【短編】鈴の音
シャランと音が暗闇の中から聞こえてくる。
自然と音を追って足が向かう。
再びシャランシャランと音が聞こえる。
シャランシャラン。
シャランシャランシャラン。
シャランシャランシャランシャラン。
何も見えないその暗闇の中ではその音だけを頼りに歩きつづける。
見つけた。
先程までうるさいほどに鳴っていた鈴の音がシャランと1つなると聞こえなくなった。
だけどもう音は必要ない、私は彼女を見つけた。
足が自然と駆け足になる。
こちらを向いていないので、彼女の顔は見えない。
巫女服の上から千早を着ているその手には神楽鈴が握られている。
「美夜会いたかったよ」
私は彼女に後ろから抱きつく、べチャリと濡れた感触と臭ってくる腐敗臭。
きっと彼女の体は見るも無惨な姿をしているのだろう。
だけど関係ない、私は彼女と共にあるためにここまで来たのだ。
◆
彼女と出会ったのは高校1年に進学してすぐだった。
特に目的もなくブラブラするのが好きだった。
授業が終わり学校を出た時、なんとはなしに家とは反対方向に行ってみたくなった。
自転車で知らない道を走る、目指すは目の前にそびえ立つ山の麓。
何もなければ引き返して帰るだけ。
1時間ほどかけてたどり着いたそこには、小さな鳥居がありその奥に長い階段があるのが見えた、階段の先を見上げても木で遮られていてどうなっているのかわからない。
私は少しの間、鳥居の前の段差に座り休む事にした。
5分ほど経っただろうか、私の耳にシャランと鈴の音が聞こえた。
どこから聞こえてきたかはすぐに分かった、鳥居の奥の階段の上からだ。
私は誘われるように歩き出す、1段1段階段を登る。
登っている間も、シャランシャランと鈴の音が聞こえてくる。
一体何段あるのだろう、結構登った気がするが未だに上が見えない。
この登っている階段は現実なのだろうか、夢でも見ているのだろうか。
そんな事を考えながらひたすらに登る、これ足を踏み外したら死ぬんじゃないかななんて考えが頭に浮かんだ時、足があるはずの階段を踏み外した。
いつの間にか登りきっていたようだ。
前を向くと古ぼけた神楽殿が見えた、むしろそれしか無いようだ。
そこでは巫女服に千早を纏った女性が神楽鈴を手に持ち舞っている。
奉書紙で一本にまとめられた腰辺りまである白髪が夕日に照らされキラキラ輝いているように見える。
「すごく綺麗……」
背後から差す夕焼けの光で染まる彼女の姿は神秘的で美しかった。
私は辺りが暗くなり彼女の舞が終わるまでただその場で立ち彼女を見つめていた。
彼女の舞が終わった、いつの間にか神楽殿の周りは篝火が焚かれていた、誰が灯したのだろうか全く気づかなかった。
「そこにいるのはどなた?」
「え、あ、私、私は日向と言います」
「日向さんと言うのね、どうやってここに?」
「そこの階段を……」
振り向きながらそう答えようとして、そこにあったはずの長い階段は無くなっていて言葉が止まってしまった。
どういう事だろうか、あのひたすら長い階段は夢だったのだろうか、じゃあ私はどうやってここに……。
「階段……そうなのね、日向さんあなたは狐に化かされたのかもしれませんね、ここは御狐様をお祭りしている所ですから」
彼女の方に振り向くと、袖で口を隠すようにして「ふふふ」と笑っている。
私はそれに釣られるように「ははは」と笑った。
「もう暗くなってしまったわ、今日はもうおかえりなさいな、そこの横道を進めばあなたが来た鳥居にたどり着くから」
一頻り笑った後に彼女は少し寂しそうな表情を浮かべそう言ってきた。
「あの、またここに来ていいですか?もっとあなたの舞を見たいです」
「あらそれは嬉しいわ、でしたらこれをお持ちになって、これを持ってあなたが来たいと望めばここに来ることが出来るはずよ」
彼女はそう言うと、1つの白い無地のお守りを渡してくれた。
「ありがとうございます、えっと……」
「私ったら名乗っていなかったわね、名を美夜と申します、よろしくね日向さん」
彼女は綺麗な笑顔を浮かべながら名前を教えてくれた、これが私と彼女との出会いであった。
その後横道に入ると1分と経たず鳥居のそばにたどり着いていた。
鳥居の奥に目をやってもそこには階段がなく鬱蒼と茂った木々があるのみだった。
(本当に狐にでも化かされたのかな?)
来るときには気づかなかったが鳥居を挟むように狐の石像がある事に気がついた。
はっとしてスマホを取り出し時間を確認すると19時を過ぎていた、今からどう急いでも家に着くのは21時になる、流石に放任主義のあの親でもお小言の1つくらいは出るだろう。
私は自転車にまたがりライトを付け走り出す、後ろからシャランと鈴の音色が聞こえたような気がした。
◆
その日から私は学校のない土日と休日以外は欠かさず、あの神楽殿のある場所へ通い詰めた。
白いお守りを握り祈るように鳥居を潜ると神楽殿の前に着く、まるで魔法のような不思議な現象だ。
私がそこにつくと彼女はいつも舞を舞っている、神楽鈴を手に舞台上を円を描くようにくるりくるりと、そんな姿を私はいつもただ見つめている。
彼女の舞が終わるのはいつも日が沈んで、篝火に日が灯ってからだ。
篝火なのだけど、気づけば勝手についている、ずっと見ていても気づけば付いている、私と彼女以外には誰もいないはずなのに。
私は夕焼けで茜色に染まる彼女が好きだ、そして徐々に黄昏に染まっていく彼女を見ていると何故か悲しくなる。
そして私と彼女が触れ合うのは、彼女の舞が終わってからの数分間だけ、ほんの一時の逢瀬を楽しむ。
いつもするのは他愛のない会話、話すのは大体私の方だけど。
あえて彼女の事は聞いていない、聞いてしまえばもう会えない気がするから。
彼女は何もかもが初めてだというように楽しそうに聞いてくれる。
タイムリミットは自然と消えていく篝火の数が半分消えるまでと決められている、それ以上は駄目だと彼女が言うのだ。
私もそれに従うようにしている、そうした方がいいと感がそう告げているから。
◆
私は無難に高校3年に進級した。
この頃になると流石に美夜の事で色々わかった事もある。
美夜は年を取らないように見える、出会った頃から変わらないのだ。
それと美夜は篝火より外に出ることがない。
美夜と出会って2年この頃になると美夜は食事を抜いているのか、最初に出会った頃より痩せて見えるようになった、ほぼ毎日会っているとわからないほどの変化。
食事などどうしているのか聞いてみた事はあるが、悲しげな表情を浮かべるだけで話はしてくれなかった。
そんな美夜に私は一度おにぎりとお味噌汁を持っていったのだけど「ごめんなさい」と言うだけで食べてもらえなかった。
仕方がないので自分で食べたけど、初めて作ったにしてはまあまあの出来だったと思う。
そして相変わらず私は美夜の舞を見続ける、舞が終われば話をするこの2年間繰り返してきた事を、この時間がいつまでも続けばいいのにと思いながら会話を楽しむ。
◆
そして別れの時が来た、受験も終わり無事大学に進学が決まった私は地元を離れる事になる。
この頃には美夜は立っているのが不思議なくらい痩せ細りそれでも舞を舞っている。
そんな美夜との最後の逢瀬で私はもうここに来れない事を告げ、続けて私は……。
「ねえ美夜、どうして私を食べないの?」
そう美夜に聞いていた、どうしてそう言ったのかはこの3年間でのやり取りでなんとなくわかった事。
私のその言葉を聞いて美夜は驚いた表情を浮かべ、続けて悲しそうな顔をしていた。
「日向どうしてそんな事を言うの?それにどうして私が日向を食べると思ったの?」
「なんとなく……かな、もう3年の付き合いだしね、あなたの姿を見ていればそうなのかなって思ったのよ」
「そう、なんだ、ごめんね日向、でもね私はもう十分なのよ、ずいぶん長く生きたわ、そして最後にあなたに会えた、それだけで私はもう満たされているの」
静かにほほ笑みを浮かべるその姿は、痩せ細っている今でも美しく見えた。
そして美夜は初めて身の上を話してくれた。
「私はね人と鬼の間に生まれた子供なのよ、昔ね白鬼と呼ばれていたし色々と悪いこともしていたわ、それこそ人を殺し鬼を殺し神様を殺し……食べたの、そして最後はここに閉じ込められた、この神楽殿は私を閉じ込めておく檻なの、未来永劫命をなくすまで出られない罰なのよ」
私はそんな美夜を見つめ話を聞き続ける。
「もう何百年になるかしら、わからないほどここで過ごしたは、日向ここにこれる人はね私に捧げられる贄なのよ、3年に1度お狐様が招き入れるの、私が食欲を満たしこの永劫とも言える檻の中で苦しませるために、ただここから救われることは贄を食べずに死を受け入れる事だけ……」
つまり彼女は約6年、何も口にしていないのだろう。
それを聞いても私に驚きはなかった、先程言ったように美夜になら食べられてもいいと思っているから、いえたぶん最初に出会った時にあんな綺麗な彼女と一つになれるならなんて思っていたんだと思う。
「私を食べていいのよ?」
「あのね日向私はあなたに食欲以外の感情をそして欲を持ってしまったの、だからあなたを食べることは出来ないわ、たとえ私が死ぬとしてもそれだけは嫌なのよ」
「それって……」
「最初あなたがここに来た時にはもうあなたに惹かれてしまったのだと思うわ」
私は心の中から湧き上がってくる歓喜に体が自然と震えるのを感じた。
そっと美夜の手を取る、痩せ細って骨が浮き出る様な細い手を両手で包み込む。
「それって私が好きって事?私を食べたくないくらい好きって事?」
美夜は頬を染めながら頷く。
「嬉しい、すごく嬉しい私も美夜が好きよ、ずっとずっと出会ったときから好きだったのよ、だからね美夜私を食べて、そして美夜と1つになりたい」
「日向それは駄目、あなたを食べてしまえば私は私を許せなくなるわ、だからね日向を食べることなんて出来ない、だからここでお別れにしましょ」
そう言うと美夜は私の胸元に下げているお守りの紐を、伸ばした鋭利な爪で切った。
お守りは地面に落ちる前に空気に溶けて消えた。
いつの間にか離れていた手が空を切る、そして私と美夜の距離が急速に開く。
「日向、私のことは忘れて、そして幸せになってね」
「美夜どうして、ねえ美夜、私ずっとずっと美夜と一緒にいたい、それが出来ないならせめて美夜一緒に死なせて」
「ごめんね日向それは出来ないのよ、これは私への罰だから、私は神殺しの鬼決して救われてはいけない存在なのよ」
美夜の頬から涙がとめどなく流れているのが見えた、私の視界も涙で滲んでいるのがわかる。
せっかく心が通じたと思ったのに、どうしてもっと早く美夜に告白しなかったのだろうか、私はそんな自分が情けなくて悔しくて憎らしい。
「美夜ーーーーー」
私の叫びは空へと消え、私の記憶と意識はそこで途切れた。
◆
気がついた時私は病院のベッドで寝かせられていた、そして一部記憶をなくしているようだという診断を受けた。
何を忘れているのかはわからない、だけど心の中にぽっかりと穴の空いた様な感覚がずっとついて回っている。
それは地元を離れ大学に進学した後もずっとその感覚が付きまとっている。
大学の4年間は特に何事もなく過ぎていった、無難に友達付き合いをしバイトと勉強の繰り返しの日々を過ごした。
彼氏や彼女を作った事もある、寝所を共にした事もある、だけど私の心は満たされる事はなかったし、付き合ってはすぐに別れる事を何度か繰り返した後誰とも付き合わなくなっていた。
そんな生活はあっという間に過ぎ4年たった、結局就職は地元の企業に入ることになった。
本当は地元に戻るつもりはなかった、だけど心の何処かでこのままじゃ駄目だという思いがあった。
大学を卒業し地元へ戻った私はなにかに誘われるように、自転車に乗り高校へ向かっていたそして高校から見える山を目にした時微かにシャランという鈴の音色が聞こえた気がした。
私は山の麓へ自転車を漕ぎ出していた、近づけば近づくほどシャランと言う鈴の音が聞こえてくる。
そして私は小さな鳥居にたどり着いた、覚えてないはずなのに知っている不思議な感覚、鳥居を挟むようにあったはずの狐の石像は砕かれたようで地面にバラバラと残骸が散らばっている。
鳥居の奥には何もなく鬱蒼と木々が茂っている。
周りを見ても山へ登る道は無さそうだ。
だけど私は知っている、鳥居を潜る、そのまま歩き続ける。
見つけた、木々に隠されるように、所々崩れている階段を見つけた。
私はひたすら階段を登る、踏み外さないように一歩一歩慎重に登る。
時間の感覚がおかしいが気にせず登り続ける、1時間2時間3時間、もう何時間登ったかわからない。
そして階段を登りきった頃には夜になっていた、月明かりで照らされた神楽殿を目にした瞬間私は全てを思い出した。
「美夜!美夜ー、どこ?どこにいるの」
月明かりの中美夜を探すが誰もいない、私は神楽殿へと上がる。
そこには一枚の紙と白い無地のお守り、それと1本に纏められた長くて白い髪が置いてあった。
紙には自らの血で書いたであろう血文字で「ごめんなさい、こんな私を好きになってくれてありがとう」と書かれていた。
美夜、美夜、どうして、私を置いていったの。
私は紙とお守りと髪を胸に掻き抱きずっと泣き続けた。
一頻り泣いた後まず紙を折り畳みお守りの中に入れた。そして私は神楽殿をでて階段ヘと足を進める。
階段の一番上から正面を向くと何も無い真っ暗闇の空間が広がっていた、普通ならこの高さだ街の明かりが見えるはずなのに何も見えない。
そして私は意を決する、うまく行きそうな気がする、駄目ならそれはそれでいい。
美夜の事を思い出した今、美夜と会えないこの世界に未練なんて無い。
私はまず白いきれいな髪を目の前の空間へ投げ込む。
髪はばらけながら一本の道を示すように飛んでいく。
私はお守りをギュッと握りしめ、ただひたすらに美夜の元へ行きたいと祈りながら……身を目の前の空間に投げだした。
◆
そして私はシャランという鈴の音に導かれるように美夜の元へたどり着いた。
抱きつく美夜の体からぐじゅぐじゅという不気味な音が聞こえる。
シャランと鈴の音が聞こえた、気づくと美夜の神楽鈴を持つ手が前方を指し示している、たぶんそちらへ行けということなのだろう。
「嫌だよ、もう美夜と離れるのは嫌、だからねずっとここで一緒にいよ」
美夜は何かを訴えかけるように言葉にならない唸り声を上げる。
たぶん美夜は私にここから出て生きてほしいと言っているのだろう。
私は抱きしめていた美夜から一旦離れ、美夜の正面に回り美夜の顔を見た。
瞳は濁り、頬は痩け、服の隙間から見える胸元は肉が削げ骨が見えている。
そんな美夜に私は正面から抱きつく。
「もう離さないから、絶対絶対離さないから」
美夜は少し抵抗するように体を動かすが、うまく体が動かずそのうち諦めたのか、私の背中に手を回し抱き締めてくれた。
シャランと音がなり神楽鈴が地面に落ちて跳ねる。
そして私は美夜と口づけを交わす、最初は軽いキス、そして貪るようにそのカサついた唇に唇を合わせ舌を入れ美夜の口内にある唾液をすくい取り飲み込む。
黄泉戸喫生者が死者の国で暮らす唯一の手段。
黄泉の国で何かを食べると現世へ戻れなくなると言う話だ、逆に考えると生者でも死者の国にいられるという事になる。
暫くそのまま口づけを交わす、口を離すと唾液が1本の糸のように繋がって切れる。
「美夜これで私達ずっといっしょにいられるよ」
「日向どうして、どうしてこんな事を」
美夜の姿は生前最初に見た美しい姿になっていた、先程まで見ていた姿はきっと意地悪な神様が見せていた幻覚だったのだろう、なんとなくそんな気がしていた。
昔からそう言う感は外したことがなかった。
私と美夜は抱きついたまま、再びキスを交わす。
「だって美夜を好きになってしまったのだもの、美夜の居ないあの世界に未練はないわ」
「だからってこんな無茶な事をして、私は日向に幸せになってほしかったのよ、だから死を受け入れたのよ」
「美夜の居ない所に私の幸せなんて無いわ、だからこれで良かったの、さあ美夜ここの案内をして、これからずーーーと一緒に過ごすんだからね」
「ふふふ、わかったは日向、黄泉の国はね意外と良いところよ、こっちに来てからお友達も出来たのよ」
先の見えない暗闇の中私と美夜は手を繋ぎ歩き出す。
後ろからシャランと鈴の音が静かに、私達を祝福するように鳴るのが聞こえた気がした。