スノウレスト家のお風呂
「ミレーネ、君が倒れた時どこで何をしていたのか、思い出せるか?」
「私は…旦那様が私の生まれ年のシャンパンを開けてくれて…それを飲んだわ」
「そうか…」
カルロスは神妙な面持ちでお茶を飲み込むと、黙り込んでしまった。
「カルロス?ねえ、」
「君は酒が飲めないだろう。いくら生まれ年のシャンパンを勧められたからって、無理に飲んだのか?」
「そ、それは…その…だって…」
あの時の唇の感覚が蘇ってきて、無意識に口元に手を当てた。カルロスはそれで全てを悟ったらしい。
「へえ。そういうことか。ますますロシュア殿が怪しいな」
「ちょ、シャンパンは二人で開けたのよ!?旦那様は無事だったわ!」
カルロスは無感動な瞳で、私を絡めとるように見た。
(そうよ、だって二人で…開けて……あれ?)
旦那様が口をつけた物は、私に口移しされた。その後は?
(…駄目だ。思い出せない)
私の長い逡巡に、目の前の幼馴染は深いため息をついて、腕を組んだ。ぽりぽりとこめかみの辺りを掻いて何だか困った様子である。
「ミレーネ、あのさ…気持ちはわかるけど…」
「…じゃない」
「え?」
「く、口移しされたのよ?もしあのシャンパンに何か入っていたとしたら、旦那様だって無事じゃ済まないでしょう!?」
(何を一生懸命言い訳しているんだろう)
「…悪かったよ。まだ混乱している君に問い詰めるみたいな真似をして」
「っっっ…」
侍女が数名入室してきて頭を垂れた。カルロスが片手を上げたので、侍女達は再び頭を下げると退室して行った。
「ミレーネ、湯浴みの準備が整ったようだ。ゆっくりしてくると良い。な?」
「でも…」
「身を寄せる当てはあるのか?今は僕を頼って欲しい」
「カルロス…」
結局、私には戻る場所などなく、カルロスの屋敷で当分世話になることになった。
(勝手知ったる幼馴染の屋敷だけれど、なんだか気恥ずかしいような…)
湯気で柔らかに広がっていく蝋燭の光と、芳しいオイルの香り。まろやかな泉質。贅沢だ。
「死んでいた人間を洗ってもらうなんて、申し訳ないわ」
「いいえ、ミレーネ様。今日は特別なオイルを使うようカルロス様より承っております。眠っていらした分、スノウレスト家の侍女の名にかけて、磨き上げますわよぉ!!!」
「ふふ、ローラったら」
ローラという名の侍女は、私の微笑みを見るや顔を真っ赤にして何かを堪えた。
「っっっ…!ミレーネ、様…」
「どうしたの!?」
「うっ…ぐすっ…よくお戻りくださいました…。ミレーネ様が亡くなったと聞いた時はもう、胸が締め付けられるようで……」
「私にしてみれば、目を覚ましたら別世界に来てしまったみたいなの。青天の霹靂というやつだわ。だからローラ、泣かないで」
「でも…でも…っっ!!カルロス様は、ミレーネ様が亡くなったと知ると、それは見ていられないほどに落ち込まれて…。ドトレスト邸に安置されていたミレーネ様のご遺体に毎日縋り付いて泣いていたのですから!」
「大袈裟だわ、ただの幼馴染に…」
「本当ですとも!それに、ミレーネ様のご両親も…あっ…も、申し訳ありません」
「いいえ、ローラが謝ることではないわ。…そうね、両親の死の真相も確かめなければ……でも、どうしてかしら、知りたくないのっっっ…うっ…」
どんなに泣いても、涙が溢れてこない。死んでいた私は、涙まで枯れてしまった。
優しかった父、いつも私を一番愛してくれた母。私は一瞬でその二人を亡くしたというのに、涙すら許されない。
「ミレーネ様にとって、たった今突然ご両親を亡くされたのと同じなのですから、今はミレーネ様のお心を大事に過ごされてください」
「っっっ!!!」
「…そう、きっと、きっとカルロス様が力になって下さいますよ」
「幼い頃から知っているとはいえ、いつまでも迷惑をかけられないわ。私は、私の手で真実を掴む」
「迷惑だなんてそんなこと、カルロス様は思っていません」
「ローラ、まだカルロスは身を固めていないのよ?それが死に戻ったシャルマン元夫人が身を寄せていると周囲に知られて良くって?それだけはいけないわ」
「ミレーネ様、私……」
ローラが何かを言いかけたのを、別の侍女が首を振って制した。
良い香りのオイルが腕を滑っていく。髪の毛にはまた別の香りのオイルが浸される。
レモングラスとラベンダーだろうか。
「…不思議ね、十ヶ月間も寝ていたというのに眠ってしまいそうだわ」
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