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刀で物語れ!  作者: お一
13/14

  〃  -Ⅲ

 右足を僅かに踏み出し、左腰を引いて鯉口を切った。

(この刀で)

 斬れるか、という疑問はある。なにしろ最愛の師を、その死の間際に苦痛から解き放つことの出来なかった刀である。

 が、予感がある。こういう時の予感は当たるのだ。この剣で、斬らねばならない。


「今日なら斬れるでしょうね、あの刀でも」

 邪魔にならないよう、リンは少し身を伏せて、顔だけ覗かせて丘の上の二人を見ている。カンエモンにも同じ姿勢を取らせた。声は、風向きもあって届くまい。

「あの刀? 鈍らなのか?」

「ええ。クロウさんが気乗りしない時ならね」


 訝しげにカンエモンがリンを振り返ったが、視線だけでそれを咎めた。

 ヤクロウが抜いた。鞘走った音がここまで聞こえそうなほど、勢いよく。

「深川ガンテツ四番目の弟子、作刀の全てが命を持つようだと謳われた、深川メイテツの最後の作」

 薄雲が途切れ、陽が差した。

 きらり、とヤクロウの刀が光った。


「銘を『映心』。別名は、ココロガマエの太刀」

 刀身はひどく薄い。反りも浅い。刃紋は直刃。鋭利という言葉を描いたように如何にも斬れそうだが、なにか、湯気のようなものが立ち上っているように見えた。

「あの、刀・・・・・・」


「魔性を持つ刀は他にもあるということです。奇妙なことにあの刀は、持ち主の心が定まっていなければ大根を切ることも叶わないという、珍品ですよ」

 そんなことがあるのだろうか、とカンエモンは目を凝らしてヤクロウの刀を見た。

 身が細すぎる。確かにあれだけ細ければ安定を欠き、並の使い手でも、いや達人であっても心に乱れがあっては打ちが乱れてしまいそうだ。


「さて、と」

 ヤクロウが中段に構える。アヤメは、生気のない瞳でヤクロウの姿を捉えると、向き直って小首を右に傾げた。

(左肩に・・・・・・)

 血が、白い小袖に滲んでいる。おそらく絶命する間際に、あの男にやられたのだろう。そして苦悶のあまり襟首を掴まれたらしく、首元が乱れている。


 胸の二つの丸みが中ほどまで露わになり、その谷間に赤い血が糸を垂らしていた。

 刀を持つ右手をだらんと垂らし、目は死人のように虚ろである。ヤクロウを斬る相手と認めたのか、右手が少し持ち上がって、刃を見せつけるように斜めに上げた。

「・・・・・・」


 じりじりと、ヤクロウが歩を進める。一足では踏み込まない。それをした時、死骸になるのは自分だと確信している。

 ゆっくりと詰まる。傍観者の二人にはその詰まり方が、呼吸を忘れるほどに息苦しかったが、誰よりもその苦しさを味わっているのはヤクロウ本人であった。

 やがて、詰まった。二人の刀の長さは双子のように同じ、二尺四寸。中段の切っ先がアヤメの小袖に触れようかという具合にまで詰まった瞬間、ヤクロウは振り被った。


 瞬間、いったいいつ腕を上げたのか。そう思わせるほどの速さでアヤメの剣が振ってきた。大胆にも片手打ちである。面上ではなく肩口を斜めに斬る軌跡で刃が振るわれた。

「ぐ、く・・・・・・!」

 半歩退いて、ヤクロウがそれを避ける。反射ではない。あらかじめ予期していなければ出来ない反応だった。

 そのままヤクロウは踏み込まず、アヤメではなく刀とその手を注視して停止した。

 すると、ようやく外れたことを意識したように、アヤメが刀を引いた。


(なに・・・・・・?)

 また、元の構えに戻った。ヤクロウは訝しげにアヤメの全身を見た。攻撃の気配は、まるでなかった。

 実のところ、ヤクロウはアヤメの攻撃を二段構えのものであると考えていた。


 まずは一撃目。それで斬れればよし。雨中で彼女が斬った一人目の強盗はおそらくそれで絶命した筈だ。が、先刻見た首領の男の致命傷は胴だった。おそらく一度見た彼女の打ちを予期して躱したところ、太刀筋を違えず打ちが変化して腹を切られたのだろう。


 つまり、アヤメの攻撃は二段ある。信じがたいことだが、片手打ちで腰を入れなければその打ちの変化はあり得る。全身が傾斜せず、利き手である右側にのみ注力し、途中で打ちを変化させるのだ。

 それで人体を斬れるわけもなく、況してや骨まで断つなど出来る筈もないが、出来てしまうほど、あの刀は切れ味が鋭いということなのだろう。そう予期して一撃を避け、続く変化に身構えたが、それが来ない。


 当てが外れた。どうなっているのだろうと首を傾げた瞬間、アヤメが踏み込んできた。

「っ!」

 が、遅い。当然であろう。半生を棒振りと間合いの計測、更にそれを詰める足技に費やしてきたヤクロウとは比べるべくもない。

 迫る刃を身を捻って避けたが、打ちの遅さと踏み込みの鈍さにも関わらず、ひどく避けづらい。無理に体を捻ったため、とても反撃出来ず、跳び違えて間合いから離脱した。


(ああ、今度こそ・・・・・・!)

 判った、と心の中で頷き、同時に深く戦慄した。背中に、汗が流れた。

(この人、物体が斬れる最適の角度を目で捉えたら、そこに反射で斬りかかってくるんだ)

 ただの推測だった。が、こういう真剣の場で相手を観察して組み立てた推論は、たとえ外れていても信じるしかない。もしそうなら、これほど避けづらく防ぎがたい攻撃はない。


 重要なのは、アヤメが考えて打ち込んでいるわけではないということだ。自動である。顔面に石が飛んでくれば目を閉じるのが反射であり、アヤメの打ち込みはその類のもの。

 いったいどんな修練か、そうでなければ才能とさえ呼ぶのも憚られる異能であろう、どんな人生の末に得たものかは知らないが、反射ならば読みも効かない。


 相手の呼吸を測ることさえ無駄だろう。たとえ呼吸を外そうとも避けも防ぎも容易でないなら無理な打ちでも反撃は叶わない。こうとなれば、相手の打ちよりも早く打ち込み、斬るしかない。

(ひどい話だ。後手も先手もないなんて。後手を狙えば先に向こうが、先に踏み込んでも後手の向こうが踏み込みに合わせて斬ってくる)

 反射だから、常に攻撃側よりも一手早い。真剣での戦いは究極のところ、相手よりも早く相手の体に刃を食いこませればいいのだ。全ての技術は、その結果の前にひれ伏す。


 なにやら剣の深淵を見た気分だった。あの牛のように鈍い女に、何故こんな鋭い観察眼と反射能力があるのか。

(いや、だからこそか。聞いたことがある。射撃バカってやつだ)

 理屈はいい。重要なのは倒すには、反射の勝負をするしかないということだ。そのためには、頭を空にしなければならない。


 師の剣境では、それを『虚に落ちる』と表す。ヤクロウは半分目を閉じた。なにも見ないようにし、すり足で距離を詰める。構えは、さっきと同じく中段である。

「あの男、急に萎んだぞ・・・・・・?」

 カンエモン、多少は心得があるらしい。リンを振り返った。さすがにリンはその道には素人である。訊き返した。


「気根が萎える、ということですか?」

「ああ。さっきまでは体も倍ほどに見えたが、今は小さい。死ぬぞ、あの男」

 リンが、思わず飛び掛かろうとしたが、そういう自分に気がついてなんとか草を握って耐えた。


 何故自分は行かないのか。二人がかりで取り押さえないのはどうしてだろうか。決まっている。二人で掛かれば取り押さえても片方は斬られるからだ。その時、確率は半々だ。が、斬った瞬間なら自分は必ず無事である。

 いや、そんな理屈ではないのだ。それよりももっと残酷な好奇心。


 見たかった。この目で。アヤメの手にする赤口の切れ味と名人に師事したヤクロウの腕。そのどちらかを必ず目に収めたい。

 そういう自分に辟易した時、二人は動いた。

 互いに反射に懸けている。先手が後手と同義であろう。判っていながら、先に動いたのはヤクロウだった。


 額の汗が鼻頭へ向かって流れた。たったそれだけの動揺が、ヤクロウの張り詰めた神経を刺激した。

 中段の構えのまま、思わず刀を振った。その瞬間、アヤメの腕は自動で動いた。

「っ!」


 ヤクロウの反射が、自分の不覚に動いた。ただし、腕ではなく足であった。

 地を蹴って後方へ跳び退いて離脱。目の下が、頬に向かって斜めに切れていた。幸い、跳び退いたおかげで然程に深くはないようだ。血が一筋顎に向かって垂れた。


(俺は・・・・・・!)

 なんと不出来なのか、と自分を叱った。

 元より無理な作業ではある。感覚を研ぎ澄ませながらその感覚を受容する器官の動きを意図的に止めるなど、容易に出来れば人の域ではあるまい。


 雑念を空に溶けさせ、心を限りなく軽くしなければならないが、どうしてもちらつくのは死への恐怖である。同じくらい、相手の命を奪う恐れもあったが。

(そうか、これを飲み込んでこその・・・・・・)

 判った気がした。この切所にあって学び、なにがしかを体得しようとするこの男もまた、異常者である。


(俺は死ぬ。相手も死ぬ。それでいいんだ)

 それが正常なのだ。

 ほんの一瞬、生まれてから今日までの記憶が頭の裏を掠めていったが、次に目を半分閉じた時、ヤクロウは真に『虚に落ち』た。

 その変わりようは、カンエモンの目からも見えた。


「消えた・・・・・・?」

「はい?」

「あ、いや・・・・・・あそこに居るな。居るのに、まるで・・・・・・」

 幽霊のようだ、と身を震わせた。


 ヤクロウは同じように歩みを進める。構えはまたも中段であった。

 ゆっくりと進む。傍観者の二人にとって息詰まる瞬間は、これで最後だった。

「・・・・・・」

 先手は、またもヤクロウ。剣尖が僅かに下がった瞬間、即ちヤクロウの右肩が僅かに沈んだその場所に向けて、アヤメが反射で反応した。


 振りかぶった刃が落ちてくる。ヤクロウの右肩へ向けて落ちる、その瞬間、

「ジャ・・・・・・!」

 きらり、と刃が煌めいた。雲間から差した陽に、反転した刃が光を跳ね返したようだ。

 どさり、と落ちたのはアヤメの右手首だった。二人の頭の上から振り下ろされる筈のそれが、刀を握ったまま草の上へ落ちた。


「なん、と・・・・・・」

 カンエモンが絶句した。リンが駆けた。

 ヤクロウが己を取り戻した時、リンによって押し倒されたアヤメは傷口を縛られて気を失っていた。

「お?」


 それを確認して、ヤクロウが刀を下ろす。カンエモンはまだ動けない。

 信じられなかった。何故相手の胸よりも下に降りた筈の剣が、翻って相手の頭上にあり、しかも振り下ろされる手首を斬り落とすのか。

「クロウさん・・・・・・は、動けませんよね。そちらの木偶の坊さん、早く手伝ってください」

 ヤクロウは、立っていられない。緊張の糸が切れて、膝頭から力が萎えて座り込んだ。なんとか、事故のないように刀だけは収めたが。


 カンエモンは呼びかけられて慌てて駆け寄った。アヤメは、出血のためだろうか、意識がない。確かにあまり血の気の多そうな類ではない。

「し、死ぬ、のか・・・・・・?」

 もしそうなれば、誰の責任だろうか。リンは、カンエモンを睨みつけた。


「バカなこと言ってないで医者まで運んでください。私は腕を持ってますから」

 カンエモン自身、卒倒しそうだったがなんとか堪えた。出来るだけ傷口を見ないよう、上半身を持ち上げて後ろ歩きで丘を下りる。リンが、手首のない右腕を頭より高く上げた。

「クロウさん、刀を頼みます」

 そう言い残した。ついでに、アヤメの腰に差したままの鞘を投げて寄越す。


 一気に騒がしくなった。恐れて遠巻きにしていた役人も医者を呼ぶためか、走り出す。ヤクロウは、這うようにして手首のついた刀に近づいた。

「・・・・・・」

 傷口を見た。刀など、眼中にない。切断された血管から血を吐き出している手首の切断面を見て、自分の現在の技量を確かめる。手拭いで血を拭い取り、骨まで確認してようやく、リンの投げた鞘を手に取った。


 満足した。骨は削いで磨いたように滑らかな断面をしており、断ち割ったというよりも確かに斬れている。記憶の中の死体たちと見比べても、遜色ないように思う。

(切れ味は互角かな。後は腕だが、俺はあの域まで行けるのかねえ・・・・・・)

 柄を握ったままの手首を外し、刀を鞘に納めた。


 才能だけでヤクロウの研鑽を上回りかけた女は、それを永遠に失った代わりに命を繋いだ。幸か不幸かは判らない。

 まだ立てない。ならばと寝転がって少し風に当たると、ようやく戦いの熱が冷めてきた。するとようやく、相手の命への労りが出た。


「俺は、なにを・・・・・・」

 外科医のような冷静さで傷口を確かめていた自分が信じられない。適当に打ち捨てた手首を包み、急いで丘を駆け降りた。


「お、おお・・・・・・」

 下では、ヤクロウを恐れて近づけなかった役人がどよめいた。今しがた死闘を演じた場所で寝転がる神経が、彼らには理解出来ない。恐れた。蜘蛛を散らすように離れ、アヤメがどこの医者に運ばれたものか、訊き出すのにひどく難渋した。


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