Sequence21:少年は更なる一歩を踏み出す
ベッドから見上げる、カーテンに区切られた白い天井。
ウィリアムが受け継いだ記憶の中で最も多く目に焼き付いているのは、そんな狭苦しい天を仰いだ光景だった。
それが、病室という場所で入院している病弱な少年の記憶だろうと、ウィリアムは後に他の夢渡りから教えて貰うことになる。
夢に見る少年は、清潔に保たれた空間で、様々な機械に囲まれながら生きていた。
ウィリアムにとっては、全く見慣れない景色。
一方、少年は、その病室以外の景色を全く見たことがなかった。
少年はベッドから出ることが叶わず、カーテンの中にはひっきりなしに大人たちが出入りするものの、大抵は忙しそうにしていて、その殆どが何処か物憂げに憐れむような表情を少年に対して浮かべている。
そんな場所に同年代の友達などいるはずもなく、少年はいつも一人だった。
だから、彼にとって数少ない安心感を得られるのは、自分の両親が見舞いに訪れてくれる時間だけだったと言って良いだろう。少なくとも、ウィリアムに伝わってくる感覚では、そうだった。
両親たちは、いつも温かく少年を励ましてくれる。
「身体が良くなったら、何処へでも好きな場所へ連れていこう。」
「頑張っている分、好きなことを見つけたら応援してあげるね。」
きっと、本当は彼らも、他の大人たちと同じような表情を何処か別の場所ではしていたのかもしれない。否、病室から出ることの出来ない少年には知る術はなかったが、間違いなくしていたはずなのだ。あれだけ愛情を注いでいる息子が病弱で病室から一歩も自分の足で外に踏み出すことが出来ないことに、悲しみや憐み、不安を覚えないはずがないのだから。
だけど、それを自分たちの息子の前で見せたことはただの一度も、決してなかった。
そんな彼らを少年が尊敬していることをウィリアムは知っているし、ウィリアム自身も彼らを同じように尊敬している。
そして、彼らは、彼らが少年の近くにいられない時間にも、大きな影響を与えてくれていた。
外出することの出来ない少年にとって数少ない娯楽が、両親が病室に差し入れてくれる様々な本だったのだ。
その中でも、特に少年の興味を惹き付けたのは、広大な見知らぬ大地を冒険するファンタジー小説と、己の肉体一つで勝負する競技を纏めたスポーツ情報誌だった。
どちらも彼自身から最も遠く離れた存在である。その分、憧れは誰よりも強くなった。
だからだろう、ウィリアムは、この世界でデュアルフットと出会った時、天啓にも似た感覚を得た。
これこそ、少年の望んだ光景ではないか、と。
魔法という、少年にとっては未知の技術を駆使しながら己の肉体で勝負する競技。彼の世界には存在しなかった、見たこともない地平線に自らの足で先へと進んで行ける感覚が、ウィリアムにとってデュアルフットにはあったのだ。
そう感じてから、ウィリアムはデュアルフットという競技の虜となった。
だからこそ、アレクシウスたちとの出会いなどを経てデュアルフットのクラブ・チームに参加することが出来るようになったウィリアムは、その幸運に感謝を忘れず、肉体の鍛錬と技術の研鑽を怠らなかった。
そして、それは王立キングスフィールド高等学院に入学するに際して助力してくれたジョルジオや、初日にトラブルに割って入り仲介を買って出てくれたダンデリオンスたちとの出会いという幸運に対しても同様だった。
とは言え、これまで一切の問題がなかった訳ではない。寧ろ問題は山積みだった。
少年から受け継いだ記憶には、確かに多様なスポーツの情報はあったが、当然ながら自分で満足には動けない少年が実践して身体に染み込ませるまでに至ったものではなかった。頭で理解しているのと、身体で理解しているものは絶対的に異なる。必然、ウィリアムもそうしたスポーツの技術を運用することが出来なかった。
それが分かってからは、ただでさえこの世界ではまだ風当たりの強い夢渡りにの中にあって、周囲からすら持たざる者だと哂われたことも何度もあった。
しかし、それをウィリアム自身は、惜しいとか残念だと思ったことなどただの一回もない。
何故なら、少年が夢見たのは、まだ誰も見たことのない広大な大地を冒険することだったのだから。
デュアルフットは、この世界では伝統的な競技だったが、それでも尚、まだまだ突き詰められることがたくさんある。
あらゆる競技には、技術的にも、戦術的にも、まだ誰も試したことのない領域が幾らでもあり、その発見によって流行は日々、刻一刻と変わっていく。
その中で、自分で一つ一つ試しながら進むことこそ、ウィリアムが夢渡りとして少年から受け継いだ憧れだった。
実際、この世界にはこの世界なりの制約や条件があり、まだ誰の足跡も残されていない未踏の大地のような領域がデュアルフットには残されていてくれた。
例えば、魔術の発展を主に担う貴族たちが、彼らが将来に課される己の責務を見据えるが故に、適正外の魔術を習得することに対して敬遠しがちなのも、その一つだった。
そのことを瞬時に理解し、尚且つ魔術の習得に協力してくれるのに必要な技能と知識を備えたサフィアスと出会えたこともまた、ウィリアムにとっては幸運の一つだろう。
だから、ウィリアムは、自身のことを持たざる者だと思ったことはない。
寧ろ、ある意味では恵まれているとすら思う。
それならば、自分に出来ることは、その幸運に全力で報いることだけ。
そのための武器もウィリアムは持っている。
ウィリアム自身、誰にも言ったことはなかったが、少なくともそうありたいと思う姿。
それを、先日に声を掛けてくれた同級生のエリオットが奇しくも口にしてくれていた。
彼は言った。ウィリアムの“意志”の強さにこそ感動した、と。
ウィリアムを支えてくれているのは、少年から貰った憧れから生じた“意志”だ。
どんな逆境にも屈さず、ただひたすらに前だけを見据えて進むようなスポーツマンに、彼はなりたかったのだ。
いま、目の前にいるのは、前年度のデュアルフット高等部門の覇者となったチームで大黒柱を務めていた、相手としては不足がないどころか、これ以上は望めないと言って良いほどの高い壁である。
実際、前回は手も足もでなかった相手だが、いまは第1シークエンスは相手に取られたものの第2シークエンスでイーブンまで押し返した状況となっている。
だが、まだその高い壁を越えた訳ではない。
その高い壁を越えて、まだ誰も見たことのない景色を、ウィリアムは強く強く望む。
「プレイ!」
第3シークエンスの開始を告げるジョルジオの声が響き渡った。
瞬間、セット・タイムにあらかじめ事前設置していた風属性の魔術が足元で遅延発動する。
まるで足元で起きた爆発に押し出されるかのように、通常時ならあり得ない速度まで一気に加速するウィリアム。
それに対して、視界の先、テズニアは、先程と違ってプレイ開始からは一瞬遅れて火属性の煙幕魔術を発動させる。それは、第2シークエンスと同様にウィリアムが風属性の魔術によって加速してくるかどうかを見定めるための遅延発動だった。
しかも、煙幕が発動する直前、ウィリアムの目は、テズニアが身体強化魔術を二重に発動するのを捉えていた。
既に、第2シークエンスで風属性の魔術を見せてしまった以上、それを警戒されるのは当然。
そこで短い時間ながらも対策を打ったテズニアに、ウィリアムは流石だと感心しそうになる。
テズニアの身体強化魔術は、昨年度のデュアルフットの覇者に相応しい練度を誇る。
しかも、その実績に慢心することなく、それを二重に掛けている。それは、昨年度、鉄壁と呼ばれたテズニアを象徴する絶対的な戦法だった。
いま、前回は見ることすら出来なかった相手の戦法を前にして尚、今度こそ本当に打ち倒そうと思うなら、先程と同じ風属性の魔術による奇襲だけではまだ足りない。
まだ見ぬ境地へ、ウィリアムは踏み込まなければならない。
風属性の魔術による加速は、使用者にとって身体操作を極めて困難にさせる。実際、スタートした最初の一歩すら、特にまだ慣れていないウィリアムには、きちんと守備に適した姿勢を維持することが難しかった。
しかし、その上で尚、踏み出した最初の一歩が地面につく瞬間、もう一つの使用可能な魔術枠を瞬時に発動させる。
それは、風属性の魔術による加速の二重掛け。
これまで練習でも殆ど成功したことがなく、今後もまだまだ安定して成功させることは出来ないだろうこの技術を、いまこの勝負という大一番に成功させなければならない。
この二重掛けに賭けを加えた三つの未踏こそ、テズニアの二重掛けを越え得るウィリアムにとってのいま唯一の可能性。
センター・ライン上に設置された炎に揺らぐ球体状の煙幕を、まるで突き破るような勢いで突破するウィリアム。
それは、第2シークエンスで見せたウィリアムの加速よりも遥かに速く、必然、テズニアがあらかじめ想定していただろう煙幕内での接敵よりも遥かに手前での格闘にもつれ込む。
それにもかかわらず、まるで予想していた通り如く接敵に最適な強い姿勢を取っていたテズニアの圧倒的に洗練された美しさに、一瞬、ウィリアムは見惚れてしまいそうになった。
だが、いま勝負の瞬間に、余計な感情は不要。
尊敬の念があるからこそ、全力を尽くして相手を倒しに行かねばならない。
爆発的な加速で踏み込んだ一歩目を起点にして更に加速しているウィリアムには、もはや思考によって身体を制御する余裕がない。
だが、こういう時のためにこそ、得意な受けタックルだけではなく、強く入るタックルの姿勢もどんな場合だって自然に取れるように毎日、飽きることなく反復練習を繰り返して身体に染み込ませてきたのだ。
しかも、高等部での練習が始まってからは、テズニアというこれ以上ないお手本が目の前で実際にそれを実践し続けていてくれた。
だから、必要なのは、これまで積み重ねてきた反復努力を信じること。
そして二人は交錯し、勝負に決着が付く。
「……ああ、いつ以来だろうな、こうやって青天に倒されるのは。」
仰向けに倒されたテズニアが、そう呟いた。
「テズニア、攻撃成功ならず! タックルによってセット・ラインを越えてスパイクをターン・オーバーしたため、守備側ウィリアムの一点獲得!」
そして、審判を務めるジョルジオが判定を下す声が響き渡った。
瞬間、周囲で固唾を呑んで見守っていたチームメイトたちから大歓声が上がる。
「見慣れない景色だ。」
そう言って天を仰いでいるテズニアに、彼の足元へタックルに入った拘束を解いて、同じ様に仰向けに姿勢を直したウィリアムが返す。
「僕も、こうして誰かと天を仰ぐのは見慣れない景色です。」
ウィリアムの返答に、テズニアは満足そうに笑った。
「そうか。だが、青空ってのは、やっぱり綺麗なものだな。」
「……はい。」
決着を飾ったのは、孤独な白い天井とは異なる、あの少年が未だ見たことのない、二人で一緒の空を見上げる青い景色だった。




