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ミレーネ・ドトレストは死に戻りました

 美しく染め上げられたスカーフを被って、下を向いて歩く。そろそろ斑らに敷かれたタイルのパターンを覚えそうである。

 なるべく目立たないような、ブラウンやグレーのドレスを希望したけれど、折角なのだからと用意されたのは鮮やかな青いドレスだった。


『ミレーネ様は寒色系がよくお似合いですから』


 目を覚ますような青いドレスを両手に抱えた、にこやかなローラの表情が忘れられない。


(そりゃ、十ヶ月前は好んで青を着たけれど…こんなお婆さんが着て良い色じゃないわ。それも社交界で大注目のカルロスと腕なんか組んで…)


 馬車から降りるや始まったひそひそ声と、痛いほどの視線は、会場となるノーマン公爵邸に入ると一層酷くなった。


「…っ!」


(カルロスはいつもこんな針の筵に耐えているの…?)


 私に注がれているのは、恐らく嫉妬と怒りの目。殺意にも似た激情。抑えられない興味の視線。

 しかし、隣を歩くカルロスはなんとも頼もしい。しっかりとした足取りで腕を組む私を安心させてくれているようだった。


(なんて、毅然としているのだろう)


 ふと幼い日のことを思い出す。こんな目線に耐えていた気がするのだ。


『……たるもの、いつだって気高くなければ』


 これは誰に言われたのだったか。お母様に似た声で頭の中を反響している。


『常に前を向きなさい。貴方が下を向くのなら、心にやましいことがあると見做されるわ』


 ハッとする。突然前を向いたので、項垂れていた首に鈍い痛みが走った。


(やましくなんかない、私にやましいことなど、ひとつも)


『目線に意思を持ちなさい。威厳とは、言葉によって得られるものではないわ』


 私はスカーフをするりと取り去ると、周囲からどよめきが湧き起こった。


(綺麗なスカーフ、ローラが持たせてくれた)


 スカーフを首に巻いて、飾り結びをした。

 背筋を伸ばし、誰よりも気高く歩く。


(堂々とするのよ。やましいこともないのに、背中を丸めて顔を隠している方が、却って覗き込んで知りたくなるのが人間の心理なのだから)


 初めから堂々と晒していれば、私も諦めがつく。私が死んで生き返って、そして老婆になったという事実は変えられないのだから。


「…かっこいいじゃないか」

「貴方に恩義を返す時だもの」

「君、そんなに重たく考えていたのか?」

「あら。周りの声が聞こえないの?」


 ふいっと周囲を見回した長身のカルロスはものすごい威圧感だった。長じてから、こんなに間近で見上げるのは初めてかも知れない。


「お母様、じゃないわよね!?」「どう言う関係なの?」「カルロス様がご結婚された噂は本当なの!?」「なら、あのお婆さんがお相手!?」「えーっ!!嘘でしょう!?」「やだぁ!!」「まさか、そういうご趣味が…」「いやむしろ、きっと何か裏があるんじゃないか?」


 ふっと笑みをこぼしたカルロスは、よく聞こえるように大きな声で言った。


「あのような口さがない者達が何と言おうとも、僕は唯一君を愛している」


 長身を屈ませて、痩せこけた手を取ると、そこに口付けを一つ落とした。

 その瞬間、ひそひそ声は悲鳴に変わる。卒倒するご令嬢も現れて、紳士たちは、それを高みの見物とばかりに物珍しそうに見ている。


(なるほど、ならば今あの噂話をしていた人たちの中にカルロスの想い人はいないのね)


 辺りを見回す。

 倒れたり、悲鳴をあげているご令嬢は、カルロスと良く話していると言う理由で、私を以前からよく思っていない面々であることが確認できた。


(カルロスがどういう心境か分からないけれど、静観しているご令嬢の中にいるのかしら…)


 そう、例えば…


「これはこれは、カルロス殿」


 聞き感触のある声は、私に鳥肌を立たせた。


「…お久しぶりです。ロシュア殿」

「ああ、本当に久しぶりだ。前妻の葬儀以来かな」


(…この男、本当に…心から私を愛していたのではない。利用しようとしたのだわ)


 今ならはっきりと分かる。前妻の葬儀という物言いがあまりにも機械的で、心底どうでも良い他人事だと感じる。そこにいっさい感情の機微を感じられない。


(…そして、隣にいるのはジェニファーね)


 ロシュアの腕をしっかり取って、困ったような顔を私に向けている。まさか気付いたのかと思ったが…


(…まさかね)


 対するカルロスは、顔に出さないまでも、怒りが如実に伝わって来た。


「おや、こちらは?」


 私との間柄を不思議に思っている。屋敷に乗り込んで行ったのが、目の前の老婆であると結びつかないようだ。


(あの時より、ずっと綺麗にしてもらっているからかしら)


 長身の幼馴染を見上げると、にっこりと微笑んでから


「妻です。この度結婚することになりまして」


 と簡単に言ってのけた。

 ロシュアは碧眼を思い切り見開くと、大笑いしてカルロスの肩を叩いた。


「全くご冗談を!はははは!ああ…浮ついた話の一つも聞かないので、男色の気があるのではないかと心配していたのですが…それか、前妻に気があるのではないかと思ったこともありましたが…ね」

「…それはどうでしょうか」

「今度は本当に笑えない冗談だ」


 ヒリついた空気に、生唾を飲み込む。けれど、ロシュアがふっと息を漏らして、今度は柔らかい雰囲気に戻った。


「それで、こちらの方は?」

「ですから…」


 カルロスが言いかけた時、このパーティーの主催者であるノーマン公爵が中央の大きな階段から降りて来て、一気にそちらに視線が注がれた。


「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。ささやかではございますが、皆様に喜んでいただけるよう、ノーマン家が手掛けた新作のシャンパンをご用意いたしました」


 既に興味の方向が切り替わった男性陣とは対照的に、女性陣はいつまでも落ち着かない様子だった。

 毎年ノーマン家では新作のシャンパンを、ドトレスト家では新作のワインを試飲してもらうパーティーが好評なのだ。

 シャンパンやワインを手がけている貴族は沢山いるが、規模で言えばノーマン、ドトレストが圧倒的だと言えよう。

 今ではシャルマン家がワインを披露しているのだろうか。


「さて、本日お集まりいただいたのはシャンパンの試飲だけではありません。幼くして父君がお亡くなりになり、彼が立派に育つまで私が後継人を勤めたカルロス・スノウレスト殿が、奥方を迎えられました。私は父のような気持ちでカルロス君の門出に花を持たせてやりたいと、この場を借りて皆様にご紹介します。カルロス君、奥方、こちらへ」


 その言葉に会場のどよめきは一際大きなものとなる。

 ノーマン公爵は一切の動揺を見せず、優しい眼差しで私たちを招いた。


「この度、カルロス・スノウレストは、このミレーネ・ドトレストと婚姻しました」


 人々の呆けた顔が滑稽だった。ミレーネとはあの死んだミレーネのことか、とハテナが三つくらい浮かんでいる。

 そして全員の視線は、ゆっくりとロシュアへと注がれた。

 死に戻りが一度だけ自分の元を訪れたことを思い出したらしいロシュアはぶるぶると震えて、激昂した。


「ば、馬鹿な!!おか、おかしな事を!!ミレーネ・ドトレストだと!?あの女は十ヶ月前に死んだんだ!!!貴様、ついにおかしくなったのか!」


 会場のざわめきはどんどん大きくなる。ノーマン公爵はその者たちを大層つまらないものを見る目で見た。

 後ろで控えているノーマン公爵夫人も、一切表情を変えない。

 岩のようにどっしりと構え、気品に満ちた二人を、心から信頼できると感じた。

 その二人と同じくらい落ち着き払ってカルロスは言った。


「ミレーネ・ドトレストは死に戻りました」


(ちょっと、カルロス!どこまで言うつもり!?)


 ロシュアは前髪を乱して叫んだ。


「そんなことがあるわけないだろう!こんな茶番で私を騙すつもりか!?死者への冒涜だ!!」

「さあ…?ですが、この者はミレーネ・ドトレスト本人です」

「ミレーネは死んだ!!!なるほど、見たこともない老婆が来たと思ったら、いくらで雇った!!!」


 会場はしんと静まりかえる。誰かの緊張した息遣いだけが聞こえて来た。

 異様に長く感じられた一瞬の間を置いて、カルロスはノーマン公爵に向き直った。


「…最後に、快く紹介の時間を設けてくださったノーマン公爵に感謝申し上げます」

「とんでもない!天国で父君もさぞお喜びのことだろう。二人の門出に拍手を!」


 パチパチパチパチ、

 拍手をしているのは、ノーマン公爵と公爵夫人二人だけだった。

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