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目覚めた部屋で

 ボロを纏って地を這う。ドブの匂いと、泥の味。

 こんな時でもお腹が空く。その感覚は、まだ死ねないという絶望感を満たした。


(どうしてこんな人生が用意されていたのだろう)


 幼いながらも、そんなことが浮かぶ。私が産まれていなければ、苦しさも惨めさも冷たさも初めから味わうことなどなかったのに。


(私が産まれてなかったら、別の誰かが経験したのかな。それなら少しは誰かの役に立てたのかな)


 ぴちょん、


 せっかく目を閉じたのに一粒の雨が、瞼をこじ開けた。

 重たい曇天から、しとしとと雨が降り注ぎ始めたのだ。


(寒い…冷たい…)


 私は多分地面にうつ伏せに寝ている。このまま動かなければ雨が私を窒息させてはくれないだろうか。そんな事を思う。


 ばしゃん、ばしゃん、ばしゃん、


 息を切らして、こちらに駆け寄ってくる人がいる。私は少しも動けず、音でそうだと思った。


「………!!」

「だ、れ……」

「ああっっ!!」

「…だ、れ」

「っっ…!私は……私は、貴方の…父だ」

「ちち…」

「そうだ。さあ、こちらへ」


 ずぶ濡れで、泥だらけの私を掬い上げる手を、どうやら私は覚えている。

 ならばやはり、ちち、なのだろう。

 抱き上げられ、口の中の泥を懸命に掻き出してくれる。


 その男は、雨のせいか頬がびっしょり濡れていた。


(そうだ、私はこの日、ミレーネ・ドトレストとして産まれたのだ)





✳︎ ✳︎ ✳︎





 薄ぼんやりと開けた目に、柔らかい光がちらついた。


「カルロス…様」

「…っっ!良かった…っっ!また、死の淵に舞い戻るのではないかって……こちらの心臓が止まりそうだった」


 ハッと気がつく。私は握られた手を振り払った。ベッドから飛び起きて、裸足のまま壁に背をつけてそのままずるずると尻餅をついた。


「ピオニー!」

「こ、こないで!来ないでください!!」


 断片的に思い出される微かな記憶には、必ずカルロスが笑顔で花冠を。


「うっっ……」

「どうしたんだ、おい!」

「あ、頭が…!頭が痛いっっっ!!割れてしまいそう!!」


 私がドトレスト家に娘として迎えられた日、丁寧な湯浴みの後、少し寸法の小さい、けれど着られないわけじゃないドレスを着た。

 知らない豪華な部屋はいつの間にかそれが当たり前となり、温かな食事はいつもの日常となり、両親の優しさは当然のこととなった。

 記憶のジェニファーはいつも遠慮がちにひとつ、またひとつと私の物を欲しがって、私はそれを可愛い妹の様に思った。

 カルロスと結婚の約束をした幼い日、花冠をいくつも作る幼馴染との将来を思い描く。ジェニファーのことは置いてけぼりに。

 そして好きでもない男を死ぬほど愛して将来の伴侶となり、私は死んだ。

 それがきっかけで、ジェニファーも死んだ。


 私がミレーネ・ドトレストの人生を奪ったから。


「うわああああああっっっっ!!!!!!」


 喉を焼き切る様な私の絶叫に、カルロスがぎゅうと抱きしめる。

 耳元で大声を張り上げているけれど、自分の叫び声で全く何も聞こえない。


「ッッ…!」


 カルロスは水指の水を煽って、私に口移しした。

 私はそれを受け付けず吐き出してしまう。


「ピオニー!」

「は、はあ!ロシュア・シャルマンは…私に毒入りシャンパンを口移しで飲ませました。…だから、どうしても……」


 眉間に皺が寄っているカルロス様をできるだけ刺激しない様努めて言葉を選んだ。


「どうしても、受け付けないのです。無礼を働いて申し訳ありません」

「無礼だと?それは違う!僕の至らなさだ!」

「違うことなどありません」

「ああっ!もう!とにかくその敬語をやめろ!」

「…そういう訳には…っ!」


 私は再び頭を抱えて蹲る。カルロスが私の肩を抱いた。


「…薬を用意させよう。おい、キース!そこにいるだろう?頭痛薬を持ってきてくれないか」


 扉の外から「かしこまりました」と返答がある。私は堪らなくなって「それくらい自分で」と言ったが、カルロスは酷く怒ったような顔になる。


「良いから、ここにいろ!」

「怒鳴らなくても聞こえます」

「全く、なんでそう頑ななんだ!これも全てジェニファーのせいだ」

「ミレーネ様と呼んで差し上げて下さい」

「だから…!」


 キースが頭痛薬を持って参上したが、私たちを見て複雑な表情を浮かべている。


「…今すぐジェニファーを連れてこい」

「え、私がですか?ローラに任せても良いですかね?どうもちょっと……怖くてモゴモゴ」

「それについては、もう大丈夫だろう。キース、お前の心配するようなことはない」

「はあ…いや、でもですね…」

「でもじゃない、すぐ連れてこい」


 キースは渋々命令を受けて退出した。

 カルロスは水を差し出すと私が薬を飲み込むのを見守って、ぽつりと言った。


「…僕は君に嘘をついた」

「……それでは、やはり私を愛しているというのは嘘で…」

「違う!…違うんだ」


 遠慮がちなノックの後に、ミレーネ様とグレイスが入室してきた。

 部屋の隅で丸くなっている二人を見て、ミレーネ様は困ったように微笑んで「仕方のない人たち」と言い、ため息をついた。

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