雨の止んだ丘の上で-Ⅰ
老婆の言っていたことは翌朝に判った。
昨夜はあまり眠れなかった。やはり気持ちが重いと眠りも浅い。なんとなく目が覚めた時にはまだ未明で、雨はまだ降っていた。
が、夜が明ける頃に次第に弱まり、ついに止んだ。東の空が明るい。薄い雲が、陽の光を通しているらしい。
寝床から起き出して、耳だらいで口をすすぐ。やはりリンは戻ってこなかった。
「・・・・・・」
一人分の朝食を平らげてから、ぼんやりした。
雨雲よりも薄い雲のおかげで、昨日より明るい。雨が止むと往来が活発になった。それを、見ることもなく見下ろした。
まるで昼行灯である。自分はいったい、なにをしているのか。
(リンは、どうしたかな)
リンの才覚ならここに残ろうと旅立とうと上手く行きていくだろう。自分から別れを言い出したのに、もう寂しくなっている。
(あの人は、もしかしたら・・・・・・)
それは、考えないことにした。
そして昼前のことであった。往来が俄かに騒がしくなり、誰かの大声が聞こえてきた。
「またやりやがった! あの女!」
それだけで、全てを察した。慌てて腰に刀を差して表へ出る。物見高い連中の人波に従って行くと、河原に出た。
群衆を掻き分けてみると、河原の白い石の群れの中に、蓆が掛けられていた。役人が二人、棒を持って立っている。
「失礼」
断って蓆を剥いだ。大きく口を開けた凄まじい死相。皺の寄った頬には刀傷がある。
「・・・・・・」
見知った顔の死体は、その立場の如何に関わらず厭なものだ。
胴を斬られている。逆胴を斜めに斬り上げられていて、試しに指を突っ込んでみた。
「おい、こら!」
役人が肩を掴んだが構わない。指を増やして探ってみる。もう片方の手で外からも探ってみて判った。骨が、割れていない。肋骨に傷がないのだ。
(すると・・・・・・)
低い姿勢から逆胴を斬り上げたことになる。おそらく一瞬の絶命ではなかっただろう。見回してみると確かに、死骸の周りの石はおぞましいほど血で濡れていた。
「向こうへ行け」
追い払われて戻る。そのまま宿まで引き返したが、頭の中で二人の戦いを頭の中で巡らせてみた。
こうだ、いや、おそらくそうではなく、そしてこうなった、と頭の中で何度も戦わせて現実に近い形を構築し終えた時、我に返った。自分は何故、分析と考察をしているのか。
「お客さん、ようやく乾きましたよ」
宿の老婆が嬉しそうな顔で出てきて、綺麗に折り畳んだ上下を差し出した。生返事で礼を言って部屋に引き取り、窓から空を見上げてみた。
さっきと同じである。薄い雲からぼんやりと陽が見えていた。
(あの時は晴れていた)
数か月前の、落城の日を思い出していた。
城内の食糧はもう底が見えていたから、皆が飢えていた。客将だからと気を遣われて、自分と師の分は欠かされたことがなかったが、それでもほとんど汁しかない粥くらいで、飢えたのは同じだった。
充分に士気の衰えを見て取った攻撃側が攻めてきた。ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ぬまま落城し、城主はその直前に腹を切った。
お供をした師の親友に続いて、師は隣室で腹を切り、苦戦しながらも自分は長脇差で首を落とした。その首を抱いて外に出た時、邸内を走り回っていた敵兵に出会った。
金殻を求める者、女を組み敷く者が大半だった。そのうちの一人が目の前を通り掛かった時、片手に師の首を抱いたまま刀を引き抜き力任せに叩きつけた。
「あ、何奴!」
城内を荒らすのは下級の兵だろう。臨時徴兵された荒くれ共だから分別もない。こんな連中のために、と思うと頭に血が上ったが、手にした刀が斬れないことはよく判っている。
鬼のように顔を紅潮させ、抱いた白布の包みから血を滲ませている姿は異様である。すっかり気勢を飲まれて、荒くれ共は道を譲った。後はどう行ったのか覚えていない。竹藪の中に師を葬ってから、とにかく西へ向かってみた。
ちょうど、あの時と同じ気分だった。ひどく陰鬱だが、なにかしないでは居られない。頭の中で、あの時考えていたことが蘇った。
(俺の武は、なんのための武なのか)
親を亡くしてさ迷っていた時、長者の屋敷に盗みに入った。そこに逗留していた師に拾われ、才能があると褒められて武芸を習った。つらくもあったが面白かったから、折れることなく研鑽を積んだ。
それが、あの朝に全て崩れた気がする。自分の武芸は、師の首を落とすためのものだったのか。このまま何事も為さず、何者にもならぬままではそれを証明してしまうようで、とにかく旅に出たかった。そしてその旅先で、同じような気分になっている。
(俺の武は、俺を不幸にするのか)
そうではあるまい、と畳を引っ搔いた。
(俺を不幸にしているのは、俺だ)
何故なら、こうなると判っていたのだ。違うのは覗き込んだ死顔が男か女かだけのことだ。女でなかっただけ、こうして悩む余裕もある。
判っていてなにもしなかっただけのことである。おまけにその苛立ちをリンにぶつけて別れてしまった。いったい、なにをしているのか。
一度遠くから自分を眺めてみると、ひどく情けなくなった。この様ではリンに八つ当たりしなくても遠からず見捨てられるような気さえした。
(バカな、小娘の機嫌を取るために生きているわけでもない)
そういう考え方自体が情けないのだ、と顔を上げた。雲の薄いところから陽が下りている。なんとなく、その先にアヤメが居る気がした。
また、人を斬ってしまった彼女はなにを思っているのか。何故自分は、こんなにも心を惑わせる女に離れたままなのか。
立ち上がって服を脱いだ。褌一丁になって、先刻手渡された着物に袖を通す。袴の紐を結び、大小を差して表へ。
「代金はここに置く。連れの小娘が帰ってきたら・・・・・・」
なにを伝えようか。少し悩んだが、
「お互い頑張ろう、って伝えてくれ」
なんとも気の利かない文句だが、素直な気持ちだった。
外へ出る。濡れた地面を蹴って、アヤメの元へ走る。目の端に、棒を持った役人が集まっているのが映った。




