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くちづけ

 どきりとした。


 ジェニファーが包まれている布をめくったカルロスの横顔に、言いようのない感情を覚えて思わず目線を逸らした。見てはいけない気がしたのだ。

 目線の端で、カルロスは腕のそれに顔を埋めた。


(…ジェニーに口付けを……)


 血が逆流する。目眩と動悸が一気に襲って倒れ込みそうになった。

 それをぐっと堪える。

 目の前の光景に、どうして良いか分からず、一層背を丸めて地面を見つめるしかない。


「…カルロス様、お気持ちは分かりますが、早々に立ち去った方が良いでしょう」

「分かっている」


 キースはその腕に収まるジェニーを担架に乗せようと提案したが、カルロスはそれを固辞した。


(カルロス、なんて顔をしているの…)


 胸がきゅうと苦しくなった。

 冷たい土の下で眠っていた想い人を大事に大事に抱える気持ちは分からないでもない。

 だから余計に辛い。


(辛い?私が…?どうして?)


「ミレーネ、悪いが歩けるか。どうしても馬車は目立つからな」

「も、勿論よ。本当は行きだって歩けたのよ?老婆だからって甘く見ないで欲しいわね」

「はは、それは逞しいな」


 しゃきしゃきとはいかないまでも、歩行はだいぶ楽になったと思う。そう、カルロスにいつまでも迷惑は掛けられない。だから私は、毎日日暮と共にひっそりと歩行訓練をしてきたのだ。


(これもルイドスが作る食事と、カルロスのオイルのおかげ)


 空が白んできた。もうすぐ夜が明ける。ふう、と呼吸を整えた。太陽の復活は、死に戻りには眩しすぎるのだ。


 皆黙している。

 もう葬儀は済んだというのに、カルロスが遺体を抱いて進むから…。この行進が死人のためだけの葬列のようだと錯覚する。


(…着いてしまった)


 登りかけの朝日がスノウレスト邸を黄金色に輝かせている。

 カルロスがジェニーを抱えて門を抜けたので、私はこの場所に戻って良いものか分かりかねてしまう。

 一瞬の逡巡の間に、ローラが「…すぐに湯浴みをして休みましょう」と言ったので「ありがとう、でも大丈夫だわ」と言った。


(…気取られてしまったかしら)


 休みたいのは本心だけれど、今は冴えてしまって眠れそうにない。

 朝露に濡れた紫陽花の葉を見て思わず触れてみる。


 ガタッ、


「?」


 音のする方へ目線を向けると、勝手口から懐かしい顔が額に汗をかきながらゴミ箱を運んでいるのが見えた。


「…ルイドス…?」


 コック帽を正してこちらを向いた料理長は、私を見るや大袈裟に両手を広げた。


「ミレーネ様…?」

「やっぱりルイドスだわ!」


 ローラに先に行っていて欲しいと伝えて、私が小走りに近づこうとすると顔を背けて片手で静止させるようなポーズをとった。


「どうしたの?」

「っっっ…うっ……っく……」

「ルイドス?わ、私ごめんなさい。びっくりしたわよね、こんなお婆さんになって…」

「お、俺は…会っちゃいけないんです。ミレーネ様に……」

「何を言っているの…?一体どうしたの?」


 コック帽をぐしゃぐしゃに脱ぎ去ると、金髪の前髪を掻き上げた。


「…許されない罪を、犯しました」

「貴方が昔悪かったと言う話はなんとなく聞いているけれど、罪だなんて大袈裟だわ。少しやんちゃだっただけなのでしょう?」


 けれど、ルイドスは一層たまらないと言う顔になって、痛みを堪えるようになんとか言葉を絞り出している。


「ミレーネ様がお飲みになるとは知らず、ロシュア様に毒を中和する方法を教えて…しまいました」

「あなた、一体、何のことを言っているの?」

「もともと俺は薬師の家系です。食事から滋養を得ることを良しと考える先々代のスノウレスト伯爵からのお付き合いなのです。だから…薬の知識が多少はありました」

「それが、どうして罪なの?」


 これでもかと眉間に皺を寄せて、振り絞るような声は風に消えそうになった。それでも、懸命な声は私の鼓膜を震わせる。


「……あれは、昨年の春でした」


 買い出しの為に市場にいたルイドスは、偶然居合わせたロシュアに声をかけられたのだそう。

 今思えば、あれは偶然などではなく付けられていたのだろうと言う。


『君は、スノウレスト家の料理長じゃないか?やっぱりそうだ!』


 急ぐわけでもなかったルイドスは、近くのカフェで少し話さないかという提案に二つ返事で了承したらしい。

 貴族だが、にこやかで物腰の柔らかいロシュアにすっかり心を許してしまったと。ましてや、ただの使用人にカフェで話をしようだなんて提案されて、気持ちが大きくなってしまったのだという。


『スノウレスト家の食事には感心させられる。私の所の料理長にも、あそこで学んだらどうだと言ったほどなのだよ』

『え、そ、そうですか?いえ、俺は薬膳料理を叩き込まれて育ったので…』

『薬膳というのはなんなのかね?』

『その昔、四代前の祖父さんが東方で料理を学んだのですが…』


 すっかり調子に乗せられて、色んなことを話した。いくら時間があったとはいえ買い出しの途中である。そのことに気がついた時にはコーヒーを三杯は飲み下していたらしい。


『いやあ、君は素晴らしいなぁ』

『へへ、あの、そろそろ俺戻らないと…』

『ああ!すまないね!あんまりにも感心してしまって随分と話し込んでしまったらしい』

『じゃあ、俺はこれで』

『道草食っていたことがばれたら、スノウレスト殿に怒られてしまうかな』


 オレンジや林檎が入った紙袋を持って立ち去ろうとした時だった。


『ああ、そうそう、一つだけ教えて欲しいんだ』

『まだ何か?』

『酒も滋養とやらの一部なのだろう?もし、酒が飲めない者にどうしても飲ませなければならない場合、君ならどうする』

『飲めないものを無理に飲ませるのは、考えに反していますが…近しい関係性なら口移しでしょうか』

『…例えば、例えばだ。もしもその酒の中に毒が入っていた場合、口移ししたらこちらも死ぬだろう?』

『はあ』

『勘が悪いな。どうすれば一方は助かるのか、と言っている』


 先ほどまでにこやかだった表情は、あまりにも無機質な笑みだったことに気がつく。窓から差し込む夕陽によってそれが禍々しく恐ろしげに照らしていた。


『ど、毒のことに、俺は詳しくありません』

『ほう?』


 帰ることも、座ることもできず、恐ろしい瞳に見つめられて、どうやったらこの場から脱することができるのか、ルイドスの頭の中はそれでいっぱいになった。


『あ、ああ…あの…誤って何かを飲み込んでしまった場合、牛乳を飲んで吸収を阻害するというのは教わったことがあります』

『ほう?』

『も、もう、良いですか?』


 後で気がついたことは、スノウレスト家のパーティにロシュアが来ていた記録はない、ということだった。


「ルイドス…」

「も、申し訳ありません!!あの後、ミレーネ様がお亡くなりになったと聞いて…きっと俺のせいで…」

「ねえ、ルイドス。私ね、貴方が私のために張り切っていると聞いたの」

「そ、それは…ミレーネ様が生き返ったから、自分の罪がなくなったように感じて…う、嬉しくて…少しでも罪滅ぼしができるんだって……でも…今ミレーネ様をその…」

「お婆さんになっていて驚いたの?」

「確かに、俺の罪がそこにあるんだと……!俺は、どこまでも自分のことしか考えられない最低な男です!」


 崩れるように土下座をして頭を芝生に擦り付けている。


「…顔を上げて、ルイドス。私、もっと酷かったのよ?でも少しずつだけれど元に戻ってきているの。毎日たくさん考えられた食事を出してくれて、ありがとう。それは確かに貴方のおかげだわ」

「ミレーネ様…で、でも俺…」

「それに私、もうすぐここを去るの」

「え?あの…」

「カルロスにはこのこと、言っていないんでしょう?大丈夫よ、言わないから」


 ルイドスは黙って私を見つめていた。

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