Sequence44:先頭走者は直走る
浜辺で行われるレース形式のロード・ワークを折り返した復路、波打ち際の最も海側を先頭で先行しているのはレッドブレイズ高等学院の一年生代表、アレン・ダイアー。
そのアレンに続いて、少し外を走るマリンブルー高等学院の一年生代表、ジャン・ジャック・ピエリネリラ。
先頭に躍り出たアレンは、往路でピッタリと真後ろに付いて学んだ走り方を実践しながら、そこに蓄積された技術の多様さに感動を覚えていた。
例えば、重心の取り方。
柔らかな砂の敷き詰められたアクアリスの浜辺は、走る者の足を容易に絡め取っていく。そこで重要になることが、しっかりと足で地面を掴む感覚。
地面を漫然と広がる平面と捉えるのではなく、細かな凹凸まで含めた立体的な構造物として考え、そこにどうやって足を着地させ、踏み締める。そうすることによって、身体がブレて余計な力を地面に逃がしてしまわないまま、しっかりと次の脚へと蹴り出すことが出来る。
走力には自信のあったアレンだが、しかし舗装された地面とは全く異なる砂浜に、自分が如何にこれまで力に任せて適当な走り方をしていたのか、いま深く自覚を促されていた。
(楽しすぎる……!)
先頭を走る者だけが受けられる強風を一身に浴びながら、いまアレンは改めて走ることの喜びを全身で感じている。
アレン・ダイアーは、夢渡りであるウィリアムほどではないにせよ、高等学院としては非常に珍しい平民出身の特待枠生徒であった。
同年代の貴族たちが嗜みとして馬術を習わされている時、アレンは同じ平民の友達と草原を駆け回って遊んでいた。
走ることが誰よりも好きだった。友達が走り疲れて一人、一人と休んでいく中で、彼はただひたすらに走り続けた。
ふと振り返ると、そこに誰もいなくなっていたこともあったけれど、悲しみを覚えることもなかった。
先頭に立って誰も目の前にいない景色こそが、彼にとっては最も見慣れたものだったから。
幸い、そうして培われた走力が貧しかった家計を支えるのに重宝したことは、アレン自身も運が良かったと思う。
アレンの父は町の配達人をしており、様々な家に手紙や荷物を届けることを生業としていた。
発育の良かったアレンは、貴族で言えば初等部に通い始める頃から、その仕事を手伝って町中を走り回った。
町中では草原と違い、視界に多くの行き交う人々が入ってくることになったが、その環境が今度は新たに障害物の間を駆け抜けていく技術を会得させてくれた。
ステップを踏んで人の波を越えた先に再び草原と同じ広い空間が自分を待っていることに、アレンは喜びを感じられる性分だったらしい。
だから正直、アレンは配達人の仕事を天職のように思っており、生涯をそこだけで終えることに特段の違和感も覚えたことはなかった。
そんなアレンに光が当たる転機が訪れたのは、たまたま町の祭りで催されたレースで彼の走りをイザーク・パーク・ブランベルンが目にしたことから始まる。
大人たちも参加している中で、圧倒的な差でライバルたちを置き去りにして優勝を飾ったアレン。
その優勝を祝う場で、優勝賞品を贈呈する役として訪問していた貴族であるブランベルン家の次男から告げられた言葉を、いまもアレンは忘れない。
「君は、デュアルフットには興味がないか? もしもあるなら、俺は君を特待生の一人に滑り込ませたい。」
聞けば特待生として学費は免除される上、いま自分が手伝っている配達人の仕事で貰っている給料分も補填をしてくれるとまで言う。
そんな都合の良い話があるのかと訝しみながらも、イザークから「試しに一度だけ高等学院の練習に参加してみないか」と誘われて訪れた高等学院のグラウンドで、アレンは新たな走りの喜びと出会った。
町中ですれ違う人々と違い、自分のことを必死になって止めようとしてくる相手を躱して、その後ろに広がる空間へと抜け出す快感は、一瞬でアレンのことを虜にしたのだ。
アレンは、その日の内に特待生枠を受けることをイザークへと申し出る。
お陰でこれまで全く触れたことのない勉強にも時間を費やさねばならなくなり、その過程でイザークに随分と迷惑も掛けたせいで扱われ方はかなりぞんざいに変わった(例えば、最初は君と呼ばれていたのも、いつの間にかお前と呼ばれるようになった)けれども、平民である自分に対してあれほど親身に接してくれる貴族は当然ながら極めて珍しく、アレンからすれば感謝しかない。
そして、そんなアレンがいま、自分を更に一つ上の走りへと押し上げる技術に感動を覚えない訳がなかった。
このままトップで走り抜けてレースの勝ちを捥ぎ取り、更には練習試合でも勝ちを収めて、それを手土産にレッドブレイズへと帰還すること。
それが、自分に出来るイザークへの恩返しだと、アレンは思う。
だからこそ、アレンは相手に印象付けられるような派手な勝ち方を選択した。
相手の得意とする地元のレースで折り返す際、圧倒的に不利な外回りで抜き去ること。
それは決して悪いことだとは思わない。何故なら相手だって同じように格付けを行おうとしていたはずだから。競技においては、相手の心を折って、その全力を出し切らせないことは定石中の定石。そこで、妙な気遣いをするほうが相手に対する失礼に当たる。
また、アレンは一方で、いま先頭争いをしているジャンに対する敬意を失った訳でもなかった。
走りに精通しているアレンから見ても、ジャンがどれだけ苦労してこの走りを会得したのかは、火を見るよりも明らかだった。
そして、往路と異なり、波打ち際を走らざるを得ないコースは繰り返し打ち寄せる波が刻一刻と環境を変えていくため、先程よりも更に慎重な脚運びが求められる。
往路で技術を学んだとはいえ、それはあくまで単なる浜辺での走り方であって、波打ち際の走り方まで盗んだ訳ではない。
そういう意味では、大外から抜き去って圧倒的な差を見せつけようとしたのは、実際はまだ相手がアレンを抜くチャンスがあるという事実を覆い隠すためのブラフでもあったのだ。
もしも相手の心が折れれば幸い。そういう目論見がアレンにはあった。
ただ、どうやらその目論見は失敗に終わったらしいことを、背後に迫るジャンの気迫からアレンはひしひしと感じていた。
後ろから先人の技術を盗む立場は、相手の心を折って格付けを行うための大勝を選択するため、既に捨ててしまった。
であれば、いま出来ることは自身の走力を信じ、振り返ることなくただ真っ直ぐに直走ることしかない。
こうして、ゴールへと向かう復路は最終的に、アレンの脚力とジャンの技術力の対決の様相を呈するのだった。




