僕と結婚して欲しい
「やあ、ミレーネ」
夕食の食卓に付いていたカルロスが片手を上げて着座を促した。
運ばれてきたのは、スープとミルク粥だろうか。ミルク粥といえば、風邪をひいた時の定番メニューである。
「…物足りないかもしれないが、何ヶ月も食べていなかった君が突然たくさん食べると胃がびっくりするんだと」
「まあ!それじゃあ、わざわざ私のために用意してくださったの?てっきりカルロス貴方が風邪でもひいたのかと思ったわ!?ここまでして貰って申し訳ないわよ…」
「申し訳なく思う必要なんかない」
「カルロス?」
目の前の幼馴染は、意志の強い眼差しを私に向けた。視線のやりどころに困って下を見ると、テーブルに並んでいるミルク粥は二人分であることに気がついた。
「あら?カルロスも私と同じものを?どうして…」
「どうしてって、目の前でガツガツ食べられたくないだろ」
「何も私に合わせなくったって」
「野菜スープの上澄みと、ごく薄い味付けの粥だ。寂しい食卓でも、二人で同じものを食べた方が楽しいだろう」
「…貴方、そういうところは昔と少しも変わらないわね」
「昔馴染みをありがたく思え。そしてこれからは僕を頼れ」
食事の前のお祈りを済ませて、スープを一掬いすると口に運んだ。透き通った液体は、野菜スープの上澄みとは思えないほどにコクがあって美味しかった。
「美味しい。身体が喜んでいるのがわかるわ」
「その様子だと、明日はもう少し食べられそうかもな。それでちょっとずつ食べられるものを増やしていけると良いな」
「…そんな、いつまでも世話になれないわ。すぐに働き口を見つけるか、修道院に身を寄せるか…」
「そのことだけど」
カルロスはスプーンを置いて私をまじと見た。
「僕と結婚しないか?」
「…え?」
「聞こえなかったのか?僕と結婚して欲しいと言った」
「あのね、カルロス。私たちもう良い大人なのよ。子どもの頃の約束を、どうして今更」
カルロスとは、幼い頃結婚の口約束をしたことがある。まだ物心がついたばかりの、結婚がどういうものかさえ想像がついていない子どもの頃のおままごとの延長である。
そんなもの、次の日には忘れてしまっていても良いものを、私は大人になっても、楽しかった子どもの頃の思い出としてなんとなく覚えていたけれど…。
「って…ちょっと待って。カルロスもまだ覚えていたの?子どもの頃のただの口約束を?」
「なんだ、ミレーネも覚えていたんじゃないか。なら話は早い」
「貴方には思いを寄せていたご令嬢がいたでしょうに!」
「だから君の協力が必要なんじゃないか。ロシュア殿とは死別したことになっている。なんら問題はない」
(ああ、なんだ、そういうことか)
私はそれで納得した。つまり、私が死んだことで旦那様は新しい妻を迎えている。ならば私は事実上旦那様との婚姻関係は終わっているということだ。
だから、カルロスはお目当てのご令嬢に近づくために、私を最大限利用したいということなのだろう。こんなお願いを聞いてくれるご令嬢が私以外にいるとは思えない。
(幸い私は死に戻り)
誰かと新しい人生を共にすることなど、想像できない。いや、望んでも無理だろう。カルロスがどんなことを企んでいるか分からないけれど、一度人生を終えて、失うものなど何もない私こそ適任じゃないか。
「君にとっても悪い話じゃないはずだ。もちろんロシュアに復讐する為に協力しよう。それはつまり僕のためでもあるからな」
ロシュア様への復讐など今はまだ考えられない。降って湧いたようなこの状況に、私はまだ現実感がないのだから。
(あれ…?旦那様への復讐が、カルロスのためでもある…?)
そうだ。スノウレスト伯爵、カルロスの父君は確か、まだ伯爵位を継いだばかりの旦那様に事業を乗っ取られたことがあったのではなかったか。
(私、今までそれを忘れていたわ…どうして…)
靄がかかっていた記憶は少しずつ晴れていく。けれど核心的な部分がやはり思い出せないような気がした。
(どうして今まで忘れていたのかしら……。幼馴染を傷つけるような結婚だったなんて…)
そんな大切なことを忘れるなんて不可解だ。旦那様が私の生家であるドトレスト家を乗っ取ったのは、本当なのだろうか。
(…まだ、夢なんじゃないかって、思っているのに)
けれど、真実を知らないままに、ただ茫然と残された日々を無意味に過ごすことを考えるとゾッとした。
「…まずは死んだはずの私が、生きていたと証明しなければ」
「必ずしもそうしなければならない訳じゃないさ。こと今回の件に関しては、亡霊が有効な場合もある」
「そうね、私は書類上まだ死亡しているわけだから、あなたとは正式な婚姻関係は結べないものね、カルロスの恋にはそちらの方が有効だわ」
「僕の恋に有効か…そうかもしれないな」
「そういう訳なら、勿論協力するわ!結婚しましょう!」
「待て待て待て、急に乗り気になるじゃないか」
「私、このままお世話になるだけなんて嫌だもの。少しは役に立ちたいわ。勿論カルロスが思いを遂げた暁には、屋敷から出ていくから。申し訳ないけれど、それまでお世話になるわね」
ああ、少しは気が楽になったと思えて、ほっと安堵のため息をついた。すっかり空になったお皿の上にスプーンを置くと、席を立つ。
「さすがカルロスね!策略家だわ!あ、これからは旦那様と呼んだ方が自然よねぇ。いくら契約結婚とはいえ」
「そうか、これは契約結婚になるのか。すまない、あまり深く考えていなかった。勿論、君の復讐が終わったら、死亡診断書を取り下げよう」
「そうね、それからその時はちゃんと想い人と結婚して頂戴ね。おやすみなさい、旦那様」
初めて幼馴染を旦那様と呼んだこそばゆさに、不覚にも顔が熱ったのを悟られたくなくて、早々に扉を閉めた。
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