黙する者
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よお、つぶらや。久々に「人狼」したがどうだった? けっこう、みんなレベル上がってきたと思わねえか?
お前、参加したばかりのころは寡黙吊られの常習犯だったもんなあ。黙りこくっているせいで、吊られる対象になるっていう。そりゃ、何もいわないとお前を疑う要素しかなくなるからな。
人狼と村人は手を取り合えない設定だから、どうしてもゲーム中は疑いが強くなる。疑われたくなきゃ、自分のスタンスを知らせる発言をしなきゃなんねえし、他の人がいったことを前半から整理して比べていかなきゃなんねえ。
そのうえで相手の立場的なもんを仮定すると……と、推理や考察に入るが、相手の心を想像するとなると、まるで「思いやり」精神じゃないか。
ギスギス疑うゲームでありながら、相手の心へ寄りそう思いやりを求めるゲームでもある。いやはや、言葉のやりとりメインの人狼だからできる、奇妙な展開かもしれんな。
だから、もしも黙りこくる相手がそばにいたとしたら、ちょっと水を向ける勇気も要るかもしれん。それによって、とっかかりが得られるんだったらな……。
俺のむかしの話なんだが、聞いてみないか?
小学生のときだったな。
5年生になって、はじめてクラスが一緒になる女子がいた。俺の交友関係がかたよっていたこともあるのか、ぶっちゃけ存在そのものをかろうじて知っているくらいの間柄だった。
いや、初見は本当に女なのだろうか? と疑ってかかっちまったな。中性的な容姿というよりな、丸坊主だったんだ。
丸坊主だぞ、丸坊主。男子だったらともかく、女子がだぞ? 「髪は女の命」と母ちゃんや姉ちゃんに、さんざんっぱら聞かされていた俺にとっては信じがたい光景だったんだ。他の女子は髪ふさふさだったこともあって、俺以外の男子も多かれ少なかれ、あいつが変なことは意識していたようだった。
くわえて、あいつは学校でほとんどしゃべらないやつだった。
必要なことならば口にするが、それ以外はまず誰かと話すところを見たことがなかったな。たいていは自分の席から窓の外を見たり、ぼーっとしたりしてた。
俺個人としても、なにも話さんやつに興味を持てないからな。いつも通りの面子といつも通りのことをしているほうが、ずっと楽しかったわけで。
それでも夏休みが近くなったころの席替えで、あいつと隣同士になる機会があったわけよ。かといって、当初は特に話しかけることもなかったんだが。
暑さが日増しにきつくなっていく中で、あいつはずっと長袖を身に着け続けていた。他のみんなが男女問わず、半袖の薄着になっていくにもかかわらずだ。
それにくわえ、あいつは汗をかかない。俺たちがみんな、授業中も休み時間も顔からしたたる汗の面倒に手間を取られている中、あいつは春先と同じように平然としていたんだ。
その代わりといってはなんだが、あいつは香水らしきものを頻繁に使うようになった。当時の小学生で制汗スプレーをはじめとしたグッズに頼るのは、軟弱な印象もあってみんな使う気は起きなかったからな。
化粧うんぬん、道具のパワーに頼るのは衰えを感じる大人ならでは。自分たちゃ、そんなに老けてやしない。そんなもんを使うのは、情けないやつだ……と俺は特に思っていた。
だから、俺たちが汗と戦っている間、あいつが涼しい顔をして霧吹きしている姿というのはなんとなく気に喰わなかったのさ。
そのあいつがアクションを起こしたのが、終業式の10日ほど前。
授業中、「あ」とあいつが珍しく発言以外で声を出したから、ついそちらを見たんだ。
あいつのおさえる長袖の右腕。そのひじのあたりがじんわりと黒く濡れそぼっている。とっさに反対の手で上からおさえたものの、勢いは止まらない。
「先生、保健室へ行かせてもらってもいいですか?」
はっきり、あいつがそういったのも意外だったが、俺はちょっと顔をしかめた。
何をかくそう、俺はこのときの保健委員だったからだ。案の定、俺があいつを保健室へ連れていくことになっちまったのさ。
普段、話すことのないやつにどんな話を振ればいいのか。
俺たちは互いに少し間を開けたまま、黙々と歩く。教室は4階で、保健室は1階と長い道のりだ。二人して、てとてとと階段を下りていく音のみが響く。1階と2階の間の踊り場まで来たときには「ああ、このミッションももうじき終わりだ」と、安堵のため息をつきたかったが。
「あ!」
また彼女がだしぬけに声を出す。今度はちょっと悲鳴より。
なんだ、と彼女は見る間に階段を駆け下りていってしまい、俺も「おい!」と呼びかけるのがやっとだ。
ただおさえていた腕の袖が、今やひじのあたりのみならず、肩に至るまでまるまる濡れてしまっている。教室にいるときは血かもと思っていたが、その臭いはどちらかというとタールのそれに近い特徴的なものだった。
あわてて、あいつの後を追ったんだが想像以上に足が速い。体育のときにちらっと見たスピードとしては、俺にだいぶ劣るものだと思っていた。
それが、いくらか出遅れたとはいえ、俺が階段を下りきって廊下を見やった時には、もう奥にある体育館への渡り廊下入り口にまで進んでいる。ここから10メートル以上はあるうえに、保健室とは逆方向だ。
俺も全速力で廊下を走るも、彼女は渡り廊下の戸の裏側へ隠れてしまう。
そこで俺が聞いたのは、ドリルの音。いや、厳密にはドリルに似た鈍く削る音だったんだ。
ドリルならば、こちらにもいくらか振動が伝わりそうなものだ。耳以外の身体全体にもな。
けれども、その音はひたすら鼓膜ばかりを打つ、奇妙なしろものだったんだ。源はどうやら、戸の向こう側らしくて俺はなおも足を早める。
結局、音は俺が出口へ着く数メートル手前でやんでしまい、ほぼ入れ替わりにあいつが姿を見せた。
「もう、いいよ」
そう告げたあいつは、俺とすれ違って廊下を進んでいってしまう。やはり保健室へ向かわず、教室へつながる階段へとだ。
何より、あの濡れそぼっていた袖が、なんともなくなっている。もう片方の袖と遜色ない姿へ戻っていたんだ。乾くとは考えづらいし、袖だけ外して取り換えるとしても、わずかな縫い目すら見えない。
そうして、彼女が隠れた戸の向こう側。渡り廊下のすぐ脇には非常用の階段がある。その側面のコンクリートへ、えぐられたような真新しい傷ができていたのさ。
あいつはそれからも、やはり口を開かず、俺もそこを突っ込んで聞くことができなかった。
でも卒業するまでの間で、校舎のほかのところがあちらこちら不自然に損壊したし、まれにだが犬や猫の小動物が、食いちぎられたような傷を残す変死体として敷地内に現れるようになった。
それらは決まって、彼女の袖が汚れて保健室へ立った直後にできていたんだ。
結局、俺は詳しいことを尋ねられないまま、あいつの正体も分からないまま今を迎えて、少し後悔しているところもある。
あいつの謎、怖さを克服する機会を、おそらくは永遠に失ってしまったのだろうから。