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刀で物語れ!  作者: お一
2/14

  〃  -Ⅱ

 随分流されて、川辺の草を掴んで止まり、なんとか川から這い上がる。

「おお、天の助け!」


 土手を上がると灯りが見えた。どうやら屋台らしい。雨の中にぼんやりと浮かんだ灯りは多少不気味ではあったが、水を含んで冷たく重くなった衣服を脱いで温かいものが食べられたら、この際キツネでもタヌキでもいい。


「まだやってる?」

 店主は愛想のいい四十過ぎの男で、濡れた姿に同情して自分の足元の火鉢を寄せてくれた。味噌汁を食わせてくれる屋台らしい。三杯ほど注文して、出来上がるまでに褌姿になり、濡れた衣服を絞った。


「あんた、牢人かい?」

 牢人は、主家を離れた武家を指す。浪人は町民のことだ。

 腰に差した両刀をさっさと引き抜いて素っ裸になる姿は、とても主家のある奉公人とも思われず、かといって鳴るような筋骨の発達は町民とは思えない。


「ああ、ちゃんと金はあるよ。さすがに食い物を追加するほどの元気はないがね」

 懐事情を測る質問だと思ったのだろう。確かに紐でまとめた銅銭は味噌汁の三杯程度は苦もない塊だが、不思議ではある。


 牢人が武芸を売って物持に近づいて、その援助を受けるという話はなくはない。だがその類にしては雨具を持ち合わせておらず、ぼちぼち店仕舞を考えていた夜分に濡れ鼠とは、いったいどういう事情なのか。

 屋台の長椅子に絞った着物を並べ、火鉢を移動して乾かす。よく見れば息が切れている。


 強盗に追われて走り通しで、その上に川を流されたのだからわき腹が痛いのも当然だが、そんな悲惨さを感じさせない明るさがあって、事情はやはり推し量れない。


「ああ、ここに居たんですか」

 すっと、油を染み込ませて水を弾くように加工した垂れ幕を捲り、入ってきた者がある。ちゃんと笠も蓑も被っている。雨の滴るそれを手早く脱いだ姿は、十四、五という具合の小柄な少女だった。


「よく来やがったな薄情者。一目散に逃げやがって」

「馬鹿正直に宿場へ走ったクロウさんの方が間抜けなんですよ。あんな時は林の中でやり過ごして、後ろから順番に片付ければ済む話なのに」


 長椅子で乾かしていた着物をさっさと丸めて隅にやり、隣へ座る。二つ目の椀を啜っていた男の脇から手を伸ばして、三つ目の椀を奪い取る。

「あ、てめえそいつは!」

「甘い白味噌ですねえ、もう一つ頂けますか。お代はこの人につけてください」


「なんで給金の出ねえ俺が持つんだ、てめえの分はてめえで払えよ、そうやってここまで来ただろうが」

「誰かさんのおかげで一枚呉れてやりましたし、命の恩人でしょう? 味噌汁の一杯くらいでどうたら言わないでくださいよ」

「助けたのもそっちの事情じゃねえか。純粋な親切心なら味噌汁どころか煙管の一つや二つも呉れてやらあ」

 事情は相変わらずさっぱりだが、屋台でも店先で口喧嘩をされるのは迷惑である。


「ネギも刻んで入れてやるから、二人ともちょっと静かにしてくれよ。痴話喧嘩なんて見せられても面白くもない」

「あら、そう見えます?」

 照れたように笑いながら舌を出す娘とは違って、男はいよいよ苦り切って、


「こんなちんちくりんと連れ合いとは、笑い者だよ」

「色の好みのうるさい男は大物になれないって、うちの親父が言ってましたよ」

 どうやらこの二人は口の立つ娘の方が強いらしい。


「連れ立って旅かい? 芸でも売る?」

「いやあ、この人は縁があったらどこかに仕官でもしたいって言ってるんですけどね、何分世間知らずなもんで、そんな簡単に出来たら誰も職に困らないでしょって」


「おうおう、眩しい話だねえ。確かに誰ぞに召し抱えられたら一生安泰だろうさ、まあそう心配するこたぁねえ。なにせこの体だ。きっとすぐに噂になるさ」

 客商売は口がうまくないといけない。世辞の類はいちいち考えなくても勝手に口が動いてくれる。それだけに物言いは軽薄だが、満更嘘でもない。


 両刀を差す者が店先で脱ぐなり放り出したままなどとは、余程の放胆か間抜けである。腕はともかくこれだけの変わり者ならすぐに噂になるだろう。

「俺なんぞには判らない話だが、武芸を売るってなったら危ないんだろう? なにやら聞いてると誰ぞに追いかけられたらしいじゃないか。まさか捕り物じゃあるまいね?」


 もしもその類だとしたら、もう一杯馳走してやるつもりだった。味噌汁で足止めして、隙を見て奉行所に走れば謝礼が出るだろう。町人らしい考えだが、この娘にはそれが透かすように読めるらしい。

「国境いまで追っかけてくる役人なんてよっぽどの肝でしょう。そんな人に追いかけられてて暢気に汁なんて啜ってられませんよ。盗賊ですよ。この辺は物騒ですねえ」


「ああ、それで。笠も蓑も放り出して逃げてきたってことか。なんかこう、返り討ちに出来ないもんなのかい? こんな立派な体で」

「親爺、いいから白味噌の汁を二杯、ちゃっちゃと淹れてくれ」

 ここへ駆けこんだ時の上機嫌はどこへやら、苦り切ってそっぽを向いたまま催促した。


「ええ、へいへい。ただいま」

 愛想よく頷いて用意する。

 愛想が良い店主の多くは話好きで好奇心も強い。どうやら娘の方は機嫌がいい限り話してくれそうだから、寧ろ気持ち多めで仕上げた。


「あ、ネギもおまけしてくださいよ。もう喧嘩しませんから」

 なかなかちゃっかりした娘である。苦笑してネギも刻んで入れてやる。

「あら美味しそう。いただきます」

「俺の方にはないのか。ま、別に好きでもないからいいけどね」

 男の方は片手で熱燗でも飲むように、娘の方は両手で顔の前まで持っていき、息を吹きかけて啜った。


「まあ最近は刀が高いらしいからねえ。いいもの差してりゃ狙ってくださいってなもんだろうけど」

 言いかけた言葉を飲み込んだ。

 狙われるほどの名刀を差すにしては、盗賊風情に逃げる腕で世過ぎが出来るだろうかと、正直な感想だった。まさか客商売でそこまで言うわけにもいかず、なんとか一拍でつけ加えた。

「そんなにいい刀かい? その割りにぞんざいな感じだけど」


「そうなんですよ。罰当たりでしょう?」

「大根も切れない刀がいいものなわけあるかい」

 いよいよ苦り切る男の様子は、あまり愉快でない話題らしいのだが娘の方はますます機嫌がよくなる。


「私はね、この人にこの刀を譲ってもらいたくてついてきたんですよ。火の国のヤイズってところからなんですけどね」

「ああ、ごめんよ。国から出たことはないもんで、それがどこかも判らねえや。まあでも火の国ってのはお隣だろう? まあまあ、ご苦労なことだ」


 和やかではあったが、この娘もなかなか手強い。井戸端で噂し合う町人の嫁たちのように軽快なのに、核心的なことは何一つとして口にしない。

 結局その汁椀を空にしたところで、二人は去っていった。


「もう少し川下に橋があってね、そこを渡って半丁(五十メートル程度)もいけばちゃんとした街になるよ。今から取れる宿があるかは知らんけど」

 男は淡白に、娘は丁寧に礼を言って、教えられた方向へ小走りに駆け去った。雨はまだ降っている。というよりも、この雨は止まない。そのことを教えてやってないことに気がついたが、


(まあ知ってるだろう、そのくらい。盗賊とやらに因縁をつけられる前に店仕舞いするか)

 奇妙というほどでもない。変わってはいるが、旅人ならあんな類も居るだろう。宿場町の外れで商売をしていると偶に会う。が、不思議と記憶に残る二人だった。


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