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ジェニファー・ルーベンスという少女

「ミレーネお姉様!見てください、私ミレーネお姉様の絵を描きました」


 懸命に駆け寄ってくるジェニファーは、画用紙をぴらぴらと靡かせながら私に抱きついた。


「ジェニファー!きちんとご挨拶するのが先だろう!」


 彼女の父親であるルーベンス侯爵は手厳しく娘を窘めた。

 一瞬肩をすくませたジェニファーは、年齢にそぐわないほど美しいカーテシーで挨拶した。


「お久しぶりでございます、ミレーネお姉様」

「ジェニーはいつも礼儀正しくてとても素敵よ。さあ、ぜひ描いた絵を見せて?」


 画用紙いっぱいに描かれた花。花畑だろうか。そこには、私と多分ジェニファーが仲良く手を繋いで笑っていた。


「ジェニーは絵も上手なのね。折角だから、お部屋に貼らせてもらうわ」

「…お願いが…あるの」

「あら、何かしら?」

「ミレーネお姉様の着れなくなったドレス、頂けない?」

「あらまあ!私のお古なんかじゃあなくて、ルーベンス侯爵に言って、新しく新調してもらえば…」

「違うの!私、ミレーネお姉様のが欲しいんだもの」


 くすっと笑って「良いわよ」と言ったと思う。なんて可愛らしいのかしら、と。


「去年のものが丁度着られなくなって新しく作ってもらったところなのよ。一枚と言わず、二枚でも三枚でも…」

「いいえ!そんなには頂けません…たかが私の描いた絵のお返しでおねだりしているのですから」

「あら、良いじゃない」

「良いのです!本当に…」


 変わった子だな、と思った。私としても、もう着られなくなったのだから貰ってくれるなら嬉しいのに、と。

 私の部屋に通して、クローゼットから一番気に入っていた淡い黄色のドレスを勧めた。ジェニファーはそれをぎゅうと大事に抱えると、いつまでも離さなかった。


(正直、彼女にはまだ大きいと思うけれど…)


 ジェニファーは、ルーベンス侯爵がお父様との商談の度に一緒に来て、私と一緒にティータイムを過ごしたりお人形遊びをした。

 彼女は、淡い黄色のドレスがすぐに着られるようになって、いつの間にか私の身長を追い越した。彼女は私よりも発育が早かったらしい。

 そして、来るたびにウサギのぬいぐるみや、私が使っていたリボン、もう履けなくなった靴や、使い古した羽ペンなどを欲しがった。

 私も可愛い妹ができたようで嬉しかったし、やっと欲しいものを得られたように喜ぶので微笑ましかったのだ。


 ある時、私は家族で夏のバカンスに、南国のリリメントへ行った。

 二週間の滞在で、私は少し日焼けした。肌のヒリつきは夏特有の思い出として、今でもよく覚えている。

 お母様とお揃いの白い帽子を被って、リリメントの街を散策していると、露天ですごく素敵な玻璃の細工を見つけた。


「お父様!これ素敵だわ!」

「本当だ。周りに乱反射しているな」


 母もまじまじとそれを見て、目を輝かせている。

 店主の男が、「それはサンキャッチャーと言って、ここいらの名産です」とにこやかに答えて私たちに勧めた。


「お父様、私これを二つ頂きたいわ」

「ふ、二つかい?」

「ええ、ジェニーにも買って、お揃いにしたいわ」

「う、うぅむ…」


 庶民が気軽に買えるような値段の土産物であるのに、この時の父はなぜか目が泳いでいた。


(どうしたんだろう、変なの)


 私は買ってもらった二つのサンキャッチャーがこの世界で一番素晴らしい宝物の様に思えて、帰路の馬車に揺られる度に壊れていないか心配で、トランクケースを開けて確認するほどだった。


「よっぽど気に入ったみたいね」

「ええ、お母様!これを寝室の窓に飾るの。あそこはよく陽が入るでしょう?」

「ふふ、私も時々見に行こうかしら」


 その日の午後、私達は屋敷に到着した。荷解きをしていると階下が賑やかだ。


(なんだろう)


 と思って覗くと、そこにはジェニファーとルーベンス侯爵夫人が来ていた。


「あっ!」


 私は嬉しくて階段を駆け降りた。ジェニファーが私を斜めに見上げる。

 彼女の前でカーテシーで挨拶して息を整える。興奮が抑えられない。


「ジェニー、お土産があるわ!こちらへいらっしゃい」

「あっ…えっと、お母様」


 ルーベンス侯爵夫人が頷いたので「さあ」とジェニファーを誘った。

 ぐいと引っ張った腕は細く、駆け上る階段は軽やかな足音でリズムを刻む。

 勢いよく開けた寝室にはサンキャッチャーの光が美しく斑らな模様を描いている。


「わ…きれい…」

「ふふ、ジェニーにも同じ物を買ったのよ。サンキャッチャーと言うのですって」


 ごそごそとトランクを漁って、紙で厳重に梱包されたそれを見つけると彼女に差し出した。


「外の光がよく入る窓辺に飾るのが良いのですって」

「ミレーネお姉様」

「寝室に飾ると、きっと朝日で目が覚めるわ。ちょっと素敵な一日が始まりそうじゃなくって?」

「ミレーネお姉様」

「夕陽もそれは綺麗なのだそうよ」

「…ミレーネお姉様。私はこれを頂けません」

「……え?…ええっと…」


 ジェニファーは俯いて、差し出した包みに目線を落としている。


「あ、ごめんなさい。こういうのはあまり好きじゃなかった?お揃いで使えたらって…」

「申し訳ありません」

「な、なによ…畏まって」


 まだ十に満たない少女が、急に大人びて見える。


「どうしたの、急に。いつも私のものを欲しがって…」

「違うのです。私は…私が欲しかったものは…っっっ!」


 この時初めて、目の前の少女が怖いと思った。

 そういえば、どうして今日はルーベンス侯爵がいないのだろう。夫人の方が来るなんて珍しい。夫婦伴ってならまだ分かるが。

 あの様子だと、お父様と事前に約束があるわけではないだろう。


 ジェニファーとルーベンス夫人は何をしに来たのか。


 私があげたドレスに、私があげたリボンと私があげた靴を履いた少女は、鋭い目線で私を見るとカーテシーで別れの挨拶をした。


「お邪魔いたしました。ミレーネ様」

「ジェニー…?」


 ジェニファー・ルーベンスを見たのは、これが最後である。

 父からは、ルーベンス侯爵が事業に失敗して、隣国の親戚の元で暮らしていると聞いているだけだ。


 ジェニファーが受け取らなかったサンキャッチャーは、包みを解くことなくクローゼットの奥深くで多分今も眠っている。

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