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彼女の名前はみどりといった。

 眼が覚める。

「ねえ、大丈夫?」

 あたりは相変わらず濃紺だ。女が俺を揺さぶっている。誰だっけ。

「どうしたの。すごいうなされていたわよ」

 そうか、彼女の部屋だ。しかし、まるで深海にいるようだ。

「変な夢をみたよ」べッドにうつぶせのまま首だけ女に向けて言う。

「ヘー、どんな夢?」奥二重でこっちを覗きこむ。気の強そうな面構えに低い声。

「うーん」俺は躊躇する。

「どっから話したらいいかな―」おまけによく説明できない。

「夢って面白いよね。夢って時間進行が逆行するんだって」適当にごまかした。

「例えばさ、危険な化学の実験をしている夢を見てて、爆発がおきて目が覚めたとするだろう。でさ、現実世界ではその爆発音は誰かがドアを思いっきり閉めた音だとするじゃん。この場合化学実験をしている夢を見るきっかけとなるのは、そのドアが音をたてた瞬間からってことになるよね。つまりほんのわずかな瞬間に時間を逆行して夢を見てるってわけ。これって不思議だと思わない?」

 どっかの雑誌のウケ売り。昨日飲みすぎたせいで喉がガラガラだ。

 女は一瞬戸惑い、そして想像を巡らせた表情を浮かべる。

「うーん、そういえばそんな夢って見たことある気がするわ―」

 それから正解を思い付いたように言った。

「コーヒーでも入れてくるわね」


 部屋の隅にはブルーのスタンドライト。カーテンや絨毯も青色で、女の子の部屋にしてはごちゃごちゃと色々なものを飾っている。

 ベッドサイドの時計を見る。またこれもへんちくりんな形をしている。寝ぼけた頭にはいったい何時だかすぐ頭にはいらない……ここは夜の4時だ。

 相変わらず雨音がすることに気付く。

 台風シーズンは過ぎたのに、小雨が2日間ずっと降り続いている。

 時計のとなりに灰皿を見つけ、反射的に煙草に火を付ける。今頃コーヒーを入れてどうすんだ。頭は相変わらず鈍く重い。お湯が沸き上がる音が静寂の中に響く。働かない頭で女の名前を思いだそうとしていた。

 彼女がコーヒーを持ってきた。

「はい、おまたせ」

「おっ、サンキュ」

 彼女はベッドサイドに腰掛け、俺達は2人同時にコーヒーをすすった。

「あれ、あんた左利きじゃないの」彼女が尋ねる。

「いや、右利き」

「ふーん」

 時計の針の音がする。俺達はまたコーヒーをすする。

「なに、青が好きなの?」部屋を見渡しながら俺が尋ねる。

「海が好きなの」

「ふーん」本当に海だよ。

「ねえ一彼女が尋ねる。

「ウン?」

「記憶ある?」

「あるよ」途中まではね。

「ふーん」彼女はうすく微笑んでコーヒーをすすった。

 コーヒーは不思議なほど美味しく、俺は完全に眼が覚める感じがした。



 何から話そうかと思ったけど、とりあえずこの夢の話からにした。



 真樹の夢を見たのは、どのくらいぶりだったろう。いつのまにか眼や耳や肌の実感をもって思い出せなくなっていた。もはや記憶のなかに貼り付けられた写真だ。だいいち夢自体を見たのが久しぶりって感じだった。



 夢の話と同じように、きっと現実の話も時の流れが逆行する。

 つまり何かをきっかけに時間をさかのぼり、人生の物語が構成され、形成される。

 過去はその形づくられる物語によって、あるものは捨てられ、あるものは拾われ、脚色され、変容し、化学反応を起こす。

 多かれ少なかれ人の話はそうやって作られるのだろう。



 彼女の名前はみどりといった。

 俺はその日以来、ちょくちょくと彼女の部屋を訪れた。

 彼女のマンションは初台の山手通りから少し入ったところにある7F建てで、その5Fにある彼女の部屋からは西新宿の高層ビル群が見える。

 彼女とのつきあいは気が楽だった。そこにはなんの拘束もなかったからだ。

 彼女は決して無ロではなく、どちらかといえばよく喋る方だったが、余計なことは言わなかった。

 というか正確に言えば余計なことしか言わなかった。

 俺達はおたがいにおたがいをよく知らないまま、時々夜中にその青い部屋で一緒に酒を飲み、TVを見、寝た。

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