Sequence12.99:幼馴染は思い出す
時刻は早朝。王都内での公用に備えて建てられた辺境伯家別邸から通うアレクシウスが学院に着いたのは、王立学院の規定登校時間までまだまだ余裕のある時間である。
アレクシウスは校門を馬車で通り過ぎた後、乗り降り用のロータリーになっている中庭で送ってくれた御者たちに感謝の言葉を告げて別れると、校舎ではなく、そのままデュアルフット部のクラブ・ハウスへ足を運ぶ。更衣室で着替えを済ませてグラウンドに出ると、既にそこには先客が待っていた。
「よお、やっぱりそっちのほうが早かったか、ウィル。」
「うん。まあ、こっちは敷地内の寮に住んでいるんだから当たり前だけどね、アレク。」
そう言ってから、アレクシウスにおはようと挨拶するのは、幼馴染のウィリアム。
「はっ、馬鹿言え。これでもお前を出し抜こうと思ってたんだ。それこそ、普通じゃあ考えられないくらい早く起きて邸を出たってのに。相変わらずだな、お前は。」
「や、やめろって。」
勝手に仕掛けた早起き勝負で負けたことを八つ当たりするかのように、入念なストレッチのため地面に座って各部を伸ばしていたウィリアムの髪の毛をわしゃわしゃと掻き回すアレクシウス。
そうして二人は一通り戯れつつ互いにストレッチをした後、ロード・ワークとして学院を囲む塀沿いをぐるっと一周する道をトラックに見立ててランニングを開始した。
走り出してから数分、ふとウィリアムが口を開く。
「何だか懐かしい感じがするね。」
「あ?」
「いや、北領のクラブ・チームを引退して以来、高等部への入学手続きやら何やらの諸々で、こうやって一緒に練習、しかも朝練なんて久しぶりじゃない。」
「懐かしい、か……ああ、まあ、そうだな。」
「アレク?」
「いや、何でもねえ。」
旧交を温めるような、傍から見れば幼馴染らしいやり取り。
しかし、アレクシウスが懐かしいという言葉で思い出していたのは、ウィリアムとの関係が初めからこうして一緒に練習するような仲では決してなかった、という記憶だった。
アレクシウスが初めてウィリアムと出会ったのは、初等部の頃から通っているデュアルフットのクラブ・チームが所有しているグラウンドだ。
「お前、誰?」
確か、最初に掛けたのはそんな言葉だったように思う。
グラウンドの周囲を囲う柵にかぶりつくよう近付いて、目を輝かせながらデュアルフットの練習を眺めている、見たこともない少年。
そんな姿を訝しんでアレクシウスが声を掛けたのが、先程の一言だったはずだった。
今にして思えば、何とも不躾な言葉だったとアレクシウスは思う。
「え、あ、いや」
突然に声を掛けられてしどろもどろに戸惑うウィリアムを見て、アレクシウスは更に問い詰めた。
「名を名乗れ。」
「あ、えっと、う、ウィリアム」
「ウィリアム? 苗字は?」
「……ありません。」
キングスフィールド王国では、幾つかの例外を除けば、一般的に平民でも苗字を持つ。
例えば、生みの親が分からずそもそも名乗るべき苗字が分からない孤児はそうした例外の一つである。
しかし、ウィリアムの姿は、些か不自然に汚れている部分もあって綺麗とは言えないものの着ている服は孤児院などで使われている安物ではなく、国営施設などで支給されるものに見えた。
「……もしかして、お前、夢渡りか?」
「は、はい。」
恐る恐るというような様子で答えるウィリアム。
「夢渡りがこんな場所に何の用だ。」
夢渡りとは、かつて異世界から救世主を召喚するために大魔方陣を使用して以降、この世界で起きるようになった現象、そしてそれが発生した対象人物のことを呼ぶ名だ。
彼らはこの世界とは異なる知識を駆使することが出来るが、それ故にこちらの文化としばしば衝突することがある。そんな彼らが、デュアルフットというこの世界で伝統的なスポーツに参加したがるとはなかなか思えないのが普通だった。
「夢渡りなら、異世界の記憶を使って、この世界には存在しなかった新しいことでも始めればいいだろ。わざわざデュアルフットなんかする必要もないんじゃないのか。」
続け様に捲し立てるアレクシウス。実際のところ、それは以前にたまたま通り掛けに耳にした屋敷の使用人たちの立ち話を試しにそっくりそのまま口にしただけで、本当にそのようなことを思っていた訳ではない。確かに、当時はまだそのような意見も決して珍しいものではなかった。
しかし、例えば自身の父親であるウォールゲイト辺境伯がそのような物言いに対して激しく叱責するような、世間では稀な領主であることなどまでは、幼い頃のアレクシウスはまだ理解していたなかったのだ。
しかも、ウィリアムはその中でも特殊だった。
「……いんです。」
「何だと?」
「無いんです、僕にこの世界で役立つ異世界の記憶。」
その言葉に、アレクシウスは言葉を失った。
有益な記憶の存在しない夢渡り。確かに、そのような者が存在し得ることは知っていた。
しかし、それはあまりにも酷な話だ。
一部の過激な排外主義者を除いた多くの人々は、夢渡りに対する扱いを、有益な記憶を用いて成功することとトレード・オフのものだと言い訳しながら、自分たちの醜い嫉妬や諦念に蓋をしているに過ぎない。
だが、有益な記憶を持たないにもかかわらず、夢渡りとして親から引き離されて一人で生きなければならない中で、頼れる知識もない彼をどういった周囲からの扱いがこれまで待ち受けていたのか、辺境伯子息という恵まれた立場にいるアレクシウスには想像すら付かなかった。
「やっぱり僕なんかが参加を出来る訳ないですよね。ごめんなさい、帰ります。」
「いや、おい、ちょっと待ってくれ。記憶がないってのはどういうこ」
いきなりそう言ったウィリアムをアレクシウスが呼び止めようとしたその直後、彼の脳天に衝撃が走った。
「何してんの、このバカ!」
アレクシウスが後ろを振り向けば、そこには拳骨を握ったマーヤが立っていた。
突然の出来事に、ウィリアムも呆然として足を止めている。
「な、何だよ、マヤ。」
「何だも何もないでしょ。アンタが知らない子を根掘り葉掘り問い詰めてイジメてれば当然、止めにくるわよ!」
「い、イジメてた訳じゃあ」
「キミ、ごめんね、いきなり。あたしも昔、女の癖にこんな場所に何の用だ、とかよく言われたから、気持ちはちょっと分かるつもりなんだけど、いや、でも一緒にしちゃ駄目か。」
「あ、いや、夢渡りがデュアルフットに興味を持つのが珍しいのは事実だから……気にしてないですよ。」
気まずそうに返事をするウィリアムを見て、マーヤがアレクシウスを促すように言う。
「ほら。」
「ほら、って」
「謝罪。」
「……すまない。練習、今度から一緒に参加するか?」
「い、いいんですか! ありがとうございます!」
それが、アレクシウスにとって懐かしい、三人の出会いだった。
そんな苦い思い出を振り返りながらアレクシウスがウィリアムと一緒にランニングしていると、ふと背後からもう一つ足音が聴こえてくる。アレクシウスとウィリアムは、横目で互いに確認し合うと、後ろを振り返らずに声を掛けた。
「よお。」
「おはよう。」
それに自然と返ってくるマーヤの声。
「やっほ。」
それからは、ただひたすら三人が走る足音と呼吸音だけが淡々と続いていく。
その中でふと、ウィリアムが口を開いた。
「アレク、トレーニング中だってのに、何か余計なこと考えてたでしょ。」
呆れたような声のウィリアム。それは、既に何かを察しているかのような声色だった。
「……すまなかった。」
それにアレクシウスが出来る返事は、素直な謝罪一つしかなかった、
「いいよ、ありがとう。」
そして、それに対するウィリアムの返答も。
そんな二人のやり取りを横目に、ふふっと笑うマーヤ。
早朝の空気に研ぎ澄まされていくようにして、いつの間にかアレクシウスも、いまこの時に素直な懐かしさを覚えられるような気がしてきていた。