08 救世主参上
文字通り「生まれなおした」俺は全裸だった。生まれたままの姿ってやつだ。
土壇場での黄泉がえりを成し遂げ全能感に震えるのもそこそこに内股になって股間を隠す。
いやマジで勘弁してくれ。恥ずかしがってる場合じゃないけど恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ!
「あわわわ、これ、これを……!」
「いや待てバカ落ち着けバカ」
顔を真っ赤にして自分の病院着を脱ぎ渡そうとしてくる神々廻さんの手を掴んで止める。
俺を露出狂から性犯罪者に転職させる気か?
取り急ぎ消えた俺の(九条の?)死体から焼け焦げた服を拾い上げ、腰に巻く。今はちゃんとした服を用意している時間はない。
「お前は……司、なのか?」
頭が吹き飛んだ九条の(俺の)死体を前に茫然としていた翼が、死体と俺を混乱しきって見比べる。一見混乱してるように見えて本当に混乱してるな。そんな事聞いてどうする?
「聞いても意味ないだろ。俺が波野司のフリをした九条でも自分は司だって答えるさ。どうやって俺が九条の体の中に入った司だと証明するかは難しい問題で、」
「もういい分かった。九条はそんな難しい話をしない。とにかく生きてて、生きてて? あー、とにかく良かった。良かった、でいいんだよな」
翼は首無し死体をそっと地面に置いて複雑そうにした。
翼の心中は察するに余りある。俺自身は自分の身に何が起きたのか分かっているが、横で見ていた翼にしてみれば事態が二転三転四転。もう何がなんだかわからないだろう。
この緊急事態に死体を抱えてフリーズしてしまっていたのも無理はない。今ばかりは脳死全肯定神々廻さんの方が動けている。
「とんでもない事になったがやる事は変わらない。逃げるぞ」
「お、ああ。そう、そうだな。こんなところにいられるか」
「早く脱出してみんなで美味しい物でも食べにいきましょう!」
「…………」
なんでもない二人の相槌を聞いて死にそうだと思ってしまったのはなぜなのか。
再誕魔法を作り事実上死ななくなったおかげか、視界も頭もクリアになった気がする。死ぬ前よりずっと周りの状況がよく見えた。
病院は火の海で、俺達がいるのは大火災の真っただ中。倒壊した病棟や大破した車両の合間にできた空間に棒立ちしている。
襲撃直後はまだ逃げられそうだった。塀の亀裂からでも、正面出入口からでも。
しかしちょっと生死の瀬戸際を彷徨っている間に事態は当然の如く悪化した。病院の火災は森に燃え広がり、木々が巨大な松明と化し火の粉を噴き上げ空を焼き焦がしている。
四方八方、見渡す限り一面が絶望的な火の海だった。
「……さあ逃げるぞ!」
「ああ!」
「はい!」
もう一度威勢よく言うが、二人は動かない。俺も動かない。
お互いにお互いの様子を伺い、もう何度目かも分からない嫌な予感に襲われる。
「え、司さんの魔法でなんとかするんじゃ?」
「翼が脱出経路を考えてるのかと」
「臾衣がなんかアイデアあるんじゃないのか?」
そのやり取りで察してしまう。
やばい! 逃げ遅れた!
最悪だ。今度こそ終わった。
いや、違う考えろ諦めるな。
矢倍に見つかった時は終わったと思った。
九条に体を交換された時は死を悟った。
二つともなんとかなった。だから今度も大丈夫と思い込め。
必死に考える。
俺は再誕魔法があるから、何度でも焼け死にながら強引に脱出できる。覚えた魔法が、体に漲る魔力が、それが可能だと教えてくれる。
だが二人は無理だ。火傷を負い疲労した二人が業火を抜けて安全な場所にいけるはずもない。
「そうだ、二人も魔法を作ればいいんだ! あるだろなんか、炎を消すとか水をぶっかけるとかそれ系の魔法で!」
「え、私覚えれるかな」
「それだ、名案だ! ……いや無理だ。俺も臾衣も魔法食らってない」
「は? そんなはず……ある! クソッ!」
色々ごちゃごちゃしていたが、なんだかんだで二人は一度も魔法を食らっていない。
俺の再誕魔法も人に使えるタイプの魔法じゃない。なんでだよ! 魔法を覚えさせる施設に監禁されておいてどうして。
考えている間にも炎はどんどん回っていく。空気が熱湯のように熱せられ、息をするだけで舌が乾き肺が焼け付く。酷い汗をかいているはずなのにどんどん蒸発してカラカラだ。
もう悠長に考えている時間がない。なるようになれだ。
「掴まってろ!」
「お、おい!」
俺は足がボロボロで歩けない翼を背負い、神々廻さんの手を引いて走った。
不幸中の幸いで、九条の体はゴリゴリのインドア派陰キャオタクだった俺より遥かに体格がよく筋肉があり体力まで備わっていた。元の体では大人の男を背負って走るなんて到底無理だっただろう。
俺は炎の壁にがむしゃらに突進した。偉い人は言った、案ずるより産むがやすしと。一見絶対に通れなさそうな炎を前に手をこまねいているより、いっそ思い切って突破しに行けば活路は開ける!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいやあっつ無理だ!」
と思ったが全然無理だった。炎に足を踏み入れる前に尋常ではない熱気に焙られて急ブレーキをかける。気合とか勢いとかそんな問題じゃない。単純に熱すぎる! 飛び込めば死ぬと焙られただけで分からされた。
「大丈夫です、行けます! もう一度一緒に、一気に!」
「いや無理だろ!」
「そうですねやめましょう! 無理だと分かったら止めるのも大切です!」
神々廻さんはコロコロ意見変えるし翼は背中で掠れた息を吐いて朦朧としている。
狭まる炎の輪の中で俺は立ち尽くした。
全てが俺を焦らせる。炎は待ってくれない。だが焦らなくても、炎が待ってくれたとしてもどうしようもないのではないか?
俺一人が助かってどうなるだろう。助かりたい。俺一人なら大丈夫だ。そういう魔法を覚えた。
だが必ず一緒に脱出しようと誓った二人は? 助け合おう、絶対に見捨てないと約束した二人は?
二人は仲間だ。たった三日の付き合いだが苦楽を共にして、命を預けて助け合った。
二人は絶対に助ける。言葉にするのも野暮な心からの決意はしかし砕けそうだった。
悪魔の舌のように炎が俺達を舐める。後ずさるが、背後にも炎が燃えている。
逃げ道がない。
そんな絶体絶命の窮地を切り開いたのは三人の誰でもなかった。
その人は空から降ってきた。着地の衝撃で地面が震え、衝撃波で炎が放射状に吹き散らされる。
清涼な夜気が駆け抜ける中、その男はニッコリ笑って快活に言い放った。
「やあお困りのようだね。僕は『グリモア』のメシア・ウィザースプーン! 君達を助けにきた!」
救世主を名乗ったその男は絵にかいたようなヒーローの姿をしていた。
さらりと風になびく金髪にハリウッドスターさながらの美男子顔。歳は二十代半ばに見える。服装は白いマントにベルトだらけの黒スーツで、布の下で厚い胸板と鍛え上げられた筋肉がはちきれんばかりだ。首元で揺れる六芒星のペンダントが目を引く。
「おやいけない! 彼は酷い怪我だね! 治してあげよう!」
俺達が何か言う前に、メシアは翼に手を触れる。すると光が広がり、翼は驚いた声を上げ、俺の背から降りた。見ればあんなに酷かった火傷が綺麗さっぱり消えている!
「あ、ありが――――」
「ここは危ない! さあ僕に掴まって!」
またしても言葉を遮り、メシアは俺達をまとめて抱きかかえた。
そして、飛ぶ。
地面を力強く蹴り飛び上がったメシアは、俺達を抱え空を飛んだ。
重力など無いかのように、人の形の鳥のように自由に。大火災を飛び越え、あっという間にまだ炎が来ていない森の端、公道の近くの薄暗い空き地に着地する。
「よしもう大丈夫! これで安心だ! 災難だったね!」
「あの、あなたは魔法使」
「おっと帰る前にちょっといいかな!」
全ての質問を無視してメシアはいそいそとポケットからスマホと自撮り棒を出し、手慣れた仕草で撮影準備をし自分と俺達を画角に入れた。
何が? なんだこれは? 今日は散々異常な目に遭ってきたが、今何が起きているかが一番分からない。
「はい笑って! 絶体絶命のピンチをスーパーヒーローに助けられて感激してる感じの笑顔で、イエー! ……よし! いい感じに撮れてるな! 君達、これSNSにアップしていいかな?」
「え?」
「あ、はい」
「どうぞ……?」
いいかな? と確認をとってはいるが、ほとんど有無を言わせない語気で俺達は流されるように頷いてしまった。
「ありがとう! じゃあ僕はこれで! 君達を助けた『グリモア』のメシア・ウィザースプーンをお忘れなく!」
最初から最後まで一方的に喋り倒し、嵐のようにやってきたメシアは嵐のように飛び立ちあっという間に見えなくなった。
そして俺達は空き地に取り残される。なんの説明もなく、俺達は強引に助けられた。
「なんだったんだ……?」
翼の呟きが俺達の心境の全てを代弁していた。
やがて燃え広がっていく大火災の現場に次々と消防車と救急車が到着しはじめ、救急隊が森の端で茫然と突っ立っている焦げ付いた俺達を見つけ担架を担ぎ駆け付ける。
こうして俺達は恐るべき病院から脱出し、大火災の被災者として普通の病院に入院する事になった。