表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

祝福外の花嫁

祝福のない世界で、彼女は俺を選んだ

作者: サク
掲載日:2026/02/28

 草の上に倒れていたのは、場違いなほど美しい娘だった。


 夕暮れの森は金に縁取られ、葉の先まで光を含んでいる。その中で、白いドレスだけが異質に浮いていた。土に汚れてなお、布地の艶も刺繍の細やかさも隠しきれない。特別な日のための衣装だと、ひと目で分かった。


 ――こんなものを用意できる家なら、粗末に扱われてきた娘ではない。


 それでも彼女は、ひとりで倒れている。


「……生きているな」


 声をかけると、かすかに瞼が震えた。そのわずかな反応に、思っていた以上に胸が緩む。安堵している自分に、少しだけ驚いた。



 家へ連れ帰り、火を起こす。目を覚ました娘は混乱していた。知らない天井、知らない壁、知らない俺。それでも泣き叫ぶことはない。取り乱す代わりに、静かに息を整えようとする。その姿勢の端々に、育ちの良さが滲んでいた。


「……名前は」


 火が落ち着いたころ、そう尋ねると、娘はわずかに息を止めた。揺れた視線が炎の奥へ沈む。


「……まだ、言えません」


 拒絶というより、そこに触れれば崩れてしまうものがある、そんな響きだった。


「そうか」


 それ以上は聞かなかった。名を知らなくても、いまはそれで足りると思った。



 数日が過ぎる。


 彼女は何も言わずに水を運び、薪を割り、畑に立つ。本来なら土に触れる身ではないはずだ。それでも、不満も誇りも口にせず、ただ淡々と手を動かす。


 種を埋める手つきは不慣れで、土をかぶせすぎていた。俺が横から軽く払うと、彼女は黙ってやり直す。


「少し深い。もう少し浅くしてみよう」


 小さく頷く横顔が、森の光の中でやわらいで見えた。


 夜は火のそばで静かに座り、森の音を聞くように目を閉じる。その姿が、少しずつこの家の空気に溶けていく。


 あの衣装を用意できる家なら、娘が消えれば探しているはずだ。夜通し灯を焚き、馬を走らせ、名を呼んでいるかもしれない。


 俺は、彼女をそこへ戻せばいい。


 そう思っていた。そうするべきだと思っていた。


 それで足りるはずだった。



 ある夕暮れ、窓の外を見ていた彼女が静かに言った。


「……光が、二つあるのですね」


 森の端に、丸い光が並んでいる。昔から変わらぬ景色だ。


「そうだが…」


 彼女は首を振る。


「私のところでは……一つでした」


 冗談ではないと、すぐに分かった。彼女の探している家は、この世界にはない。


 戻す場所がないという事実が、静かに胸へ落ちる。



 それでも、口にする。


「ここより、似合う場所があると思う」


 正しさを、まだ手放せなかった。


 彼女は黙ったまま、やがて俺の袖を掴む。その指は震えていない。


「私は、ここにいたいです」


 少し迷うように息を吸い、


「……ここが、いい」


 森でも家でもなく、俺を見て言う。


 その視線を受け止めた瞬間、自分の中で何かがほどけた。選ばれたという感情が、遅れて体の奥に沁み込んでくる。


 嬉しいのか、安堵なのか、それとも失わずに済んだという安堵なのか。はっきりしない。ただ、胸の奥が満ちていく。


 俺は彼女を救ったわけではない。ただ倒れていたから拾っただけだ。それでも彼女は、帰る場所のない世界で、俺の隣を選んだ。


「……そうか」


 それだけを返す。



 森の端がゆっくりと色を失い、丸い光が地平へ溶けていく。


 俺は一度も引き止めていない。道を隠してもいない。ここを選んだのは彼女だ。それでも、彼女がここにいることを嬉しいと思っている自分がいる。その感情を、もう否定しない。


 彼女がここで笑い、ここで眠り、ここで明日を迎える。その時間が穏やかなものであるなら、それでいい。


 祝福も儀式も、この世界にはない。


 それでも。


 彼女がここにいるのなら、俺は願う。


 どうか、この選択が彼女を静かに満たしていきますようにと。


 二つの光が沈み、夜が降りる。


 彼女はここにいる。


 それが幸せであれば、それでいい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ