ドトレスト家にて
数ヶ月来ていなかっただけで、こんなにも懐かしい気持ちになるのだから生家というのは不思議である。
玄関脇に置かれた石造りのウサギの置物や、階段の手すりの意匠や、廊下の壁紙のパターンが一箇所だけ違うのだとか、いつもは思い出さないけれど、こんなにも簡単に少女だった頃に引き戻される。
いつまでも懐かしさに浸かっていたかったけれど、私は目的があってここに来た。
(…お父様の書斎に何か残されていないかしら)
カルロスの口ぶりで、私が生き返ったことに父が関与しているだろうことは明白だ。
大切に育ててもらった自覚は大いにある。けれど、それだけの理由で死人を蘇らせるだろうか。術者の魂ごと呪われるような禁断を犯したのではないかと思えてならない。あるいはそれが両親の死に関係しているとも考えられる。
(だから私はカルロスの元には戻らない。秘密を知ったらきっとカルロスはジェニーにそれを試すのだろう。それだけは、いけない)
カルロスに何かあったらと考えると、私は私自身の秘密を知ることはカルロスとの決別を意味していた。
そして、一番大きな疑問は…
(私がいたずらに生き返ってしまっただけだということ)
私が生き返ることを全ての前提にするならば、両親の性格上、自分たちに迫る死を受け入れるはずがない気がした。例えばそれが事業をシャルマン家に乗っ取られたとしても、だ。私が知り得る以上の想定外のことが起きたのではないだろうか。
(もしくは、その前提が間違っていた、とか)
いや、それはないだろう。カルロスに私を託したところを考えれば、恐らく両親は自らの命を…。
ならばなぜ、私が生き返る希望を待てなかったのだろう。
無意識に重いため息ばかりついてしまい、頬を叩いた。私は全ての感情や先入観を捨て去って、冷酷に思考しなければならない。
(冷酷にならなければ、正気でいられそうもないわ…)
目の端にお父様が大切にしていた葉巻道具が映る。お父様の灰皿は埃が被っているものの、灰や吸い殻などが綺麗に除かれ清潔に保たれていたことがわかる。
葉巻ケースを開けると、五本入るうちの二本がなくなっていた。
(これは……)
持ち主がいなくなり、時が止まった三本のシガーは、恐らく湿気っている。父は必ず自分が吸う分だけをシガーケースに収めていた。それが吸い終わってから次のシガーを買いに行かせるのである。ある時、それは非効率ではないかと聞いたことがある。
『私は湿気ったシガーは好きじゃないんだ。徹底管理できたら良いけれどね。我が家でそれは難しいからね』
確かそんな風に言われたと思う。それで幼かった私は湿気ったクッキーを思い出す。シガーは食べものじゃないのに変なの、と思った記憶がある。
(…お父様なら、命を断つ前に一服吸うのじゃないかしら。それに…)
吸う分だけ収めていたシガーケースに残った三本、綺麗なままの灰皿。目の前に残されたものは、何を意味するのだろう。
両親の死の状況は一つも聞いていない。何とも言えない違和感だけが引っかかった。
たくさんの本が詰まった本棚をすいと撫でる。
父は領地運営や事業の取引先とのやりとりなど、仕事でつける帳簿とは別にアイデアノートのようなものをつけていたし、母は日記を書いていた。
(それが見つかれば良いんだけれど)
がたん、と外で音がした。雨がしとしと降っているものの、風はほとんどない。こんな天気で鳥が来たとも思えない。
恐る恐る窓の外を見たけれど水滴でよく見えなかった。
少しだけガタつく窓を無理に開けてみる。
土のような匂いに、いつかのジェニーを思い出しながら辺りを見渡す。
何もないことにホッとしたけれど、今一番恐ろしいのは死の淵から舞い戻った異形の自分自身であることに気がついて自嘲の笑みを浮かべる。
ガタつく窓を閉めて鍵をしっかり掛けた。
本棚に向き合い「…さて」と言って手を合わせる。
「お父様、勝手に書斎を漁る私を、どうか叱らないでくださいね」
左上から順番に、片っ端からページを捲ることにした。細かい文字に目が滑る。震えながらも、ぱらぱらと捲る手は止まらなかった。
二冊、三冊と読み終わったものは棚に戻していく。「ふう」と何度目かのため息をついて右側を見ると、ずらりと並んだ背表紙に気持ちが負けそうになりながらも、日暮までには作業を進めたい気持ちが優って自分を鼓舞することができた。
この屋敷で灯りを灯せば目立つだろう。ならば日が落ちる前が勝負である。
(ハーブティーが飲みたくなってきたわ…)
疲労と喉の渇きをぐっと堪えて、人差し指で四冊目の背表紙を手前に傾けた。
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