地獄の底(前半、ロシュア視点)
昨日まで闊歩していた屋敷のバルコニーまで、ずるずると引き摺られていく。
もしや、使用人達はみんな逃げたのだろうか、掃除の途中で投げ出されたのだろう、箒や雑巾やバケツが散乱していた。
「ロシュア・シャルマンを許すな!!」「サンリエストロに王位の返還を!!」「マレストの誇りを取り戻せ!!」「ティファリー様!!」「ティファリー様!!!」
たくさんの怒号がどんどんと大きくなっていき、辛うじて着く左足のつま先でブレーキをかけようと懸命に伸ばした。キュキュッと音がするだけで、少しの抵抗にもならない。
「レイリュール…様…一体、何を…?」
意志の強い目は、こちらを見ようともせず、ただ真っ直ぐ前を向いて言った。
「聞こえるか?ロシュア。あれがドトレスト侯爵が貴様に一矢報いた歓喜の声だ」
バルコニーは眩しく光が射して目が痛い。抵抗したいのに、つるつるとつま先が滑ってうまくいかない。光の元へと、この身が引き摺られた。
わっと声が巻き上がる。
「ロシュア・シャルマンだ!!!あいつを許すな!!」「シャルマンに極刑を!!」「サンリエストロに光を!!」
敷地内に乗り込んできた人が溢れかえり、塀の向こうにも終わりが見えないほどに人々が押し寄せていた。
その威圧を目の当たりにして、仰け反り屋敷に逃げようとするが、五人の衛兵が取り押さえていてうまくいかない。
「レイリュールは廃位させろ!」「この国にサンリエストロ以外の王族はいらない!!」「今すぐマレストから出て行け!!」「そうだそうだ!!」
ぎりぎりと首を曲げて、国民に罵倒されている王太子を見る。けれどレイリュールはただ真っ直ぐ前を見るだけで、大して動揺していない。
それどころか、
「当然だ」
ぼそりとそんなことを言った。
見れば、妖精の光があちこちで強く光っている。この国では珍しい光景である。
何度か咳き込んだレイリュールは、次第に咽せるような咳となり、吐き戻すような咳の後、大量に吐血した。
衛兵の一人が慌てて近づいたが、片手で制する。
胸をドンと一つ叩くと、浅い呼吸で落ち着いて、徐に立ち上がり私の襟をがっしり掴んだ。
「…この男の腹の中に、ティファリー様が監禁されている場所の鍵がある!!」
ぴたり、と怒号が止んだ。
サンリエストロの血ではなく、努力で培った威厳でレイリュールは民衆の耳を向けさせることができた。
「もう一度言う、この男の腹の中に、ティファリー様が監禁されている場所の鍵がある!!」
バルコニーから身を乗り出す格好の私。
レイリュールと衛兵五人は、私を掴んでいた手を離した。
「え…」
しん、と水を打ったように静まり返っていた民衆はその瞬間、わああああ!!!!と喉を枯らして叫び、堕ちていく私へと手を伸ばした。
地獄の底さながらの光景を見て、何と美しいのだろうと思えてならなかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「寝てはならない!!!起きて…起きてください!!!ティファリー様!!!」
愛しい人の声がする。
「…やだわ、カルロス…大きな声を出して」
「ティファリー様……!!」
「…ああ、それが私の本当の名前なのだったわね…。どうも慣れないの。私とカルロスは幼馴染、そうでしょう?私が何者だろうが、あなたと過ごした過去は変わらないわ」
すう、と引っ張られるように意識が遠のいた時、またバンバンと叩く音がする。
「寝ては駄目です!!起きて……!!」
「…もう、うるさいわよ……」
「…お願いだから…」
「ねえ、そんなことより、私をいつものように呼んで欲しいわ」
玻璃が少し曇り始めて、向こう側にいるカルロスの顔が不明瞭になる。なんだか泣いているように見えて可笑しかった。
「ミ、ミレーネ……ミレーネ…」
「そうでなくちゃ」
「お、おい!!おい!!!」
バンバンと叩く音が遠のいていく。どうして幼馴染は私を起こしたいのだろう。まだ夜明けは遠いはずで、遊ぶ約束もしていないのに。
(きっと、お父上に怒られたに違いないわ。それで、窓を開けて欲しくて叩いているのね)
だからと言って、夜も明けきらぬ時分に来られたって開けてやらない。早くおじ様に謝ってしまえば良いのに。
無視を決め込んで、布団を手繰ろうとしたが、所在がわからず諦めた。
玻璃を叩く音は止まない。少し外で反省したら良いのだ。
「ミレーネ!!!!」
まったく、仕方のない人だ。
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