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錆田村の甲虫

作者: ひねり

 山間にある錆田村には珍しい伝説が言い伝えられている。

 干害が続いた年、農作業がままならず、名の通りに田が錆びついたように実りがなく人々は飢餓にあえいでいた。そんな中、山から人の身の丈を超える巨大な甲虫がやってきて、大きな岩を砕いた。すると、そこから水が噴き出してみるみるうちに土地を潤した。甲虫は山中にある大きなクヌギの木までやってくると、穴を掘って地中深くで眠りについたという。

 村人はそのクヌギを神木として崇め、神社を建てて甲虫を奉った。

 数百年の時を経た今でもそのクヌギは現存しており、村人から信仰を集めている。


 現代において人口の流出はもはや止めることのできない潮流であり、いくら対策を講じても人を引き止めることは叶わず、ゆるやかに消滅するのを待つ村となっていた。だからこそ、都会から家族が引っ越してきたとあればよくも悪くも村人の目を引く。

 若き夫婦と小学生になる息子の三人家族は、都会的商業主義生活から離れて田舎の暮らしに憧れてやってきた。初めのうちこそ村の連中はよそ者に対してどう接するかを決めあぐねていたものの、よく働き愛想のいい一家はすぐに受け入れられることとなった。

 人工物より自然物の方が多い村での暮らしは、夫婦にとって充実した毎日を過ごせる新天地であった。しかし息子は都会での暮らしに慣れきっていて村での生活に刺激を感じられず、退屈な日々でしかなかった。同世代の友人もできたが、ともに遊ぶことと言えば野を駆け川で魚を獲り、木登りの競争をする。電子的入出力のない遊びはなかなか気に入らず、魅力を感じなかった。


 そんな少年の意識を変えたのが、夏になって現れた甲虫だった。かつての暮らしでは直に触れる機会はなく、せいぜいが店頭で飼育ケースに入れられた姿を目にする程度だった。それが、ふと目を向けた木の幹にいたり、窓を開けた瞬間に飛来してきたり、生き生きとしたありのままの生態がそこらじゅうで見られた。

 照りのある漆黒の色から赤みが強いもの、いずれも美しい色合い。力強くそびえる角。少年の心を強く掴むものだった。

 村の子供たちは甲虫を大切にせよと教え育てられ、むやみやたらに触れるものではないと認識していたが、少年はそんなことはお構いなしに彼なりの愛し方で接した。虫かごに入れて眺めたり、二匹の甲虫で相撲を取らせたりしているうちに村の子供たちも集まって一緒に甲虫で遊ぶようになった。

 人数が増えていくとより過激な方向へ向かっていく。堅さを試すために自転車で踏み潰した。爆竹を巻きつけて火を着けた。花火の火であぶった。角に紐を結んで振り回し、ぶつけ合った。思いつく限りの方法で弄び、冒涜を重ねた。

 次々生み出される過激で刺激的な遊びは大人の目に触れることなく、秘密裏に行われた。だが、子供の親のひとりに目撃され、村長の耳に報告が行くと、全員がこっぴどく叱られる。二度と甲虫に触れないことを誓わされ、真夏が過ぎる頃には子供らしい普通の遊びに戻って行った。


 ある日、かくれんぼをすると言って若き夫婦の息子は家を飛び出して、その日に帰らなかった。その頃には子供たちがそれぞれの家に泊まることも珍しくなかった。しかし、どの家に連絡しても息子の所在は掴めなかった。それどころか、遊び仲間の子供たちが一人残らず帰宅していなかった。すぐさま青年団による捜索が始まったが、誰一人として見つからなかった。

 翌日の昼になって子供たちは神社の大クヌギで発見された。見つけた青年団員が目にしたのは、ずたずたに引き裂かれ赤く染まった子供たちの衣服と、すっかり肉を失い乾いた血に塗れた複数の骸骨、そしてクヌギの幹にうじゃうじゃととり付く無数の甲虫だった。その翅はまるで血に濡れたように鮮やかな赤色をしていた。

 警察の調べで骸骨の中に若い夫婦の息子のものは含まれていないことがわかった。さらに警察犬の出動により、クヌギの根元を掘り返すと、いたく損傷の激しい子供の死体が見つかった。皮膚は焼けただれたように黒々とし、一部の肉が削げ落ちて骨が露出している。首の骨がねじ切られたように折れて胴体と分離し、両の目玉はくり抜かれ眼窩に土が詰まっていた。腹は虫に食い破られて内臓が飛び出し、腐敗臭が捜査員の顔をしかめさせる。下半身の損傷が特に激しく、骨が粉々に粉砕されていて部位の特定もできないほどだった。かろうじて確認できた衣服の残骸から、それが引っ越してきた若い夫婦の息子だということがわかった。

 死体のすぐ下には、土壌とは違う硬くて異質なものがあった。それは外気に触れるとぎちぎちと音を立てて周囲の土を削り、片鱗が垣間見える。崩れた土の向こうから虚無を思わせる黒い目玉が覗く。触覚が動き、外の様子を探る。鉤爪を思わせる前脚が伸び、地面を盛り上げて這い出てきた。

 それは人の身の丈を遥かに超える、巨大な甲虫だった。


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