それぞれに、懊悩―Ⅰ
二人がアヤメのところを辞したところから、桑畑の中で蹲っていた影が距離を保ってついてきていた。
坊主合羽に菅笠、股引姿に脇差を挟んだ姿は町人だったが、腰を沈めて歩く癖は見る者が見れば武芸者のそれだと判る。
リンとヤクロウは別れた。少し悩んだようだが、その影はヤクロウを追いかけた。
(あの者の縁者だろうか)
気づかれないよう注意を払った甲斐があって宿まで判った。引き返そうとした時、
「なにがご用ですか?」
リンが、その背中に匕首を突きつけていた。
通りを行く者は気がつかない。小柄なリンが傘を差せば手元は死角になるし、追跡者の蓑に埋めるようにして突きつけているから、気づかれる筈もなかった。
「待て、害意のある者ではない」
「そうでしょうね。もしあったらクロウさんではなく私を追ったでしょうから。それで、どんなご用件ですか?」
なんという娘だ、と舌を巻いた。
どうやって気がついたのかは判らないが、追跡に気づいてわざと別れ、引き返して二重尾行をやってのけるとは。
それにしても冷静である。抑揚は世間話でもするように変化がなく、刃物を持った浮つきがまるでない。その気になれば背中を刺せるという優位に驕った様子すらもない。
「刃物を仕舞ってくれ。脅されて話すのは愉快ではない。手向かいはしない。こうも容易く命を握られてはなにをしても恥になる」
「おや、お武家さんでしたか。道理で探索が下手なわけですね」
匕首を鞘に納めた。男は不満顔でゆっくりと振り返ったが、自分の胸ほどの背丈しかないリンに改めて驚いた。
「この愛らしいお嬢さんのどこを通って、あんな小憎らしい言い様をするのか不思議だ」
笠の紐を解いて見せた顔は、三十を過ぎるところだろう。
「蕎麦も饅頭も食べましたし、アヤメさんにお茶ももらいましたから私は要りませんけど、話をするのなら喉を潤したいでしょう。通りを変えて空いている店を探しますか」
見た目に口を出した所為なのか、棘のある言い方で言うと、さっさと背を向けて歩き出した。
団子屋に入った。要らないと言った口で、入るなりいきなり団子を二つとほうじ茶を注文しだしたが、この体のどこに入るのか。
「同じものでいいですか?」
呆気に取られていると、まるで連れに言うようものだから、
「ああ。いや、茶だけでいい。甘味はあまり好きではない」
「ではほうじ茶を。さて、伺いましょうか」
苦笑したが、この娘の気安さはひどく話しやすい。まず名乗った。
「儂は大村カンエモン。そなたは儂を武家と言ったが、それは嬉しい勘違いよ。ただの奉公人に過ぎぬのでな」
「どこのお武家さんの、弟さんというところですか」
カンエモンはぎょっとした。
「何故わかる」
「私はよく知りませんが、部屋住まいの弟さんは肩身が狭いそうですね。養子の口がなければ家督を継いだ兄の機嫌を損ねないよう、慎ましく生きるしかないそうで」
「これ、口が過ぎる」
窘めたが、表情は苦笑している。何故だかこの娘から出る言葉には腹が立たない。
「まあ体よく使える身の上ということで間違いないですね。そこで、探索を申しつけられた、というところですか。目的はアヤメさんの刀ですね」
「驚いた。そなた、妖術師か?」
「考える方を磨いたんです。この非力さだと、それを磨くしか他の人についていくことは出来ないので」
カンエモンは、信じられないものを見る目でリンを見た。
「まだ、若いというのに。出来ている」
「どうも。それで、答え合わせはしてくれないんですか?」
そうだった、と頷いたところで団子と茶が運ばれてきた。湯気の立ち上る茶を一啜りして、
「他言無用で頼む。出来れば、お連れにも内緒だとありがたい」
「まあ、正直言って目的がアヤメさんなら私たちは関係ありませんからね。どうぞ」
カンエモンはまず、自分の身上から話した。
リンの推察は当たっている。霜の国の大名に仕える侍の次男坊で、剣を学んだものの同輩の間で殊更に秀でていたわけでもなく、勿論一流を拓くなど及びもつかない。医学者になろうとしたが、根気がなく投げ出してしまった。
兄に飼われているだけの無残な身分であり、そのことが兄弟の共通の悩みであったため、今回の役目を兄が進んで引き受けてきた。
役目とは、興を起こした主君の刀探しであった。
「ああ、やっぱり。ではアヤメさんの同僚が持ち出した刀を・・・・・・」
「左様。殿に近いお歴々の中には無用のことと止めたがっている方もおられたそうだが、何分にも殿様がお望みのことだ。もし持ち帰れば・・・・・・」
分家を立てることも叶うかもしれない、とカンエモンは鼻息荒く言う。
「そんな役目を、貴方が?」
「不審は当然。本当に殿様の仰せならこんな、役に立つかも判らぬ部屋住みに任せられる役目ではない。実はな、兄が近侍しているお方が殿の気落ちを察して・・・・・・」
要するに用命を受けたわけではなく、勝手に気を利かせて、ということらしい。
「なんとか足取りを追ってここまで辿り着いたものの、目的の男は病で死んだというではないか。まさか寡婦より形見を奪うわけにもいかず、途方に暮れてもう十日だ」
はあ、とリンは呆れとも感心ともつかないため息を吐いた。
いくらいい方法が浮かばないとはいえ、よくぞ十日もこの宿場町で潜伏しているし、自らの立身のためだというのにそんな良識が働いたものだ。
「それで十日もアヤメさんを尾行して?」
「う、む・・・・・・妙案が浮かばなくてな。見たところ、そなたは儂よりも余程知恵が回るようだ。なにか、良いやりようはないか?」
こちらは肩入れする事情などないのに、こう明け透けに問われると少し助言したくなる。リンはくすりと笑って、
「強盗に襲われたのは見ましたか?」
「いや、知らん。そうか、君たちが助けたのか。これはしくじった。もし儂が助けていればそれを恩に着せることも出来たろうに」
この男も、なかなか抜けている。
桑畑に蹲ってアヤメを見張ったものの、どうせ軽い外出だろうと追いかけず機を逸して、そのことを今更悔しがっている。
先程リンが見せた洞察力と胆力に比べれば、子供のようだ。
「強盗がアヤメさんから刀を奪ったところで、強盗から奪い返せば解決なのでは?」
「そんな愛らしい口から怖いことを言うものではない。あの者が無事ならば良いが、変に手向かいをしたり、強盗が無分別ならば殺されよう。いや、その前に・・・・・・」
と、自分でも良からぬ光景が浮かんだらしく必死に頭を振った。
「いやいや、まあ、婦人には悲しい目に遭うかもしれん。それを判っていながら知らぬふりは・・・・・・」
「ではすごすごと帰って、寡婦が哀れで見過ごしましたと、兄と主人に報告するんですか?」
むう、とカンエモンは黙ってしまった。
「なにより、あの人の腕は知っているんですか?」
「腕?」
リンは、もう呆れを通り越して笑った。
「あの人、少なくとももう五人も斬っているんですよ? 呉服屋での一件は聞いていないのですか?」
「ああ、そのことか。噂は尾ひれがつくものだからな、大方あの刀に恐れて逃げたのが誤って伝わったのだろう。あの者は炭焼き職人の子だ。裕福だったそうだが、剣などやったことはない。人など斬れるものではないさ」
暢気そうにカンエモンは笑った。
確かにリンとて実際に現場を見ていなければ同じ反応だったかもしれない。なまじ出自や経歴を調べているだけに、それが先入観になるのだろう。
リンは死体を調べてはいない。が、その一撃を十手で受け止めている。肌で、あの女の怖さを知っているが、それを言ったところでこの男は信じまい。
(笑われるのも愉快ではないし、放っておこう)
別に、この男も役目もリンにはどうでもいいことだ。用があるのはアヤメ自身よりも刀という点で、この男ともあの強盗とも共通している分、商売敵のような関係になる。
「それならそれでもいいです。私やクロウさんにも関係ないことですから」
「どうしたのだ、そんな冷たく。妙案を出してくれれば謝礼も出そう」
あのボロ宿に泊まっているのだ。金に困ることもあるだろう、と続けた。
別に困ってはいない。が、潤沢というわけでもないから、おそらくどこかで稼ぐ必要があるということはリンも思っていた。
「それにな、そなたさえ良ければ儂が取り立ててもよい。胆力があって知恵も回る。ひょっとしたら思わぬ軍師を拾ったかもしれんからな」
リンが馬鹿馬鹿しくなるほど、無邪気な笑いだった。
「そのお話なら断ります」
「連れの心配か? それなら無用よ。勿論二人揃って・・・・・・」
「ここの会計は頼みましたよ」
いよいよ時間の無駄だ、と席を立つ。慌ててカンエモンも鳥目を置いて続いた。
「いや、すまん。冗談ではなかったが、軽口だったのだ。許してくれ。助けて欲しいのは本当だ。儂ではなんの才覚も浮かばん」
傘を差して行こうとしたリンの袖を取った。
「そんなの私だってそうですよ。貴方のためになにかを考える義理もないのに」
振り払っていこうとしたが、カンエモンは意外としつこい。
「そう冷たいことを申すな。こうして人とまともに話すのは久しぶりなのだ。別に妙案など授けんでもよいから、少し話し相手になってくれ。悪しゅうはせぬ」
この男の可愛げなのだろう。明け透けにそう言われると、無碍にも出来ない。
リンが小娘なのも手伝って、カンエモンは自分の寂しさを明かした。これが女なら見栄も張りたくなるし、同性なら強がってもみるのだろう。そう思うと、いろいろとリンには面倒に思えた。
「なあ、おリンさん。あんたもなかなか苦労しているだろうが、儂も隠密でも飛脚でもないのに故郷を離れて一人で探索をしている。少し聞いてもらいたいだけなのだ」
「判りましたよ。その代わり、なにかしようとしたら十手で殴りますからね」
「それは心配ご無用だ。儂はそこまで数奇者ではない」
げし、と並んで歩こうとするカンエモンの膝裏に回し蹴りを食らわせた。