(23)カエル公女の里帰り計画3
里帰り編3/3
「さて、それじゃあ始めようか?」
頬を染めてイアンを見つめる偽アンリ──と、言いたいところだけど、染まってるかどうかは厚化粧のせいでわからない。
「その、カエルはなんですの?」
彼女はふとイアンの膝に置かれた私が気になったらしい。指差しながら問う。
イアンはニコニコ笑いながら答えた。
「気にしないで。僕のマスコットみたいなものだからこうしていつもそばに置いてないと不安なんだ。なーんて、君も知ってるはずだよね?」
「あ、ああそうでしたわね……ええっと……そうだったかしら……?」
訝しげにしながらも不承不承納得せざるを得ない偽アンリ。
もちろん嘘八百だ。そんな事実はないし、私はイアンのマスコットじゃなくてチャーリーのおもちゃだ。背中にもチャーリーって書いてあるんだよね。自分じゃ見えないけど。
イアンの言葉は偽アンリには「君が知らないはずがない」と断定的に聞こえたことだろう。
本人にそんなふうに言われたら、例え知らなくても同意するしかないよね?
偽アンリの中身の彼女は、イアンと接したことがほとんどないはずだ。彼女の手の内にあるのは王妃に教えられた情報だけ。その他の知らない情報は鵜呑みにするしかない状態だ。イアン本人が是と言えば頷くしかないのである。
だからこそ、知り合って間もないイアンの好みを熟知しているかのようなラーラが、何だか不気味だったのだ。
魚料理が苦手なのは王宮の料理人なら誰でも知っているはずだし、王妃にも容易く手に入る情報だった。
だが、ハムサンドが好きなことはどうやって知ったのだろうか。あれから一ヶ月あまりイアンと過ごしているが、王妃と食卓をともにしている姿を見たことがない。私に食べさせるために別にしているのかと思ったら、そうでもないらしい。行事ごとでもない限りは一緒に食事を取らないのが、彼らの日常なのだそうだ。普段食卓をともにしない王妃にイアンの食事時の心の機微がわかろうはずがない。
では、誰が彼女にそれを知らせたのだろうか?
「今日、僕がここへ来たのは学園でのあるできごとに関する事実関係を調査するためだよ。
君が、学園でラーラ・リストをいじめているという話を聞いたからね。本当なのかい、アンリ?」
う……慣れたと思っていたけれど、イアンが偽アンリのことをアンリって呼ぶと何だかモヤモヤする。
それは私じゃない! 思わずそう叫びそうになる。
笑っちゃうよね?
おもちゃがこんなことを考えるなんて──私は胸のモヤモヤを無理やり封じこめることにした。
「ふん。事実無根ですわ! さっきの侍女の躾と同じですのよ。わたくしはいじめているのではなく、教育をしてやってるのです。あの者は目上の者に不遜な態度をとったりして、自分の立場がわかっていないようですから」
「なるほど。自分はあくまでも注意しているだけだと言うんだね?」
「そうですわ」
「でも、教科書などの私物を損壊したりするのは、やっぱりやりすぎだと思うんだよね。それに私物とはいえ、王立学校の配布物は元を正せば王からの賜り品だ。下賜品の損壊は教育の範疇を超えてるんじゃないのかな?」
イアンの声が段々と低くなっていくにつれ、部屋の温度が下がっていく。はたで聞いていても心臓が縮むような、そんな声。
そういえば国王の声や言葉には力があるという逸話を家庭教師から聞いたことがある。王族は総じて魔力が高い。その強い魔力を声にこめることで、より遠くより強く人々の心に届けることができるらしい。『王の資質』と呼ばれる力だ。人間にそんなことできるのかと子ども心に驚いたものだった。
目の前の男は泣き虫でも王族の一人である。イアンは現国王より強い魔力を持っているというし、できないはずがない。
「で、でもっ! あの女はイアン様と親しげにしているではないですか! イアン様の婚約者はわたくしなんですよ?! 婚約者のいる男性を誘惑するだなんて、恥ずべきことでは?!」
「ふふ……もしかして嫉妬してくれてるってことかな?」
「しっと……?」
「アンリがそんなことを言ってくれるなんて嬉しい、と言いたいところなんだけど。僕が嫉妬して欲しいのは君であって君じゃないんだよね……とにかくやめた方がいいと思うよ? そんなことをしても君の望みはかなわない」
「いったいイアン様は何を言って……」
イアンの言葉に動揺と混乱を隠せない偽アンリ。
「ねぇ」
ゆっくりと。しかし確実にしとめるように。
イアンは作り笑いをやめて偽アンリをじっと見つめた。いや、まだ口元は笑ってるけど目が笑ってない。
「ところで、君は誰?」
「えっ……なんの……何のことでしょう?」
一瞬呆気にとられたような偽アンリの目が泳いで、パッとイアンの突き刺すような視線から顔を逸らした。
「アンリの顔をしている君に聞いてるんだ。君の本当の名前は?」
「わ、わたくしはアンリエール・フェルズです!」
偽アンリは立ち上がりながら、いらだたしげに叫んだ。その取り乱した姿でもう、イアンの言葉を認めているようなものだ。
「違うだろう? 君はアンリじゃない。本当の君は誰だ? 最近姿を見てない令嬢というと、イソラ・トリゴニアかスザンナ・ザラストか……」
「ちがっ……違いますっ! わたくしはスザンナとかいう名前ではっ」
はっはっと短い息を吐きながら偽アンリは否定する。
怯えているのだろうか? 彼女の方が小刻みに震えている。
しかし、イアンは追求の手を緩めない。
「ふぅん。君はスザンナ・ザラストなんだね。君が王妃と取引をして呪薬を飲んだことは知ってるんだ。
でも……その様子じゃ君の方は知らないみたいだね。ザラスト家じゃ最近、葬式を一つ出したって話だ。つまり──君はもう死んだことになっている」
「えっ……」
「だから、いくら王妃と取引したとはいえ、こんなことを続けていても君はもう、何も得ることはできない。そうだろう、スザンナ・ザラスト?
だって、死人が僕の婚約者になんかなれるわけがないからね。王妃は約束を守るつもりはないってことさ」
「あ……あぁ……」
よろよろとよろめきながら後ずさる。
その顔からは血の気が引きすぎて、青を通り越して紫になっている。唇がわなわなと震えているのが見えた。
そして、こめかみに両手の爪を立てグッと抱えこんだと思ったら、次の瞬間バッと弾けるように顔を上げて叫んだ。
「うるさい……うるさい、うるさい、うるさいっ! うるさいぃっ!」
それは人間が出せるのだろうかというほどザラっとしたゾッとする声で。
「わたくしはアンリエール・フェルズ! お前の方こそイアン様の皮をかぶった偽物だ! ここから出ていけぇーっ!!!」
その顔は醜悪に歪み、塗り固めた白粉がパラパラとはがれ落ちる。
そして、すごい力でイアンにつかみかかった。
イアンは胸ぐらをつかまれながらも、ひどく落ちついている様子だった。偽アンリとしっかり目線を合わせて、口を開いた。
「もう一度言う。こんなことをしても、君の望みは叶わない。一生。手には入らない。何もかも!」
その言葉に偽アンリはカッと目を見開いた。
「うわぁぁぁ──っ!!!!! ううっ!」
すごい形相で叫んだかと思うと、イアンから手を離した。そして彼女は胸を押さえながら、再びよろめいてパッタリとベッドに倒れこんだ。
「あれ?」
気の抜けたようなイアンの声。
『まさか、死んじゃった……?』
思わず不安になる私。
イアンは私を床から拾い上げると、テーブルの上に乗せた。
「いや、死んではいない。気を失っただけのようだよ」
入れ替わったのはスザンナという子だったのね。
「そう。行方不明者なんて隠し通せるものじゃないからね。ちょっと調べればすぐわかることだよ。先日、ザラスト家は身内の葬式を出したけれど、遺体は棺に入っていなかったはずだ。だけど……」
イアンは言葉を切って訝しげに眉をひそめた。。
「スザンナ・ザラストには一度会ったことがあるんだけど、こんな性格じゃなかった気がするんだよね? 何というか──もう少し大人しくて主張の弱い娘だったように思う。だからこそ母上につけこまれたんじゃないかと思っているんだけど……」
他人の性格なんて、一度会っただけじゃわからないと思うけど?
「まぁもちろんその通りなんだけど……でも何か違う気がする。そういえば、あの本に肉体と魂が合わない者は、性格が肉体に引きずられるって書かれていたんだよね。今回のことと関係あるかもしれないね」
なんですと?!そんなこと書いてあったの?
いや、それより肉体の性格って何?! 肉体に性格とかあるの? もし引きずられてるとしたら、私の肉体の性格が最悪ってことじゃない?!
「……そうなるね? でも元のアンリとも全然違う。不思議だね?」
イアンは楽しげにニッコリと笑った。
「殿下っ! 大丈夫ですかっ?! 十分経ったから入りますよ?!」
扉の外から兄様の焦った声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ、スチュアート。ただ、僕の言葉で怒ったアンリが興奮のあまり気絶してしまったみたいだ」
イアンはなんでもないように言って、私をサッとポケットにしまうと、扉を開けた。
「気絶っ?! アンリが気絶ですって……? いったい殿下はアンリに何をおっしゃったのですか?」
部屋に入ってきた兄様は、仰向けにベッドに倒れ込んでいる偽アンリを覗き込みながら呆然としていた。
寝た子を起こさないかのように、そうっと覗き込んだ兄様の姿を見て思った。
ああ、兄様もまた偽アンリに振り回されている一人なのだ。やつれて当然だろう。
「スチュアートはさ、アンリの学園での噂知ってるかい?」
「…………」
沈黙は肯定だ。兄様は顔をあげなかった。
「まぁ、それについてちょこっとつっこんだらこうなっちゃったんだ。よっぽど認めたくなかったんじゃないかな?」
嘘ではない。大分話を端折ってはいるが。
「私は……それも信じられないのです……あの、優しいアンリがいじめなど……」
兄様は若干声をつまらせながら言った。
優しいなんて言ってくれるのは兄様だけだけどね。
「そうだね。僕も信じてはいなかったんだけど、なかなかに見過ごせないような状況になっていてね。この状況が続くようだと、王家としても何らかの対応をとらざるを得ないと思うんだ。
さっき一応、本人には警告はしておいたけど。
それと、あの侍女……マリッサだっけ?」
「えっ?! あ、はいっ!」
「本人がどう言おうと、しばらくアンリの専属から外した方がいいと思うよ」
「はい……本人の強い希望もあって、今までずっとアンリについてもらっていたのですが。今日の様子を見て、配置換えを決心いたしました」
「そう。それがいいね」
マリッサ……私のせいでこんな目にあわせてしまって本当にごめんなさい。
彼女は私より二つ年上で、ずっとお姉さんのような存在だった。
うつむいた彼女のうなじにあった痣を思い出して胸が痛くなる。
きっと他にも見えないところにたくさん痣や傷があるのだろう。それでも変わらずに私の侍女でいてくれようとしたなんて──本当に感謝しかない。
「少しだけ彼女と話せるかな?」
「えっ? マリッサとですか?」
「うん」
「ご希望とあらば話せなくはないですが……」
怪訝そうにイアンを見つめる兄様。
「別に何か注意しようとかそういうのじゃないから大丈夫。ある人からの伝言を伝えたいだけだから」
「はぁ……では、応接間でお待ちください。呼んでまいります」
「うん、よろしくね」
イアンは、マリッサを呼び出してどうするんだろうか?
何だか少し不安になった私は、イアンのポケットの中でぶるっと震えた。すると、いつも通り彼の手が
ポケットの上から私の背中をそっとなでた。
「怖がらなくても大丈夫。アンリが伝えたいことを代わりに伝えてあげるだけだから。ね? じゃあ、今からすぐ打ち合わせしようか」
やっぱりうちの子天使だったわ!
うん、知ってた!
──────────
「あ、あの……私に御用だとうかがいました。何か失礼でもしてしまったでしょうか?」
おどおどしながらマリッサが言う。
「そう固くならなくてもいいよ。ソファに座ってくれるかな。まずはお茶を一杯どうぞ──って、僕がいれたんじゃないけどね。あはは」
マリッサは頷きながら、目の前のカップを手にとった。彼女の手は震えているようで、カップの紅茶も波立っている。
その様子を見ながら私は歯がゆい思いをした。
彼女はもっと物怖じしない性格だったはずだ。使用人の中では一番若くて最初は失敗ばかりしていた。けれど、その明るくて歯に衣着せぬもの言いで、他の使用人たちともすぐ仲良くなり、とてもかわいがられていた。
そんなマリッサをここまで追い詰めるなんて、偽アンリ許すまじ。──中身のスザンナのせいではなくて、私の肉体の性格のせいなんだっけ?
いまいちよくわからないんだけど。肉体の性格っていったいなんなんだろう?
私の性格は私が決めているわけじゃないの?
「あの、私に……」
「君にね、ある人からの伝言を預かってるんだ」
「伝言……でございますか……?」
「うん。その人はね、昔は君の一番近くにいた人で、今はある理由で遠くに離れてしまっているんだけど、とても君のことを心配してるんだ」
「…………」
まるで謎かけのようなイアンの言葉に黙りこんでしまったマリッサ。
「『聖なるトゥリーリャの木に誓って、きっと戻るから待っていて』だそうだよ」
聖なるトゥリーリャというのは、昔私がよくせがんでマリッサに読んでもらっていた本の中に出てきた、願いの叶う木の名前だ。もっとも、ずいぶん前の話なのでマリッサがそれを覚えているかどうかわからないが。
貧しい家に生まれた姉妹は両親の死を機に別々の家に養女となる。お別れの前日にトゥリーリャの木の前で再会を願うのだ。
清貧を好む妹はやがて聖女となり大成するが、少しだけ傲慢で贅沢を好んだ姉の方は悪女として処刑されることになった。
それを知らない妹が再会の約束をした日にトゥリーリャの木の前に立ち続けると、向こうから走ってくる姉の姿が見える。姉妹は再会を喜び抱き合う。ところが妹が気づいた時には姉の姿は見えなくなっていた。後からその日が姉の処刑された日だったと知った妹は、涙を流しながら木の前に立ち、次は魂となって再会を果たすことを願う──と、いうような話だった気が……。
──って、縁起悪っ! 姉の方は死んでるじゃないか。よりによって何でこの話を選んだんだ、自分?!
でもお気に入りだったのだ。多分、茶髪に描かれている妹が聖女になるところが。
「…………」
「今は君にとってとても辛い時期かもしれない。でもきっとまた会えるから、彼女を信じて待ってあげて欲しい」
マリッサはしばらく茫然とした後、突然しゃくりあげながら泣き出した。
「ううっ……うえっ……うえっ! ゔゔゔゔ…… 」
イアンはそんな彼女の側へ行くと、その背中を優しくさすった。
──ああ、私もマリッサの背中をさすってあげたい……。
「その人はきっと、今君にこうしてあげたいに違いないんだけど」
──そうね。その通りだわ。
すると、マリッサの嗚咽は一際大きくなった。
「ゔゔゔゔ……お゛じょうざま゛ぁ゛ぁぁ──っ!!!」
『マリッサ! マリッサ! うわーん!』
私もまたマリッサが泣く間中ずっと、ポケットの中で声にならない声を上げ続けた。
帰りの馬車の中で、
「ちょっと妬けちゃうよねぇ」
え? 何が?
「僕も泣いて欲しいな、アンリに」
えぇぇぇ──何でよ? 面倒くさい……。
それで? 私の部屋に入った感想は?
「あっ……あまりに色々と衝撃的なことが起きすぎて、よく見てくるの忘れた!」
という会話がされたとかされてないとか……。
本日もお読み下さりありがとうございました!
次話は侍女視点の挿話挟みます。
またよろしくお願いします♪




