僕は憎んでいる
朝の食卓には、金縁の眼鏡をかけたカルロスが新聞を読みながら私を待っていてくれた。幼馴染が眼鏡をかけている姿をあまり見たことがないので少し驚く。
「おはよう、ミレーネ。よく眠れたか?」
「ええ…ありがとう」
私はいつも通りに振る舞っていたつもりだったが、何かを察したらしいカルロスは、私の後ろに控えていたローラを見た。侍女は僅かに首を横に振ったのが分かる。
「そうだ、ミレーネ。良かったら今日は外に出てみないか?」
「え…」
「ほら、気分転換になるだろう!君も屋敷に篭ってばかりでは気が滅入るのじゃないか?覚えているかな、子どもの頃よく行った花畑に足を伸ばして…」
「…くない」
「ん?」
「行きたく…ないわ…」
悟られないよう、にっこり笑ったつもりだったのに、上手にできない。
続けて「今日は本を読みたいの」と言うつもりだったのに、口が震えて言葉にならない。
「っ…ミレーネ」
立ち上がって私を抱きしめてくれた幼馴染の懐かしい香りに、少しだけ心の漣が落ち着いた。
「不安か?怖いのか?どこか痛いのか?それとも…」
「ふふ、小さい頃私が泣くとすぐにそうやって心配してくれたわね」
「君が傷つくのは、昔からどうも許せなくてね」
「…私ではなく、心よせるご令嬢にそうして差し上げたら良いのに。私のような…こんな…枯れて老婆のようになってしまった私のことなど…!」
「っっっ!!!!」
多分、カルロスは私の名前を呼んだ、のだと思う。まさか、まさかと言って顔を青くしている。「ねえ、カルロス」言って、私は震えている顔を枯れ木の両手で包んだ。
「わざわざ屋敷中の鏡を外してくれたのね。私が自分の顔を見て傷付かないように」
「ミレーネ…っ!どうして…どうして……神様…!!」
「ありがとう。昔馴染みにどれだけ救われているか…。こんな姿、他の誰にも見せられないもの」
「…見て、しまったのだな…」
「っ…」
大きな瞳がゆらゆらと揺れて、じんわりと涙が表面を煽っている。私のための涙に、なんて優しいのだろうと思う。
私は泣きたくても、涙すら出てこない。きゅうと頭が締め付けられて、それを払うようにパッと顔を上げて食卓に並んだ朝食を見た。
「まあ!今日のスープには具材が入っているわ!何でしょう!さ、カルロス、朝食にしましょうよ」
「ミレーネ…」
彼を励ますために、極力気にしていない風を装って軽やかに食卓についた。
にこにこ笑っているつもりだが、うまくできているだろうか。カルロスを見つめ返さないように努めた。
「ほら、食べましょう!折角の朝食が冷めてしまうわよ」
裏漉ししたトマトのスープを掬ってみると、よく煮込んだ玉ねぎがくたくたになっていた。消化に良さそうである。
パン粥は昨日より少しだけ味付けが濃いものになっていた。
胸がつっかえてとてもじゃないが食べられそうもなかったけれど、ここは半ば無理矢理飲み込む。
「お、おいしいわ、とっても」
「料理長のルイドスが喜ぶ。君が来ると知って、張り切っていたから」
「ルイドス!懐かしいわ…!以前は父君が料理長だったでしょう?まだ小さい頃、この屋敷の裏で遊んでいたわね」
「勝手口の前だろう?遊びに誘っても、なかなか勝手口から離れようとしなかったよな。遊んでいると良い匂いがしてきて」
「そうそう、焼きたてのクッキーをこっそりつまみ食いしたら、ルイドスが料理長に酷く怒られて」
「そう、あの父君が高齢で引退してね。それまでフラフラしていたんだが、なんだかやっとまともになったぞ」
「まとも?そんなに酷かったかしら…?」
「酷かったなんてもんじゃなかったぞ!君は知らないかも知れないが、よく母君が泣いていたからな」
ルイドスの母親はメイド長である。きびきびと働く細身の後ろ姿を思い出した。
どうやら母親の方も既に引退しているらしい。
「…ねえ、私たち、どうして遊ばなくなったのだったっけ?」
「……」
「カルロス?」
「…父が、シャルマン家に投資したことが発端だったと思う。覚えて、ないのか?」
「そう…私、忘れていたのよ。そんな大事なことを……。なのに私、どうしてカルロスやスノウレスト伯爵を傷つけた旦那様と結婚したのかしら…?どうして今まで忘れていたのかしら…?」
怯える私を、カルロスは眉根を寄せて見つめた。
「…端的に言おう、僕はロシュア・シャルマンを憎んでいる」
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