと壁際に二人がけのテーブルが三組あり、カウンター席には客と思われる男性が二人いるだけだった。
繁盛しているのかしていないのか、判断に迷うところだ。
優しげな風貌の初老とおぼしきマスターがいらっしゃいと四人を迎えた。
「二階を借りるわ。ブレンドを二つとカフェオレを一つ、それとホットミルクをお願い」
顔見知りであるのか、シスカがマスターに一方的に告げると奥にある階段へとアシィを促す。その後ろを背中を押されてシェスが続き、最後にアサファがマスターに軽く頭を下げて奥へ入っていく。
階段を登りきった先にある扉をくぐると中は窓一つなく薄暗く、足元がおぼつかない。シスカがランプに火をつけるとぽっと光が広がり、室内を照らした。室内には頑丈そうな大きめな机が一つと椅子が四客あるほかは何もなくひどく殺風景だった。
「アシィ、いらっしゃい。少年もね」
入り口で突っ立っているアシィとシェスをシスカが椅子を引いてここに座れと二人を呼ぶ。おとなしくそれに従ったアシィを見て、シェスもしぶしぶ従い彼女の対面へと座る。
シスカはアシィ、アサファはシェスの隣へと座り、アサファは手にしていた買い物籠をテーブルの下へと置いた。
その後、誰も何もしゃべらず沈黙だけが室内に落ちる。
アシィもシェスも互いに聞きたいことや言いたいこととがあったが、隣に座る大人二人の雰囲気が口を開くことをためらわせた。
そうしてどれくらいの時間が経ったのか。実際には十分ほどであろうが、緊張した空気にそれの十倍は時が流れたような錯覚を覚えた.子供たちが沈黙に耐え切れなくなった時、コンコンっとリズムよく扉をノックする音が聞こえ、マスターがトレーにカップを四つ乗せて入ってきた。
「おまちどぉさま」
その場の雰囲気を和ませるようなゆっくりとした動作でカップを丁寧に置くと、ごゆっくりといって静かにその場を去っていった。
「どうぞ、ここのコーヒーはとてもおいしいのよ。アシィのミルクもね」
目の前に置かれたカップからは温かな湯気が立ち上り、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐった。子供たちはシスカに勧められるままにそれぞれのカップを手に取り、ゆっくりと口をつける。
ミルクにはほのかな甘みがあり、コーヒーはミルクとの兼ね合いが絶妙で緊張で固まった体をその温かさとおいしさで解きほぐしていく。
二人の肩から力が抜け、多少緊張がほぐれたのを見て取ると、シスカが手にしていたカップを置き、シェスへと体をむき合わせた。
「まずは、突然こんなところへ連れてきたことを謝るわ。あんな所で話をするわけにもいかなかったものだから、勝手だけれど場所を変えさせてもらったの。とりあえずここならゆっくり話もできるわ」
「……わかった」
シスカの言葉をどこまで信じたのか、一応了承したシェスに彼女は話を進める。
「まずは簡単に自己紹介からね。あたしはシスカ。そっちの無口なのがアサファ。ま、同じ職場の同僚ね。で、知っての通りこの子がアシィ。さて、問題は貴方ね。さっきアシィが貴方のことを“シェス兄様”と呼んだわ。ということはもしかしなくても、貴方は外遊中であるはずの王太子の第二王子シェステイン様、と考えていいのかしら?」
にやりと笑い相手の目を捕らえて話すシスカには誤魔化しはきかない。そのことを悟ったシェスが諦めたように溜息をもらした。
「ああ、確かに私はシェステインで間違いない。ただ今はそれを隠すためにシェラクと名乗っている。万一の事もあるので私を呼ぶ時はそちらで呼ぶようにしてくれ。私がここにいる理由は話すことはできない」
「まあ、いいでしょ。話せないことがあるのはこっちにも言えることだしね」
「言えないこととはつまりここにアシィがいる理由か?」
「まあ、ぶっちゃけて言えばそういうことね」
察しの良い彼に話が早いとシスカが笑った。
シェスがどれほど事情を知っているかは分からないがこのことに関しては兄であろうと下手に事情を話すことはできない。
「だが、それで納得できるとは思っていない。違うか?」
「ええ、だから理由を知りたかったら王太子殿下に直接聞いてちょうだい。今あたしたちに言えることはこれだけよ。ただしアシィの命に関わりかねないから、聞く時は直接できれば王太子殿下と二人きり、もしくはそれに近い状態で聞きなさい」
「説明になっていないな」
知りたいことを全く知らされない説明に、納得などできるわけがない。すっと目を細め剣呑な空気を出し始めたシェラクを止めたのは以外にもアシィだった。
「兄様、シスカを責めないでください。彼女は立場上これに関しては話せないのです。それはわたくしにもいえること。兄様がこのことを知りたいと思われるのでしたら、彼女のいうとおり、お父様に聞いていただくしかないのです」
妹の思いがけない強い言葉に、シェラクは今この場で詳細を知ることはできないことを悟ったようだ。父に聞くより他に手がないと言われれば、深刻な事態になっていることは想像がつく。
それまでとは打って変わって、妹を心配する兄の表情を浮かべた。
「……アシィ、一つだけ答えろ。この二人は信用に足り、お前の命を預けてもいい者たちなんだな?」
「わたくしが今最も信頼している方々です、お兄様」
今は離れてい暮らしている兄だが、それでも今アシィが危険な立場に置かれていることを聞き及んでいるのだろう。アシィはその兄を安心させるために今できる一番の笑顔と真摯な声音でもって兄に答える。
アシィの嘘を感じさせない力強い言葉にシェラクは頷き、二人を黙って見ていたシスカとアサファに勢いよく頭を下げた。
「詳しいことは全く分からないが妹が信頼をしていることは分かった。だから私からも改めてお願いする。妹を守ってくれ」
「安心なさい。アシィは必ず守るわ」
「……約束しよう」
王族という身分で、庶民の二人に潔く頭を下げ、なにより妹の無事を願う心に好感を持った二人は、アシィを守ることを約束した。二人の言葉に安心したのか、顔を上げたシェラクの表情は柔らかなものになっており少しだけ笑みが見えた。
「さて、それじゃそろそろ行きましょうか。ちょっと遅くなっちゃたし」
「そうですね。それではお兄様」
「ああ、次は王宮で会おう」
「…はい」
にっと太陽のようだ、言われる笑顔を浮かべた兄に、こみ上げてくるものを飲み込みアシィも笑顔を返した。
席を立つとアサファを先頭に、上ってきたときとは逆の順で階段を下りる。
「マスター、ご馳走様」
カウンターでシスカが支払いを済ませ、マスターに見送られて店を出た。
外へ出ると日はすっかりと傾き、真っ赤な夕焼けが空を覆っていた。
「綺麗…」
アシィが空を見上げ感嘆の溜息を吐いた。赤、白、黄色、そして、夜の色が見事なコントラストを作って空に広がっている。自然が作り出す美しさにアシィは知らず見とれていた。
もともと人通りが少なかった通りには今アシィたちのほかに影はない。
「あたしたちは一度さっきの大通りへ出るけど、貴方はどうするの?」
「このまま家まで帰るから大丈夫だ。大通りへは出るが、すぐに別れよう」
「そうしましょうか。それ…」
不自然に言葉をとぎらせると、それまで笑顔だったシスカの顔が急に険しいものとなった。
それはアサファも同様で手にしていた買い物籠を地面に置くとゆっくりと場所を移動する。先ほどシェラクに向けたものとは比べ物にならないほど厳しい気配を二人から感じアシィの背筋を震わせた。
二人は真ん中にアシィとシェラクを背中合わせに挟むと、小さく何かを呟きだした。
『我を守護せし精霊よ。我を害せし悪意より我が身を守る力を与えん』
二人が同時に呪文の詠唱を始めると、周囲に見えない力が集まり始める。
『サモンズウェポン(武器召喚)』
呪文の完成と共に二人の手元に溜まっていた力が解放され、その手にはそれぞれの武器が握られていた。
二人が唱えたのは一番初歩の召喚呪文で、遠くにある魔法と自分の血でつけた印のある物を召喚するものだ。物につけた魔力と血が自分の魔力と血に反応し惹かれあって空間を飛び越え、召喚者の下へ現れる。
シスカが右手に短槍をもち左手を二人を守るかのように伸ばし腰を低くして警戒をする。
アサファも二人を守るようにして剣を構えた。
突然シスカが動き、同時にキィンと何かをはじく音がした。見れば地面に矢が三本突き刺さっていて、シスカがそれを叩き落したことを悟った。
「問答無用ってわけね」
ざっとシスカが地面を蹴り走り出す。その先には全身を黒い衣服で身を包んで男が二人それぞれ手に鋭いナイフを持ち殺気を放ちながら向かってくる。
相手の間合いに入るより早くシスカが槍を突き出す。それを前の男が弾き、もう一人の男がシスカの懐へ潜り込み刃を振るうが、シスカは槍を弾かれた体勢から地面を蹴り一歩後ろへ下がってナイフをかわす。その瞬間できた隙を見逃さず、再び槍を突き出し、それは男の腹へ深く潜り込む。すぐに槍を引き抜くと男の体がその場に崩れ落ちた。後ろから殺気を感じ反射的に回し蹴りを繰り出せば、先ほど槍を弾いた男の肩へと当たり男がバランスを崩す。その瞬間、一気に切りつけられ今度はかわすことができずに先ほどの男同様地面に倒れた。
はじめて間近で見た戦いのすさまじさにアシィは声すら出せずその場で凍りついた。




