巨大な鳥籠
ぎしっと馬車が軋む。
先ほどまで降っていた雨が足場を濡らしていて、気を抜くと滑りそうだ。
「待て!!待ってくれ!行くな!!!」
ぴくり、と自分の耳が立ったのが分かる。カルロスの声だ。
水たまりを気にせず走ってくるのだろう、ばしゃばしゃと水の跳ねる音がする。
「…行くな、お願いだ…」
馬車の扉に片手をついて懇願する。どきりとするような、美しい男性の手から視線を逸らせた。
「……のよ」
「…え?」
「もう、私疲れたのよ。自分が本当は何者なのかも、分からなくなってしまった」
「…そんな…君は…!」
(物心ついた頃から今に至るまで、私は守られてばかり。今度は私が、大切な人と大切な人が遺したものを守る番だわ)
「…愛した旦那様がやっと私を迎えにきてくださったの、これ以上のことはないわ」
「ミレーネ…」
その時、ロシュアがカルロスの腕をぐいと掴んだ。
「人の妻に何をしようと言うのだ?」
「っっ…!!外道が!」
「その外道はどちらだ。墓を荒らしてまで人妻の遺骸を連れ去るなんてな」
「てめぇが殺したんだろ」
「全く、しつこいな」
私は一瞥もくれず、カルロスに対して別れの言葉を放った。
「どうぞ、私のことなど忘れて、自分の人生を謳歌されてください。私は、私の愛した人と幸せになります」
それがカルロスとの最後だった。
屋敷に戻った私は、早速湯浴みの為に浴室へと案内される。淡々と作業をこなす侍女が香りのきついオイルで肌を磨いた。
まだ少し濡れた肌に、レースやフリルがたくさんあしらわれた、まるで幼い少女のような白いドレスが滑っていく。
次に通されたのは、晩餐のための食卓だった。やけに塩辛いご馳走様に二口で食べるのをやめた私とは反対に、ロシュアはそれを美味しそうに頬張っている。
食後のコーヒーを飲み終えた彼は「さて、」と言って席を立った。
ぶわっと全身の汗が吹き出すのを感じる。呼吸が荒くなり、焦点が合わなくなる。
「…君をこの手にするまで、どれだけ長い歳月を費やしたことだろう」
「長い、歳月…?」
それは白百合を送っていた頃のことを思ってのことだろうか。私の疑問はそのままに、手の甲に口付けすると私を抱き上げて食卓を後にした。
結婚した頃から入ったことのない、廊下の最奥。その部屋の扉は黒く独特な意匠が凝らされている。
(異様、だわ…)
鼻歌混じりに鍵を開けるロシュアは、「君のために、ずっと、ずうっと、この部屋を飾り付け続けていたんだ」と言った。
扉が開く。なぜだか少し眩しい。
「…っっ!ひっ!!」
私は小さく絶叫した。私を抱えたままのロシュアを見上げると、恍惚とした笑みを湛えている。
「見てごらん、この玻璃でできた瓶の、大きな鳥籠を」
その鳥籠とやらは、三階建の屋敷を縦にぶち抜いて、見上げるほどの大きさを誇っていた。三階の天井部分にある天窓から、月明かりが差し込んでいた。
まるで箱庭のようにあたりには植物が繁茂し、この国では珍しい、小さな小さな妖精が光を放ちながら飛び交っていた。彼らに個としての自我はないけれど、集団自我は存在する。彼らはここを住み良いと判断したからこそ眩しく輝きながら飛び交っているのだろう。
「さあ、姫君、貴方の部屋はあの鳥籠だ」
見れば、休むためのベッドやベンチは鳥籠の中にある。
私は俄かに抵抗した。
「ぃやっっ……!な、なんなのですか…これは…」
「これがなんなのか、そんなに多くの説明はいらないでしょう。私が貴方を鑑賞するのに最も適切な空間である、それだけです。ああ、ほら、すごく…すごく良い」
鳥籠の中に押し込められて、何重にも鍵をかけられてしまう。
ばんばん、と玻璃を叩いてみるけれど、分厚くて殆ど効果はない。
「なっ…こ、こんなこと…なんのために…!!」
ロシュアは冷たい、けれど情熱の籠った眼差しで私を思い切り見下した。
「ティファリー・サンリエストロ」
「……へ…?えっ…?」
「私はずっと貴方が欲しかった。そうならそうと、なぜ言わない?仰っていただければ、わざわざ殺そうなどと思わなかったのに」
「!!!!!やっぱり、貴方が毒を盛ったのね!?」
「そんなこと、大した問題じゃない。カグツチならなぜ死んだ?そちらの方が問題だ」
「カグツチ…?」
ロシュアは残念そうにため息をついて、胸ポケットから出した眼鏡をハンカチで丁寧に拭いた。
「…貴方はそんなことまで忘れてしまったのか」
「…???」
「まあ良い、どうやら自分が何者なのか気がついたらしいからな。ならば徐々に思い出すでしょう」
「出して…ここから…」
「ああ、なら飛んでみれば良い。天窓なら簡単に開くかもしれない」
「飛ぶ?」
「…幼い貴方が、抑えきれぬ魔力を持て余し、高く高く飛翔する姿は、それはそれは美しかった」
「何の話…」
「私はここに掛けて飽きるまでこうして君を見ているのが夢だった。ああ、完ッッッ璧だ!」
「あ、飽きたら…?飽きたらどうするつもりで…」
「せっかく欲しかったコレクションだから、長く楽しみたいけれど…。以前のように何度も貴方を求めても良い」
「ぅっっっ!!!」
ロシュアは眼鏡を掛けて、一番座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろすと、深く深く沈んだ。
ブランデーのグラスを回しながらナッツを食べ、時折それらを溢しながら、夜が明けても、朝が来てまた夜が更けてまたその夜が明けても、ずっと、ずっと私を凝視していた。
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