投獄悪役令嬢は処刑人の剣をかわして、アイツを一発殴りたい…!
コミカライズされました。11月15日発売、『悪役令嬢にハッピーエンドの祝福を!アンソロジーコミック②』収録
『何度生まれ変わろうと、もう二度と結婚なんてするものか――……』
気狂いの悪役令嬢こと、ヴァレリアは、そう強く思った。
長く美しい黒髪に、ルビーのような赤い瞳。瞳に合わせた真っ赤なドレスに、真っ赤な靴。
そんな華やかな装いで向かう先は、処刑台だ。ヴァレリアは今から、面白おかしい見世物として処刑される。
この装いは、処刑の舞台を派手にするための演出なのだそう。
ガシャリと重たい音を立てて、牢の鉄扉が開かれた。看守に囲まれて歩き出す。
手枷も足枷も外されている。わざわざドレスを着付けるために外された。
枷など無くても、どうせ逃げはしないと侮られているのだろう。……実際、ヴァレリアは抵抗もせずに、今こうして処刑台へと歩いている。
もうすっかり、失望してしまったのだ。
自分の元婚約相手である、第二王子に失望した。城の人間たちに失望した。周囲の貴族たちや、兵や、自分を早々に見限った家にも、失望しきっている。
ヴァレリアは大人しく牢獄の廊下を歩いて、外に出た。途端に、見物人たちの大声が耳に届く。
(わたくしの死は、ずいぶんと賑やかなイベントになるみたいね……)
広場はあふれんばかりの人々で埋め尽くされていた。処刑なんて趣味の悪い見世物だと思うけれど……世間はこういう過激なイベントが好きなのだろう。
石造りの処刑台への階段を上がっていく。
一段一段足を運びながら、ヴァレリアは自身の悲劇へと思いを馳せた。そしてもう一度、強く思う。
「……何度生まれ変わろうと、もう二度と、結婚なんてするものですか……まったく、なんと馬鹿馬鹿しい……」
思いを、乾いた声で吐き捨てた。
自身のこの悲劇は、結婚相手によって引き起こされたものである。
婚約者であった第二王子シーマスが、結婚目前で他の令嬢に、しょうもない一目惚れをしてしまったことが発端だったのだ――……。
事は突然起きたのだった。
ある日、婚約者の第二王子シーマスが、一人の女を城に連れて来たのだ。
王都郊外の森で、王子が獣狩りの遊びを楽しんだ日の夜のこと。彼はゆるみきった笑顔で、連れてきた女をヴァレリアに紹介したのだった。
「聞いてくれ、ヴァレリア。僕は第二妃として、彼女を迎え入れようと思う」
「……シーマス様、百歩譲って、わたくしとの婚姻の儀も済まさぬうちに、第二妃候補をお連れしたことはお見逃しいたしましょう。けれど、そちらのご令嬢は、一体どこのどなたです?」
「森で出会ったんだ。彼女の名はケイトリン・レルード。伯爵家のご令嬢だ」
ケイトリンと紹介された女は、愛らしい所作で挨拶をしてきた。
ふわふわとした金髪に金色の瞳。大きな垂れ目が可憐な娘だ。ピンク色のドレスがよく似合っている。
どちらかというと容姿も性格もきつめだと自覚しているヴァレリアとは、正反対の令嬢だった。
彼女の姿を見て、ヴァレリアは猫のようなツリ目をさらに鋭くした。
睨みつけてしまったのは、別に嫉妬心からではない。なんだかおかしな心地がしたのだ。
(国内の貴族家は大体把握しているけれど、レルード家なんて聞いたことがないわ。それに森で出会うなんて、おかしいじゃない……この娘、一人で森にいたの……?)
シーマスが言うには、ケイトリンとは狩りの最中に森の中で出会ったそう。それから意気投合して、そのまま連れて来たのだとか。
『そんなことってある!?』と、ヴァレリアは率直にそう思った。……だって、どう考えてもおかしな話だろう。
この時、ヴァレリアはそれはもう大いに怪しんだのだが、結局シーマスはケイトリンとも婚約を結んでしまったのだった。
ケイトリンの王城入りは、気持ちが悪いほどにトントン拍子で事が進んだ。
そうして悲劇が始まった。
婚約が結ばれて、ケイトリンが城にあがるようになった。そうなってからも、彼女はやはり不可思議だった。
ヴァレリアはどうにも気になり、その後もケイトリンに関することを調べて回った。けれど、誰に話を聞いても、曖昧な言葉ではぐらかされる。
彼女に関する話をすると、皆、調子の狂った機械人形のように支離滅裂になる。目はどこか虚ろで、自分を見ていないように感じられた。
なんだか気味が悪いし、要領を得ない会話に腹が立ってきた。
ヴァレリアはうやむやな物事をそのままにすることを好まない。ビシッと白黒つけたい性分である。
可愛げのない女だ、と言われることも多いが、そういう性格なのだから仕方ない。
そういうわけで、もういっそのこと本人を問い詰めてやることにした。
シーマスや他の人間がいると、また話がうやむやになってしまう。なので、ケイトリンが一人の時を狙って問いただす。
日を選び、早速行動に移した。
ケイトリンが好み、よく立ち寄っている城の庭を目指した。
草木の陰からチラリと覗くと、彼女の姿が見えた。ちょうど一人でいるようだ。今を逃してなるものか、と、歩み寄ろうとした。
――が、ヴァレリアの足はすぐに止まった。
ケイトリンの口元に目が留まり、体が石のように固まってしまった。
彼女は小鳥を食べていた。
頭から丸かじりして、血で口元が汚れるのも構わずに、ムシャムシャと食べていた。牙をむき出しにして、バキバキと骨を噛み砕く音が耳に届く。
――あれは、人間じゃない。魔物だ。
ヴァレリアは気がついてしまった。
ハッとした瞬間、ふいにケイトリンがこちらを向いた。彼女は可憐な顔を小鳥の血で染めたまま、ニコリと微笑んできた。
震える体を叱咤して、ヴァレリアは弾かれたように逃げ出した。
それからはもう必死だった。
まず真っ先に婚約者シーマスに危険を知らせた。
「シーマス様! あの女の正体は魔物です! いつ殺されてもおかしくありません! どうか今すぐに、城から追い出してくださいませ! ――いえ、それだと民が犠牲になるわ……もう城の中で殺してしまわないと……! どうか魔物狩りの剣兵をお呼びください!」
「君はなんてことを言い出すんだ。そのようにおぞましい嫉妬心を秘めていたとは……。以前から可愛げのない、きつい性格の娘だとは思っていたが、これほどとはな。早くにケイトリンを迎えておいてよかったよ。妻が君一人だったら、僕は結婚後早々に気が滅入っていただろうね」
シーマスは呆れたような、軽蔑するような目でヴァレリアを見た。
その後何度も何度も、縋りついて訴えたが、彼はまともに取り合ってくれなかった。
その様子を見て、ケイトリンが可憐な容貌でニヤニヤ笑っていた。必死になるヴァレリアを面白がるように――……。
一週間ほど訴え続けたが、結局シーマスには愛想を尽かされて終わった。彼はもう、ヴァレリアと会う事すら拒否するようになってしまった。
シーマスが駄目ならば、と、他の人にも声をかけてまわった。護衛たちや、大臣、神官――……王城に出入りする者たちに片っ端から縋りつき、危機を訴えた。
王城近くにある、魔物狩りの剣兵団へも足を運んだ。城に魔物が入り込んでいる、国の一大事だと伝えた。
自分の家の父母兄たちにも訴え、親交のある友人の貴族家にも訴えた。
――けれど、ヴァレリアの言葉は誰にも届かなかった。皆、若い娘が戯言を言い出した、と、ため息を吐いたのだった。
そうしているうちに、ヴァレリアは陰で『悪役令嬢』と、あだ名されるようになった。嫉妬に狂って、第二妃となるケイトリンを貶めようとする姿が、流行りの劇の悪役にそっくりだと……。
さらには、『ヴァレリアこそが魔物なんじゃないか』と噂されるまでになってしまった。
魔物女。気狂いの悪役令嬢。心を病んだ哀れな娘。
世間では、すっかりそう呼ばれるようになってしまった。
「……もうこうなったら、国王陛下に直接お伝えしましょう」
ヴァレリアはついに、その覚悟を決めた。
王と直接言葉を交わしたのは、第二王子と婚約を結んだ時、ただ一度である。謁見自体は数回ほどの機会をもらっているけれど、言葉を交わしたのは一度きり。
王は、雲の上の人なのだ。許しを得ずに声をかけるなど不敬極まりなく、事によっては重罪となる。
でも、ヴァレリアは覚悟を決めた。近く、また謁見の機会があるのだ。その時に不敬を承知で進言しよう。
……と、思ったのだけれど。
残念なことに、王への謁見は叶わずに終わった。
ヴァレリアはシーマスの執務室に呼び立てられた。
あろうことか、そこで表社会での生活に幕を引かれることになってしまったのだった。
部屋に入るやいなや、シーマスは言い放った。……片腕にケイトリンを抱き寄せながら。
「ヴァレリアよ! 今この時をもって、お前との婚約を破棄する! 醜い嫉妬に気を狂わせた魔物女め!」
「そんな……! わたくしではなく、魔物はそこにいる――」
「いい加減、その汚い口を閉じたらどうだ! 僕の妃となるケイトリンに対して、不敬であるぞ! 護衛兵たちよ、この女を連れていけ! 人を殺せと騒ぎ立てる女を、城に置いてはおけぬ! 何をしでかすかわからない、牢に入れておけ!」
「なっ……! お待ちください……っ!」
言い返そうとしたが、言葉は続かなかった。護衛兵がヴァレリアを取り押さえ、床へと叩きつけたのだ。
兵に連れ去られながらも、ヴァレリアはケイトリンを睨みつけた。
シーマスにべったり寄り添う彼女の顔は、愉悦の笑みに歪んでいた――……。
こうしてヴァレリアは投獄された。
牢の鉄扉がガシャンと閉められた時の音が、やけに耳に残っている。
その後、ヴァレリアを庇う者はいなかったみたいだ。三ヶ月の獄中生活の末、処刑台へ直行と相成った。
目を引く華やかなドレスを着せられて、大観衆の中で派手に処刑されるよう。第二王子の婚約者という身分から転落した、世紀の気狂い女として、面白おかしく殺される。
ヴァレリアは階段を上って、処刑台の上に立った。
広々とした舞台の上には、ヴァレリアの他にもう一人、男が立っている。処刑の執行人だ。
サラリとした銀色の髪に、銀色の瞳。人形のように無表情な男だ。よく整った逞しい体は、上半身が露わになっている。
足首までの長い腰布一枚を巻いて、処刑人はヴァレリアの背丈ほどある大剣を掲げていた。
彼の名前はギルベルトと言うらしい。牢の中で看守が教えてくれた。
ギルベルトは闘剣奴隷だそう。
闘剣奴隷は金持ちのおもちゃである。奴隷同士を戦わせて、相手を殺したら勝ちで、死んだら負け。その生死に金を賭ける、という卑しい遊びの道具だ。
ギルベルトは恐ろしく強いらしい。凶剣のギルベルト、なんてあだ名で呼ばれているとか。それはもう豪快に、対戦相手を真っ二つに叩っ切るそうで……。
わざわざそんな男を処刑人に選ぶとは……自分の断罪の舞台を整えた人間は、とんでもなく悪趣味らしい。
ヴァレリアは処刑台の上から、大観衆を見渡した。
真正面の一番よい場所に、王族の席が設けられていた。中央には国王が座っている。その脇にはシーマスとケイトリンもいた。
正面をぼんやりと眺めているうちに、王がおもむろに片手を上げた。なにやら合図を出したらしい。
ガシャガシャと鐘の音が鳴らされた。その瞬間、ギルベルトが大剣を大きく振りかぶった。
次の瞬間。
ヴァレリアの体は脳天から真っ二つになってしまった。……縦に切られるとは思わなかった。
(なるほど、これは凶剣と呼ばれるにふさわしいわね……)
そんな場違いなことを思った直後に、意識がぷつりと途切れた。
ヴァレリアの処刑は一瞬で終わった。
最期に見たものは、正面の席でウキウキと見物するケイトリンの笑顔だった。
――ガシャン。
と、牢の鉄扉の音がした。
耳につくその音に、ヴァレリアはハッと意識を戻した。看守が扉を閉め、鍵をかけて言い放つ。
「処遇が決まるまで決して外に出すな、と、シーマス様直々のご命令だ。泣き縋っても、出られるとは思うなよ」
看守は短く伝えると、さっさと歩き去った。
……素っ気ない看守の態度などは、さておいて。
「……えっ!? あら!? わたくし今、真っ二つにされて死んでしまったのよね!?」
ヴァレリアは盛大に困惑していたのだった。
今、間違いなく自分は処刑されたはずだ。ギルベルトの凶剣を、脳天からもろに食らって。
それなのに、生きている。これは一体どういうことか。
耳に残った牢の扉の音と、看守の言葉。これは確か、シーマスに婚約破棄を言い渡された日にも聞いたような――……。
「……時が……戻った……?」
もはや、そうとしか考えられなかった。
ヴァレリアが今まとっている服は、簡素な囚人服である。投獄される前に着替えさせられた服だ。――今自分は、あの処刑用の真っ赤なドレスを着ていない。
信じられない事だが、時が投獄初日に巻き戻ったようだ……。
あまりの出来事に放心して、ヴァレリアは牢の床にへたり込んだ。そのまま祈りの姿勢をとる。
「あぁ、神よ……無念に思うわたくしの気持ちに、お応えくださったのでしょうか……」
ヴァレリアは気持ちを落ち着けながら、思い返す。
処刑台の正面、中段の席に国王が座っていた。――もし、あの場で声を張り上げていたならば、王に自分の言葉を届けられたのだろうか。
「……もしかしたら神は、そのチャンスを与えてくれたのかもしれないわ」
祈りを捧げる手にグッと力を込めた。自分は神によって、無念を晴らす機会を与えられたのだ。
ヴァレリアは真っ赤な瞳を燃やして、決意に満ちた声で呟く。
「投獄初日に巻き戻ったのだとすると、処刑日は三ヶ月後……。次こそは……国王陛下に言葉を届けてみせるわ。陛下に、そして民に、魔物がすぐ近くにいるのだと、伝えてみせる……!」
この日、牢獄の中で、密やかな誓いが立てられたのだった。
そうして時は流れ。再びの処刑日を迎えた。
朝食の後に女看守たちが現れて、囚人服から真っ赤なドレスに着せ替えられる。
美しい装いに整えられて、ヴァレリアは処刑台へと向かった。
外に出て、大観衆が見守る中、石の階段を一歩一歩上がっていく。広々とした処刑台に立つと、ギルベルトが大剣を構えて待っていた。
ヴァレリアは正面を向き、王を見る。
息を吸い込み、王に向かって大声を放った。
「陛下! どうか最後にわたくしの言葉をお聞きくださ――」
喋り始めたと同時に、王がすいと片手を上げてしまった。ガシャガシャと鐘が鳴って、ギルベルトが剣を振りかぶった。
「あっ!? ちょっと! 待っ――……」
待って、と言い終える前に、ヴァレリアは真っ二つになってしまった。また脳天から凶剣をもろに食らって。
ぷつりと意識が途切れた。
――ガシャン。と、牢の鉄扉の音がした。
看守が鍵を閉めて言い放つ。
「処遇が決まるまで決して外に出すな、と、シーマス様直々の――……」
「このっ! ギルベルトの奴~~っ!!」
「お、おぉ……?」
看守がセリフを言い終える前に、ヴァレリアは唸り声を上げた。
せっかくチャンスを得たというのに、とんだ邪魔が入ってしまった。
「ちょっとくらい待ってくれたっていいじゃないの! もうっ! 腹立つわね~っ! あの男っ!!」
処刑の瞬間を思い出して、牢の中で地団太を踏んでしまった。看守は引きつった顔をして、足早に去っていった。
ヴァレリアはまた神に祈りながら、考える。
「神よ、再びの情けに感謝いたします。次こそは……次こそは必ずや、成し遂げてみせます……っ!」
固く誓って、また三ヶ月後の処刑日を待つことにした。
そうして迎えた処刑の日。
ヴァレリアはさっさと真っ赤なドレスに着替えて、スタスタと歩いて行った。
処刑台に上がって、ギルベルトと対峙する。
(……まずはこの男を何とかしないと、喋る時間がないわ)
ギルベルトは整った体を惜しげもなく晒して、大剣を構えている。
こうして真正面から見ると、男神の彫像のような男だ。容貌まで整っている。表情が抜け落ちていて、人間味を感じられずに不気味だが……。
彼の優れた容姿を見るに、闘剣奴隷として人気があるのは、単に強いからという理由だけではなさそうだ。
ガシャガシャと鐘が鳴らされて、ギルベルトが剣を振りかぶった。
――その瞬間、ヴァレリアは横へと飛びのいた。
振り下ろされた剣はガツンと音を立てて、処刑台の石床を砕いた。
(やったわ……! よけられた!!)
ヴァレリアは大いに喜んだ。これで、王へと言葉を届ける時間ができた――
――と、思ったのに。
足を踏みしめ、クルリと体勢を整え直したギルベルトがこちらを向いた。瞬きをする間に、彼は大剣を水平に振り抜いた。
ヴァレリアの体は、上半身と下半身が真っ二つに離れてしまった。
(……あなた、横にも切れるのね……まぁ、そりゃそうか……)
意識が途切れる間際に、そんなことを思った。
――ガシャン。と牢の鉄扉の音がした。
もはや看守の言葉も聞かずに、ヴァレリアは怒声を発した。
「ギルベルト――――っ!! もうっ、何なのよあの男!! 腹立つ~~っ!!」
ダンダンと足を踏み鳴らして、思い切り文句を言ってやった。
死の間際に見た、あの冷たい人形のような顔が頭に残って仕方がない。なんとも憎らしい。人気の奴隷だかなんだか知らないが、邪魔をしないでほしい。
文句を言いながら、腹立たしさに牢の壁をガシガシと蹴りつける。看守はゾッとした顔をして逃げていった。
しばらくそうして、少し落ち着いた頃。
ヴァレリアは、ふむと考え込んだ。
「――でも、最初の剣はかわせたわ。もし、また同じ動きで攻撃してくるのなら、次もかわせるはず。最初に横によけた後、すぐに屈めば……! よし……っ!」
――神よ、わたくし何度殺されようと、必ずや成し遂げてみせますわ!
心の内でそんな祈りを捧げておいた。
そうして、ヴァレリアとギルベルトの戦いが幕を開けたのだった。
四度目の処刑日。
最初の剣を横に飛びのいて避けた後、すかさず屈んで水平に振られた剣をかわす。
よし! と思った直後。
ギルベルトの動きが変わった。軽く大剣を持ち直したかと思ったら、獣のように身を低くして走り込んできた。
一瞬で間合いを詰められて、ヴァレリアはまた真っ二つになった。
(なるほど、三撃目から本気になるのね……)
心の内で反省会をしているうちに、意識が飛んでいった。
五度目の処刑日。
今回は投獄初日から、筋トレを始めたのだった。この三ヶ月の間に少しでも体を鍛えて、彼との戦いに臨もうかと。
毎日のトレーニングと訓練の成果が出て、軽やかに初撃をかわし、二撃目もかわした。
そして三撃目もかわすことができ――なかった。ギルベルトの剣は風のように速くて、体が追い付かなかった。
(くっ……ドレスの裾が邪魔で、足の動きが間に合わなかった……! 要改善ね……!)
反省と次の課題を思いつつ、意識を飛ばした。
六度目の処刑日。
処刑用ドレスに着替えた後、スカートの裾を思い切り裂いてやった。腿のあたりで裂いた後、さらにスリットを入れた。
足を晒したあられもない格好だが、恥じている場合ではない。処刑台に向かう途中、靴も脱ぎ捨てて裸足になった。
初撃をかわし、二撃目もかわし――ついに、風のような三撃目もかわした。
が、その直後に胸をざっくりと突かれて死んだ。
(……次は胸に来るのね……覚えた……覚えたわよ……っ!)
意識を飛ばす前にギルベルトを睨んでやった。……彼もこちらを見ていたように思えたが、気のせいだろうか。
七度目。
八度目。
十度目。
二十。三十。五十――……。
ヴァレリアはギルベルトとの戦いを重ねていった。
投獄と同時に筋トレをして、身のこなしの訓練をして。体の動きがついていかないところは、記憶でカバーする。
完璧に動きを覚えきり、目をつぶってもかわせるくらいに、体に覚え込ませた。
そうしてこつこつと経験を重ねて。迎えた、九十八度目の処刑日。
ヴァレリアは足を晒した戦闘用ドレスを身にまとって、豪快な足取りで処刑台に向かう。
「さぁ、待ってなさい、ギル!」
彼のことは、もう勝手にギルという愛称で呼んでいた。
処刑台に上がると、ガシャガシャとした鐘の音が鳴り、ギルとの戦いが始まる。
初撃をかわして、二撃、三撃――。ヴァレリアは踊るように、次々とかわしていく。
攻撃を避けるにつれて、観衆から声が上がるようになる。
『おぉ!』とか、『なんだあの女……!』とか。仕舞いには、『頑張れ! そこだー!』とか。
そんな声を聞きながら、記憶している最後の攻撃をかわしきった。
(次は初見の攻撃……っ!)
グッと身構えてギルを見る。彼は軽い身のこなしで、こちらに飛び掛かってきた。
ヴァレリアは横に飛びのいて避ける――が、やはり初見では上手くいかなかった。ざっくりと肩を切られて、処刑台の石床に転がった。
……今回はここまでのようだ。
やれやれ、と諦めのため息をついた。
けれど、待っていた次の攻撃はなかなか来なかった。どうにか上半身を起こして、ギルの方を見た。
彼は大剣の先を石床について、手の汗を腰布で拭っていた。
初めての光景に、つい見入ってしまった。
今まで精巧な戦闘人形のように無駄のない動きをしていたギルが、なんだか人間っぽい動作をしている。それがなんだか感慨深かった。
そしてさらに思いがけないことが起こった。視線に気がついたギルが話しかけてきたのだ。
「女の身でなんという身のこなしだ……戦乙女のようだな」
「あなたこそ、そこらの剣兵よりずっと腕が立つように見えるわ。軍神のよう」
「……それは、どうも」
喋り慣れていないのか、ギルの声は低くボソボソとしている。けれど、思っていたよりやわらかい雰囲気を感じた。
彼は手の汗を拭った後、剣の柄も拭い始めた。まだもう少し、会話の時間がありそうだ。
(あら……まさかこんなところで時間ができるなんて。どうしましょう、今のうちに陛下と話を――……いや、でも……)
ヴァレリアは少し迷った後、王ではなく、ギルとの会話を選んだのだった。王へ言葉を届ける前に、なんとなく、彼と話をしてみたくなってしまった。
もう九十八度目となると、今死んだらまた時を繰り返すのだろう、という確信めいた予感があった。なので、今回の時間はギルに費やすことに決めた。
戦いを重ねる間に、ずっと思っていたことがあったのだ。せっかくなので、それを伝えることにしよう。
「あなたが魔物狩りの剣兵だったなら、国内の魔物はもっと数を減らしていたかもしれないわね……。王城に魔物が入り込むこともなかったかも。……まったく、どうしてこんなに腕の立つ人が、奴隷の身分なのだか」
ため息まじりにしみじみ言うと、ギルが掠れた声で答えた。
「子供の頃、食うものが無くて……人の家でパンを盗んだ」
「それだけで奴隷の身に?」
「あぁ。偉い人間の家だったんだと」
「なんと哀れな……」
事情を知って、ヴァレリアは顔を歪めた。きっと彼は貧民の出なのだろう。子供の盗みはよくある話だ。
けれど、それだけで奴隷の身分に堕とされることは稀である。偉い人間の家――おそらく卑しい貴族の家に入ってしまったのだろう。罰と称して、体よく賭け遊びのおもちゃにされてしまったというわけか……。
ギルに哀れみの目を向けてしまった。そんなヴァレリアを見て、彼は言う。
「……俺もあなたに、同じことを思っていたところだ」
「え?」
「あなたのことを哀れに思っている。こんな見世物にされて、死を迎えるなど……」
「あら、気狂いの悪役令嬢を哀れんでくださるの? あなた、相当な変わり者ね」
冗談めかして言葉を返してみた。けれどギルは笑うでも蔑むでもなく、真っ直ぐな言葉を返してきた。
「あなたの事情は知らない。俺の目には、ただの美しい女に見える。何かの罰とはいえ、晒されて眠るのは哀れだ」
そう言い終えると、ギルは大剣を握り直した。――そろそろお喋りの時間は終わりのようだ。
彼は歩み寄って、剣を振りかぶった。
ヴァレリアはまた、脳天から縦に真っ二つになった。
意識が途切れる直前、ギルの言葉が耳に届いた。
「一撃で殺せずにすまない。痛かったろう。どうか安らかに……おやすみ」
掠れた低い声は、酷く優しげに聞こえた。
――ガシャン。と牢の鉄扉の音がした。
ヴァレリアはギルとの会話の余韻に浸りながら、牢の床へと座り込む。
「……なんだか久しぶりに、人と目を合わせて話をした気がするわ。投獄前は家族でさえ、わたくしと目を合わせてくれなくなっていたから……」
久しぶりに、人間とお喋りをしたという心地になった。
王城の人々は魔物の魔力にあてられて、すっかりおかしくなっているし、周囲の人々はヴァレリアを気狂いとしてあしらうので。
……心を通わせた会話に、なんだか慰められてしまった。
しばらく浸った後、ヴァレリアはパンと頬を叩いて、気合いを入れ直した。
いつまでもしみじみとしていられない。次の予定を決めたので、処刑日に向けて動き出さなければ。
早速、ループ獄中生活の日課となっているスクワットを始めた。せっせと筋トレをしながら考える。
(前回、初めてギルと会話をする時間を得た。あの時間を使えば、陛下に訴えることができるわ……!)
もう一度くらい、ギルと話をしたい気持ちもあるけれど……グッと堪えて、使命を全うしなければ。
ヴァレリアは三ヶ月後の処刑日にかけることにした。今度こそ、成し遂げてやるのだ――。
そうして、九十九度目の処刑日が来た。
言い換えると、九十九度目のギルとの対面、そして戦いである。
またいつもの流れで、いつも通りに攻撃をかわしていく。
今度は前回の攻撃も完全に避け切った。
ギルが大剣を床について、手の汗を拭う。その様子を確認したところで、彼が喋りかけてきた。
「女の身でなんという身のこなしだ……戦乙女のようだな」
「それはどうも」
短く一言返事をしておいた。申し訳ないが、今回の彼とのお喋りはここまでだ。
ヴァレリアは処刑台の正面に立ち、見物の王族たちに目を向ける。
階段状になっている席の中段、真ん中。そこに座る国王へと、大声を放った。
「陛下! 恐れながら、あなた様にお伝えしたいことがございます!」
最初の言葉を喋り終えると、観衆が思い切りざわついた。並ぶ王族たちも動揺したように、隣とヒソヒソと話している。
構わずに、ヴァレリアは続ける。ずっとずっと言いたかったことを、ようやく言葉にして放った。
「第二王子シーマス様の婚約者、ケイトリン・レルードは魔物でございます! わたくしはこの目で、魔物たる証拠を目撃いたしました! その女は城の庭で小鳥を食べておりました! 牙をむき出し、いともたやすく骨を噛み砕く姿は、どこからどう見ても魔物そのものでしたわ! どうか、どうか今すぐに、ケイトリンの――魔物の首をはねてくださいませ!!」
喉が裂けるような大声で、王へと訴えた。
処刑台を囲む大観衆はドッとざわつき、王族へと目を向けている。
王は突然のヴァレリアの主張に目を丸くしていた。
――が、動く気配がない。
ケイトリンの方に目を向けてはいるが、首をはねる気配はない。
ケイトリンは大きな目からポロポロと涙をこぼし始めた。隣に座るシーマスに抱きついて、声を上げて泣き出した。
「そんな……っ、人々の前で、なんと酷いことを言うのです……ヴァレリア様は、そんなに私のことがお嫌いですか……っ」
ケイトリンに泣きつかれて、シーマスが顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「ヴァレリア――っ!! この魔物女めっ!! 貴様はどこまで人を侮辱すれば気が済むのだ!! 処刑人よ! さっさとその魔物を殺さぬか!! 何を手こずっている!! この無能なグズ奴隷めっ!!」
シーマスの猛烈な怒りに煽られたのか、王は険しい顔でサッと片手を上げた。この合図は『殺せ』の合図だ。もう何度も見てきた。
……結局、王に言葉を届けたところで何も変わらなかった。
とてつもない失望と、悔しさと、腹立たしさがヴァレリアの胸に渦巻いた。
大波のような激情に任せて、ヴァレリアは処刑台に転がる石片を握りしめる。それを力一杯、ケイトリンに向けて投げつけてやった。
けれど、石すらも届かなかった。
ずいぶんと手前で落ちてしまった。見物人の男が、手持ちの鞄を盾にして受け止めたのがチラッと見えた。
神はここにきてもまだ、自分に試練を与えたいようだ。
ガクリと肩を落としたところに、ギルの凶剣が届いた。今回は後ろから真っ二つに切られて死んだ。
最期に見たものは、泣き真似をしながらこちらを向く、ケイトリンのにんまりとした愉悦の笑顔だった。
――ガシャン。と、牢の鉄扉の音がした。
ヴァレリアはうつむいたまま、看守の言葉を聞いた。彼が歩き去った後も、しばらくそのまま突っ立っていた。
そうしてようやく顔を上げた時、今までで最も固く、最も強い意志を、心の中に燃え上がらせた。
「アイツ……ぶん殴ってやるわ……」
拳をギリリと握りしめて、地を這うような声で誓う。
誰も耳を傾けてくれないならば、もうこの手で直接、アイツを殴り飛ばしてやる。でないと、この全身の血が沸騰するような怒りと腹立たしさが治まらない。
「陛下に期待したわたくしが馬鹿だったわ。何が王族よ。無能ばかりが寄り集まって、腹ばかり肥やして。どこぞの魔物によい暮らしをさせるくらいなら、抱えた富を貧しい民に分け与えなさいよ!」
八つ当たりに、ガシャンと牢の鉄扉を蹴りつける。遠くにいる見張りの看守からヒィッと悲鳴が上がった。
構わずに、ヴァレリアはまた獄中日課をこなしはじめた。
今回のループでは、身のこなしのトレーニングの他に、右手の腕力も鍛えようと思う。
アイツの顔面を思い切り殴りつけてやるために――。
そして、誓いを立ててから三ヶ月。百度目の処刑日がやって来た。
処刑用のドレスを戦闘用に破り変え、ヴァレリアは胸を張って入場した。処刑台の石床を、堂々と裸足で踏みしめる。
大剣を掲げるギルを正面から見据えて、意識を集中させる。王が片手を上げて、鐘がガシャガシャと鳴らされた。
百度目の戦いが始まった。
初撃を軽々と交わして、二撃、三撃もかわしていく。大観衆が見守る中、処刑台の上で二人だけのダンスを踊る。
徐々に人々の声が歓声に変わり始めて、ギルの頬から汗の雫が落ちる。
最後に払われた大剣を、身をよじって避け切った。ギルが剣先を床につき、手の汗を拭う。
「女の身でなんという身のこなしだ……戦乙女のようだな」
彼がこちらを見て言う。
ヴァレリアはにっこりと、ギルに笑いかけてやった。もはや吹っ切れた、さっぱりとした笑顔を作って返事をする。
「それはどうも。――さて、それじゃあ戦乙女らしく、一発かましてやりましょう。ねぇ、ギル。わたくしの悪あがき、見ていてちょうだいね!」
「え……ギ、ギル……!?」
うっかり愛称で呼んでしまった。ギルはポカンとした顔で変な声を出していた。人形のように無表情だった彼が、初めて表情を崩した。
(あら、また新しいギルの姿を見れたわね)
そんなことを思いつつ、ヴァレリアは身を屈めた。足元に転がる石片を握りしめる。
そして、その直後。
ヴァレリアは処刑台を力一杯蹴って、広場へと飛び降りたのだった。
まさか飛び降りてくるとは思いもしなかったようで、観衆は慌て、看守や兵は大焦りの様相だ。
途端に広場は混迷を極めた。人々はガヤガヤと大騒ぎをしながら、ヴァレリアの姿を目で追う。
喧噪などまるで構わずに、ヴァレリアは風のような身のこなしで王族たちの席へと駆ける。
この身のこなしは、ギルとの百度に渡る戦いによって手に入れたものだ。体の動かし方が、もうすっかり魂にまで刻まれている。
王族の席を目指して段を駆け上がり、右手を大きく振り上げる。
――あぁ、やっと、この瞬間が来た。
感慨深さにしみじみとしながら、全身に力を込める。
もう、すぐ目の前にはケイトリンがいる。直接向かってくるのは想定外だったのだろう。ギョッとした顔をして、隣のシーマスの腕を引いた。彼を盾にでもするつもりなのか――。
でも、もう遅い。
ヴァレリアの右腕が、風を切った。ガッシリと石を握った拳が、ケイトリンの左頬をぶち抜いた。
「んごほぁっ……っ!!」
ケイトリンはおかしな悲鳴を上げて吹っ飛び、椅子から転げ落ちて床に叩きつけられた。
そのまま階段状になっている観衆席を数段落ちて、うつぶせに転がって動きを止める。
近くにいた人々が動揺の声を上げるのと同時に、シーマスが絶叫した。
「ケイトリン!! ケイトリン……っ!!」
「罪人をひっ捕らえろ!!」
すぐに王の怒声も上がった。護衛兵たちが飛んできて、ヴァレリアは羽交い絞めにされた。
――が、その直後。
今度はケイトリンの転がり落ちた先――階段席の下、周囲にいた観衆から別の悲鳴が上がったのだった。
「おっ、おいっ! この女、血が……! 血が青いぞ!?」
「うわぁ! なんだこれ! 人間じゃねぇ!!」
「魔物だ! 魔物だ――っ!!」
ギャー! と、大絶叫が響き渡った。
ケイトリンは呻きながら身を起こしていた。ぐしゃぐしゃに乱れた髪の間から、殴られた顔がのぞく。
石片で力一杯に殴りつけた顔は酷いものだった。歯が砕け折れて、鼻と口からダラダラと血を流している。――けれどその血の色は、絵具のように真っ青だった。
あまりの気味の悪さに、周囲の人間は悲鳴を上げて逃げ出した。護衛兵たちまでもが、身を引いて距離を取る。
ヴァレリアを取り押さえていた兵たちも、職務を投げ出して逃げ出した。振り払われた衝撃でヴァレリアはバランスを崩す。
その隙を狙ったかのように、ケイトリン――魔物はこちらに襲い掛かってきたのだった。
裂けた口から牙をむき出し、虫のような四足歩行で飛び掛かってきた。
この展開は初めてだ。初見の攻撃はかわせない――。
(……百度目はギルではなくて、コイツに殺されてしまうのね)
ヴァレリアは諦めて、ため息を吐いた。
ギルは初めてお喋りをしたあの一度を除いて、全て一撃で処刑を終わらせてくれた。なので、痛みを感じる間もなく死ぬことができた。
……けれど、この魔物が相手だと自分はどうなってしまうのだろう。殴りつけた報復に、なぶり殺されたりするのだろうか。
(……苦しいのは嫌だわ……)
つい、そんなことを思ってしまった。
しかし、その心配は杞憂に済む。
諦めて脱力したヴァレリアの横を、誰かが驚くほどの速さで走り抜けていった。
銀髪が揺れて、大剣が輝く。走り抜けたのはギルだ。
彼は剣を振りかぶり、勢いのまま、魔物に向かって力一杯叩き下ろした。
魔物は脳天から大剣をくらって、青い血をまき散らして真っ二つになった。
瞬きをするうちの、あっという間の出来事だった。
一瞬、音の消えた広場は、またドッと騒がしくなる。
ざわめきの中で、ヴァレリアは今度こそ、深く息を吐いた。今度は諦めのため息ではなく、ホッとしたため息だ。
……終わった。
ようやく、終わったのだ……。
まだ現実感がないけれど、悲願は達成された――……。
ヴァレリアは青い返り血を拭っているギルに、明るい声をかけた。
「まさかあなたに命を助けられるとは思わなかったわ。ありがとうね、ギル。やっぱり、あなたの剣が一番だわ。この国の中で、一番素敵!」
「あ……いや……どうも……」
満面の笑みで伝えると、ギルは思い切り目を泳がせた後、顔を背けてしまった。何か言おうとしているようだったが、続く言葉は出て来なかった。
そっぽを向いて黙ってしまった彼の、赤くなった耳だけがよく見えた。
ギルとの会話を終えた後、すぐに声がかかった。振り向くと、王が席を立ってヴァレリアを見ていた。
ヴァレリアは呼ばれるままに歩み寄り、改めて王への謁見を果たす。
身を低くして、王へと言葉を届けた。
「陛下。事後報告となることをお詫び申し上げます。第二王子シーマス様の婚約者であるケイトリン・レルードは、ご覧の通り魔物でございます。わたくしはかねてより対策を求めて奔走しておりましたが、残念ながら力及ばず……。このような見苦しい顛末と相成りましたことを、どうかお許しいただきたく存じます」
そう伝えると、王は軽く片手を上げて返事をした。
「……許そう。そなたのこれまでの行いに関して、一切を不問に付す」
「感謝申し上げます」
ヴァレリアは破った短いスカートを摘まみ上げ、優美な所作で頭を下げた。
王は平静を装っているが、首元にびっしょりと汗をかいている。ヴァレリアはうやうやしい態度とは裏腹に、じとりとした目でその様を見る。
その冷めた視線に気がついたのか、王は慌てて言葉を付け足した。
「国を危機から救ったそなたには、相応の褒美を授けよう。そなたは何を望む?」
「それでは三つほど、わたくしのわがままを聞いてくださいませんか」
「よかろう、申してみよ」
「一つ目は、今回の魔物騒動に関しまして、わたくしの思うところをこの場で自由に、発露させていただきたく存じます」
「……いいだろう」
「では、失礼して――」
王の許しを得ると、ヴァレリアは優雅に微笑んだ。
その微笑みを保ったまま、未だに呆けた様子のシーマスの前へと歩を進める。
「シーマス様、ケイトリン様の件は残念でございましたね。目を覚ましていただけましたか?」
「あ、あぁ……そう、だな……まさか彼女が魔物だったなんて……。すまない、ヴァレリア……君の言う通りだった。僕のことを真に想ってくれていたのは、君の方だった……心から詫びよう。もう一度、僕と婚約を結び直しておくれ」
「シーマス様、歯を食いしばってくださいませ」
「へ……!?」
ニコリと笑顔を浮かべたまま、ヴァレリアは拳を握った。
思わず身を引こうとしたシーマスの顔目掛けて、力一杯、拳を叩き込んでやった。
「んぎゃほっ……っ!?」
シーマスはケイトリンと同じようにぶっ飛ばされて、床に叩きつけられた。
垂れた鼻血はちゃんと赤色をしていた。青色をしていたならば、この男も真っ二つにしてやりたかったのに。
ヴァレリアは笑顔を消して、鬼の形相へと表情を変えた。
雷のごとき声で、広場に怒声を響き渡らせた。
「このっ、愚か者めがっ!! コロっと魔物なんざに魅了されて、国を危機におとしいれておきながら、まぁのん気なことを言うものですね! 今までわたくしが何度訴えようと、聞く耳すら持たずに、仕舞いには悪趣味な公開処刑で晒し者にしようとは! そんなしょうもない小男と結婚などするものですか! シーマス様との縁談は、わたくしの人生の汚点ですわ!!」
一気に怒鳴り切ると、床に這いつくばっていたシーマスは口をはくはくさせていた。
ヴァレリアはシーマスからさっさと視線を外して、今度は他の王族たちを睨みつける。もちろん、中には王も含まれている。
彼らに向かって、さらに怒声を連ねた。
「そちらの皆様方も、全員ひっくるめて愚か者でございましょう! 王族も、大臣も、兵も、この国の城には呆けた人間しかいないのでしょうか! まったくなんと嘆かわしい! みすみす魔物を城へと潜り込ませて、誰もかれも、これっぽっちも気がつきやしない! なんたる平和ボケ! なんたる無能! こうもやすやすと魔物の魔力にあてられるとは、情けないにもほどがあります! 少し注意していれば、おかしなことに気がついて、正気を保つことなど容易であったでしょうに! 民から吸い上げた税金を使って、あろうことか魔物を飼うとは!」
ヴァレリアが言い放つと、事を見守っていた観衆はさらにざわつきだした。『税金』のあたりに思うところがあったようだ。
「お城の方々にはまだ他にも、色々と申し上げたいことはございますが。今日この場ではこのくらいにしておきましょう。――陛下、次のわたくしの願いを、お聞きいただけますか?」
「……う、うむ……聞こう……」
王は胃のあたりを押さえて、呼吸を乱していた。胃痛でも起こしているのかもしれない。
素知らぬ顔で、ヴァレリアは話を始める。
「二つ目の願いは、そちらにいるギルの解放でございます。闘剣奴隷を皆解放し、以降、人道に反した卑しい賭け事は禁止していただきたく存じます」
ヴァレリアの言葉を聞いて、ギルがこちらを向いた。目をまるくしている。人間らしく表情を動かした彼は、無表情の時に比べて、ずっと優しい顔立ちに見えた。
周囲を見回して、ヴァレリアはさらに言葉を続けた。
「大体、剣に長けた彼らを、奴隷として金持ちのおもちゃの身分にとどめておくなんて、もったいなくて仕方がない。魔物狩りの剣兵として取り立てた方が、よっぽど国のためになるでしょうに。現に、今さっき魔物相手に剣を振るった人間は、ギル一人ですよ! この場にこれだけの兵がいるにも関わらず、たった一人! 今この場で、最も優れた剣士が奴隷の身分に貶められているなんて、国として恥ずかしくありませんこと?」
王はダラダラと冷や汗をかきながら、渋い顔でヴァレリアの言葉に答えた。
「わ、わかった……よかろう……そうだな、そうしよう……優れた闘剣奴隷は、魔物狩りの剣兵団へ登用を……」
「陛下のご英断に、感謝申し上げま――」
言いかけたところで、ほど近くから声が聞こえた。王族たちの席に近い、貴族たちの集まりから、文句の声がボソボソと聞こえる。
ヴァレリアはツリ目を鋭く細めて、そちらへと大声を発した。
「あら? コソコソと文句を連ねているのはどちら様? 卑しい賭け事で儲けているお方かしら? それとも、飢えた子供がパンを盗んだくらいで奴隷の身分に堕とすような、心の狭い小者かしら? どちらにせよそのようなお方は、血生臭い愉悦を好む魔物に、さぞ好かれることでしょうね! あなた方が魔物に食い殺されないよう、お祈り申し上げます。城に潜り込む魔物がいるくらいですから、あなた方の賭け仲間の内にも、もう魔物がいるかもしれませんからね」
冷たく言い放つと、貴族たちは顔を見合わせた。ギョッとした表情で、慌てて互いの顔色を確認している。
まぶたをひっくり返したりして、血の色を確かめ始めた。
文句の声が止んだところで、ヴァレリアは三つ目の願いを言う。
「さて、三つ目の願いは、今の話にも関連することでございますが」
「……も……申してみよ……」
「この馬鹿げた処刑イベントを、早急に、今すぐ、仕舞いにしてくださいませ。そして金輪際、見世物じみた悪趣味な処刑は行わないことを、法で定めていただきたく存じます。こんな野蛮なことをしているから、魔物が潜り込んで一緒に楽しむ、なんて事件が起きてしまったのでは?」
「……」
王は何も言わずに片手を上げた。手は汗で濡れ、情けなく震えている。
王の合図を受けて、ガシャガシャと解散の鐘が鳴らされた。広場の兵が観衆を誘導し始める。
――こうして、ヴァレリアの処刑イベントは仕舞いとなった。
百度目にして、ようやく終わったのだった。
はけていく民衆を眺めながら、ヴァレリアはその辺の椅子にドカリと腰を下ろす。この椅子は、先ほどまでケイトリンが座っていた椅子だ。
ヴァレリアは最後に、悪役令嬢というあだ名がピタリと当てはまるような、堂々たる態度で声を発した。
「大声を出したら喉が渇いてしまったわ。どなたか、わたくしにお水をくださらない?」
声に答えたのは、王だった。自身の従者に命を出して、自身のために用意されていた水をこちらへと寄越した。
ヴァレリアはグラスに注がれた水をクイと飲み干し、我が物顔で周囲の人間たちに命を出す。
「そちらのギルにも、お水を」
命令通りに、ギルの元にも水とグラスが運ばれていった。
この日、一時ではあるけれど、ヴァレリアは確かに、王よりも高い地位に君臨していたのだった。
■
そうして魔物騒動は幕を閉じた。
城の者たちはその後、大いに反省したようだ。やすやすと魔物を招き入れた上に、コロッと魔力にあてられてしまったことを、深く恥じた。
第二王子シーマスは厳しい謹慎の日々を送り、ヴァレリアを貶した周囲の人間たちも、慎ましく過ごすことを余儀なくされた。
シーマスとの縁談が消えた今、ヴァレリアが城に上がることはない。けれど城の者たちは、未だにヴァレリアを恐れている。
それというのも、『ヴァレリアには神の加護がある』なんて噂が流れたので。『彼女を蔑ろにすると、顔面に神の鉄槌を叩き込まれる』という話が囁かれている。
……もうさすがに、力一杯人を殴り飛ばすなんてことは、生涯ないと思うのだけれど。
時を繰り返したことは誰にも言っていない。けれどあの日、処刑台で繰り広げられた光景は、人々の記憶に鮮烈な印象を残したようだ。
神の加護でもなければ、あの凶剣の猛攻をかいくぐることなど、出来ようはずもない、と、誰もが言う。
大体合っているので、ヴァレリアはそんな人々の声に優雅な笑みで応えておくのだった。
そうしているうちに、すっかり恐れられるようになっていた。家族でさえ、ヴァレリアに対して気を遣っている。
投獄前も気狂いの悪役令嬢として孤立していたけれど、今も別の方向で、それなりに孤立している。
当然ながら、次の縁談なんてものは一切舞い込んで来ない。けれど、もうそれでいいと思った。
ヴァレリアは、もはや結婚に、忌避感のようなものを抱いてしまっている。
婚約なんてものを結んでいたせいで大変な事件に巻き込まれ、大変な生活を何度も繰り返したのだ。
もう生涯独り身を貫き、他人絡みのいざこざに生活と心を乱されることなく、ゆっくり静かに暮らしたい。
……――と、そう思っていたのだけれど。
ある日を境に、ヴァレリアの静かな暮らしは終わってしまった。
魔物狩りの剣兵団の男から、猛攻を受けるようになってしまったのだ。
今日も屋敷にヴァレリア宛ての手紙が届いた。朝昼夜と、三通も。ここ最近、毎日この調子だ。
侍女から受け取り、送り主の名前を見てため息を吐いた。
「この手紙はギルから……こっちもギル……これも、ギルでしょうね……あぁ、ほらやっぱり」
一応、封を開けてみる。いつも通り、手紙にはびっしりと不器用な愛の言葉が綴られている。
ヴァレリアを襲うギルの攻撃は、凶剣から求婚へと変わったのだった。
きっと手紙なんて、今まで書いたこともなかったのだろう。歪な字で、マナーの挨拶文もすっ飛ばして、気持ちだけが真っ直ぐに綴られている。
手紙によると、彼は最近、剣兵団の中で結構な出世をしたそう。なんでも、とんでもなく獰猛な魔物を真っ二つにしたそうで。
その時に王家からもらった褒賞のメダルを、そのまま恋文の封筒に入れて贈って寄越したのは、記憶に新しい事件である……。
ヴァレリアは盛大に頭を抱えた。
また、ギルの猛攻をかわす日々が始まってしまった。
毎日恋文が届き続けて、数十通を超えた頃。今度は本人が直接、家を訪ねてくるようになった。
最初のうちは手ぶらで現れ、そのうち花束を持ってくるようになり、さらにはビシリとした兵団の正装で現れるようになった。
猛攻は続き、家だけではなく、ヴァレリアの出先にまで駆け参じるようになった。
演劇鑑賞を終えて建物を出たら、玄関で膝をついて待っていた、なんてこともあった。
ちなみに、彼がベッタベタに可愛がっている黒毛の愛馬はヴァリーという名前らしいが……深く考えないでおこう。
そうして、なんやかんやと、九十九度目の求婚をかわした翌日――。
出先で馬車を降りたら、降りた先にギルが立っていた。ヴァレリアの予定をばらしたのは、侍女か、護衛か、家族の誰かか……。
何度断ろうと、ギルはめげずに愛を伝えてきた。あまりに熱心に求婚してくるものだから、ヴァレリアの周囲の誰かが、彼の側に寝返ったのだろう。
……やれやれ、こうなってはもう仕方ない、と、ヴァレリアはギルへと向かった。
ギルは兵団の正装で身を整えていた。白い騎士服は、彼の銀色の髪と瞳によく似合っている。
腰布一枚でも男神の彫像のようで格好良かったけれど、この姿もなかなか素敵だ。
ギルはヴァレリアの前で片膝をついた。
街の中、公衆の面前で愛の言葉を告げられるのは少々恥ずかしいけれど……かつて大観衆の見守る中、処刑台で力一杯暴れた二人なので、もはや些細なことである。
ギルはヴァレリアをまっすぐに見つめて言う。
「今日のあなたも美しい。素敵だ。……赤いドレス、よく似合っている。あの日を思い出す」
「これから愛の言葉を囁こうという時に、処刑の時の話を出さないでちょうだい。雰囲気が台無しよ」
「……すまない……間違えた」
「ふふっ、あなた、いつまでお喋りが下手なのかしら。もう身分はずいぶんと立派なものに変わっているというのに」
つい笑ってしまった。ヴァレリアの笑みを見て、ギルは一瞬目を泳がせた。また、いつか見た時のように、彼の耳が赤く染まる。
意を決したように、再び視線を合わせてきた。深く息を吸った後、彼の攻撃が始まった。
愛の言葉を受けるのは、今回で百度目――。
「……あなたは、俺にとって特別な人なんだ……俺の剣をかわしたのは、あなただけだ。他にも、あなただけが俺を愛称で呼んでくれた。あなただけが、奴隷の俺に笑いかけてくれた。あなただけなんだ……俺のことを、人間として見てくれたのは……。俺はもう、あなたにだけは、剣を向けられない……」
奴隷人生では知る機会もなかったであろう口説き文句を、一生懸命探りながら、ギルは言葉を紡いでいく。
「……初めて、人を好きになってしまった……。一生のお願いだ……戦乙女よ、どうか俺の名を呼び、微笑んでほしい。どうか、俺のことを好きになってほしい。俺は、あなたのことが大好きなんだ。ただ一人、ヴァレリアだけが、愛おしくてたまらない。……どうか、俺の手を取ってくれないだろうか」
どうにか伝えきった彼に、ヴァレリアは返事を返す。
「わたくし、戦乙女なんかじゃないわ。もうこれっぽっちも戦えないし、あっという間に死んでしまう。……そしてもちろん、生き返ることもない。……だからね、ギル、」
ヴァレリアはやわらかく笑って、そっとギルの手を取った。
「だから、これからはギルが、わたくしのことを守ってちょうだい。あの日、襲い来る魔物を切って、助けてくれたように。わたくしを襲う不幸を、まるっと全部、叩っ切ってちょうだいね」
――ギルからの求婚、百度目の今日。
ついにヴァレリアは負けてしまった。
彼と共に迎える未来への期待と、ときめきが、結婚への忌避感を上回ってしまった。
まったく、なんたる不覚だろうか。重なる彼の猛攻に、もうすっかり心を揺らされてしまっていた。
ギルの下手で真っ直ぐな愛の言葉は、なんとも言えず愛おしく、ヴァレリアの心を大いに和ませ、くすぐった。
そうしてたった今、最後の一撃を真正面に食らったところだ。
実に幸せな一撃であった。
ヴァレリアは差し出された手を握り返して、ギルに口づけを許してしまった。
何度生まれ変わろうと、もう二度と結婚なんてするものか、と、強く思ったものだけれど。
来週、ヴァレリアは花嫁衣装のドレスを合わせに行く予定だ。
凶剣のギルベルト改め、すっかり懐いてしまった忠犬のギルと一緒に――。
お読みいただき、ありがとうございました!
評価等いただけましたら、とても嬉しいです。