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刀で物語れ!  作者: お一
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白小袖の女と吸血刀-Ⅰ

 雨の国は、雨が降り止まない土地だ。

 とはいえ、あまり強くは降らない。一年の大抵は小雨程度で、小用ならいちいち傘を差さない町民もある。

 年中薄暗く、発展した都市以外では滅多に晴れることもないので陰気だった。

 旅人が多い。他の四国に境を隣接した唯一の国だから、宿場は意外と賑わっている。


「どうですか、着心地は」

 朝飯を食べながら、リンが問う。

 膳部越しの旅連れは、朝一番で調達してきた古着を着ている。湿気が多く、陽の差さない気候に対応した古着は、正直言って元の着物より着心地はいい。

 多少の擦り切れやほつれはあるが、どうせ旅人である。分相応であろう。


「綿が詰まっててちょっと暑いな。それ以外はいい」

「ないよりはいいでしょう? 私なんかほら、この通りなのに」

 ひょい、と片腕を上げる。

 リンは火消しのような法被姿である。それを片肌脱ぎだから、対照的に肌寒そうだった。国許からのこの格好は、本人なりの洒落っ気なのだろう。


「どうせ蓑を被れば気にならねえよ」

「この程度だからついでに傘も買ってきました。町を見て回るんでしょう?」

「おい、ついてくる気か? 冗談じゃねえ。お前に監視される覚えはねえぞ」

 一瞬で不機嫌な顔になった男を見て、リンは冷ややかに笑った。


「監視って、そんな値打ちもないでしょう? クロウさんが慣れない人里で困ったら助けてやろうっていう、ちょっとした親切ですよ」

 人を妖怪変化のように、という言葉を飲み込んだ。師について深山で修行して成人した身からすれば、確かに人の多いところは気後れする。そういう意味では、妖怪や狐狸と大差ない。

「それで、やっぱり宿を変えるんですか? ご飯は美味しいのに」

 そこを悩んでいたところだ。


 リンはともかく、半生を山小屋で過ごした賤しい出生からすれば、畳の色や臭いくらいはそれほど気にならない。寧ろ夜食と朝食の旨さに驚いて、次の宿はおそらく上がるだろうということも踏まえれば、特段の不満でもないのである。


「確かにひどい宿ですけどね、その分お安いんですから、我慢しどこじゃないですか?」

「さっさと食え。出るんなら早い方がいい」

 取り敢えず棚上げにしておくことにした。

 残ったメザシを麦飯に乗せ、汁を掛けて掻き込む。なんとも行儀の悪い食べ様に苦笑したが、面白そうだから真似て掻き込んでみた。別々に食べた方がよかった。


「せっかく美味しいのになんで台無しにするような食べ方をするのかが判らない」

 草履を履く時まで後ろについて言ってくるのがうるさい。

 無視して表へ出る。リンの買ってきた傘を差して、昨夜の番小屋に借りた傘を返しに行った。

 呉れてやったつもりの傘をわざわざ返しに来た律儀さに驚くと共に、まったく同じ柄の傘を差す様子に老爺は笑った。


「仲の睦まじいことですな」

 引き返して通りへ出るまで、リンはふくれ面だった。

「どうしたってんだ、役者か死体の真似事か?」

 リンに倣って悪口で返してみたが、あまりの品のなさに笑われた。


「違いますよ、あのご老人、きっと親子か兄妹みたいに思ったでしょう。そりゃ背は低いですけどね、ほら、あそこの娘さんと同じなんですよ、私」

 指を差した娘は、傘越しに見ても比べ物にならない。特に腰のあたりの肉のつき方など、十は離れているように見えた。


「そんなことか。俺なんかの女房に見られるよりいいだろう」

「え? 私、クロウさんのこと結構好きですよ。別に夫婦になりたいとは思いませんけど」

 まったく、掴みどころがない。不思議そうに見上げる額を指で小突いて、


「かんざしでも買ってやろうか?」

「どうせなら代えの晒が欲しいですね」

 やはりどうも、簡単に可愛げを感じられないようだ。


 この街の通りは広い。傘を差しても往来が邪魔にならないようという配慮でもあり、道に茣蓙を敷いて古市が立つというのが難しいためでもある。

 雨はさまざまな弊害を持つが故に、その独特な風土に見合った文化を形成している。あまり雨の降らない土地に生まれた二人は、その様子がいちいち物珍しいので特に買う物もないのにくどいほど見て回った。


「面白かったですねえ」

 昼時になって、近くの蕎麦屋で寛ぎながらリンが笑った。

 確かに面白い。旅人が多いからそれに向けた商品も多く、特に防水防塵を第一に考えた品物は形からして変わっていて、必要性を実感するまでは避ける決意を固めたものの、ひどく目を引いた。

 旅の必需品以外は買う予定はなかったが、保存食は随分買わされてしまった。


「そんなもんじゃ、道々で腐るよ」

 国許で仕入れたものと同じものを買おうとしたら、そう止められた。季節柄そこまで気温が落ちないのに湿度が常に高いから、保存食自体も保存容器にも気を遣わないとすぐ傷むという。

 なるほど、と思って乗せられて、気がついた時には荷物になるほど買わされていた。


「俺は、なんか一杯食わされたような気分だ」

「あれ、もう二杯目ですか? 私はこのタヌキそばで止めようと思ってるんですけど」

 雨で薄暗い外と違って、温かな灯のある店内は居心地がよく、向かい合わせで座るリンも機嫌がいい。

 はしゃいでいるのか無邪気なのか、いまいち判断のつかないことを言って七味を掛ける。


「かけそば食ってる奴の真ん前でよくそんなもんを・・・・・・」

「なに言ってるんです。持ち出したお金はまだまだあるんだから、好きでかけそばにしたんでしょう? それをいちいち・・・・・・」

 と、七味を振る手が止まった。

 箸で持ち上げたそばを一啜りして顔を上げてから、リンの変化に気がついた。


「どうした?」

 止まっている。手だけでなく、体全体が停止して、目だけが隣の席を窺っていた。

「リン?」

「あの人、どう思います?」

 顔を向けると、女が座るところだった。


 ぞっとするほどの美しさは、魔性の者のよう。濡れていない筈の黒髪はそう思わせるほど艶やかで、長い睫毛の伏せる様子は息を呑む。肌はあまりにも白く血の気を感じないほど。ただ、下がった目尻がどことなく緩い雰囲気を出していた。

 気がつくと、店が静かになっていた。


(まあ、これだけ美人なら・・・・・・?)

 見回してみると、視線は確かにこの女に集まっているが、あまり好意的なものでないことは表情で察せられた。勿論好色な類のものでもない。

 厄介者を見る目だった。誰も言葉を発しないのは、自分の声を女の耳に入れたくないのかもしれない。


 白い小袖に見合わないものが腰に差してある。わざわざそれを差すためだけに、帯の下の腰の辺りに紐を巻いているようだ。

 白鞘に収められた刀だった。


「かやくを」

 顔のいい女は声もいい。蚊の鳴くような小声の筈なのに、妙によく通る。色気のある高い声だった。

「確かにそそるな」

 思わず口を吐いた独り言が、その声の直後なだけに本人にさえ耳障りに感じられた。


 待つほどもなく、店員が椀を持ってきた。顔と声に気を取られていてなにを注文したのか聞いていなかったが、炊き込みご飯だった。


「美味そうだ。俺も同じのを」

 さっさと戻ろうとする店員を呼び止めて注文する。視線を戻すと、リンはまだ止まっていた。

「どうした、伸びるぞ?」

「ああ、それはまずい。せっかく美味しいのに」

 七味の瓶を置いて蕎麦を啜るが、どうも心ここにあらずといった様子である。


 首を傾げた時、隣の席の女と同じ椀が運ばれてきた。空になったかけそばの容器を渡し、米を掻き込んだ。

 美味い。出汁がよく効いていて、大きめに刻んだ牛蒡と舞茸の食感もいい。満足して空になった椀を置く。

 隣を見ると、眠そうなほど細めた目で、町人とは思えないほど上品に箸を運んでいた。


(いや、町人じゃないのか。けど、刀は差してるのに脇差もないし、そもそも白鞘で出歩くか?)

 不思議な女である。その容貌が美しいことも相まって、つい視線が向く。

 リンに箸でつつかれてようやく目線を外したが、その直前、


「・・・・・・」

 不意に顔を向けられた。

 無遠慮な視線への抗議もなければ旅人に対する不審もなかった。目尻の下がった、細められた目はなにも見つめていないようにさえ思われた。迂鈍なのかもしれないが、幽霊を見ているような気分になった。

 女はさっさと食べ終えると、金を置いて店を出た。その間、大衆向けの安い蕎麦屋の筈なのに水を打ったように静まり返っていた。


「あれ、生きてるのかね? お前もそこが気になったのか?」

「食べ終わりましたね、クロウさん。じゃあ尾けてください。私は店の人に話を聞いてから追いかけます」

「はあ?」

 箸を置いて、慌ただしく勘定を済ませる。


 愚鈍な亭主を叩き出す鬼嫁のように、

「早くっ」

 急きたてられて尻をからげるようにして追いかける。店先に差してあった傘を取って、広げるよりも先に女の後姿を探した。


 すぐに見つかった。肩に柄を持たせかけるような姿だから上半身は隠れているが、腰の白鞘で判別がつく。離れないように同じ方向へ歩くが、意外に往来が多い。気をつけなければ雑踏に紛れてしまいそうだ。


(リンの知り合いか? なんか、旅人でもなさそうだし)

 寧ろこの宿場の人間はあらかじめ知っているような様子だったが、それなら今日ここへ来たばかりのリンが知っている筈はない。

 考えてもおそらく判らないだろう。頭は良い方ではない。


 それよりも雨が強くなってきた。見失わないよう足を速めるが、往来の人も強くなった雨を避けるために方向を変えだしたりして、時々見えなくなる。

(あいつ、追いかけるったって俺がどっちに行ったかも判らねえのにどうすんだ。雨も強くなって・・・・・・)

 一瞬、そんな余計なことを考えた所為だろうか。見失っていた。


「・・・・・・ありゃりゃ」

 これでは子供の使いも出来ないと言われても反論出来ない。また、あの悪気も容赦もない言い様で文句を言われるのかと思うと憂鬱になった。

「ん、と・・・・・・」

 とにかくこの強くなった雨を避けたい。もう見失ってしまった以上、この視界の悪さでは人波が絶えたとしてももう一度見つけるのは不可能だろう。


 適当な茶店でもあればいいのだが、まだ昼を少し回った辺りだというのにどの店も仕舞い支度をし始めている。

「ご苦労様です、どうですか?」

 ぽん、と背中を叩かれる。意外なほど早くリンが追いついたようだ。


「あ、悪い。見失った」

 雨を避け始めた人の中で、ぽつんと立ち尽くした様子に察しはついていたのか、リンは苦笑した。

「まあ運も悪かったみたいですしね。これから一刻(二時間)ほど強く降るみたいです。仕方ないですね」

「すまん」

 責められないとかえってバツが悪い。取り敢えず適当な建物の軒下で雨を避けることにした。


「あれは、霜の国の吸血刀ですね」

 ひょい、と懐から出したのだろう饅頭を二つに裂いて、片方を渡しながら言った。

「隣だな。うん? それってお前が探してるやつ?」

「いえ。興味のある一口ではありますけど」


 稀代の刀工、深川ガンテツには四人の弟子があった。

 それぞれ、ソウテツ、シンテツ、レンテツ、メイテツといい、主要四か国に散って師の教えとそれぞれに見つけた境地を活かして刀を作っている。

 名工ガンテツは既にこの世になく、先年の冬に四番目の弟子であるメイテツも戦によって命を落としてから、刀の価値が上がっている。名工の弟子の作ともなれば、国主ですら欲しがる品であった。


「それっていつ作られたやつ?」

「もう十年くらい前ですかね。一度手に取ったこともあるので、そのくらいの齢の作刀なら見るだけでも判ります」

「判りますったって、拵えしか見えなかったしなあ。しかも白鞘じゃ、判るのは長さくらいのもんだ。それを信じるの?」


「私は、刀の声が聞こえますからね」

 にやりと笑って饅頭を頬張る。

「ちなみに買おうと思ったらどのくらいする?」

「まあ田んぼの十や二十じゃ効かないんじゃないですかね」


「刀を売るだけでいきなり大地主だ。そんなもん持ってたらとっくに売っ払って、こんな宿場に居ないんじゃないか?」

 判ってないですね、とリンは笑った。

「水飲み百姓の汚い飯茶碗が実は名器で、お墨付きを貰えればたちまちにやんごとない方からお声の掛かるものですよ。誰が持ってたって不思議はありません。勿論、由来次第だとは思いますけどね」


「そんなもんか。まあなんにしても物騒な銘だな、血を吸う刀って」

「ガンテツと弟子は刀にそれぞれ名前をつけて刻むのが通例なんですが、さすがにそれは異名ですよ。本来の銘は赤口です。あれは、手にした人間が次々に人を殺めたというのでそんな異名がついたんです」

 ますます気味が悪い、と嘆息して饅頭を口に運んだ。


「お前、これどこで買ったの?」

「クロウさんを追いかける途中で、美味しそうだったので買っておきました。急ぎだったので一個だけを。それを分けたんですから、もう少し美味しそうに食べてくださいよ」

 血相を変えて尾行を言いつけたくせに、当人はなんと余裕のあることだろう。


「俺、どうせだったらこしあんが良かったな」

「またそういうことを言う。つぶあんだろうがこしあんだろうが、同じあんこでしょう。クロウさんは物事の好き嫌いが多すぎるんですよ。口に入れて甘いんだから、充分満足じゃないですか」

 饅頭程度は三口もあれば食べ終わる。なんとなく、入っているあんこがリンの方に偏っていたのではないかと思わなくもなかった。


「これからどうする? ああ、店主とかに話を訊いたんだったか?」

「ええ。あの人の名前と住んでるところは判りました。別に急ぎでもないし、この雨です。宿に引き取って、花札でもして遊びますか」

「身内で博打しても面白くもねえ」

「クロウさん、弱いですもんねえ」

 思わず小突きたくなるにやけ面だが、事実なので言い返せない。


 店や家の軒下を通って宿まで戻ることにした。飯も食い終わってしまうと、あの陰気なぼろ宿の良さが全てないようなものなので、あまり気乗りはしなかったが。

「ちょい待ち」

 不意に立ち止まった。リンを手で制して、鼻を鳴らした。


「どうしました?」

「血の臭いがする」

 この雨で、とリンが首を傾げた。

「遠いのは確かに消えるが、近いと余計に臭うものさ、雨ってのはな」

 いろんな方向へ顔を向け、臭いの元を探り、やがて、


「こっちだ」

 傘を捨てて駆け出した。強い雨があっという間に全身を濡らし、せっかく買った古着も水を含んで重くなった。

 リンは一応傘を差して続いたが、走りづらい。走ると視野が狭くなるが、その狭くなった視野の隅を更に覆う傘はひどく邪魔くさかった。


「多分こっち」

 と、小さな路地に体を滑り込ませ、さっさと行ってしまう。半身にならなければ通れない狭さだから、傘は邪魔だろう。ため息を吐いて続いた。

 不思議なことに、路地を抜けると雨脚が急に弱くなった。場所によって降水量が大きく変わるのが、この雨の国の風土だと聞いたが、こう実感すると不思議なものだ。


「ちょっとクロウさん、私は確かに手先ですけど、他の国の揉め事に関わろうなんて」

 また立ち止まって見回す背中に抗議してみるも、聞いていない。またさっさと走り出した。

「もうっ」

 通りに出たから傘を差して追う。前を行く背中は、額から雨が滴って邪魔なのだろう。横殴りに目の辺りを拭った。


(子供のような人だなあ)

 夢中になると周りの全てがどうでもよくなるらしい。或いはそれは、集中力が並外れているということでもあるのかもしれない。


 その背中が、不意に立ち止まった。

 危うくぶつかりそうになって止まり、傘を差しだす。

「ちょっと、持ってくださいよ。私の背じゃ・・・・・・」


 やたらに高い頭の位置に合わせようと背伸びした時、その光景は目に入った。

 目当てにしていた白小袖の女が、昨夜襲ってきた強盗に襲われていた。

「これ、は・・・・・・」

 倒れた仲間らしき男から、血の臭いが立ち上っていた。


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