Sequence42:勝負は白熱していく
ジャンは事前に練習の説明で、砂浜トレーニングの利点を他校の面々にも伝えていた。
舗装された道や均されたグラウンドではなく、自然の砂浜でランニングを行うトレーニングは、自分たちが如何に普段は曖昧に走っているのかを自覚させてくれる、と。
国内でも有数の景観に数えられるアクアリスの砂浜は信じられないほどきめ細やかな砂で出来ているため、ただ観光に訪れるだけなら、純白の浜辺はまるで真珠を砕いて作ったかのような美しさを見せてくれる。
しかし、一度でも足を踏み入れれば、その柔らかな砂は、まるで蟻地獄のようにランナーの足を絡め取ってしまう。
だからこそ、走る際にはしっかりと地面を足で踏み、掴み、蹴る必要がある。それが少しでも出来ていなければ、簡単に重心が傾き、走りの姿勢がブレてしまうからだ。そうなった途端、一定の速度を維持して走り続けることは極めて困難になる。
要するに、走るという行為は、極めて精緻な技術体系なのである。
実際、ジャンもこのトレーニングを始めた当初は、まともに走ることが叶わなかった。予め入学が決まった段階から練習参加を事前にさせて貰って、そこで先輩たちの走り方を目に焼き付けてきたからこそ、ようやくいまはそれなり程度なら走ることが出来るようになっているだけ。
だからこそ、いま、この砂浜で走るのは初めてなはずのアレンが環境に適応して、自分たちマリンブルー生に追随してきていることに、驚きを隠せない。
一体、どれだけ普段から走る訓練を積み重ねてきていれば、同じ一年生でこれだけの技術に至るというのだろうか。
しかし、相手が優れていると言っても、こちらには一日の長がある限り、有利な状況なことに間違いはない。その上で負けるなど許されない。
かつてであれば、そのような負けん気を抱くことはなかった。
アクアリスにほど近い領地を治める貴族の次男として生まれたジャンは、小さい頃から発育が良く、持って生まれた恵まれた体格に将来を期待された子どもだった。
だが、そんな体格に見合わず、ジャンは気が小さく、騎士になるための戦闘訓練などを好まない性格をしていた。
必然、周囲の期待はすぐさま離れることになる。
木偶の棒。
それが、周囲のジャンに対する評価だったのだ。
とは言え、そのこと自体に、いまコンプレックスを持ってはいない。
現実問題、高等学院でデュアルフット──に限らず、何らかの部活動──に打ち込んでいる者など、概ねそういったあぶれ者なのだから。
そうでなければ、貴族は騎士なり魔術師なり、将来に備えた訓練に勤しむのに忙しく、更には当然のように領地を治めるための各種業務の把握に追われなければならず、時間的な余裕などあろうはずもない。
その意味では、今年の王立キングスフィールド高等学院は極めて例外的で、王族やその側近が入部したという話題は、巷の何処でも大きな噂になったくらいだ。
それに加えて、夢渡りが特待生として迎えられたという異例の状況もあり、キングスフィールドへの注目は、黄金世代が散り散りにバラけたにもかかわらず、尋常ではないほど高くなっている。
それが、ジャンたちマリンブルーを含めた各校が挙って合同練習を依頼した理由であった。
それらを把握した上で、ジャンは主将であるマイヤーから自分に課せられた使命を、そのように注目を集めているキングスフィールドの調査と、そして可能であれば事前にある程度の格付けを行うことだと考えている。
合同練習と言え、一度でも敗北を喫してしまった相手には、嫌でも苦手意識が付くものだ。
その種を相手の中に根付かせること。それが後々、本番の勝負で花を咲かせることがある。
幼い頃から、気の弱さ故に様々なものに対して苦手意識を持っていたジャンだからこそ、その恐ろしさも身に染みて理解していた。
この使命を果たすことで、気弱な自分を買ってくれた主将の恩に報いなければならないのだから。
ジャンは覚悟を決めて、走りのギアを更に一つ上げる。
先程まで真後ろで聴こえていた足音と、自分の足音がズレ始める。
(こんなところで、横から割り込んできたレッドブレイズの生徒になど負ける訳にはいかない!)
ジャンは、他のマリンブルー生すら置き去りにする速度で浜辺を駆けていく。
だが、本当の衝撃はそこからだった。
「なるほどねえ。そうやって走んだ。」
そう呟いた声は、アレンのもの。
次第にズレながら離れていったはずの足音が、消える。
一瞬、ジャンは、アレンが諦めて立ち止まったのかと思いそうになる。
だが、背後に感じる不気味な感覚は全く消えていない。
ならば一体、何が起きたというのか。
(いや、いまは何が起きていようとも、前を向いて走り続けるだけ。それに──)
レースはちょうど、貸し切っている浜辺の端、コースの折り返し地点へ差し掛かるところだった。
ここを抜けてしまえば、ランナーは皆、これまでと違って波打ち際を走らなければならない。
必然、それまで横に広がっていた隊列は縦に長く伸び、後ろから前を抜くことは難しくなる。
そこまで一番で駆け抜けてしまうこと。それこそが、このレース形式の練習において最も重要な要素。
そして、ジャンが浜辺に立てられたフラッグを回るコーナーへと差し掛かる。
コーナーを最内で駆け抜けながら、ジャンの視界がこれまで自分たちが走ってきた側へと向く。
そこにアレンの姿はなかった。
(突き放していたのか……?)
ジャンがそう思った瞬間──
「そっちじゃあないぜ。」
そう聴こえてきた声の方向は、ジャンが回ったフラッグとは反対側。
自分よりも大回りしたはずのアレンがぴったりと横の位置につけている。
その声に釣られてアレンの姿を見たジャンは、その走るフォームに視線を奪われた。
それは、幾度となく自分が目にし、憧れ、そして少しずつ身に付けてきた先輩たちの走り方。
足音が消えたのは、アレンがジャンの走りを目で見て学びながら、同じ形に寄せてきていたのだ。
「お陰様で勉強になったぜ。こういう走り方もあるんだなあ!」
真横を走るアレンが、自らの技術がまた一段上がったのを喜ぶように声を上げる。
しかしその時、ジャンも、これまでにない不思議な感覚が身体の内に湧き上がってくるのを感じていた。
それは、初めて使命感とは別に、ジャンの内に生じた負けたくないという負けん気。
そうして、砂浜でのレース形式ロードワークは、折り返し地点において、二人の走者が同時にゴールへ向かう長い最終直線へと雪崩れ込むのだった。




