値踏みされる視線
アマゾナイトノベルズ様より2026年2月3日配信開始!
『現実世界に追放された悪役令嬢はモブを育てる』 第2巻!
ぜひぜひ応援よろしくお願いいたします!
約束は唐突だった。
前触れも、感情の前置きもない。スマホに表示されたメッセージは事務的で、整いすぎていて、逆に現実味がなかった。
『差し支えなければ少しお話ししませんか。顔を合わせて』
時間と場所が続けて送られてくる。高級ホテルのラウンジ。平日の昼下がり。
私はしばらく、その文字列を眺めていた。
逃げる理由はいくらでも思いつく。怖い、怪しい、まだ整理がついていない――どれも正しい。でも、助けてくれた相手を前に行かない理由としてはどれも弱かった。
なぜなら私は、もう知ってしまっている。
自分が“保護される価値のある存在”として扱われた感覚を。
あの封筒の重みを。
そして何より、静かすぎる日常が続くこの数日で、私は気づいてしまったのだ。
このまま何も起こらなければ、私はまた、ただの三十八歳に戻る。
何も成し遂げていない三十八歳に。
――それだけは、嫌だった。
ホテルのラウンジは、私が普段足を踏み入れる世界とは別物だった。天井は高く、照明は柔らかく、客同士の距離が妙に遠い。誰もが静かで、急いでいない。
ここでは、時間すら商品なのだろう。
私は指定された席に近づき、すぐに彼を見つけた。
私が近づくと、彼は立ち上がって微笑んだ。
「来てくれてありがとう、茜さん」
名前を呼ばれる。それだけで、心臓が一拍遅れる。
私たちは軽く挨拶を交わし、席についた。
注文は彼が先に済ませていた。
私の好みを聞くこともなく、でも不思議と外していない。
そういうところも含めて、隙がない。
「少し、驚かせてしまいましたね」
彼はそう切り出した。
「でも、あなたは断らない気がしていました」
「どうしてですか?」
私はできるだけ平静を装って聞き返す。
「あなたは……状況を理解している人だから」
その言葉に、喉がわずかに詰まった。
理解している。
何を?
自分の立場を?
それとも、自分の価値を?
「先日の件は、もう表沙汰にはなりません」
マシューは穏やかに言う。
「訴訟の話も、記録も、すべて整理されました。あなたが今後、同じことで責められることはない」
「……ありがとうございます」
私は頭を下げた。
感謝は本物だった。でも同時に、胸の奥で、別の感情がざわついているのを感じていた。
ここまでやる理由は、なんだ?
「お金の話を、先にしておきましょうか」
彼はそう言って、テーブルに指を組んだ。
「あなたが気にしているのは、そこでしょう?」
図星だった。
「……正直に言えば、はい」
「健全ですね」
彼は笑った。
「安心してください。見返りを強制するつもりはありません。少なくとも、今日のところは」
少なくとも。
その言葉が妙に引っかかった。
「私は、あなたと話がしたかっただけです」
「話……?」
「ええ。あなたがどういう人なのか。どう考えて、どう失敗して、どう立ち上がろうとしているのか」
失敗。
その言葉に、胸がちくりと痛む。
「私、立ち上がれてますか?」
思わず、そんなことを聞いていた。
マシューは少しだけ考えるような素振りを見せてから、答えた。
「いいえ。まだです」
即答だった。
でも、否定されたのに、腹は立たなかった。むしろ、どこかで納得している自分がいる。
「あなたは今、助けられた」
「……はい」
「でも、それを“借り”だとは思っていない」
私は言葉に詰まった。
思っていないわけじゃない。でも、正確に言えば――どう返せばいいのかわからない。
「返し方が、わからないだけです」
そう言うと、マシューは満足そうに頷いた。
「そのとおり。だから今日は、返済の話ではありません」
彼は少し身を乗り出し、私の目をまっすぐ見た。
「あなた自身の話を聞かせてほしい」
「私の……?」
「ええ。あなたは、自分が“上に行ける”と思っていますね?」
心臓が跳ねた。
そんなこと、口に出した覚えはない。でも否定もできない。
「能力がある。注目される。お金に換えられる。だから、もう失敗しない、と」
まるで、私の頭の中をそのまま読まれているみたいだった。
「それって……悪いことですか?」
私は少し、上から目線になっていたかもしれない。
「だって、現実として、私はもう一度チャンスを掴める位置にいる。そうですよね?」
マシューは、否定も肯定もしなかった。
代わりに、静かに問い返してくる。
「では聞きますが、茜」
彼は私の名前を、丁寧に呼ぶ。
「あなたは、自分が“選ばれる側”だと思っていますか?」
私は即答した。
「はい」
その瞬間、彼の目がわずかに細くなる。
怒りでも軽蔑でもない。
――観察だ。
「なるほど」
マシューはそう言って、カップに口をつけた。
「では次の質問です」
間を置いて、彼は続ける。
「あなたは、“選ぶ側”になる覚悟はありますか?」
私は、答えられなかった。
選ぶ?
何を?
誰を?
それは、これまでの私が考えてこなかった領域だった。
私は、選ばれることばかり考えてきた。
条件、待遇、安心、逃げ道。
でも、選ぶ側になるということは――責任を持つということだ。
人を、未来を、場合によっては命を。
マシューは、私の沈黙を咎めなかった。
「今日は、ここまででいいでしょう」
彼はそう言って立ち上がる。
「あなたは、まだ自分の立場を整理している最中だ」
会計は、もちろん彼が済ませていた。
私が何も言う前に。
別れ際、彼は振り返って、こう言った。
「近いうちに、また連絡します」
「そのときは……」
私は言いかけて、言葉を探した。
「そのときは、なんの話を?」
マシューは、穏やかに微笑んだ。
「あなたが“何を差し出せるのか”の話です」
それだけ言って、彼は去っていった。
ラウンジに一人残された私は、しばらく動けなかった。
値踏みされた。
でも、不思議と不快じゃない。
むしろ――
ようやく、本当のスタートラインに立たされた気がしていた。
私は、自分が思っていたよりもずっと、高い場所を見ている。
そして同時に、自分が思っていたよりもずっと、浅い。
その自覚だけが、重く胸に残っていた。
お読みいただきありがとうございます。
『現実世界に追放された悪役令嬢はモブを育てる』 第2巻!
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