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刀で物語れ!  作者: お一
10/14

  〃  -Ⅳ

 飛沫くような雨だった。ごぼう畑まで戻った時、その道の端の巨石に腰かけている影が道を塞いだ。

「リン・・・・・・」

「行きは気づかなかったみたいですね」

 歩み寄る。


 カンエモンの愚痴を聞かされ、軽い相談を終えたリンが、ヤクロウを待っていたらしい。

「あの人、遠からず悲しい目に遭います」

「ああ、そうだろうな」

 リンが見上げた。


「なにかあったんですか?」

「昼間の強盗に会った。手下は逃げたそうだが、一人でもアヤメさんの刀を狙うらしい」

 リンは頷いて、

「そうですか。頭は良さそうに見えたんですけど、意外にしつこいんですね。こっちもちょっと事情が出来まして」

 と、簡単にカンエモンのことを話した。


「そういうわけで、遠からず人数が来て、交渉するでしょう。女やもめの一人暮らしくらいなら出来るだけの金は払うそうです。まあ、建前でしょうけどね」

 大抵、人は他人に対して吝嗇を発揮するものだ。お人好しのカンエモンは他人事だから楽観的だが、実際に金を払う立場なら冗談ではない。盗品を取り戻すのになぜ、金が要るのか。


「強盗よりも性質が悪いかもしれない。口封じに殺されることもあり得ます」

「お前、そんなことを・・・・・・」

 抑揚もなくよく言える、とヤクロウはリンの顔を見た。

 表情がない。リンはまっすぐにヤクロウを見上げて、


「なら、あの人のために戦いますか? 強盗を退け、うまく折り合いをつけてあの刀を手離させますか?」

 ヤクロウの急所である。無分別にそう出来たら、ひょっとしたら簡単なのかもしれない。黙り込んだ。リンは助け舟を出すように付け加えた。


「いいんですよ、それで。武芸をやる人だから、武芸の怖さがよく判っている。安易に勝負だ戦いだと言い出さないところが、クロウさんが一流たる所以です。

 会ったばかりの他人のために、命を懸けるなんて、そんなのは理に適わない。そんな簡単に賭けられるほど、クロウさんの半生は軽くない筈ですから」


 そうだろう、理屈ならリンの言うことは全て正しい。しかし、それだけで知った顔が死ぬかもしれないという重さは拭えなかった。

「哀れじゃねえか。なにか、悪いことをしたわけでもない・・・・・・」

 途端、リンが傘を傾け、身を接するほどに近づいてきた。


「本気で、そう思います?」

「え?」

 挑むような視線で、ヤクロウを見上げている。

「刀は人を殺すためのものです。あの人はね、それを抜いたんです。だから、こうなる。当たり前の理屈じゃないですか。どこに哀れの差し込む余地がありますか」


 今度は、ヤクロウがかっとなる場面だった。思わずリンの胸倉を掴んで、

「好き好んで抜いたわけでも、斬ったわけでもねえ! 吸血刀の所為だろうが!」

「斬ったのはね。でもその直前、呉服屋で災難に遭った時、あの人は逃げれた。なんの意図があったか、どんな気持ちだったか、あの人は抜いたんです。

 人聞きの話ですが、そこはもう間違いがない。あの人はその瞬間、こちら側に来たんです。なら、殺されてもおかしくはない」


「もう止めろ。お前のことを嫌いになりたくない」

 リンの言葉は、理屈上では覆しようのない正しさかもしれない。だが、道義としては違う。違う筈なのだと、ヤクロウは思いたい。強盗に襲われた顔見知りが殺されるかもしれないと考えた時、思わず刀を抜いてもおかしくはないではないか。


「あの人の不幸は刀の所為だ。あの刀に魅入られて、呉服屋の親爺を斬らなかったらこうはならなかった」

「・・・・・・あの人はね、流されて生きてるんですよ」

 リンは、ヤクロウの目をまっすぐ見ている。

 その視線に耐えられず、つい目を逸らした。


「どうすべきだったか、それは判らなくてもどうしたいかだけは常に選べた筈です。亡夫についていった時も、人を斬った後でここに留まっていることも、あの刀を手離さないことも、全部あの人は流されているだけ。

 独りで生きていかなければならないことが判っているのに、大切なところを自分で持とうとしない人は、どうなってもおかしくないでしょう?」

 言葉が重かった。ヤクロウは言い返せず、かろうじて、


「それは、悲しくて・・・・・・いや、でも、お前がそれを言うのは・・・・・・」

「深川ガンテツの最期、知っているでしょう?」

 話の向きが変わった。思わず顔を見たが、リンは表情のないままヤクロウを見ていた。


「稀代の名工は、刀を打ち続けた。それが好きだったから、それが世の中の役にも立つと思ったからです。でも、その刀を持った暴漢に息子夫婦は殺された。それでも、ガンテツは刀を打ったんです。何故だか判りますか?」

 判るわけもない。訊いてもいないのだろう。リンは続けた。


「斬るためです。この世のなにもかもを。その後、六口を遺して憤死しました。

 あの人も同じです。なにがあっても、どう生きるのかだけは全て自分で決められる。悲しみのあまり立ち上がれないのならそのまま腐ってしまえばいい。それさえ、あの人は自分で決めなかった。そのツケが回ってきているだけです」

 ヤクロウは手を離した。リンから視線も外して、


「あばよ、リン。お前の口からだけは、そんなことは聞きたくなかった」

 脇をすり抜け、そのまま振り返らなかった。

 水たまりを踏んでわら草履と足袋が濡れたが、少しも気にならなかった。

 どこへ帰るのか。同じ宿なのだからリンが眠るなら戻るだろうか。だが、このまま出発しようとも思えない。とにかく寝てしまえばいい。そう思ったが、おそらく戻らないだろう。


 リンと自分の間の雨音が広がっていくにつれ、そう思うようになった。

 沈鬱な帰路だった。かといっていい思案もない。不快なのはきっと、リンに対してではなく自分に対してのものだった。リンの考え方が間違っているなどとは、とても思えない。

(ああ、そうか。結局俺は、自分が気に入らないってのに自分がなにもしないことが)

 宿に戻った。濡れた草鞋と足袋を脱いでかまちに足を掛けた時、宿の老婆が、


「明日には乾きますね」

 と言った。干してもらっている着替えのことらしい。今はどうでもよかったので、頷くだけにした。

 老婆はなにか察したらしく、ほうほうと軽くため息を吐きながら、

「明日は止む日ですからなあ、なにかうまくいけばよろしいですな」

 と、よく判らないことを言った。


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