ミレーネ様
「ミレーネ様、夕食をお持ちしました」
サービングトレイに載っているのは、野菜スープの上澄みとパン粥だ。
ベッドに座っている老婆が如き様相のミレーネ様を起こし、絶食期間衰えた胃腸のことを考え料理長であるルイドスが作った回復食を勧めようとした。
「こんなもの!食べられるわけがないでしょう!!!」
「っっっ!!!」
がしゃんと大きな音を立てて、食器や料理が床に散乱した。
思い切り手で払ったミレーネ様はそれでも足りず、息も切れ切れに怒鳴る。
「…五秒以内に、片付ける、のよ!はあ、はあ、い、今すぐに!!」
「い、いくらなんでも、それは…」
「ごーお」
「ミレーネ様!」
「よーん」
私は床に撒かれたスープに足を滑らせながらサービスワゴンの下あたりにあるナプキンを手に取った。
「さーん」
幸い皿は割れていない。食器類をサービングトレイに乗せた。
「にーい」
ナプキンで飛び散ったものを拭き去る。
「いーち」
ベッドの下にまでスープが飛んでいて、カーテンにもパン粥がこびりついている。
「ぜーろ」
私は床に這いつくばった姿勢のまま、恐る恐るベッドの上のミレーネ様を見上げた。
皺くちゃの顔を更に皺だらけにして、にっこりと笑っている。
「ぷっ、必死すぎ」
「え?えっと…」
「…でも、私、汚れてしまったからこの部屋を使うのは嫌かも。貴方が使っているお部屋を私に頂戴よ、お姉様」
「あ、はい。元より私などには十分過ぎましたので…」
「当たり前だわ。思えば貴方は昔から弁えていなかったわね」
「すぐにでも手配させていただきます」
一礼して去って行く私を「ちょっと」と呼び止める。
「私にこんなに汚れた部屋で待てと言うの?」
「す、すぐに片付けます」
「本当に鈍臭いんだから、お姉様は」
私は再び膝をついて汚れを吹き去って行く。
「お姉様、ねえ、自業自得でしょう?全て貴方のせいだもの」
ぎゅうとナプキンを握りしめる。
(私が言い返せることは、何もない)
私は貴方から家族を奪い、名前を奪った。死ぬ羽目にもなり、生き返った時には若さをも奪われた。そしてそれらは全て私に起因することである。
どんな仕打ちをされたって、私は甘んじて受けるつもりである。一生ミレーネ様にお仕えし、罪を償って行くだろう。
(それでも、今はまた貴方に会えて嬉しいと思えるの。私のエゴだけれど)
コンコン、とノックが響く。「やあ」と顔を出したのはカルロスだ。
「おや、どうしたことだ?大きな音がしたからと来てみたのだが…酷い有様じゃないか」
「ううん。お姉様が派手にひっくり返してしまったのよ。今片付けてもらっているところ。私も手伝えればいいのだけれど…起き上がるのもやっとで」
「それは仕方がないさ。ミレーネ、ローラ達を呼んでこよう。…ミレーネ?」
私はミレーネではないのに、カルロスは今だにそう呼ぶ。本当のミレーネ様は、カルロスが私をそう呼んだ後、すこぶる機嫌が悪くなるというのに。
「んもう、カルロスったら。ミレーネは私!お姉様がドトレスト家に来る前までカルロスだって私をミレーネと呼んだじゃない」
「えっと…いや、でも、そしたらなんて呼べば…」
「それからカルロス、お姉様がご自分の部屋を私にと言っているんだけれど、良いでしょう?」
「…え?それは本当か?」
私は「もちろんでございます」と言ってから続けた。
「下働きの私には勿体無い過分なご配慮にございました。もともとドトレスト家の出身でもない、何処の馬の骨ともしれぬ女が使う部屋ではございませんので」
「おい、ミレーネ…」
「私はミレーネではございません。以後、そのように呼ぶことはお控え下さいませ。私はローラ達を呼んでまいりますので、失礼します」
ナプキンをしっかり握りしめて、逃げるように部屋を出た。
(自分の身体が急激に老いるストレスは計り知れないもの。誰でも良いから当たりたくなる気持ちは分かる。もしかしたら、私もローラやカルロスに対して知らず知らずのうちにそうしていたかもしれない)
すぐにでも用意しなくてはと思い、できる限り使用人を呼んで、すぐに清掃と部屋の交換が行われた。
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