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Sequence23:部員は騒動に遭遇した

 規則正しく鳴り響く複数の足音、繰り返される呼吸音。


 いま、ウィリアムたちは王立キングスフィールド学院を出発して王都の中を巡るロード・ワークに励んでいた。


 王立キングスフィールド学院のグラウンドが改修工事によって使用不可になってから一か月。そこで学院外を用いる練習が開始されることになったのだが、その一つがこのロード・ワークであった。、ロード・ワークにはジョルジオ部長が定めたコースが複数あり、そのどれもが大きめの通りで、ランニングを行っても問題のない場所が選ばれている。

 それだけでなく、一緒に走る人数も部員たちを幾つもの班に分割することで通行人の妨げにならないように配慮がなされており、他方で、その日に走るコースは班毎に籤でランダムに決定されるため、全く同じ景色を毎日走る中で選手が飽きてしまわないないようになっていた(勿論、コースこそ違えど、トレーニング強度は同等になるよう考えられているが)。


 また、安全面も考慮されているらしく、王子というこの国でトップ・ランクの立場にある人間を守る責務がある側近のサフィアスが、ダンデリオンやその護衛たちと一緒に、ジョルジオとコース選定の議論を何度も行って詰めたと聞いている。


 流石に具体的なことは貴族でないウィリアムには分からないが、確かに走っているとたまに普通は出会わないようなピリッと緊張した空気を感じる瞬間があり、そういった場合は恐らく一般人に紛れて護衛の騎士などが近くに隠れている時なのだろうと思う。


 本日、ウィリアムたちがランニングしているのは目的地である王都を流れるトリノ河へ抜けていく並木道を走るコースだった。


 この並木道は馬車の通行が基本的に禁止されているため、常にゆったりした空気と綺麗な景観を誇っており、王都民の憩いの場として名高い。特に、設置されているベンチはカップルから愛されており、彼らを狙った軽食を準備する出店なども並木道ではよく見掛ける。


「ああっ! 皆さ~ん!」


 そして、そんな風に大声でウィリアムたちに手を振ってきた少女も、そういった出店の一つを任されている看板娘だった。


 彼女の名はミリア・イーデン。以前、ちょっとしたトラブルにこの並木道で見舞われていたところを、たまたまウィリアムたちが通り掛って知り合うことになった少女である。


「今日も、河原のグラウンドでお兄ちゃんたちのチームと練習ですかー!?」


「そうですー!」


「それじゃあ、後で差し入れを持っていきますー! 頑張って下さいー!」


 代表してウィリアムが走りながら大声で返答すると、彼女はそう叫び返す。

 その後ろでは、店主のおじさんがにこやかに応援するような表情で微笑んでいた。


 しかし、王立キングスフィールド学院の誇るデュアルフット部といえど、最初からここまで垣根の無い状態で王都民たちから受け入れられていた訳ではない。この学園外のロード・ワークが開始された当初はやはり貴族と平民という境が引かれていて、部員たちは遠巻きに眺められこそすれど、温かい声援を直接に掛けて貰うなどあり得ないことだった。


 それが変わり始めたのは、それこそウィリアムたちがミリアと出会った、あのトラブルの日にまで遡る──。




 その日、初めての学外ロード・ワークで、定められたルートである並木道に通り掛かったウィリアムたちの耳に聞こえてきたのは、憩いの場に相応しくない怒声だった。


「貴様、平民の分際で、我々の通行を邪魔しおって!」


 何事かと思いながら走って行くと、ウィリアムたちが向かう視線の先で珍しく道の中央に人だかりが出来ており、どうやらその中心で揉め事が起きている様子だ。


 それを見た瞬間、サフィアスがさり気なく視線を幾つかの方向へ向ける。恐らく、近辺に紛れている護衛の騎士や影たちに目配せで確認を行ったのであろう。


「どうします、ダンデリオン。一応、避けて通る道も用意されていますが。」


「うーん。それも良いけど、やっぱり心配は心配だからね。ちょっと行ってみないかい?」


 すると改めて、サフィアスは周囲に視線を配る。


「……分かりました。行きましょう。」


 護衛の者たちから問題ないとの確認を得たらしいサフィアスが、王子の提案を了承した。


「すいません、何かありましたか。」


 そう言って、サフィアスを先頭に──とはいえ、その周囲を周到に潜んでいた護衛たちがさり気なく押し分けるように──して人だかりを掻き分けて進むと、開けた視界の先には、倒れた少女に向かって怒声を上げている貴族らしき格好の男性と、ここにあるはずのない馬車が鎮座していた。


 それを見たサフィアスはすぐさま振り返ると、ウィリアムにそっと告げる。


「ウィリアム、君はあのお嬢さんを。」


「は、はい!」


 恐らく、立ち振る舞いで貴族と分かってしまう者より、ウィリアムのほうが安心させやすいとサフィアスは踏んだのだろう。

 そう指示されたウィリアムは、すぐさま倒れている少女の元へと駆け寄る。


「大丈夫ですか!」


「あ、ありがとうございます……。その格好、学院のデュアルフット部?」


 倒れている少女の周囲には、恐らく彼女が持っていたのだろうバスケットと中身が散乱しており、それらを手早く集めながらウィリアムは声を掛けると、僅かに困惑しながらも少女は感謝の言葉を述べる。その際、ウィリアムの着ていた練習用ジャージを見てすぐさま彼女が呟いた一言に、ウィリアムはよく知っているなと意外に思う。女性でデュアルフットに興味のあるケースはかなり珍しい。


「……これは一体?」


 それを横目に見ながら歩み出たサフィアスの問いに、激昂している貴族らしき男は声を荒げて返す。


「何だ、貴様らは! 学生風情が偉そうにしゃしゃり出て来るな!」


「トラブルを前に、学生も大人もないでしょう。それより、冷静になって状況を教えて頂けますか?」


「ふん、馬鹿を言え! お前のような餓鬼に教えることなど何もないわ!」


 貴族らしき男は、サフィアスの冷静な提案にも、全く聞く耳を持たない様子。


 それに呆れたようなサフィアスが仕方なく、周囲にいた男性に身振りで指示を出すと、そっと近付いて来たその男性が耳打ちで何かを伝える。


「……なるほど。この並木道を、禁止されている馬車で通行しようとして、売り子をしている女性を轢きそうになった上、それを相手のせいにしている、と。」


「はっ! その程度のことがどうした。私はいま、ノーレッジ宰相閣下へ緊急の提言があって急いでおるのだ! それを邪魔する者など、如何様にでも罰されて当然であろう!」


「ひっ」


 その言葉が貴族から発された瞬間、ウィリアムのすぐ傍で少女が小さな悲鳴を上げた。


 それは、しかし怒声を上げた貴族らしき男に対するものではない。彼女が、そしてウィリアムも戦慄を覚えるほどの(プレッシャー)を発したのは、父親である宰相の名を出されたサフィアスであった。彼は、表情こそ変えないものの、場を凍らせかねないような空気を身体から発している。


 それを見たダンデリオンは咄嗟に口元に手をやりながら笑いを堪え、アレクシウスは額に手を当てながら天を仰いで「終わった……。」と呟いている。


「なるほど。分かりました。」


「ははは、そうか、分かったか!」


 しかし、空気の読めないらしい貴族らしき男は、サフィアスの怒りに全く勘付かない様子で、まるで自分の主張が正しいことを理解されたかのように振る舞っている。


「ええ、ええ。貴方が、我が父に用事があると言って、馬車で通行禁止であるこの並木道で守るべき民を轢き殺し掛けた、ということですよね。」


「……ははは、は?」


「まあ、何事にも例外はあります。この並木道だって、例えば戦時などの緊急事態であれば、止む無く馬車が通行せねばならないことはありますでしょう。それを判断するのは、私ではありません。それこそ、宰相である父なら、その審判を下すのに適切でしょうし、そんなに急いでおられるなら、不肖、このサフィアス・メルツィア・ノーリッジが貴方のお手伝いをして差し上げましょう。」


 そう言ったサフィアスの足元に突如として魔法陣が出現する。


「え、サフィ……ノーリッジ閣下の御子息が、何でそんな格好でこんな場所を走って」


「いまから、貴方と馬車を、宰相府の駐車場まで転送して差し上げます。ああ、勿論、宰相にはすぐさまここで起きたことの状況も報告させますので、貴方には何のお手間もお掛けしませんよ。」


「あ、い、ちょっとお待ちを」


「問答無用。貴方の行いが、戦時下に匹敵する危機的な例外状況だと宰相閣下から認められることを願っておりますよ。」


 サフィアスが皮肉気にそう言うと、足元の魔法陣が一気に輝き始める。そして、その光が目が眩むような最高潮まで達した後、ようやく視界が元に戻れば、既に貴族らしき男と馬車は並木道から影も形もなくなっていた。


「いやはや、流石は宰相家の麒麟児。まさか転送魔術を、無詠唱とは恐れ入る。」


 アレクシウスが驚いたようにサフィアスへ声を掛けると、先程までの(プレッシャー)が嘘のように普段通りへ戻ったサフィアスが返答する。


「いやいや、流石に私も、そこまで転送魔術を無詠唱で完璧に行える訳がありませんよ。これは転送する先が宰相府だったからこそ可能だっただけです。」


「ああ、なるほどな。あらかじめ指定している場所に関しては転送魔術を省略して簡易で発動可能にする機構があるって訳か。」


「ええ、そうです。勿論、そういった機構が許されているのは、必要があると国から認められている場所に限られますがね。それよりも」


 改めて高度魔術の鍛錬を受け始めたウィリアムではまだ理解が出来ないレベルの会話をアレクシウスと交わしていたサフィアスは、そう言って切り上げると、周囲の者に目線で指示を出す。


 すると、サフィアスと目が合った者の数人が、すっと人混みの中へ消えて行く。恐らく、先程のサフィアスが言っていた通り、護衛として付いていた者が、宰相府に報告へ行ったのだろう。


 そして、それを確認したサフィアスは、今度は周囲を取り囲んでいた人々に向かって礼の姿勢を取った。


「さて、皆様。この度は大変お騒がせしました。私の父であるノーリッジ宰相の部下が、多大なご迷惑をお掛けしてしまったことお詫び申し上げます。そのような事件の後で私が言うのも無責任ではありますが、皆様には引き続き憩いの時間を楽しんで頂きたい。」


 その発言に、最初は戸惑っているように互いの顔を見合わせていた人々は、しかし一人がパチ、パチと拍手を始めたのを皮切りに、徐々にその波が広がっていく。


「いえ! 御子息様がお気に病むことなど決してありません!」


「そうです! あいつは、これまでも馬車でここを何度も駆け抜けやがって、困っていたのを、貴方様のお陰で今回は胸がスッと空くような気分ですよ!」


「そう言って頂けると、私としても幾分か気が楽になります。それでは皆様、このまませっかくの並木道に人だかりが出来ていては出店の方々にご迷惑をお掛けしてしまい、本末転倒になってしまいますから、解散をお願い申し上げます。」


 サフィアスがそう言うと、周囲の人々は賞賛の声を送りながらすぐさま散って行く。

 その姿は、確かに人の上に立つべき手腕を既にして備えているようにウィリアムは感じられた。


「さて、腹黒鬼畜眼……じゃなかった、サフィアスの独壇場を楽しめたのは良いとして、まだ散らばった商品は拾い切れていないし、さっさと皆で集めてしまおうか。」


 場が収まったのを見て取ったダンデリオンがそう言うと、先程まで貴族から罵声を浴びせられるという過酷な状況から一変して、いま目の前で起きた突然の介入に目を白黒させていた少女が慌てて声を上げる。


「い、いけません。そんなこと貴族様にさせてしまっては。」


「いやいや、良いんだよ。いまは、私たちもロード・ワーク中だからここを通れないとなると困るし。とは言え、私たちがいま貴女に触れるほど近寄るのはなかなか難しくてね。起き上がるのを手助けしてあげられないんだ。だから、私たちが散乱したものを拾い集めている内に、彼女に手を貸してあげてくれないかな、ウィリアム君。」


「は、はい──」


 ダンデリオンの指示に、ウィリアムが彼の言う通り少女に駆け寄ろうとしたその時だった。


「行くぞ、ウィル!」


 先行して既に駆け出していたアレクシウスがウィリアムを呼んでいる。


「え、あ、うん!」


 それに促される形で、二人は大急ぎで倒れている少女の元へ駆け付けた。


「私は貴族ではないので、触れて貰って構いません。立てますか?」


「あ、は、はい。」


 ウィリアムがそう言いながら手を差し伸べると、おずおずと少女はその手を取って立ち上がる。


「何処か、痛むところなどはないか?」


 ウィリアムとは反対側の手を取ったアレクシウスがそう問い掛けた。


「だ、大丈夫です! ほら、怪我とかはありません、元気が取り柄なんです!」


 そう言って焦ったように力こぶを作ってみせる少女は、華奢な体格で、どうしたって去勢を張っていることが手に取るように分かってしまう。

 いきなり馬車で轢かれそうになった上、貴族から罵声を浴びせられれば、平民であれば誰だって冷静でいられる訳がない。


 その姿を見ていたアレクシウスが、ふと思いついたように発言した。


「なあ、この子を、身内のところまで送ってやれねえだろうか。」


「ああ、うん。それはいいね。」


 すると、すぐさまダンデリオンが同意の声を上げる。


「商品も駄目になってしまっているし、今日はこれ以上の商売は無理だろうからね。ああ、勿論、今日の分の損失は、さっきの輩から賠償金として補填させると思うよ。そうだろ、サフィアス。」


「ええ、可能でしょう。練習に少し遅れることになってしまいますが、状況が状況ですから、きちんと連絡さえすれば、ジョルジオ部長たちなら理解して下さるかと。」


「お嬢さん、お名前を頂いても良いだろうか。あと、ご家族の元まで送ろうと思うので、ご実家の場所もお聞かせ頂いても?」


 あまりの勢いで話がとんとん拍子に決定してしまったせいだろう、再び目を白黒させた少女は、拒否をすることも忘れて、素直にそのまま事実を口に出してしまう。


「あの、えっと、ミリア・イーデンって言います。でも、ウチはいま両親がいなくって、お兄ちゃんと二人っきりで暮らしているんです。それで、実家に帰ってもこの時間には誰もいなくって」


「ほう。それでは、お兄さんはいま何処に?」


「えっと、恐らく河辺の市民グラウンドで、地元のデュアルフット・クラブで練習に参加しています。」


 その言葉に、ウィリアムたちは驚いたように皆で顔を見合わせた。


「あ、あの、何か失言でもしてしまったでしょうか?」


 突然の間に、少女は恐る恐る訊ねた。


「ああ、いえ。先程の輩が身内の関係者だったのに続いて、まさか、こんな偶然もあるんだな、と。」


 そう言ったダンデリオンが、自分たちが驚いた理由を告げる。


「実は、私たちが向かっているロード・ワークの目的地もそこなんだよ。」


 こうして、私たちは少女と共に、練習に遅れることなく目的地の市民グラウンドまで連れ立って行くことになったのだった。

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