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(3)泣き虫王子の小さな手①(イアン十歳)

十歳のイアン視点。長くなったので2日に分けて投稿です。




 僕はイアン。このルイギア王国の第一王子だ。

 いずれは父の跡を継いで国王になるのだとみんなが言う。

 正直いって国王業というものは楽しそうには見えないからやりたくない。

 国王としての父上はいつも気難しい顔をしている。気難しい顔をしていないと舐められるのだという。

 母上は美しい人だった。確か元々はどこかの国の伯爵家の娘で、留学に訪れた父上と出会って恋に落ちたらしい。

 母上は僕に優しかったけれど、実際に世話をしてくれるのは乳母のカーナだった。母上は僕をお茶会に呼んで愛でるだけで、しかったり甘やかしたりなだめたり遊んだり……どうやらそういうことが苦手なようだった。後で子ども全般が苦手なのだと知った。


 一番記憶に強く残っているのは、お菓子を食べた手でつい母上のドレスを触ってしまった時にすごく怒られたことだった。罰として夕食抜きだと言われて、意味がわからず呆然としたものだ。


 今ならばわかる。

 母上は美しいものが大好きで、僕をお茶会に呼んでいたのも子どもとしてかわいがるためではない。自らがこの世に生みだした美しいものを鑑賞するためだ。

 それがわかるまでは、なんとか母上に構ってもらおうと思っていつも泣いてばかりいた。

 泣いていたら心配してくれるだろうか?

 友だちができなかったら気にしてくれるだろうか?

 授業をさぼったらしかってくれるだろうか?

 しかし、いつでも彼女から返ってきたのは『無関心』という返事だった。声をかけられるどころか、泣いている間は近づけてさえもらえなかった。


 僕の何かがとても渇いていた。

 きっと愛情に飢えていたのだろう。その渇きを癒すかのように僕は涙を流し続けた。

 そのうち泣くのが癖づいてしまったのかもしれない。

 涙腺がゆるく、ちょっとしたことでも泣いてしまっていた。

 周囲の大人たちは僕が泣くと、困って泣き止むように言い聞かせるか、わけ知り顔でなぐさめた。

 僕は僕を見てもらうために泣き続けた。そうしなければ誰も僕を見てくれない気がした。取り残されるのは恐ろしかった。


 そのうち、なぜ泣いているのか、悲しいのか悲しくないのかさえわからなくなった。

 僕の世界は常にいびつで、砕け散った欠片をかき集めるためにいつも泣いていた。


 そんな時、父上に呼ばれてある少女と引きあわされた。

 彼女の名はアンリエール。フェルズ公爵家の娘。茶色の髪に鳶色の瞳の少女。誰もが平凡だと称する少女。

 その彼女の目は、泣く僕の姿をとらえてこぼれ落ちんばかりに見開かれていた。

 だから、彼女も他の人間と一緒だろうと思った。僕の見てくれだけに惹かれて寄ってくる人間たちと。

 そして、すぐに落胆してもしくは関心をなくして離れていくのだ。


 結論から言うと、その少女は離れてはいかなかった。特に近づいてくる様子もなかったが。

 僕が泣いていても、他の大人たちのようになだめようとしたり泣き止むように言うこともなかった。

 ただ、泣き止むまで待っていた。側でじっと。


 ああ、泣いてもいいんだ。


 そう思ったらなんだか肩が軽くなった。

 僕はまだ子どもなんだ。

 泣いていけないことなんかあるはずがない。

 そしてその日からその少女の側は、僕が安心して泣ける唯一の場所となった。

 この少女さえいればいい。他には何も要らない。

 たとえ母上から普通の形の愛情をもらわなくても。

 この少女さえいれば。


 僕は、アンリを婚約者に据えてもらうように父上にお願いした。

 母上はアンリを毛嫌いして婚約には反対していたけれど、これを仮の婚約とすることで渋々納得していた。

 公爵令嬢というアンリの身分は、王太子妃だろうと王妃だろうととるに足るものだ。それに加えて教養も知識も十分だった。母上が反対を通し切ることはできなかった。

 母上はきっと、彼女のお眼鏡にかなう見目のよい者と婚約して欲しかっただけなのだろうと思っている。


『このような卑しい見目の血が王家に入るなど許されない』


 そういって、激昂しながら抗議をしていた。父上は仮初の婚約なのだから深く考えるなと笑っていたが。


 僕はそれを聞きながらほくそ笑んだ。これに関しては母上の勘の方が正しい。

 なぜなら僕はこれを仮初の婚約にする気などないからだ。仮初の婚約という形でも、婚約は婚約だ。破棄さえしなければいい。破棄させるような理由を与えなければいい。


「アンリ」


 案の定、王宮の図書館で読書をしていたアンリに声をかけた。アンリは顔を上げて少し微笑む。


「あら、イアン様、どうされましたか?」

「午後はちょっと僕につきあってくれる?」

「えっ……でも、今日の午後は確か政治学の授業が……」

「大丈夫。今日の分まで終わってるからね。先生にもお休みを許可してもらったんだ。お願い!」


 少し目をうるませて上目遣いに頼めば、アンリは断ることができない。


「うっ……わかりました。今日はおつき合いいたしますわね」


 すかさず僕はカーナを呼んだ。戸惑っているアンリを着替えに連れて行ってもらう。


「イアン様、いったいこれは……」


 カーナに連れられてすっかり着替えたものの、相変わらず困惑表情こんわくがおのアンリ。困り顔のアンリかわいいな……コホン。

 僕は彼女をそのまま馬車に押しこんだ。

 向かいあって座る彼女は、カーナの手によってすっかり町娘の姿になっていた。

 長い髪は三つ編みのおさげにされ、モスグリーンのワンピースの裾には控えめなレースがついている。控えめな彼女に似合っていてとてもかわいいと思う。

 元々、庶民に多いと言われている茶髪茶眼の彼女は、町娘の姿でも違和感はない。


 僕もまた、アンリとお揃いになるように茶髪のカツラをかぶり、目の色を変える眼鏡をかけていた。王宮の下働きには出自が庶民の者もいる。そういった者に声をかけてもらって、子どもなどの使い古しの服を回してもらっていた。

 人目をはばからず泣く僕は、王家の恥だとそしりを受ける可能性がある。それを懸念するものたちの手によって普段は王宮の奥に隠されている。公然と姿を現すことはまれだから、王都民はまず僕の顔を知らないに違いない。だから、目立つ髪や瞳さえ隠してしまえば、紛れこむことができるはずだ。


 アンリは馬車で四半刻ほど走るうちに、僕の意図に気づいたらしい。また平時の落ちつきを取り戻していた。


「お忍びで街へ行かれるのですか?」

「うん。そうだよ」

「しかし、王子殿下ともあろうお方が護衛も連れずに街へ出るのは危険では……」

「大丈夫だよ、アンリ。護衛はシンがいるからね。今は御者をやってるから姿が見えないけど。後、見えないけど、影の護衛が何人かいるよ」

「ですが……」

「どうしても君を連れていきたいところがあるんだ」

「……もしや、イアン様はもうすでに、何度か街へお忍びでいらっしゃったのですか?」

「そうだよ。よくわかったね!」

「慣れてらっしゃいますもの……」


 少し不満そうに口を尖らせるアンリもかわいい。

 何だろう。こんなかわいい顔をして、アンリは僕をどうしたいのかな?

 にやける顔を必死に抑えこむ。


「僕と一緒におでかけしたかった?」

「な……そ、そんなこと申してません!」


 母上が特に嫌うアンリの容姿。

 北方の血を色濃く受け継ぐこの土地では、肌が白ければ白いほど、髪色や瞳の色が鮮やかであれば鮮やかであるほど美徳とされてきた。

 対して、茶色や亜麻色、黒などの茶系の落ち着いた色彩を持つものは南方からの移民に多く、庶民は大半がこの色だ。

 公爵夫妻やアンリの兄であるスチュアートは、青金の髪にブルー系の瞳を有している。そのため茶髪茶眼のアンリは異分子である。貴族としても平凡で地味だと、異口同音にささやかれている。彼女自身もまた、そう思いこんでいる節がある。

 彼らはアンリの本当の姿に気がつかない。

 十歳にしては聡明な少女。公爵家の娘なのに親の権力を笠に着て偉ぶることをしない。僕が泣き止むのを待つくらい我慢強い。彼女の親しみやすい鳶色の瞳が、僕は好きだった。


 そうそう。ちょうど今みたいに少し照れた時なんて、白い肌にサッと赤みが差して、えもいわれぬほどかわいらしくなるんだ。

 普段冷静沈着でいる彼女の、その姿に僕はどうしようもなく心が揺らされる。

 先日、若い侍女たちが話しているのを聞いたが、こういうのは『ギャップ萌え』というらしい。

 けれど、そんなアンリに気がつくのは、まだ僕だけでいい。僕だけが知るアンリ。

 そのことを考えると胸が踊る。


 やがてさらに四半刻ほど走った馬車は、人通りの少ない裏通りに入って停車した。

 ここからは馬車を降りて徒歩で移動する。御者兼護衛のシンは、僕たちの保護者役としてすぐ後ろからついてくる。御者兼護衛兼保護者である。


「はい」

「?」

「手を貸してね、アンリ」


 僕はアンリの手をとった。


「あ……えっと……」


 握った手が所在なげに揺れる。横を見なくてもアンリが困ってるのが伝わってくる。こういう時、少しだけ眉尻が下がるんだよね。眉が下がったアンリもかわいいんだ。


「街の中で迷子になったら困るでしょ?」

「ええ……そう、そうですわね」


 僕はクスッと笑った。予想外の出来事に思考が停止したようだ。どうやらあまり深くは考えないことにしたらしい。いい感じ。

 アンリは基本的に頑固だけれど、押しに弱いところがあるんだ。だから、こうやってどんどんつけこんでいくつもりなんだ。


「まず、パン屋でパンを買おう!」


 こっそり下働きの者たちから聞き集めた店の名前が、いくつか心に留めてある。

 そのうちの一つであるパン屋へ行こうと思ったが、間の悪いことに『閉店中』の札がかかっていた。定休日は火曜だと聞いていたんだけどな。


「おや、あんたたち、もしかしてパンを買いに来たのかい?」


 通りがかった年配の女性が、休業の看板の前で立ちすくんでいる僕たちに声をかけてきた。


「はい。残念ながら今日はお休みのようですね」


 そう答えたアンリの手を、僕はきゅっと握った。アンリはハッと息を呑んで握り返してくれた。

 別に泣いてなんかはいないよ。

 ちょっと悲しくなっただけだ。


「いや、それがねぇ……店を閉めちまったみたいなんだよねぇ……」

「えっ……」

「何でも、このパン屋の女主人がお貴族様に見初められたらしくて、一ヶ月ほど前に慌ただしく出ていったんだよ。あんたたちくらいの娘さんがいて、女手一つじゃ育てるのも大変そうだったから、あの母娘おやこにとっちゃよかったんだろうけどねぇ。ここのパン、おいしかったのに残念だわぁ」

「そうなのですね……教えて下さりありがとうございます」

「いいえ~。兄妹でおつかいかい? わざわざ買いに来たのに残念だったねぇ。本当にいいパン屋だったのに……お手伝いしてる娘さんもかわいかったんだよ。ああ、そうだ。味はちょっと劣るけど二本向こうの筋にも似たようなパン屋があるよ」

「ご親切にありがとうございます」


 女性はひたすら残念がって去っていった。


「残念」

「残念ですわね」


 本当に残念だ。僕の好物ハムサンドがおいしい店だと聞いたから、アンリと食べてみたかったのに。


 僕たちは結局、女性の勧めてくれたパン屋へ行くことにした。

 あいにくとハムサンドは置いてなかったが、いくつかのパンは買うことができたから、上々の結果ではないかと思う。

 棚にたくさん並んだ様々なパンを見て、アンリも興奮気味に選んでたし。あれもこれもと追加していたら結構大量になってしまった。

 もしあまったら(確実にあまるけど)護衛たちにもわけてやるかな。

 王宮でも同じなんだけど、公爵邸ではシンプルなパンしか見たことがないそうだ。

 珍しく思って店主に聞いてみたら、どうやらさっきの廃業したパン屋からいくつかのレシピを買ったらしい。変わった形のパンや中に具の入ったパンなどはそのレシピを元に作られているそうだ。

 アンリが喜びそうだから、そのレシピを王宮にも売ってくれないかな? 後で遣いをやって聞いてみるか。



イアン視点続きます♪

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