第6話 相変わらずの人
私と兄はあれから祖母の屋敷に戻って、軽い夕食を取ってから、それぞれの部屋で早めに就寝した。
そして今この広い和室でそれぞれ朝食の膳を静かに囲んで待っている。
祖父母がようやくお成りだ。
すすっと下がり、朝の挨拶をする。
畳に向ける手の角度、体の傾け方、伊達にこの10年やってきたわけじゃない、そして、自分の脇にチラッと目を向け兄の様子を確認する。
ため息の出るような所作で、兄もまた挨拶のため頭を下げていた。
こういう時ずるい、って思う。
殆どこ屋敷になどいないのに、祖母でさえ横やりをいれることなどできぬ所作を簡単にやりとげる。
何だろう、野生のカンか?カンなのか?ほら、そして・・・。
見事に祖母の目がつりあがる言葉を開口一番だ。
朝から面倒な!
「おじいさま、おばあさまには、つつがなき様子、安心いたしました。」
祖母はこの屋敷の主だ、いついかなる時も挨拶は必ず最初に受ける。
それを、兄はわざと無視する。
祖父も自分が先に呼ばれたのを困ったようにしている。
祖父は気の優しい人で、祖母には絶対逆らわない分毛筋の家の人間だ。
自分を持たぬ愚かな人間だ、ともいえる。
幼い私達への祖母の仕打ちを見て見ぬふりした、ヤサシイ人間だ。
行儀見習いという長時間の正座や、食事の箸の使い方ができぬなら、と犬のように口で食べさせられていた時も、そっと祖母のいない時を見計らい、私達兄妹の元にやってきては、「可哀そうに。」と言って頭をそっと撫でていく。
その手は頭を撫でていくけれど、決して救いはしない手だった。
どちらもどちらだ、いい夫婦だ。
「ほんに、お里が知れるというもの。薫、お前には困ったものです。家にも寄り付かず、次期当主はもはやあきらめてはいますが、挨拶一つ、未だ覚えられぬ。この家に足を踏み入れるならば、その下賤の気配は落としてきなさい。何度言えばわかるのやら。」
そう言って兄をきつく見る祖母。
兄はけろりと、
「私の挨拶に不備がありましたか?おかしいなあ、ごく普通のご挨拶をしただけですよ。受ける側に問題があると、普通も普通じゃなくなるのですね。ようくわかりました。人間の卑屈さは深いのですね。お教えいただきありがとうございます。」
祖母が何か言う前に、面倒になった私がすかさず挨拶をする。
「おばあさま、おじいさま、おはようございます。お兄様は寝不足のご様子、おかまいなさらずに。
せっかくの朝餉が冷めてしまいますわ。」
私はこのおかゆの朝食が大好き。
邪魔されてなるものですか。
無邪気そうに声をかけると、傍に控える使用人の手前、祖母は鷹揚にうなずく。
何気に兄を見て、食べさせろ!と目で脅す。
おかゆの朝食は週に二回、これって大事よね。
何とか朝食の席は落ち着きつつある。
私は大好きなおかゆに、いりごまをふりかけて梅をいれて、和食用のスプーンで味わっていた。
う~ん、この絶妙なおかゆの柔らかさに、香り、幸せ~。
私が一匙ごと至福の時間を味わっているのに対して、祖父は目に見えておろおろしているし、祖母は吸い物に軽く手をつけているだけ。
兄に至ってはすでに食べ終わりつつある。
いつにもまして白けた食事の席だが、かまうものか、私はだしまき卵に手を伸ばした。
「まったく誰に似たのか、我が娘ながら、どういう教育をしたのかしらねぇ。もう少し早く引き取るべきだったわ。」
「今さらですけど。」
ふっと鼻で笑い、祖母は私達に目をやる。
はい、はい。それ聞き飽きたから。
あんたなんかにもっと小さいときに引き取られてたら・・・・、考えただけでぞっとする。
兄を見ると、面白そうに目が笑っていた。
あっ、やな予感。
「ええ、引き取られていたら、凄い人外になっていたでしょうねぇ。人を人とも思わない化け物に。」
「ああ、化け物ではなく、ふさわしい子供、でしたっけ?」
「なあ、桜、俺たちは幸運だな、まだ人間だ。」
祖母がワナワナと震え、怒りのあまり声がでないようだ。
更に祖父はそんな祖母を見ておろおろする。
「若!刀自様に何という口のききよう。刀自様のお情けに・・・・・。」
「ああ、刀自様、落ち着かれませ。美保、お冷茶をお持ちして!さあ!」
長年祖母に仕える神谷さんが控えるのを忘れ祖母の元にいく。
「やあ、お久しぶり、相変わらずの様子で安心したよ。」
そんな神谷さんに兄はしれ~っと声をかける。
だ・か・ら。
おかゆをゆっくり食べさせろ!
私は膳の上のおかゆが食べごろを逸して、少しずつ固まりつつあるのを見た。
うん、黙っていろ、って私目で頼んだよね。
まして兄の膳を見れば、自分はちゃっかり完食してる。
ゴゴゴっと怒りが湧き上がる。
「お兄様、間違ってらっしゃるわ。そもそも母は父が亡くなってから、子育てに問題を抱えた方よ。まずそこからご説明なさるのが筋でなくて?あの方は正真正銘おばあさまの娘、ですわ。確かに、そうでしょう?」
「それに神谷さん、私達にしてくださったおばあさまの躾や思いは、兄もわたくしも決しておろそかにはしていなくてよ。ええ、ほんとうに。この血肉のすみずみにまでね、沁みわたっていますもの。」
そう言って神谷さんに笑いかける。
ごめんなさい、的な雰囲気で。
勿論その眼は冷えているには違いないけど、神谷さんが息をのむのがわかった。
私はすぐその眼を気のせいだったのかと思うほど、本当にしゅん、とした感じにして、
「お許しいただけませんか?兄も久しぶりの家ですもの。どう接していいかわからずに、つい憎まれ口をきいてしまっただけだと思いますから。」
そう祖母を見る。
祖母は足元もあらく部屋を出て行った。
それに続いて祖母付きの人間も出ていく。
皆が出払ったのを確かめて、あぐらをかく兄の傍にいく。
耳元で、
「あの妖怪砂掛けばばあ相手に、中途半端はすんな!わずらわしい!何たくらんでるのか知らないが、私の楽しみは邪魔すんな!」
そう言って耳を引っ張ってやる。
ニヤニヤ笑う兄が、何か企んでるのはわかる。
まったく、ちゃっかり自分だけおいしく先に食べやがって!
「まあまあ、いつも通りの感じだろ、祖母と孫のコミニュケーションだ。」
「せいぜい油断してりゃあいい。」
「お前も何気にひでえ事言ってんぜ。」
そう言って楽しそうに笑う兄。
あんたがそんな笑いをするときは、何か動く時。
「お兄様。わくわくさせて下さるのかしら?」
「ああ、まかせろ!夢と魔法の国もびっくりだ。」
「まあ。ここは魑魅魍魎の世界ですわ。間違えないでくださいませね。」
「ふっ、お札も用意しよう。」
「楽しみですわね。」
「ああ、楽しみにしてろ。」
女狐がおいて行った冷茶を二人で飲みながら、二人でゆったりと微笑んだ。