きっと 貴方のもとへ
『可愛い婚約者が今日も可愛い』続編となります。
前作を読まれていない方は、お時間があれば、そちらからお読みいただけますと幸いです。
待っていて。
きっと、そこまでたどり着くから。
伯爵家の一人娘であるわたし、マルヴィナ・スタインズが婚約したのは六歳の時。
相手は侯爵家のご次男、ウィルフレッド・カーヴィル様、二十二歳。
初めてお会いした時、わたしは花畑の中。
呼ばれて顔を出してみたら、わたしを見た彼は驚いた顔をして、それからちょっとボーっとして。
わたしは心配になって、使用人に頼んで敷物を用意してもらった。
『少し横になりますか?』って訊いてみたら『いいや』とおっしゃるので、大丈夫なのか確かめるつもりで『花冠を編みますかって?』言ったら『うん』と答えられて。
小さな子供だったわたしと、一緒に遊んでくださるのが嬉しかった。
しばらくしたら正気に戻られたようで『私は何を!?』ですって。
見守ってくれていた使用人たちと一緒に、ほっとしたけど、少し心配にもなった。
もしもまた、そんなふうになった時、周りに悪い人がいたら、この方はどうなるのかしら?
侯爵家から、婚約したいという手紙が来て、両親と話し合いをした。
「彼は、非常に優秀な植物学の研究者で、婚約が成れば、研究対象を食用植物から花卉に変更するつもりらしい。
そこまでの意志があるということだな」
「研究一筋で浮いた噂も無く、信頼できる方のようね。
お話してみても、しっかりしていて卒がなく、特に問題は感じませんでしたわ」
両親は彼に好感を持ったらしい。
「マルヴィナはどうなんだい?」
「彼はわたしより、ずっと大人ですけど、困ることだってあるはず。
わたしは、そんな時に、側にいたいと思ったの」
「まあ、貴女ってわたしが思っているより大人なのね」
母は優しく微笑んだ。
王都で忙しく研究生活をしているウィル様とは、手紙を出し合った。
わたしが描いた絵を見た彼が思い切り褒めてくれたので、嬉しくなって、毎回小さな花の絵を同封しては、また褒めてもらう。
そんな些細な繰り返しが、少しずつ絆を深めていると感じていた。
ある日、母の妹であるアヴリル叔母がやって来た。
彼女は何かにつけマウントをとりたがる人で、家に来るたび姉と張り合おうとする。
嫁ぎ先は子爵家だが、商売の上手い家だ。
『わたしが働かなくても、夫が儲けているから贅沢させてもらえるの』とよく言っている。
本人は優位を見せつけているつもりなのだろうが、夫の仕事を把握していない妻は何かあった時に、ただの役立たずになってしまう。
母は父の執務も手伝っているし、忙しい時は花卉栽培の作業にも出る。
その姿を目撃した叔母が、母に何かを言うのが、わたしはとても嫌だった。
けれど、久しぶりに訪ねて来られたのだからと、挨拶に向かった。
部屋に近づくと、叔母の話し声が聞こえてくる。
「……ロリコンの婚約者様はどうなの?」
「ロリコン?」
母がいぶかしそうに聞き返した。
「十六も年の差のある幼い娘と婚約なさったのでしょう?
どう考えても、おかしいわ」
「きちんとした婚約よ。勝手な邪推はやめてちょうだい。
マルヴィナには、そんな俗な考えを聞かせたくないわ」
「わたしから言わなくても、婚姻するまで十年もあるのでしょう?
色んな人が口を出して来るわよ。
そして本当にロリコンだったら、成長したマルヴィナは興味を無くされるでしょうし。
その時になって泣かないように、親切で言っているのよ」
「なんてことを!
そんな方ではないし、侯爵家への侮辱にもなりますよ!」
「姉様ったら、可笑しいわ。
ふふ、そんなに真剣に怒らなくても……」
わたしは叔母の顔が見たくなくなって、踵を返した。
その夜、夕食後の談話室で、母に謝った。
「叔母様に、挨拶に行かなくてごめんなさい」
「マルヴィナ、もしかして、わたしたちの話が聞えていたの?」
母は、申し訳なさそうな顔をした。
「わたしは平気よ。
それより、ウィル様のことを悪く言う叔母様のことは嫌いだわ」
「嫌うのは仕方ないけれど、顔には出さないようにね」
「はい」
「誰かのことをよく知ろうともせずに、噂や通説で決めつけるのは愚かだわ。
アヴリルがそう思うのは勝手だけれど、貴女がそれで傷つくことはないのよ」
「わたしは傷つかないけれど、ウィル様には聞かせたくないわ」
「そうね。気を付けましょう」
それから三年も経つ頃には、ウィル様は期待以上に成果を出してくれた。
次々に新種の観葉植物や、庭や公園を飾る可愛く美しい花々を開発したのだ。
試験栽培として、真っ先に新種を試せるスタインズ領は、当然一歩先んじる。
周囲が騒ぐほどには儲け過ぎないようにと、父は苦労していた。
それでもウィル様の評判は漏れてしまったのだろう。
再び、叔母がやって来た。
わたしは、母と共に応対に出る。
「婚約者様の成果で、ずいぶん儲けているらしいじゃないの。
わたしにも一枚噛ませてもらえないかしら?」
「よろしいですけれど、叔母様は代わりに何をしてくださいますの?」
「このわたしに、何かしろって言うの!?
つまらないことを言わずに、親戚のよしみでどうにかしなさいよ」
「あら、ウィル様が一生懸命研究された成果のおこぼれにあずかるのですもの。
せめて、雑草取りでも、出荷の手伝いでもしていただかなくては、ウィル様に申し訳ないわ」
「生意気な子ね!
ちょっと、お姉様、躾がなっていないんじゃなくて?」
「あら、わたしもマルヴィナに賛成よ。
もちろん、生まれながらの貴族のあなたに、雑用をさせるのは可哀そうだと思うけれども」
「そうよ、雑用なんて失礼よ!」
「あらあら、そんなに怒らないでちょうだい。
一枚でも二枚でも噛ませてあげるのにやぶさかではないけれど、タダでは裕福な子爵家の奥様の面子を潰してしまうでしょう?
だから、そうねえ……出資をお願いしようかしら?
今、この領の花卉栽培への出資額は一口でこの金額よ」
「どれどれ……」
と言って、出資要綱の書類を受け取った叔母は目を瞠った。
ふふん、儲かってるんですからね、スタインズ領は。
「ちょっと、この金額……」
「募集口数は限られているのだけれど、親戚のよしみがあるわ。
いいのよ、何口でも」
母が優しい口調で、もう一押し。
「お、夫と相談させていただくわ。今日はこれで失礼するわね」
「叔母様、よい返事を持って、またいらしてくださいね」
わたしはにっこりと見送る。
叔母はキッと睨みを返し、乱暴に出て行った。
その夜、ウィル様に手紙を書いた。
『時間が過ぎるのが遅すぎてもどかしい』と。
後日、彼から返事があった。
『同じ時間を君と一緒に待てるのが、とても幸せだ』と。
「ゆっくりとゆっくりとしか進まない時間を、共に待っていてくれる、貴方が大好き」
小さく夜空に告げれば、涙が一粒、頬を流れた。