(17)悪役公女様のご降臨です
イアンとアンリは学園入学して半年後。
カエルになってから多分一ヶ月くらい。
私たちが入学してから半年ほど経った。
学園の授業は選択形式で、基礎学から応用学まで自分の学力に見合った授業を選ぶことができる。
そして、その授業が行われる講堂に決まった席は存在しない。しかし、何となく毎回座る席というものがある。
イアンのそれは、一番後ろの窓際の席だった。ちなみに私がまだ人間だった時は、同じく一番後ろの席の窓際から一番離れた席だった。
『ぽかぽか……』
お昼ご飯をお腹いっぱい食べると、眠くなる。これは生き物における自然の摂理というものじゃないだろうか。
──あ、私おもちゃだった。生き物じゃないわ。
ポケットには、いい感じに陽の光が射しこんでぽかぽかとしている。授業は終わったが、私はイアンと窓際のその席でまどろんでいた。
「殿下、少しお時間よろしいですか?」
『ひ……っ!?』
今、完全に寝てたかもしれない。思わずビクッとしてしまった。すると、イアンがふっと笑ったのが聞こえて、彼の手がポケットの上を優しくなでるように往復した。
──それ、すごく落ちつくわぁ。
私たちに(というか、イアンにだけど)声をかけてきたのは、ラーラの取り巻きの片割れである黒髪眼鏡のジュリオだった。
あれ? 伯爵家の子息が男爵令嬢の取り巻きとか、よく考えたらおかしくないか? まぁ、私には関係ないからどうでもいいか。
「どうしたの、ジュリオ?」
「少しお時間いいでしょうか?」
「うん、まぁ少しならいいよ」
「ありがとうございます。実は相談がございまして」
おや。何か嫌な予感がする。
私は不安になってイアンの胸を叩いた。
「──後でね」
イアンはポケットの私に向かってささやいた。
「後で……なんですか?」
「あ、いや。こっちの話。それで何の相談? あんまり時間がないんだけど」
はい、大ウソですね。
日がな図書室にこもって調べものをしている私たち。今日くらい気分転換に街へでも出かけようということになっていた。そういう意味では予定があるけど、私との予定なんてあるようでないようなものだ。
「ラーラが誰かにいじめられているようでして……」
「へぇ……リスト嬢が? 誰かって誰に?」
「それが…………」
ジュリオが言いよどむ。
「どうやら公爵令嬢のアンリエール・フェルズのようです」
なななな……なんですと?!
「……アンリ、じゃなくてフェルズ嬢が?」
聞き返したその声がいやに低くてちょっと怖いです、お兄さん。
それにしても私が……じゃなくて偽アンリがいじめってどういうことだろう?
王妃にそそのかされて身体を入れ替えた令嬢が、王妃の秘蔵っ子をいじめてるってこと? 何か不自然だ。
しかしジュリオは確信を持って頷いた。
「はい、そうです。今日、ラーラの教科書が何者かに破かれたようで……その切れ端に残った魔力残滓を見てみたのです」
「へぇ……そういえばジュリオは魔法化学科専攻してるんだっけ」
「できれば殿下にも見ていただいて証人になっていただきたいのです」
「なんで僕が? 別に先生でもいいんじゃないの?」
「いえっ! フェルズ嬢がこんなことをするはずないから先生には知らせるなとラーラが……」
「それで僕?」
「はい……だってフェルズ嬢は殿下の婚約者ではないですか」
「『はっ?!!!』」
私の心の声とイアンの声が重なった。イアンは頭を押さえながらジュリオに言った。
「ちょっと待って。いったい誰がそんなことを言ってるの?」
「ラーラですが……違いますか?」
「…………」
イアンが黙りこむ。これはおそらく、ジュリオに婚約のことを話してもいいかどうか逡巡しているのだ。
高位貴族にさえ秘匿されている婚約の事実を、たかが男爵家の娘であるラーラがなぜ知っているのだろうか。
「それ、他の誰かに話した?」
「はい、あの……トマスと……」
「うん」
「クラス全員に……」
「『はぁっ?!』」
またハモった。
「何でリスト嬢がそんなこと知ってるんだ」
「さ、さあ……僕にはわかりかねますが……ラーラは確かにアンリエール・フェルズ嬢が殿下の婚約者だと言ってました」
「はぁぁぁぁぁ……今朝靴の紐が切れたんだよね。今日のランチが魚だったことを暗示してたのかと思ってたのに、このことだったのか……」
「えっ?」
「いや、こっちの話だよ。なんでもない」
今日の朝、登校する直前に、イアンの両足の靴紐がブチッと派手な音を立てて切れたのだ。イアンはそれを見て「学園に行くのやめようよ~」と泣きながら言った。靴紐が切れたくらいでなんだ! 私なんて肉体と魂のつながりがバッサリ切られてるのに! と文句を言ったら黙って登校してたけど。
それに食堂は毎週決まった曜日に魚メニューになるんだ。その度に靴紐が切れて学園をお休みするなんてとんでもなく…………うらやましいな!
「ああ、ごめん。話がそれたから戻すね? リスト嬢がいじめを受けてるとして、僕にどうして欲しいの? 正直こっちはそれどころじゃないんだけど」
そうだった。私の件でイアンに迷惑かけてるからね、ごめん。イアンだって色々したいことがあるはずなのに、きっと私がその自由時間を奪っちゃってるんだろうな。
「は、はい。フェルズ嬢にそれとなく伝えてくだされば……」
「ふぅん。なんで?」
「いや、ラーラが泣いているので……」
イアンは冷ややかな声で一刀両断だ。ジュリオには色々想定外だったようで、タジタジになっている。
「そんなの知らないよ 。か・り・に、フェルズ嬢が僕の婚約者だとしても。彼女がリスト嬢をいじめたんだとしても。彼女のいじめの責任を僕がとるのはおかしいよね? 新しい教科書を手配するくらいならやるけど?」
イアンの口から出たのは、さらに温度が低くなった声だった。聞いた者は背筋に悪寒が走るに違いない。聞いたことがなかったから、イアンはこんな声も出せるのかと驚いた。おもちゃのカエルになってからイアンの色んな顔を見ることができてちょっと嬉しいな。
ジュリオは震えながら頭を下げた。
「そんな……いえ、そんな! そんな雑事を殿下にさせるわけにはいきません! 新しい教科書の手配は僕がやっておきます!」
「そう? じゃあお願いね。僕らもう帰るから」
「はい……お時間いただきありがとうございました」
僕らって言っちゃってるよ、イアン。私を頭数に入れたらダメじゃない?
でも、ジュリオはそれどころじゃないようで、慌てた様子で出ていった。
そうして講堂の中はイアンだけになった。正確にはイアンとポケットの中の私だけ。
「アンリ、出ておいで」
私はポケットから、のそのそと這いだして、イアンが取り出した翻訳紙に乗った。
「話聞いてたよね? どう思う?」
金色の文字が踊る。
『どう思うって、ラーラさんが私たちの婚約を知ってることについて? それとも、アンリエールがラーラをいじめてる話について?』
「んー……両方かな」
『婚約の件は、王妃様が教えた可能性があると思う』
「なるほどね。確かに母上は知ってるからね。ただ母上はずっと僕たちの婚約に反対だったし、今さら周知させるメリットがない気がするんだよね」
確かにそうかもしれない。新しい婚約者をあてがうつもりならば、婚約の事実がないままの方が都合がいいに違いない。
「まぁでも……母上とリスト嬢の親密さから見て、そう考えるのが妥当だよね」
『でもアンリエールがラーラさんをいじめてるのがよくわからない……』
「それについてはちょっと思い当たるというか、ある推測があるんだけど……ムカつくからあんまり考えたくないんだよね」
『えっ?』
「だって……」
『あ、ちょっと、イアン?!』
言葉をつまらせたイアンの目から突然大きな雫がこぼれ落ちて、私は焦る。
『なんで泣いて……わわっ!』
イアンは私を抱えあげると、ぎゅっと胸に閉じこめた。
その間にもぽたぽたとこぼれ落ちた涙が私の頭を打つ。
どうした、イアン?
「ごめん、アンリ……もう少しだけこのままでいさせて……」
う、うん。まぁ、別にいいけど……。
私は肯定の言葉のかわりに、イアンの胸をトンと一回たたいた。
お読み下さりありがとうございました!
また明日よろしくお願いします。