09 一難去ってまた一難
ある夏の日の深夜。首都圏郊外の森で起きた大火災は大ニュースになった。
燃え上がる炎は夜の闇を赤く照らし、かなり遠くからでも見えたそうだ。近隣住民の避難、マスコミ野次馬の到着、消防車の出動など大騒ぎの中で火災の中心が病院であると判明し、救助されたボロボロの三人の被災者の顔は大々的にテレビ局によって全国に知れ渡った。
病院での治験は厳格な守秘義務が課されていたから、俺達三人は家族に何も知らせていなかった。せいぜい「アルバイトで数日連絡つかなくなるけど心配いらない」程度。
ところが心配いらないはずの息子・娘が全国中継された大災害の被災者としてテレビに映ってしまう。家族が搬送先の病院に駆けつけてくるのも当然だろう。
「獅狼ちゃん! 大丈夫なの? 本当になんともないの? ああ獅狼ちゃん! ママ心配で心配で死んじゃうかと思ったわ。苦しいとこない? 大丈夫なの獅狼ちゃん!」
俺の(九条の)体をべたべた触ってしつこいぐらいに心配してくるおばさんはどうやら九条の母親らしい。
身なりの良い40代ぐらいの女性で、九条の顔の良さは母譲りなのだろうと納得できるぐらいの若い頃の美貌の名残がはっきり見て取れた。
ほとんど押し倒す勢いで怪我の一つでもありはしないかと全身を確かめてくるおばさんを医者が苦笑いしてやんわり制止する。
「息子さんはまだ火災のショックで混乱しているようですので、あまり問い詰めたりは」
「何いってらっしゃるの! 私の息子なんですよ! 心配して当然でしょう! ああ獅狼ちゃん、獅狼ちゃんにまで何かあったらママ生きていけないわ!」
なんとも無いのを確かめたのにおばさんは感極まって泣き出した。
最初から勢いに押されて何も言えなかったが、ますます言えなくなる。彼女の言う「獅狼ちゃん」はもう死んでるんだよな。俺は奴の体を使っているだけで中身は別人だ。
しかし自分の正体を白状する機会をすっかり逸してしまった。この過保護な様子から察するに、息子さんはもう死んでいて中身は全然知らない他人ですなんて言ったらショック死しかねない。
とりあえず母(仮)を落ち着かせるために引きはがしながら優しく言う。
「あー、ママ。俺は大丈夫だから」
「ママですって!?」
言った途端に驚いて目を丸くする。
まずい、呼び方間違えたか? 自分をママって呼んでる母親だし息子もママ呼びしてるのかと思ったのだが。
「まあまあまあ! ママって呼んでくれるのは小学生ぶりかしら。ずっとババアって呼んでたのに。でも無理しなくても獅狼ちゃんの好きなように呼んでいいのよ?」
「…………」
九条ぉーッ!
お前マジでカスだったんだな!
思春期の男子中学生じゃねぇんだぞ。母親をババァ呼びすんなや!
「奥さん、そろそろ面会時間が」
「もう!? 先生、獅狼ちゃんにちょっとでも何かあったらお願いしますよ! お金ならいくらでも出しますから」
「ちょっと奥さん、こういうのは困りますよ」
「いいえ受け取って下さい。この子のためなら少しも惜しくないですわ! 獅狼ちゃん、ママはすぐ近くのホテルにいますからね!」
九条母はそう言って分厚い封筒を医者先生に押し付け、何度も何度も心配そうに振り返りながら帰っていった。
すごい人だったな。そしてあんな母がいる九条獅狼もすごい。
顔も強けりゃ実家も強い、体強くて名前まで強いって最強かよ。これで性格強かったら世界征服してたな。
同じ病室の少し離れたところでは神々廻さんが母親と思しきやつれて薄幸そうな年配の女性と静かに抱きしめ合っていた。小声で何か話しているが内容までは聞き取れない。
翼の家族は来ていない。病院の電話を借りて実家にかけたのだが連絡がつかなかったらしい。深夜だし普通に寝ているのだろう。朝になったらまたかけると言っていた。
俺の家族もたぶん寝てる。自分の変わりようを説明する時の事を思うと気が重い。体が入れ替わったと説明して信じてもらえるだろうか。
「そうだ、神々廻さん」
「はい?」
「なんでしょう?」
声をかけると二人から返事が返ってきた。
そうか、二人とも神々廻なのか。紛らわしい。
「すみません。えーと、臾衣……さんの方です」
「呼び捨てでいいですよ」
「いやそれは」
「呼び捨てでお願いします」
「……あー……いや……その……ゆ、ゆ、ゆ……いやいや……ししば……あえー、と……ゆ……ああああ……そっ……んぐ……ゆ、臾衣……」
「はいっ!」
嬉しそうに返事をされて変な声が漏れた。
女子を呼び捨てにするなんて小学校低学年以来じゃないだろうか。へ、へへへ。
「ごほん。えーと、ちょっとこの後話せたらありがたい」
「ああ、では私は失礼しますね」
「! すみません急かしたわけでは」
「いいんですよ。じゃあ臾衣、気を付けて」
「うん。お母さんも。後でゆっくり話そうね」
親族が全員退室し、医者先生も検査結果が出るまで安静に、と言って出ていく。病室には俺達三人だけが残された。
病院に担ぎ込まれてすぐざっと診察を受け、大事ないとは言われているが、念のためにした精密検査の結果を待たないと退院できない。もっとも検査待ちというのはただの口実で、窓の外から見える病院の入口で待っているマスコミに会わせないためかも知れないし、はたまたこの後警察か消防の事情聴取が行われるか何かで留め置かれているのかも知れない。
事情はどうあれ、少し時間ができた。やっとできた安全な時間だ。
「翼、iPad使えそうか? 状況を確かめて整理しておきたい」
「今ニュースサイト開いたところだ」
ベッドで半身を起こしiPadをスワイプしている翼の隣に俺と臾衣は集まり、顔を寄せて画面をのぞき込んだ。
スマホが焼失した今、看護師さんに無理を言って借りたこのiPadが頼りだった。ちょっと困り顔で頼むだけで無理を聞いて貰えるのがイケメンのズルいところだよな。これが体を交換される前の俺だったら絶対にすっぱり断られてた。
「奥多摩大火災……出火原因は田間多摩医院か……決死の消火活動……生存者三名は病院に搬送……避難指示拡大……すごい事になってるな。ひでぇ」
痛ましげに翼が開いた動画にはヘリが消火活動を行っている様子が映っている。火元になった病院はまだ燃えているが、延焼した森の火はくすぶり始めているように見えた。
夏でよかった。乾燥した冬だったらもっと恐ろしい事になっていただろう。
いくつかのニュースサイトを巡回するが火災がピックアップされ、襲撃だの魔法だの人体実験だのには全く触れられていない。
ニュースを一通り見た翼は顎に手を当て眉を寄せ唸った。
「結局どういう事だったんだ? 病院が俺達に魔法を覚えさせて、ガープが襲撃して?」
「ガンプな。今までの話をまとめるとたぶんこうだ。
魔法使い達は勢力争いをしている。ガンプってところが強い勢力で、田間多摩医院はガンプに対抗するために戦力を集めてた。俺達は兵力増強のために集められてたんだが、田間多摩医院はガンプの襲撃に遭って壊滅。俺達は救出されて今に至る」
「じゃああの空飛ぶSNSの人は何だったんでしょう? ガンプとは名乗ってなかったですよね」
臾衣が首を傾げる。そう、嵐のようにやってきて全てを解決し去っていったあの男が一番謎だ。空を飛ぶ、翼を治す、二つの魔法を使っていたし。
魔法は一人一つだけのはずだが、いくつかのパワーが複合した魔法なのか? それとも矢倍が語った「二つ魔法を使う例外」なのか。
「あの人はグリモアって言ったな。階級名なのか二つ名なのか、部隊名なのかも知れん。でもガンプ関係の人なのは確かだと思う。矢倍が『ガンプの襲撃だ』って言ってたし、医院を襲撃して俺達を助ける魔法使いって言ったらガンプしか考えられないからな。俺が知る限りでは。まあ魔法使いにも勢力争いに関係ない警察みたいな治安維持機構があって、ガンプも医院も関係ないレスキューの人だった可能性もある。考えればキリがない」
「そうだな。名前なんだっけ、メシア……食器みたいな」
「メシア・ウィザースプーン」
「それだ。ググってみよう」
翼がググると、なんと簡単にヒットした。
複数のSNSにアカウントを持っていて、ヘッダー画像が自撮りになっているからすぐに分かった。フォロワー数は――――
「フォロワー120万人!? 有名人だ!」
英語アカウントでプロフィール欄も英語だったため全ては読めないが、どうやら映画俳優をやっていて、音楽活動もしているようだ。投稿された画像や記事は彼の出資で再建された聖堂や、彼と笑顔で握手している教皇、病気の子供にサンタの仮装をしてプレゼントを配っている自撮りなど。自分の名前がデカデカと刻まれた自分の石像の前でポーズをキメている写真もあった。自己顕示欲がすごい。
「魔法使いの表の顔か……」
「顔デカ過ぎだろ」
感心している翼に突っ込みを入れる。
世を忍ぶ仮の姿にしては全然忍んでないめちゃくちゃ派手な経歴だ。
頻繁にSNSに呟きを残しているメシア・ウィザースプーンだったが、俺達と撮った写真は載せていなかった。代わりに全く関係ないおやすみメッセージとウインク顔が投稿されていて、大量のグッドボタンが押されている。
確かに載せていいかと聞かれたのだが、思い直したのだろうか。
彼のSNSには全く魔法関係のコメントが無かった。
またネットを巡回して彼の情報を集めていると、一つのニュースが目に入った。
「波野家の悲劇……? え?」
「何っ!?」
「1ページ戻ってくれ。それだ」
翼も苗字が俺と同じだから他人事ではない。ニュース記事を食い入るように読む。
その記事に張り付けられた写真に写っていたのは、俺の家だった。
「家族の惨殺死体発見。拷問の痕跡あり。事件性……近年稀に見る残虐な……近隣でも同一犯と思われる殺害が……被害者と関係が深いと思われる波野司(19)は失踪しており、捜索が続けられている」
俺が飛ばし飛ばしに読み上げると、二人は絶句し、気づかわしげに俺の顔色を窺った。
二人の心配をよそに、俺は驚きや悲しみ、怒りを確かに感じながら冷静だった。
今夜でもう一生分の驚きと混乱を使い果たしてしまった。あるいは魔法があるという心の余裕によるものなのかも知れない。
指でニュース記事の文字を辿り、考える。
「犠牲者の写真と名前が出てるな……みんな知ってる。母さん、父さん。叔父さんと叔母さん、従姉妹。こいつは高校の時の友達だ。俺が通ってる大学の教授の名前もある」
その全てがこの三日で殺され、死体となって見つかっていた。
今は大火災のニュースの方が大きく扱われているが、その直前までこの一連の殺人事件で世間は大騒ぎだったようだ。
俺が病院で命の危機に晒されていたこの三日間で、誰かが俺の親族知り合いを殺して回った。
俺の周りで何が起きた?
何が起きているんだ?