Sequence2:王子は仲裁する
フロアの中央へゆっくり進んでくるダンデリオン王子。
その姿は、咄嗟に平伏した人々の間をただ縫っているだけのはずなのに、ウィリアムの目には極めて優雅に感じられた。まるで最初からそこを通るルートがあらかじめ決まっていたかの如きダンデリオンの歩みには、何とも言えない触れがたさや隙の無さがある。
そんなダンデリオンの後ろには、青い髪と片眼鏡が特徴的で如何にも涼し気な印象の少年が付き従っていた。彼は人だかりの中心へやってきたダンデリオンの前に出ると、落ち着いた声で周囲に訊ねる。
「皆さん、面を上げて下さい。私はサフィアス・メルツィア・ノーリッジと申します。王子と同じく一年生という若輩者ではありますが、一旦この場を取り仕切る無礼をお許し下さい。」
彼は何でもないことのように言い放ったものの、ノーリッジ家と言えば、何人もの宰相を輩出した名家であり、王家との繋がりも深い。しかも、サフィアスと言えばその長い歴史の中で屈指の天才魔術師と名高い傑物だと若くして噂されている人物であることを、ウィリアムですらアレクシウスから聞いた記憶があった。そんな人物に対して、この場で異論を唱えることが可能な者などいるはずもない。
「ひとまず状況の整理から参りましょう。現在、この会場で責任者はどなたです?」
「はっ!」
その質問に、膝をついていたフェルディナンドがすばやく立ち上がって前に出る。
「失礼ですが、貴方は?」
「デュアルフット部の二年生でフェルディナンド・ディア・ナルシスと申します。今年度の新入部員監督生を部長より拝命しております。」
「なるほど、分かりました。それで、この騒動は一体?」
「実は先日、ここにいるウィリアムという者が不当にこの学院へ入学したという告発がありまして、その点について、この場で検めていた次第です。」
「不当……?」
その言葉にサフィアスの表情が一瞬で厳しくなった。王の名を冠する学院に不正入学があったなど醜聞以外の何物でもない。そのような事実が明らかになれば国の沽券にまで関わる重大な問題である以上、彼の反応も当然であろう。
「はい、貴族に阿ることで本来なら資格を持ち得ない輩が学園に入り込み、我らがデュアルフット部に入部を企んでいる可能性がある、と。」
「貴方は、そんなことが本当にあり得ると信じたのですか? 王家の名を冠したこの学院で?」
「万が一、ということは御座います。それにお言葉ですが、先程そちらの者たちにも言った通り、王家の名を冠するが故にこそ、慎重には慎重を重ねるべきだと考えました。よって、この者の待遇に関しては、私の一存で保留にさせて頂いた次第です。」
ウィリアムは、フェルディナンドが意外にもサフィアスとの問答で一歩も引かない冷静な態度を見せたことに感心せざるを得なかった。先程、アレクシウスを相手取った時も、他の先輩たちと違って一人だけ常に冷静だったことを考えるなら、かなりの豪胆さを持ち合わせているのかもしれない。
しかし、それは翻えせば、そのままではフェルディナンドとの対話は平行線を辿ることも意味している。ウィリアムにとって、それは事態の好転がこのままでは望めないということでもあった。
とは言え、国でもトップ・ランクの貴賓がいるこの場で、ウィリアムには割って入れるような空気が容易に見出せる訳もない。
このままでは、匿名の告発が真に受けられる可能性も否定は出来ない。
そんなウィリアムの焦りを感じ取ったらしく、隣で平伏していたアレクシウスが口を開いて発言権を求めた。
「お久しぶりです、サフィアス殿。失礼ながら、こちらの申し開きも宜しいでしょうか?」
「ええ、アレクウシス殿。以前に、何処かのパーティでお会いした以来ですね。」
「はい、ご健勝そうで何よりです。」
顔見知りであったらしい二人がひとまず形式的な挨拶を交わす。
「しかし、何故に君が申し開きを? ウィリアムさんは貴方のお知り合いでしょうか。」
「その通りです。彼は我が父の領地にあるデュアルフットのクラブ・チームに所属しており、私とはチームメイトとして長い時間を過ごしてきた、幼馴染のようなものです。」
「なるほど。先程の話によるとウィリアムさんは特待生ということでしたね。ちなみに、アレクシウス殿を疑う訳ではないのですが、ウィリアムさんの身元を明らかにするため、苗字のほうも教えて貰って構いませんか?」
「それは……」
サフィアスの質問に、アレクシウスの目がウィリアムのほうを窺うように見る。付き合いの長いウィリアムには、それが自分のことを心配しているのだということが理解出来た。
そんなアレクシウスに対してウィリアムは同じくアイ・コンタクトだけで問題ないことを伝えると、一呼吸置いてから静かに告白する。
「サフィアス様。私は苗字を持ちません。」
「……ということは」
「自分は夢渡りです。」
ウィリアムは、サフィアスが言おうとした続きを自分で引き継ぐ。
この国では、異世界の記憶を持ち込むことの出来る夢渡りは親元から引き離されて各領地の管理下に置かれると決められている。表向きは、他国の諜報員などから守るためなど様々な理由が建前として存在するが、実際のところはそこに宗教的な理由も絡んだもっと複雑な歴史的事情があり、結果として夢渡りは基本的に苗字を持つことが許されていないのが現状である。
「夢渡りのデュアルフット選手とは……確かにそれはまた尚更に珍しい。ああ、なるほど。フェルディナンド先輩、それもこの騒動が起きる一因となったのですね?」
サフィアスが話を振ると、フェルディナンドは頷いた。
「その通りです。こういう言い方はあまり良くないかもしれませんが、夢渡りの連中は、彼らの知る異文化を広めるばかりで、この世界の文化になど目もくれません。それがデュアルフットの特待生枠で入学してくると聞けば、それなりに怪しむのも致し方ないことではありました。」
そのフェルディナンドの言葉には、ウィリアムも反論が難しい。事実として、夢渡りがこの世界の伝統的なスポーツであるデュアルフットに興味を惹かれることが珍しいのは、彼がこれまで暮らしてきた中で誰よりも散々に思い知らされてきた事実だったからだ。
やはりサフィアスが間に入っても話し合いは平行線を辿るかのように思われた、その時だった。
「ちょっと質問いいですか?」
意外なタイミングで、ダンデリオンが口を開く。
「一応、訊いておきたいんですけれど、フェルディナンド先輩は」
「失礼ながらお待ちを。ダンデリオン様からそのように呼んでいただくなど畏れ多い。私のことは、単にフェルディナンドと呼んで頂いて構いません。」
咄嗟に、己に尊敬語を使おうとするダンデリオンを止めるフェルディナンド。
しかし、その言葉を更にダンデリオンが否定する。
「いや、学院にいる間は身分の貴賤は無しにしましょう。その理念を失くしてはこの国がここまでの発展を遂げることもなかったのですから。それが、この学院の理念であり、同時に私が幼少の頃より賜った王族教育でもあります。仮に、それを建前だとしか思っていない人々がいても、ね。」
「……は。話の腰を折って申し訳ありませんでした。」
ダンデリオンの言葉に、納得はいかない様子までも、反論せず引き下がるフェルディナンド。
それを聞いて、ダンデリオンは笑顔で話を再開する。
「気にしませんよ。さて、それじゃあ改めて訊きますが、この件でフェルディナンド先輩に許されている裁量は、当然ですが部活の範囲のみ、ということで宜しいでしょうか。」
「それは勿論です。幾ら相手が夢渡りと言えど、退学処分まで私に下せようはずも御座いません。あくまで私たちが告げたのは、彼の入部差し止めのみです。そうすることで、デュアルフット部の名誉を守ることが目的でしたので。」
「なるほど。その答えを聞けて良かった。思っていたほど大事ではないようでウィリアム君も少しは安心が出来ましたか?」
「は、はい!」
ダンデリオンの問いに、いきなり退学処分を喰らうのではないことに安堵したウィリアムが正直な感想を述べる。ウィリアムが思っていたほどフェルディナンドは傍若無人な輩ではなかったようだ。
「では、フェルディナンド先輩。貴方が疑っているのが彼の実力ということであれば、いまここでそれが立証されたら、騒動の原因である入部拒否も即座に撤回されて事態は問題なく丸く収まる、ということですよね?」
「はい。それは勿論……ですが、まさか」
「そう、恐らく貴方が思っている通りですよ。これから、実際に試合してみれば良いんです。」
そう言うと、ダンデリオンはにこやかに笑いながらこう付け足した。
「確かデュアルフットの理念ではこう言われるはずですよね。どれだけ激しく闘ったとしても一旦試合が終われば敵味方無し、だと。」